■小督■
(18th November 2012)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ae/c3c1d5ee0317b8e7ff5b6d97895ca89e.jpg)
★小督★ 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
・人皇第八十代倉天皇の後宮の女性。
・櫻町中納言藤原成範の女で、藤原通憲(信西)の孫。
・本名は不明。
・類稀な美貌の箏の名手であったという。
・冷泉房の愛人であったが、倉天皇に見初められ寵姬となる。
・中宮建禮門院子の父である平盛の怒りに触れ、坊門院範子内親王(倉天皇第二皇女)を出產したのちに閑寺で出家させられた。
・元久二年(1205)、藤原定家が嵯峨で彼女の病牀を見舞った記錄が殘るが(『明月記』)、その後の消息は不明という。
((コメント))
2012年11月18日
學生時代、文學を履修していたときの講師の先生が、女性であったのだが、「『平家物語』を讀みました。」と最初の講義の折に話したときに、小督の話をされて、好きなの、といわれていたのを思い出す。美しい先生であったが、小督局もそれくらい美しかったのだろうか。しかし、源氏にとっては憎き信西の孫娘だったというのは驚きである。
(18th November 2012)
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★小督★ 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町
・人皇第八十代倉天皇の後宮の女性。
・櫻町中納言藤原成範の女で、藤原通憲(信西)の孫。
・本名は不明。
・類稀な美貌の箏の名手であったという。
・冷泉房の愛人であったが、倉天皇に見初められ寵姬となる。
・中宮建禮門院子の父である平盛の怒りに触れ、坊門院範子内親王(倉天皇第二皇女)を出產したのちに閑寺で出家させられた。
・元久二年(1205)、藤原定家が嵯峨で彼女の病牀を見舞った記錄が殘るが(『明月記』)、その後の消息は不明という。
((コメント))
2012年11月18日
學生時代、文學を履修していたときの講師の先生が、女性であったのだが、「『平家物語』を讀みました。」と最初の講義の折に話したときに、小督の話をされて、好きなの、といわれていたのを思い出す。美しい先生であったが、小督局もそれくらい美しかったのだろうか。しかし、源氏にとっては憎き信西の孫娘だったというのは驚きである。