我が家のニャンコ先生、アジャランの、百か日供養に行ってきました。
今回、知る人ぞ知る「ペットのお坊さん」横田晴正さんに供養をお願いしました。
横田さんは新潟県の曹洞宗長福寺のご住職であり、
ペット霊園ソウルメイトの経営者でもあります。
「ペットのお坊さん」と言いましても、動物専門という事ではなく、
人の苦しみを救ったり、供養をする時は「人のお坊さん」で、
人と同じく家族の一員であったペットを弔い、飼い主さんの悲しみを癒す時は、
「ペットのお坊さん」となります。
そもそも人と動物で、亡くなった時の悲しみや、生涯の尊さに差があるわけでもないので、
区別する事なく供養し、同じくお経をあげてくださいます。
ただ、そのように動物達を供養していただけるお坊さん、霊園はまだ少ないため、
特に「ペットのお坊さん」として、知られている方です。
アジャランを亡くした時、私は後悔、悲しみ、混乱の中で途方に暮れていました。
何か指針が必要と感じてペットロスに関する書籍を探し、横田さんの著書に出会って、
ともかくも、心の持ち様を整える事ができました。
供養と言うと儀式的なイメージですが、
横田さんの場合はただ、お経をあげていただくのでなく、
その前にウチの子がどんな子だったのか、色々とお話しします。
私はパソコンを持参して、写真や動画を見ていただきながら、2時間くらい話しをしました。
出会った日、野良の子猫だったアジャランが、自分から私の足に組み付いてきて、
「家に入れて!家族になる!」と言わんばかりに、ニャーニャー鳴いた事。
マタタビが好きで、少しあげただけでベロンベロンになった事。
冬は布団に入ってきて、一緒に寝ていた事。
横田さんも動物が大好きな方なので、
「アジャランちゃんは布団に入ると、ずっと潜っている派でしたか?それとも出たり入ったり派でしたか?」
「出たり入ったりの子でしたね~」
「暑くなると出てくるんですよね。また寒くなると入れて入れて~って。こっちは寝不足になるんですけどね。
潜ってる派の子は朝まで出てこないんですよ~」
そんな感じで、猫好き同士として、会話が弾みます。
そして、アジャランの病気の事、最期の日の事…
亡くなった後、キャリーから箱へ移した時、体に残していた最後の息で、
「ニャー、ニャー」と2回ハッキリ鳴いて、声を残してくれた事…
私が病気に対して甘い判断をしたばかりに死なせてしまい、ずっと後悔している事も。
時に涙し、時に笑いながら、アジャランの生涯を伝えました。
生前の姿や声、かわいい仕草…
そして荼毘にふした日の、ほほ笑んでいる様な表情の写真も見ていただき、
私の悲しみや、後悔、それでも何でも「アジャランが大好き」という気持ちも知ってもらって、
その上でお経をあげて供養していただきました。
横田さん曰く、
「最初は『こちらの想いを亡くなった子へ清らかな形で伝えるお経』と、
『動物達は恩を忘れない、という説話が語られたお経』をあげようと思っていましたが、
色々とお話しを聞いて、アジャランちゃんからリクエストされた様な気がしたので、
『後悔や苦しみが少なくなっていくお経』も、間に挟ませていただきました。」
との事でした。
「後悔はすぐの消えなくても学びに変わり、
これからはアジャランちゃんにお線香をあげる時に、
飼い主さんが『後悔してるよ、苦しいよ、ごめんね。』と思ってしまっても、
アジャランちゃんは心配するのではなくて、
『え~そんなに私の事愛してるの~?』って思ってくれるようになりますからね。」とも。
ペットを亡くしたとしても、悲しみ方や想いの深さ、死生観等は人それぞれです。
そもそも、大事な者を亡くした経験がない人もいます。
同僚、友人知人、そして家族であっても、こんなにも悲しいという気持ちを、
共有してもらえない事はあります。
あの子を亡くして3か月…
ようやく、私は自分の気持ちを受け止めてくれる人に話しができたと思いました。
悲しみが消えるわけではありませんが、心の霧は少し晴れ、
今まで忘れていたアジャランとの思い出の場面が、ふと浮かんできたりします。
本当に良い供養をしていただけたと感謝しています。