かぎシッポDIARY

猫の事、模型の事を中心につれづれ

想いの続き

2019-08-17 14:19:24 | 

今年のお盆はアジャランの初盆でした。
↑こんな感じにお盆セットをそろえて、お迎えしました。

お盆期間中は、もともとあったご供養グッズに加えて、お盆の物が増えて、
なんだか、位牌の周りの「ご供養スペース」が盛りだくさんです。

…こうして見ると、ご供養グッズ、ずいぶんと増えたなぁ…

最初は、遺影の前に位牌を置き、隣にお骨を安置。
あとは供物のお皿、お水のお皿、お線香立てとローソク立てというシンプルな構成でした。

ご供養の時に数珠があると良いな、と思って数珠を買い、
位牌の下が板だと、固くてかわいそうだから猫デザインのコースター(季節によって猫の色が変わります)を敷き、
そうしたら位牌の隣にスペースが余って収まりが悪い気がしたので、ガラスの蓮の花を置き、
ずっと箱に入ったままだった観音像があったのを思い出して、綺麗にして並べ、
旅行先でガラス細工のお店に立ち寄って、オーダーメイドでオブジェを作ってもらい…
この他にも、息子が「アジャランのために」と作った折り紙のあめ玉や塗り絵、お手紙等々…

こうして見ると、「死別=関係の終わり」ではない事が良く分かります。
私や家族の心の中で「想い」は続いており、
あの子が命の終わりに残した種を芽吹かせ、育てるような気持ちで、
「アジャランが喜ぶと良いなぁ」と、色々としてしまうのですよね。

亡くなってからも想い続ける事ができるのは、幸せな事です。
その想いの種は、アジャランが生涯を通じて作り、贈ってくれたもの。
そんなアジャランの生涯に感謝です。

名前

2019-08-03 14:29:56 | 


今日はアジャランの命日です。

あの日…この時間に…もしこうしていたら…と思い返せば、
胸が苦しく、泣けてきてしまいますので、
位牌やお骨の周りを掃除して、手を合わせて祈った後は、
子供の世話など、できるだけ、いつも通りに過ごそうとしています。

昨日のブログで、この1年間で千回泣いて、3千回ありがとうと言ったと書きましたが、
それ以上に、あの子の名前を呼びましたね…
1年間で1万回以上、呼んでいると思います。

亡くなってすぐの頃は、
「何で死なせてしまった、どうしてできなかった、アジャラン、ゴメン。」
と後悔する度に、絞り出すように名前を呼びました。

しばらくして、激しい感情が消えた後は、ただ寂しく、悲しく、
「アジャランがいない、アジャランがいない…」と、
涙ながらに、あの子の姿を求めて呼んでいました。

やがて、百箇日やお彼岸と供養を重ね、心と想いの整え方を教わって、
「ゴメンね」よりも「ありがとう」の方が多くなった頃には、
「私を導いてくれてありがとう、アジャラン。いつも手間をかけるね。」
「今日はお昼ゴハン何にしようかね、何を食べてみたい?アジャさんや。」
と話しかけるように、名前を呼ぶ事が多くなりましたね…

あ、「お導き」とか書くと、怪しげなオカルトにハマってしまっているのでは?
と思われるかも知れませんが、私には別に幽霊が見えるとか、
「亡くなったあの子が、今、こんな事を話しています!分かります!!」とか、
そういう事はできませんし、
自称「そういう事ができる人」を信じている訳でもありません。

信じているというのなら、アジャランを信頼しています。
16年の生涯、私のような至らない者を、ずっと好きと言ってくれた事、
いつも寄り添ってくれた事、自分に出来る事を、当たり前のように私に施してくれた事、
その行いと心を100%信じていますので、
もし、死後に魂があったり、仏様になるという事があるのならば、
絶対に私を守り、導こうとするに決まっています。

だったら、何か嬉しい事、優しい幸運に恵まれた時には、
あの子のおかげ様でしょうから、お礼を言いたいし、
私が何か楽しい事をする時は、一緒に楽しもう、とお誘いしたいのです。

話しがそれましたが、これからもまた、あの子の名前を何万回と呼んでいくのでしょうね。

いつか、亡くした悲しみで涙するのではなく、
いつの間にか、名前を呼ぶ事が少なくなった事に気が付き、
その切なさで涙する日が来る、とも聞きます。

そうなる事が自然な流れであれば、そうなった時には切なく泣いて受け入れますが、
まだまだ、私はあの子の名前を呼び足りませんからね。


「うん…ちょっと呼びすぎかもよ~」

一年

2019-08-02 16:41:42 | 

8月3日が命日なので、アジャランが亡くなってから1年となります。

過去を振り返る時「月日が経つのが早かったような、遅かったような。」といった言い回しをしますが、
この1年間、私にとっては、とても長かったように感じます。

なぜかと考えると、朝起きた時、仕事から帰った時、夜寝る時、
毎日、位牌の前で手を合わせて、あの子に話しかけていたためでは、と思います。

「今日も一日、君とお散歩するように、穏やかな気持ちで過ごせるよう、心がけるよ。」
「おかげ様で、今日も一日、家族みんな無事に過ごせたよ。ありがとう。」
「今日は危うく仕事で失敗しそうだったよ。気付かせてくれてありがとう。助かりました。」

日々、今日をどう過ごしたいのか、どんな一日だったかを思って過ごせば、
漠然と時間が流れるのではなく、各駅停車のように、毎日の景色が良く見え、
その分、日々の積み重ねは確かなものになり、1年間が長くなったのでしょう。

思い返せば、365日、涙を流さなかった日は1日もなく、
この1年で千回は泣いてますね。
たまに通勤電車の中で不意に涙がにじんでしまい、
あくびのフリで、ごまかしたりしました…

毎日手を合わせる時、ふとした幸運に恵まれた時、
「アジャラン、また守り導いてくれたね。ありがとう。」と心の中で言いますから、
多分、3千回くらいは、ありがとうと言いましたね。
たまに、道を歩いている時等に無意識に声がもれてしまい、
「すれ違いざまにいきなり「ありがとう」と言われる事案発生」もありました…

仏教では3以上の数は数えず「たくさん」と考えるそうなので、
たくさん、アジャランの事を想った1年でした。

これからも変わらず。

これからも共に。

↑の画像のような顔して、私を導いてくれていますからね。
足を動かし歩いて行くのは、命と体がある私の役目。
でも、いつも、私が道を間違わないように灯りを灯してくれて、
足元が危うければ、転ばぬように足元を照らしてくれています。

ありがとう。

明と暗と真ん中

2019-01-02 23:54:58 | 
関東でも寒い日が続いています。

今までは、↑こんな感じで猫さんをお腹に入れて暖を取っていたのになぁ…

世間的には正月三が日ですが、3日はアジャランの月命日であり、
私はどうしてもあの日の事を思い出します。
時計を見ては「あの日、この時間、もし私が正しい判断をできていれば…」と、
苦い後悔に涙が出ます。

百か日の供養の際にお世話になった横田さんは、
「自分もあの子も幸せだった、という『明』と、
 いやしかし、やっぱりあの時…という『暗』を交互に踏み出して、
 明、暗、明、暗…と歩くんですよ。」とおっしゃっていました。

まさにその通りで、私もアジャランと共にあった幸せの大きさと、
あの日の心をつぶす後悔を、
代わる代わる胸に抱くように、明、暗、明、暗…と日々を過ごしています。

あの幸せも後悔も、どちらも本当ですからね。どちらか一つとはいきません。

そして、明と暗の真ん中で両手を合わせ、
変わらず愛しているよ、幸せを願っているよ、ありがとう…でも寂しいよ…
と想い、祈ります。

ただね~…今のこの「祈り」は私の本当の気持ちから生まれているんですが、
やや肩に力が入りすぎているような感じが…

私とアジャランの関係って、もっとこう、緩いというか和やかというか、
穏やかに心をつなぐような感じだったはずなんですよ。
愛してるとか、幸せを願うとか、当たり前すぎて、いちいち言葉にしないでしょ?
生前はフツーにできていたのに。もっと自然体で、想えないものかなぁ…

ねぇ?ニャンコ先生。


『・・・・・』

『ま、おいおいカンを取り戻すでしょ。』

百か日供養

2018-11-04 15:44:20 | 

我が家のニャンコ先生、アジャランの、百か日供養に行ってきました。
今回、知る人ぞ知る「ペットのお坊さん」横田晴正さんに供養をお願いしました。

横田さんは新潟県の曹洞宗長福寺のご住職であり、
ペット霊園ソウルメイトの経営者でもあります。

「ペットのお坊さん」と言いましても、動物専門という事ではなく、
人の苦しみを救ったり、供養をする時は「人のお坊さん」で、
人と同じく家族の一員であったペットを弔い、飼い主さんの悲しみを癒す時は、
「ペットのお坊さん」となります。
そもそも人と動物で、亡くなった時の悲しみや、生涯の尊さに差があるわけでもないので、
区別する事なく供養し、同じくお経をあげてくださいます。
ただ、そのように動物達を供養していただけるお坊さん、霊園はまだ少ないため、
特に「ペットのお坊さん」として、知られている方です。

アジャランを亡くした時、私は後悔、悲しみ、混乱の中で途方に暮れていました。
何か指針が必要と感じてペットロスに関する書籍を探し、横田さんの著書に出会って、
ともかくも、心の持ち様を整える事ができました。

供養と言うと儀式的なイメージですが、
横田さんの場合はただ、お経をあげていただくのでなく、
その前にウチの子がどんな子だったのか、色々とお話しします。
私はパソコンを持参して、写真や動画を見ていただきながら、2時間くらい話しをしました。

出会った日、野良の子猫だったアジャランが、自分から私の足に組み付いてきて、
「家に入れて!家族になる!」と言わんばかりに、ニャーニャー鳴いた事。
マタタビが好きで、少しあげただけでベロンベロンになった事。
冬は布団に入ってきて、一緒に寝ていた事。

横田さんも動物が大好きな方なので、
「アジャランちゃんは布団に入ると、ずっと潜っている派でしたか?それとも出たり入ったり派でしたか?」
「出たり入ったりの子でしたね~」
「暑くなると出てくるんですよね。また寒くなると入れて入れて~って。こっちは寝不足になるんですけどね。
 潜ってる派の子は朝まで出てこないんですよ~」
そんな感じで、猫好き同士として、会話が弾みます。

そして、アジャランの病気の事、最期の日の事…
亡くなった後、キャリーから箱へ移した時、体に残していた最後の息で、
「ニャー、ニャー」と2回ハッキリ鳴いて、声を残してくれた事…
私が病気に対して甘い判断をしたばかりに死なせてしまい、ずっと後悔している事も。

時に涙し、時に笑いながら、アジャランの生涯を伝えました。
生前の姿や声、かわいい仕草…
そして荼毘にふした日の、ほほ笑んでいる様な表情の写真も見ていただき、
私の悲しみや、後悔、それでも何でも「アジャランが大好き」という気持ちも知ってもらって、
その上でお経をあげて供養していただきました。

横田さん曰く、
「最初は『こちらの想いを亡くなった子へ清らかな形で伝えるお経』と、
『動物達は恩を忘れない、という説話が語られたお経』をあげようと思っていましたが、
色々とお話しを聞いて、アジャランちゃんからリクエストされた様な気がしたので、
『後悔や苦しみが少なくなっていくお経』も、間に挟ませていただきました。」
との事でした。

「後悔はすぐの消えなくても学びに変わり、
 これからはアジャランちゃんにお線香をあげる時に、
 飼い主さんが『後悔してるよ、苦しいよ、ごめんね。』と思ってしまっても、
 アジャランちゃんは心配するのではなくて、
『え~そんなに私の事愛してるの~?』って思ってくれるようになりますからね。」とも。

ペットを亡くしたとしても、悲しみ方や想いの深さ、死生観等は人それぞれです。
そもそも、大事な者を亡くした経験がない人もいます。
同僚、友人知人、そして家族であっても、こんなにも悲しいという気持ちを、
共有してもらえない事はあります。

あの子を亡くして3か月…
ようやく、私は自分の気持ちを受け止めてくれる人に話しができたと思いました。
悲しみが消えるわけではありませんが、心の霧は少し晴れ、
今まで忘れていたアジャランとの思い出の場面が、ふと浮かんできたりします。

本当に良い供養をしていただけたと感謝しています。

ごめんね

2018-09-08 21:58:45 | 

今日はアジャランの四十九日と位牌の開眼供養に行ってきました。
法要を行った場所は納骨堂でもあり、たくさん、たくさん愛されたであろう子達が、静かに眠っていました。
それだけでもう涙腺が…限界ギリギリ…

これからは、この位牌がこちらの世での依り代となり、
位牌に話しかければ相手に届くし、ここにちゃんと居りますので、
たくさん可愛がってあげて下さいと言われました。

位牌には「永遠の愛」「幸せをありがとう」の文字が。

愛する者を亡くすと、確かに「ずっと愛してるよ」「ありがとう」と想いながら手を合わせますね。
それと、もう一つ。「ごめんね」


生前、アジャランと私は、いつも木霊のように同じ事を想い合っていたと思います。

お腹とお腹を合わせては「あったかいね~」「あったかいね~」。

朝起きては「まだ一緒に寝てたい…」「まだ一緒に寝てようよ…」。

「ゴハン、おいしい?」「ゴハン、オイシイ!」

「薬、頑張って飲んでね」「ん~…まぁ、頑張るよ~飲んどくよ~」

そしてあの日…
「薬が効いてくるまで我慢して静かにしててね。頑張ろうね。」
「…ごめん、頑張れないみたい…」

私は馬鹿だから「頑張ろうね」って言えば、いつもみたいに「頑張るよ」って言うに決まっていると、
思い込んでいたんだよ。
薬が効けば、いつも通りに持病の発作も収まるだろうって油断してたんだよ。

何で、ちゃんとアジャランの声を確かめなかったんだろう。
気づいた時にはもう意識がなく、病院へ向かう途中で呼吸が止まって、そのまま…

アジャランの最期の言葉は多分「頑張れなくて、ごめん」だったんだろうな…と思います。
だから私も、いつも通りに、木霊のように、「ごめんね」「ごめんね」と言い続けています。

ただね、心が囚われてしまっていて「ごめんね」ばかり言っているけど、
その裏側には「ずっと愛してる」の気持ちも溢れてますからね。
たくさんの「ありがとう」もありますからね。

私はまだ俗世の凡人ですが、ニャンコ先生は「仏様」になったので「そんな事、ちゃんと分かっているよ」と、
言ってくれると思いますが…
心から「一緒に生きるのって、最高だったよね。ありがとう。」と言えるには、まだまだ時間がかかります。

思ってたのと違う?

2018-09-06 23:18:46 | 

ニャンコ先生の月命日が過ぎ、次は四十九日…
供養は残された者の心に節目をつけてくれます。
竹と同じで、節目があるからこそ折れにくくなるものなんだとか。

私はニャンコ先生が亡くなった日から今日まで、毎日泣いてます。
最初の頃は、家の中をフラフラ徘徊しながら泣き叫び、
家の柱やらを殴りつけていましたが(息子がいない時にね)、
今は名前を呼びながら、ボロボロと涙をこぼす感じになりました。

激情は日々、少しずつ去り、反面、心にあいた穴の大きさを認めては寂しく、悲しくなります。
こんなに連続で毎日泣き続けるのは、赤子の頃を除けば、生まれて初めてでしょうね。

ところで私の記憶の中のニャンコ先生は「怒っても甘噛みするくらいの穏やかな猫」というイメージだったんですが、
どうも、年を取って穏やかになってからのイメージに上書きされていたようです。

昔の写真を見ていたら、妻の腕にアグレッシブにアタックする姿が…。
ちょっと痛々しいのでここにアップはしませんが、この後の妻の腕、穴と引っかきキズでボロボロになってました…

写真で振り返ると、私が思ってたのと違う面もあった事を、少しずつ思い出してきます。

一緒に

2018-08-26 11:15:18 | 
2018年8月3日、我が家のニャンコ先生「アジャラン」が亡くなりました。16歳と4か月の生涯でした。

今年の夏は食欲が落ちて、病院で点滴等していましたが、
それでも前日までは元気で「どのゴハンなら食べてくれる?」なんて話しかけながら、
あれこれオヤツや猫ゴハンを通販していました。頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めて。
それから24時間後には、もう、この世を去っていました。
猫の持病に対する私の油断や慣れが判断を甘くし、まだ生きられる力を持っていたのに、
死なせてしまいました。

あの日、あの時、ご縁があって、一緒に幸せに生きるために出会い、共に生きて、そして時が来れば…
私自身も、猫も「命」なので、そういうものと分かってはいるのですが、
「あの時、こう判断していれば…」「何で気が付かなかったんだ。」
「もっと何か出来たはず、いや、出来ねばならなかった。」という悔い、自責の念は溢れてきます。

ただ、もし「魂」があったとして、猫の立場で考えたら、
多分、あの子は私の贖罪とか後悔とか望んでいないよな、とも思います。

至らない飼い主でしたが、それも含めて、私の事を大好きでいてくれましたからね。
私が落ち込んでいると、察して、静かに寄り添ってくれる、優しい子でしたからね。
(いや、落ち込んでなくても、いつも一緒にゴロ寝してたっけ。)

私を悲しませたり、苦しませるために亡くなったわけがありません。
私の至らなさを責めることなく、
むしろ、私が泣いているのを見て「なんとかしてやらなきゃ。」と思っている事でしょう。


それにしても、死んだらどうなるんでしょうね?
輪廻転生?この世界と一つに混ざる?あの世に行く?分かりませんが…
個人的には「魂」みたいなものはあって欲しいなぁ、と思います。
それが無いとちょっと寂しいので。


今回、5歳の息子にも死んだらどうなるの?って聞かれたので、こんな風に答えました。

「アジャランはパパ、ママ、息子君の心の中に居て、もう病気もケガもしなくて、
 誰からも傷つけられないし、誰も傷つける必要もないから、無敵になったんだと思うよ。
 今までは食べちゃいけない食べ物はあったし、家から外に出られなかったけど、
 もう自由で無敵で大丈夫だから、息子君がおいしい物を食べたり、楽しく遊んでいる時に、
 アジャランの事を思ってあげれば、一緒に楽しんでいるかもよ。」
(「無敵」という表現は、最近、息子がゲームに目覚めてスーパーマリオとかで遊んでいるので…)


もし天国が「愛に溢れる場所」だと言うのなら、アジャランにとっての天国は「私の心の中」になりますね。
アジャランへの愛情なら、もう、古今東西、世界の誰にも負けませんよ。好きすぎですよ。
「虹の橋」のお話しも素敵なんですが、いざ自分のウチの子を亡くしてみると、
「いや、そんな離れた所で私が逝くまで待ってることないでしょ。こっち来てなさいよ。おいで、おいで。」
と思ってしまいます。
だから「心の中に一緒にいる」が、一番しっくり来る答えでした。

私自身も「いずれ時が来れば…」の命な訳ですが、「その時」まで、そうして一緒にいたいものです。
では、私が死んだ後はどうなるのか…
まぁ、実際その時になってみれば、なるようになるのでしょう。
もっとも…どうなるにせよ、やっぱり一緒にいるんでしょうけどね。

良いお年を

2014-12-31 14:17:25 | 雑記
子供が生まれてから、年末とか年越しとか、実感がわかなくなりましたね。
普段と変わらなすぎ。

「シールド、破られました!防水シートまで侵食!!」
「やむをえん!敷き布団層までは放棄!洗濯へ回せ!!
 換えのオムツはまだか!おしり拭きシートはどうした!」
「もうすぐ補給が・・・!・・・っ!敵の第2撃、発射体制を確認!高エネルギー体、収束!!」
「バカな!もう再チャージが済んだというのか!速すぎる・・・」

そんな脳内寸劇をしながら、今日も息子のおねしょ始末をして、洗濯機を回していました。


息子は、少し言葉が遅いかな?という以外は、元気に育ってくれています。
ニャンコ先生も、だんだん寝ている時間が増えてきた感じはありますが、
病気等はせず、穏やかに過ごしています。


最近の写真を少し。



おわかりいただけただろうか・・・

最初に見た時は、ビクッ!てなりましたよ・・・


ニャンコ先生も。





マイペース、マイペース・・・

それでは、良いお年を。

私見プラモメモ 簡単フィニッシュ② あと、変な座り方をしている猫

2014-08-24 17:53:40 | 模型
前回に引き続き、簡単フィニッシュに関係するメモを・・・

あ、その前に、実家ニャンズ1号の変なお座りポーズをしていたので、
その写真だけ貼ります。



接近すると・・・





横から見たら、こうなってました。



・・・いや、ポーズもアレですが、なぜ微動だにしないのか?


さて、プラモメモを・・・

①ゲート跡の白化リカバリー

パーツ切り出し時の負荷により、ゲート跡が白化する事があります。

予防策は、ゲートを0.5ミリほど残して切断し、
残りは400番のヤスリでゲートを削り落とす方法等があります。

良いニッパーを買うのが一番の近道かも知れませんが・・・


それでも白化してしまった時のリカバリーは、
パーツに似た色のマーカー等で、白化した部分を「チョン」と塗る方法がポピュラーです。

個人的には、顔料入りのガンダムマーカー等より、
コピックやリアルタッチマーカー等、塗料が半透明のものが適しているかと。

成型色と似た色のマーカーがない場合は、コピックのウォームグレー等、
うす~いグレーで塗ってあげると、肉眼では目立たなくなります。


②スミイレ

エナメル塗料は破損が恐いので、私はマーカーを使っています。

オススメは「コピックモデラー、スミイレ用」です。
ペン先0.02ミリの精密さは、マーカーでのスミイレでは随一の仕上がりかと。

現在は、黒とグレーの2色のようですが、
以前はもう1色「オリーブドラブ」がありました。
これが濃すぎず、薄すぎず、どんな色の成型色にもマッチして使い勝手が良かったのですが・・・

再販してくれないかな~・・・


コピックでは、もう一つ「コピックライナー」という細先ペンのシリーズがあります。
こちらはペン先が0.03ミリと、コピックモデラーよりも若干太いのですが、
色数が豊富なのが良いです。


なお、大スケールのキットの場合は、
スミイレで表現する影も、スケールに比例して太く描く必要があるため、
リアルタッチマーカー等のペン先が太いマーカーも使います。


③部分塗装か、ホイルシールか

成型色で再現されていない色分けのために、
付属のシールを貼るか、部分塗装するか・・・

一般的には部分塗装の方が良いとされますが、
シールの方が綺麗に仕上がるケースもあります。


~シールの方が良いと思われる場合~

・凹モールドの底面の色分け。(ガンダムの頭部カメラ等)
・ガンダム系のカメラアイ(撮影時にキラリと光る感じが好きならば)
・黒など、濃い色の成型色の上に、白や黄色の色分けが必要な場合。
 特に、エアブラシや缶スプレーの吹き付け塗装ができない時。
・シールを貼る事で、合わせ目やパーティングラインが隠れる場合。


~シールだとキビシイと思われる場合~

・三次曲面のパーツ、凹凸モールドが多いパーツ。シールはどうしても皺になります。
・ジオン系のモノアイのピンクシール。
(これは主観です。ノッペリして目力がないように感じてしまうので。)


今回はここまでにします。