の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

海社

2012年11月03日 09時28分10秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■鳥居■
(16th June 2011)



★海社★ 長崎県壱岐市石田町筒城西触323

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、海社、大。

・舊社格は無格社。

・祭は豐玉彥命。

・創祀年代不詳。

・延寶四年(1676)の橘三喜の式内社査定による式内大社海社比定以前の由緒は不詳。

・橘三喜が「カミジヤマ」という山名を「海山」と合點した爲、式内大社海社に比定されたという。
 

■燈籠、參道入り口■
(16th June 2011)
 


■拜殿■
(16th June 2011)





■本殿■
(16th June 2011)
 


■末社小祠■
(16th June 2011)





■社叢■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 雨が少し小降りであったので、傘を持たずに行くと雨が少し強くなってきた。少し、境内への入り口がわかりにくいところではあったが、呼ばれるように感じ、境内へ導かれた。境内に關して言うと、先住民族の海人族が山に祀る水、龍に非常に似ている氣を漂わせており、背筋に冷やりとするものを感じ、畏怖を強く感じるところであった。式内社としては、筒城に近い白沙八幡社が有力であるらしく、『壹岐國社考』においても、當社地には大社が建っていた事は考えられないと言うことで、白沙八幡社を有力視しているようである。が、實際、強引とはいえ橘三喜の「かみじやま」の推測も捨てがたく思う。白沙八幡社の社殿の向きも踏まえ、遙拜所と奥宮という關係が適當な氣がしてならない。その上、この境内の氣は、山地に祀られる祭祀蹟や禁足地とされた地と非常に似ていることもあり、白沙八幡社の禁足地とされる社叢が本來は今よりも廣く、ここに到っていたのではないか、と思わざるを得ない。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。