の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

宗像社

2011年09月02日 21時30分23秒 | 近畿(奈良)
■社號標、鳥居■
(27th February 2009)



★宗像社★ 奈良県桜井市外山818

・延喜式内社、大和國城上郡、宗像社三座、竝名大、月次新嘗。

・舊社格は村社。

・祭は多紀理毘賣命、市寸嶋比賣命、田寸津比賣命。

・伴信友によると、階眞人の祖である市皇子(天武天皇第一皇子)の母が胸形善の女尼子娘であることから、當社は市皇子の外戚の氏として祀られ、のちに、階氏の氏人らが祖として崇めたものであるという。

・鳥見山(登美山)北麓に西面して鎮座で、胸形君一族の勧請とされる。

・太政官符の記述などより、天武朝以前の鎭座とされる。

・『三代實録』元慶四年(880)條には官社に加えられたとある上に、筑前の宗像大社と「同別社」とある。

・『三代實録』元慶五年(881)條には、階從一位勲八等を授かり、筑前の本社に準じて主を置き、階眞人の氏人をこれに任じた、とある。が、それには、様様な事情のためで、元元、天武天皇の御代から、階眞人が累代社務を司っていたのは事實である。ただ、祭祀を怠り、寶を紛失などのことがあったのが背景にある。

・南北朝期に兵火のため、燒失後、興寺の領地となったことから春日明と若宮が勧請され、宗像社はあってなきごときものとされ、江戸期には春日社と呼ばれるにいたったという。 


■修復中の拜殿■
(27th February 2009)



((コメント))

2009年2月27日

 常常、この道を通るたびに氣になっていた社である。車で入れないと思い、いつも、斷念していたところである。偶然、道がすいていて、ゆっくり見ると曲がり道があることに氣づき、いった次第。しかし、不運なことに社殿新築中で本殿もない状態であった。まあ、御靈を遷していようが、いまいが、結局はこの地にいるものなのであるが。まあ、小雨が降っていることもあり、氣はいい感じであった。氣になるのは境内の棒石のようなもの。あれは、大分に行ったときに立ち寄った三女社と同じような、三女を示す石なのであろうか、ということ。氣になるものだ。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。