の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

三女社 / 三女神社

2013年12月04日 14時34分49秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■一之鳥居■
(12th November 2008)



★三女社★ 大分県宇佐市安心院町大字下毛字三柱

・舊社格は社。

・祭は田心姬命、湍津姬命、市來島姬命、他十柱を配祀。

・創建年代は不明。

・大友宗麟によって燒かれたが、のちに再建。

・『日本書紀』代卷にある「即ち日(天照大)の生みませる三女を以って葦原の中國の宇佐島に降り居さしむ・・・」の宇佐島が、この地宇佐郡安心院邑當三柱山一帶とされ、宇佐日子、宇佐比賣は三女を祖とするが故に全國唯一の三女の名前を持つ社を祀っている。

・境内は古代祭祀の面影を漂わせ、幾多の史蹟と傳說とを有し、特に三柱石始め多くの隂石を有し、宇佐宮の元宮大元山の體となり三個の女隂を形どる巨石の組み合わせと對照的に男根的存在を現しているところに秘さを釀し出している。

・島原藩主にも崇敬されたという。


■參道■
(12th November 2008)
 


■二之鳥居■
(12th November 2008)
 


■參道■
(12th November 2008)


 
■木■
(12th November 2008)



■門■
(12th November 2008)



■拜殿■
(12th November 2008)



■本殿■
(12th November 2008)
 


■皮籠石■
(12th November 2008)


「當社西約百メートルに皮籠石なる名の字あり。そこに皮籠大明といわれる當社の末社があったが、明治初期この玉垣内に移し祀られた。奈良時代、仁聞菩薩が三女社に參拜し、ここに皮籠をおろし前面の岸壁に佛像を刻んだと傳えられる。また一說には、武天皇東征のとき、この石に皮籠を置かれたとも傳えられている」


■三柱石■
(12th November 2008)


 三女天降りの遺蹟と傳えられ地上に突出すること二メートル餘り「古來試みにこれを掘りて石根を見んと欲すれば宇宙闇然風雨至り大地振動してその聲雷の如しと言う。後人恐れて触れるものなし」と言い傳えられる。なお、三柱石は安心院七不思議のひとつである。


((コメント))

2008年11月12日

 安心院の中を走り、豐後國一之宮柞原八幡宮を目指し走っている最中、三女(さんみょう)社というところを見つけ、三女降臨の地とあったので興味深く思い、車を停めるスペースもないのに無理やり停めて行ってみた。

 社の境内は、いい雰圍氣を釀し出してはいたが、三柱石周邊が荒廢していたので非常に殘念だった。
 


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