かちゃら@ハナハナ☆ワーホリ的生活

つれづれ日記とワーホリで行ったオーストラリアのお話など・・・

アボカド丼

2007年05月30日 | ワーホリで作った料理
オーストラリアではじめてアボカドの美味しさを知った
それまでは、なんかへんな味って思ってたけど、
今はサラダにしたり、そのままわさび醤油で食べたり、
しょっちゅう食卓にあがってます。

アボカド丼はラウンド仲間におしえてもらって
よくバッパーで作ったよ。

アボカドは醤油で食べるとマグロみたいって言われてる。
ホント、マグロみたい!
ちょっと手間だけど、ぜひすし飯で食べてほしいです。

すし飯を手軽に作るには“すしのこ”が便利!
わたしは日本から持って行ったけど、
現地のアジアン食品のお店でも手に入ります。
もし手に入らない場合は、ホワイトビネガーで代用できます。



 アボカド丼の作り方 

材料
ごはん・・・茶碗1杯半くらい(冷ごはんはあたためる)
アボカド・・・1/4~半分(お好みで)
すし酢・・・すしのこ または すし酢
醤油・・・お好みで


① 温かいごはんにすし酢(すしのこ)を混ぜ、すし飯を作る。
  雑誌などで風を送りながら混ぜるとごはんにツヤがでる。

② アボカドを切る。
  
  ※切り方※
  切るのは縦向き。
  アボカドのタネにあたるまで包丁をいれ、そのままアボカドを
  くる~っとまわし、タネの周囲に切れ込みをいれる。

  
  
  包丁をはずして、アボカドの切れ込みの右側を右手、左側を左手で持ち、
  反対方向にひねるとをアボカドは半分に分かれます。

  

  あとはメロンを切るみたいな感じで食べやすい大きさに切ります。  
  
③ どんぶり型のお皿にごはんをもり、上にアボカドを並べる。
  アボカドが大大大好きな人はびっしりと。
  でもあんまり多いと胸やけします(^-^;
    

④ 全体に醤油をかけて食べる。醤油は必ず日本製のもので!

  

  アボカド以外にニンジンの千切りやシーチキンなどを加えると
  彩りがキレイで体にもいい☆
  日本で作る時は、キュウリやレタスもよくのせます。



 ホワイトビネガーのすし酢ごはん茶碗1杯半に対して)

ホワイトビネガー・・・大さじ1杯半(カレースプーンに2杯ほど)
砂糖・・・小さじ半分~1杯(コーヒースプーンにすり切り1杯~山盛り) 
塩・・・ひとつまみ
    ☆ 甘めのすし酢が好きな人は砂糖を多めに・・・



ワサビ醤油で食べるとさらにウマイ!
オーストラリアでは粉わさびなら手に入りやすいし長持ちします。





(6) ピッキングに行け!

2007年05月28日 | スタンソープ(ピッキング)
ブリスベンのウエストエンドにあるバックパッカーズ Somewhere to Stay
(サムウェア トゥ ステイ)
は建物は古いけど清潔な宿だった。
部屋が男女相部屋のミックスルームしか空いていなかったけど、
そこに宿泊することになる。

部屋は6人部屋。なんと滞在していた1週間、私以外は全員男性だった。
最初は戸惑ったけど、みんな好き勝手に生活しているので慣れちゃった。

そこで同室の韓国人の男の子、ミンと仲良くなり、
「僕はピッキングで英語が上達したで。ピッキングへ行け!」
とすすめられる。

ピッキングとは野菜や果物を収穫する仕事。
農場だと雇い主やいっしょに働く相手と強制的に英語で
話すことになるから(そうじゃないと仕事にならん!)
自然と英語が身に付くらしい。

自分の英語力に自信をなくし、ブリスベンで語学学校に行こうかなぁと
思っていたんだけど、ミンの話を聞いてピッキングに行くことに決めた!

彼に出会わなかったら、ブリスベンで語学学校に通い、
フードコートで働いていたりしたかも・・・。


ところで日本人が「V」や「the」の発音が苦手なように、韓国人は
「は・ば行」が上手く言えないらしい。
「 If 」が「イプ」、「 enough 」が「イナプ」と聞こえる。

会話の途中、ミンが「ぱっぺっこー」って言うんだけど、何度聞いても
何かわからない。ノートに書いてもらったら「バックパッカー」だった。

自分ではイケテル発音で
「バックパッカーやろ?」って言ったら、
「ちゃうちゃう、”ぱっぺっこー” !!」とゆずらない。
同じアジアン、どっちが正しいかはネイティブに判断してもらうしかない。

しかしこのミックス部屋はおもしろかった。
わたしの下のベッドで寝てるオージーが寝言を言った。もちろん英語。
そしたら少し離れたベッドから韓国語の寝言が聞こえた。ミンだ。
この2人は仲良し。寝てても共鳴してるんだねえ(笑)


さてピッキングをやろうと決めた私はブリスベンの西にある
Stanthorpe(スタンソープ)に行くことにした。
ブリスベン近辺でピッキングというとバンダバーグが有名だ。
しかし、とにかく日本人が多いと聞いた。
仕事が多い上に、日本語OKで安くスキューバーダイビングの
ライセンスがとれるので人気があるらしい。

わたしはできるだけ日本人がいないところへ行きたかったので、
日本人が知らなさそうな所にいきたかった。
そこで、バッパーで手に入れた無料雑誌“TNT”の広告に
「Workers Wanted(求人募集)」と書いてあるスタンソープの
バッパーに目をつけた。

仕事があるかどうか電話をかけて聞く勇気はまだない。
とりあえず行ってみて、ダメだったら帰って来るつもりだった。





ブリスベンから長距離バスのグレハンで4~5時間くらいかかったかな。
スタンソープに着いたのは夕刻近く。どしゃ降りの雨だった。

案内所のおじさんにバッパーの場所を聞くと、
歩いて30分かかる町の はずれにあると言う。

半泣きになりながら雨の中を歩いていた。
すると! さっきのおじさんが車で追いかけてきて、

「ヘイ おじょうちゃん 乗りな!」

バッパーまで送ってくれた。嬉しくて本当に泣きそうになった。
アリガトウ(;-;)

到着すると、そこはキャラバンパークだった。
キャラバンパークとは、日本のオートキャンプ場みたいな所。
たしかに宿の名前は「Top of the Caravan(トップ オブ ザ キャラバン)」だった。

建物に入り、レセプション(受付)にいたお姉さんに
「仕事がしたくて、ここに来たんやけど・・・」と言うと、
「それやったら、♯▲◎♪$・・」
と説明してくれるんだけど理解できない・・・。


なんとか “8時にレセプション前に来たら仕事をくれる” ということが
わかる。OKすると、宿泊場所となる小さな小屋みたいなのが併設されている
キャラバンカーに案内された。バッパーは12月頃の繁盛期にならないと
開けないんだって。

わたしが住むことになるキャラバンカーの内部は、簡単なキッチンと
4人ほど座れるソファとテーブル、それをはさんで右側に大きなベッド、
左側に狭い2段ベッドがあった。
2段ベッドの上は子供しか寝られない大きさだったけど・・・。

併設の小屋には2段ベッドがおいてあり、合計4人滞在できるようだ。
その時は私1人だったので、奥のビッグサイズのベッドを占領する。

だけど、初めて泊まるキャラバンカー。
夜になるとちょっとコワクなった。

シャワーやトイレは外にあるし、ほかに人がどれくらいいるのかわからない。
1人っていうのがちょっと不安だった。
不安ながらもでっかいベッドでグッスリ寝たけど・・・。


翌朝8時、レセプション前で待つ。誰も来ない。
実は集合時間は朝の8時でなく、夜の8時だった。
なぜ私は “朝の8時” だと思ったのか、いまだにわからない・・・。

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石垣島ラー油

2007年05月23日 | 私のお気に入り
うわさには聞いていた石垣島ラー油
お土産でいただきました~

早速 早速!!
やっぱ餃子でしょう―――! 


今回は市販の餃子の皮が入った袋の裏に書かれているレシピで
作ったから「まあまあやね」という味だった。なかの餡が固いんよね・・・。
次はちゃんと皮も手作りして、本格ジューシー餃子にチャレンジしたいです。

餃子の味はさておき、石垣島ラー油ですが、
これはウマイ



ラー油だけちょっと味見してみてびっくり。
これだけで餃子食べても美味しいんでない?。

とにかく香りがイイ。ごま油の香りじゃないんだよね。
「これはなんだ?!」と思わせるとても贅沢な香りがする。

島唐辛子、春ウコン、秋ウコン、ピパーチ、黒糖、ニンニク、山椒、etc・・・。
いろいろ入っているんだけど味は濃くない。
調合した人、すごいねえ。
みんなの食欲をそそる香りをバッチリつかんでるって感じ。
口から鼻に抜けていく香りがなんともたまらんのです。

こりゃとっても贅沢なラー油だわ・・・。

【石垣島ラー油が合うおすすめレシピ
たっぷりキャベツのねぎごまスープ
熱々☆xyaxyaうどん←わたしはレシピの材料+鶏ガラスープも入れました。



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(5) ブリスベンでの再会

2007年05月21日 | ブリスベン
10月下旬、ブリスベンに到着!
バスターミナルがあるトランジットセンターは4階建てだったかな。
フードコートが充実してて、とにかく大きかった。

ブリスベンはシドニーに比べるとこぢんまりしていて、
人も町も落ち着いた雰囲気。大きな大学があり、学生の町とも言われている。
気候が日本に似てるので過ごしやすい。勉強するにはもってこいだね。
留学生にも人気がある町だ。

町を蛇行するブリスベン川の存在感がすごいよ。
町の中心部からバスで30分ほどの場所にあるマウント・クーサから見ると
よくわかる。


写真:ブリスベンのマウント・クーサからの眺め。天気が良かったらもっと綺麗

私のお気に入りは博物館美術館。展示品が結構凝ってるのに入場は無料!
わたしが言った時はお絵かきコーナーがあったよ。
半日以上いてもあきなかったです。
川沿いにあるボタニックガーデンもトロピカルな感じで居心地よかった~。

紫の花、ジャカランタだったっけ?
どこかでみたんだけど、ものすごく素敵だったよ。
さくらに似ているんだけど、花びらの色が紫だった。


さて、宿泊先のYHAには送迎がなく歩いていくことに。
重いバックパック背負って 20分くらい歩いたかな。
けっこうキツかったよぉ。。。


YHAには日本人が沢山いたけど、
私は日本語を話したくなかったので 避けていた。
今考えると、ものすごくイヤなやつだったと思う・・・。
でも必死だったのよ、あのときは・・・(T-T)


ここで偶然、コフスハーバーで会ったマルタ島から来てる
(と私は思ってる)グレースに再会!
彼女は私の名前は覚えにくいと言い、
「Kat(カット)」というニックネームをつけてくれた。

その後、私は
「My name is Kachara、call me “ Kat ”!」と必ず自己紹介するようにした。

さらに相手の名前と国籍を必ず聞き、メモっておくようにした。
難しい名前だったら 「名前、書いてくれへん?」って頼んで書いてもらった。
発音が難しかったらカタカナでフリガナをつけて覚え、

「Good morning、マルティン!」
「スティーナ, where are you going next?」

というように、相手の名前を会話の中に入れるようにした。
すると向こうも私の名前を覚えてくれるようになり、
話しかけてくれるようになった。

初めて聞く名前はとても覚えにくいと思う。
だけど名前はとても大切。
国籍関係なく、名前を呼ぶこと呼ばれることで、
お互いの関係はずっと近いものになると思う。
「Kat」という名前をつけてくれたグレースに、私はすごく感謝しています

YHAに数日滞在したけど、日本人の多さにまいった私は、
町から少し離れたバッパーに移ることにする。

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そういう時代・・・

2007年05月18日 | つれづれ日記
携帯の液晶画面を破壊しちゃった。

車のドアを閉めたら「ガキッッ」って音がしたので
あわてて見てみたら携帯がはさまってた。
見た目は大丈夫だったので、そのまま持ってたんだけど、
電話かけようとして開いたら

「ア”――――――――ッッッ!!!!」

液晶だから液モレ!?
画面の3分の1の範囲が油を落としたみたいになってて文字が読めない。。。

2年使った携帯、充電池が弱くなっていたので新しい電池を買って
もう2年がんばるぞー!と思っていたのにィ・・・・ガックリです。

そんなわけで新しい携帯を買いにいきました。

そんで そんで 買っちゃったよ、新機種
テレビ見れちゃうもんね~~フフ~ン!

でも・・・・
新しい携帯を買うにあたっていろいろ考えたんです。
最初は電話ができて、メールが送れたらいいいやって思ってました。
テレビとか音楽には興味がなく、逆にそんなものが出てきたら、
もっともっと人のつながりがなくなるやんって思ってました。

便利にはなるけど、昔を知っている人間にとっては
温かみがないようにも思える社会の発展。

だけど、これからも携帯も含めてもっともっといろんなモノが出てくるよね。
自分の子供がそんな社会であたり前に暮らしていて、
わたしはその子供たちについていけないようでは、それこそお互いを
理解できないのではないかな・・・と思いました。

めんどくさいけど今後のために・・・と思って、
勉強します、ハイ。



(4)ヤングの町だよ、バイロン・ベイ

2007年05月16日 | バイロン・ベイ
コフス・ハーバーのYHAではとても楽しい時間を過ごせた。
はじめは部屋のシャワー室から真っ裸のブロンドガールが
「ハーイ!」と出てきて普通に挨拶してきたのでおったまげたけど(笑)

キッチンでお話した人に料理をおしえてもらったり、
わたしを年下だと思いこんでいた18歳のイングランド人の子たちが
バーに連れて行ってくれたり(さらにおごってくれた)、
旅人からはいろんな旅の話を聞かせてもらった。
ニューキャッスルでブルーになっていたのですごく嬉しかった。

コフス・ハーバーで3泊して、次はバイロン・ベイを目指す。
長距離バス“グレハン”は朝6時20分にコフス・ハーバーを出るので、
5時に起床する。外はまだ暗く、部屋の仲間は就寝中。
滞在していたドミトリー部屋には2段ベッドが3つ置いてあり、
全てが埋まっていた。わたしは上の段に寝ていたけど・・・

電気がつけられないぃぃぃ。 
ゴソゴソ・・ゴソゴソ・・

前夜にちゃんと準備しておけばよかった・・・と後悔。
それからは、朝早い出発の時は前夜に荷物をまとめ、
懐中電灯を 用意して寝ることにした (^-^)v  え? 基本?

昼前にバイロン・ベイに到着した。
バスの到着時間にあわせて、宿から迎えの車が沢山来ていた。
このお迎えのことをPick up(ピックアップ)といい、無料で送迎して
くれるんだよ。さすが人気の町とあってホステルの数もかなり多かった。

わたしは事前に決めていたバックパッカーズの車のところに行き、
「泊まりたいんやけど・・・」と言うと、
ピックアップに来ていたバイトらしきおねえちゃんが「どうぞどうぞ!」
車に乗せてバッパーに連れて行ってくれた。

バッパーに到着。なに!?リゾートホテル?
椰子の木に囲まれた広い敷地にコの字型の素敵な建物があり、中央にプールがあった。
食器は貸し出し方式で、自分で管理してチェックアウト時に返却するらしい。
ご立派すぎてちょっと居心地が悪いぞ・・・。

戸惑いながらも町へと繰り出す。
バイロン・ベイはビーチのためにある町と言ってもいいくらいビーチが近く、
ナイスバディのおねえちゃん達が水着で街中を歩いている。
私はできんよ・・(T―T)

ヒッピー系の人達が多く、かわいいお店やサーフショップが沢山あった。

見晴らし台などを巡る遊歩道は、砂浜やブッシュウォーキングも楽しめる
変化に富んだコース。オオトカゲに遭遇したりとかなり楽しめた。

ヒッピーの町、ニンビンへはここからツアーが出てる。
“あぶない草”を使ったケーキとかクッキーとかも売っているらしい。
知る人ぞ知る不思議の町だ。


ここでバッパーについて。

バイロン・ベイのホステルは悩みに悩んで決めた所。
私はYHAVIP(バックパッカーズ)、両方の会員になっていたので、
両方のホテルブック(ホテルの紹介、評価が書いてある本)を持っており、
宿を決める時は評価を見比べて 決めていた。

今回はどうしても日本人がいないところに泊まりたかったので、
「○○の歩き方」に載っていない評価の高いバッパーを選んだ。
ところが・・・


綺麗で設備はいいんだけど、巨大バッパーなのでグループで滞在し
てる人が多く、またそのグループのマナーがひどい・・・。
ほかの人に話しかけるという雰囲気もなく、1人がかなり辛かった。

その後、私の宿選びは、

①評価が高い ②ベッド数が少ない 

この2点が要チェック項目となった。


風邪がひどくなりビーチで泳ぐこともできず、結局バイロン・ベイ
2泊だけ。ゴールドコーストはとばして、ブリスベンを目指すことにした。

途中、グレハンの窓から遠く海の海ににょきっとはえている
ゴールドコーストのビル群をみた時は衝撃だった。
海に浮かんだ巨大都市っていう感じ。
現実のものとは思えなかったよ。

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(3)シドニー北上

2007年05月11日 | ニューキャッスル、コフスハーバー
10月15日、ノースシドニーを出発しニューキャッスルへ。
近かったので電車で向かった。


わたしのバックパッカーズ(安宿。みんなバッパーと呼んでいる。)
デビューがニューキャッスル。
ここで悲惨な目にあった。

当時の「○○の歩き方」にバッパーは1つだけしか載ってなかった。
電話で予約する自信がなかった私は直接行ったんだけど、
恐ろしく怪しいオヤジさんだらけの5階建てくらいのボロいパブが
そこにあった。

宿泊客は労働者風のオヤジさんが数人いるだけでバックパッカーは
1人もいない。 キッチンもあるけど使っていない感じ。
部屋も1人。恐ろしくなって、近くのインフォメーションで
他の宿がないか聞いたら、「すぐそこにYHAがあるよ」だって。

翌日のYHAの予約をしてもらった。
その日にその宿をキャンセルして出ることができない
小心者な私・・・。


その日の夜は、なぜか壁から「トントントントン」って音がずっとするし、
深夜に部屋の前を人が行ったり来たりするし、怖くてナイフを
枕の下に忍ばせて寝た。


翌日、朝なのに暗いパブのカウンターでチェックアウト。
キーデポジット(部屋の鍵の保証金)を最初に10ドル渡したので
10ドル返ってくると思ってたら、20ドル渡された。

知らんぷりしてもらっちゃおうかな、と思ったけど、そのままもらって
パブを出た瞬間「おじょうちゃん、待ちな!」って捕まって売り飛ばされたら・・・
と心配になり、「ノーノー、10ダーラー」と言って返した。
もらっとけば良かった?

そしてYHAに逃げるように移動した。とっても綺麗でホッとしたよ。
バッパーの冷蔵庫にバターと野菜を忘れてきたんだけど、
もう行きたくなかったので泣く泣くあきらめた。
半年後なら「私のバター!」って必死になって取りに
帰ってだろう。。。。


ラウンド中、あんな所を載せたらダメだよ~!って言ってたら、
そこに泊まった子に遭遇。その話で盛り上がった。
ガイドブックをあまり信用しちゃいけませんな、と意気投合した。

ニューキャッスルは活気があるとは言えないけど、岬にある灯台跡へ
向かう遊歩道を私は気に入ったよ。
散歩を楽しむ老夫婦や家族連れ、チャリダー達と「ハーイ!」と
挨拶しながら歩く海沿いの道は素敵だった。


写真:ニューキャッスルの灯台跡へ向かう道


次はコフスハーバーへ向かう。この時初めて、ラウンドにはかかせない
長距離バス“グレイハウンド(通称グレハン)”に乗る。
電話で予約したので本当に予約が取れているかビクビクしながら
バス停で待っていた。ちゃんと乗れた時はもう感激だった!

コフスハーバーはオージー(オーストラリア人)のリゾート地。
マトンバードの島に登るとハーバーと町が見渡せてとても気持ちがいい。


写真:コフスハーバーのマトンバード島からの景色

ニューキャッスルのYHAのお姉さんに「次はコフスハーバーに行く」と
言ったら、YHAを予約してくれた。その時は意味がわからなくて、
「コフスハーバーで誰かが待ってる」ということだけ理解が出来た。
到着したらYHAの人がいたから、そういうことか!と理解した(笑)

あとで知ったんだけど、頼んだらYHA同士で予約してくれるんだね。

YHAは結構古かったけど、宿泊者同士が気軽に仲良くなれる雰囲気。
無料のバーベキューパーティーもあった。今はこのYHAはないみたい。

ここでなかなか英語の会話に入っていけない私に、イングリッシュの
女の子が微妙な日本語を操りながら、仲間にはいれるようにいろいろ
気を使ってくれた。本当にありがたかった(T▽T)


コフスでとても楽しい時間を過ごせたんだけど、ひとつ悩みができた。


英語で話したいけど話せない。
英語でもっと会話が出来るようになりたい。
素敵な人達と出会えたから、余計その思いが強くなった。

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(2) 海外生活のはじまり

2007年05月09日 | シドニー、ウーロンゴン

写真:ウーロンゴンのビーチ

留学中のエムっちは、オーストラリア人のおじさんが所有する家の
1部屋を借りて住んでいた。ほかにカナダ人の留学生の女の子がいて、
3人で共同生活をしていた。

こういう家をシェアハウス、一緒に住む仲間のことをシェアメイトと言い、
オーストラリアでは普通らしい。

エムっちは海外にいるのに日本の食材を沢山持っていて、
おみそ汁や肉じゃがを作ってくれた。

日本の食品は普通のスーパーや中国人や韓国人が経営するアジアン食品の
お店で簡単に手に入る。値段は高いけど醤油や焼き海苔、マヨネーズ、
カップラーメン、お菓子など普通に売っているよ。
ワーホリ中は貧乏生活なので、なかなか手を出せないけどね・・・。

お米は「Sunrice(サンライス)」というブランドの赤いラベルの商品が
日本のお米に近い味で、日本人のほとんどがそのお米を食べていた。
スーパーで1キロ100円ちょっとで買える。

オーストラリアは移民が多くいろんな国の食材が手に入るので、
スーパーに行くといろいろ試したくなるよ。
日本の友達へのお土産もスーパーのお菓子とか調味料を沢山買った。
珍しいし、なによりオシャレな感じがイイ☆

1週間はあっという間に過ぎ、本当の旅立ちの日がやってきた。
これからシドニーを北上し、ブリスベンを目指す。
バスで移動しながらユースホステルやバックパッカーズなどの安宿に泊まり、
オーストラリアを旅する“ラウンド”の開始だ。


エムっちに別れを告げ、まずはシドニー観光!とシドニー駅前にある
ユースホステル“セントラルYHA”に移った。
で、でかい!!!めっちゃキレイ!!人が多い・・・。


わたしが思っていたバックパッカー生活とは違うよ・・。
2泊して宿を変更。
ノースシドニーにある「カナーボンプライベートホテル」に移動する。
小さなアパートみたいで長期滞在者が多く、出身国も様々。
夜、庭でビールを飲んでると友達ができるといった感じで楽しかった~!

ノースシドニーを拠点に“トラベルパス”という決められた区間内の
バス、電車、フェリーが1週間乗り放題になるお得チケットを活用して
シドニーを観光した。

フェリーを活用するとちょっとしたクルーズ気分を味わえて楽しい。
夜はシドニーの夜景が一望できてかなりよかったよ!



写真:シドニーハーバーブリッジ

とりあえず有名どころは観光した。 でもブルーマウンテンは行ってない(笑)
人気のロックスのマーケットが可愛かったけど、あとで訪れたパースや
タスマニアのマーケットの方が私は好きだなぁ。。

ほかには日帰りでボンダイ・ビーチワトソンズ・ベイなどに行き、
10日間ほどシドニー近辺で遊んでいました。

シドニー駅前の長距離バス“グレイハウンド”のオフィスでこれから
お世話になるバスのキロメーター・パスを購入した。
とりあえず8000km分購入。大陸を1周するので足りないだろうけど、
途中で別の乗り物で移動するかもしれないと思い、足りなかったら
買い足すつもりだった。

結局、途中で知り合った子達と車で移動したり、別のバス会社を
利用することがあったので、それでちょうどよかったよ。

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(1) 日本脱出!

2007年05月07日 | シドニー、ウーロンゴン
ワーホリのビザがとれた。

6月末、2年ちょい勤めた会社を退職し、
7月、お中元の配達のアルバイトしながらワーホリ情報を集める。
8月、やっとワーホリの荷物の準備を始める。
9月、友達とのお別れ会の日々。
「青い目の彼氏、楽しみにしてんで~!」 無理ですから-!

出発直前に年金・税金の支払い催促が来ないように
市役所へオーストラリアへの転出届けを出しにいった。
転出先の欄に「オーストラリア」と記入しながら、
なんか…なんか…わたし格好イイ!  と1人で興奮する。

出発予定日1週間前にやっと航空券を買う。片道チケットだ。
実は帰りにアジアに寄るつもりだった。親には内緒だけど。
旅行会社で安い航空券を買うために粘ってたら、
路駐してた車がレッカーされていた。
実は免停間近…

でも大丈夫~♪ 日本脱出してる間に回復するもんね~って
安い航空券を買った意味がない。4万円近く罰金を払うことになる。

そしてとうとう9月26日夜、
わたしは関西国際空港からオーストラリアに向けて旅立った。

空港ロビーから手を振る家族の姿を思い出して、
飛び立ったばかりの飛行機の中で泣いた。
友達からもらったお守りの中身を見てみるとそれは5千円札だった。
手紙が添えてある。「困った時に使ってね」
彼女にこの5千円円を返すためにも、無事に帰ってこなければいけないな。
手紙を読みながらまた泣いた。

「ビーフ オア フィッシュ?」
感傷に浸っているわたしのもとへスッチーがやって来た。
「ビーフ プリーズ!」
ビーフうまい!ワインもうまい!体も気持ちも復活した。
そう、数時間後には新しい生活が始まる。いや、もう始まっているのだ。

翌日の朝、飛行機は無事シドニー国際空港に着いた。
わたしはこれから1週間、こちらの大学に留学している高校からの友人
エムっちのシェアハウスに滞在させてもらうことになっていた。

彼女が住んでいるのはシドニーの南にあるウーロンゴン(Wollongong)という町。
シドニーから電車で1時間半くらいかかる。
空港からシドニー駅までは空港バスで問題なく行けたけど、問題はそのあと。

なんとかなるさ、フフンって思っていたら、
ホームが沢山あって、どの電車に乗ればいいかわからない。

駅員さんに「ウーロンゴンに行きたいねん!」って言っても、
「ウーロンゴン」の発音が悪いのかなかなか伝わらなかった。
“W”の発音ってホントは難しいらしい。
文字で書いて見せたらよかった…なんて今になって思います。

駅員さんの説明を自分なりに解釈して、「たぶんこの電車」と
勝手に推測して乗っけど、本当にあってるかわからなかったので、
電車の中でキョロキョロしていてたら無事に到着した。

エムっちが駅まで迎えに来てくれてホッと安心。
ウーロンゴン、結構栄えてるねえ~!
住みやすそうな町だった。
駅近くにあった中華料理店「好世界」のチャーハンが
すごく美味しかったよ!



写真:ウーロンゴン駅

エムっちは留学2年目で英語がペラペラになってた。
「あなたオーストラリア人?」ってネイティブに聞かれたらしい。
英語でケンカもしていた。しかも勝った。

私はというと、ANZ(オーストラリアの銀行)の口座開設時になかなか理解できず、
受付のおばちゃんに
「この子、大丈夫?オーストラリアで暮らせるの?」と心配され、
ユースホステルの電話予約では、「?????」と英語がわからず半泣きになり、
自分の英語力に少し不安を感じ始めました・・・。

その頃の写真を見ると、まだ小綺麗。
1年後、野生と化します。

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ワーホリのお話

2007年05月01日 | ワーホリQ&A
わたしがこのブログをはじめた理由のひとつ。

ワーキングホリデーの楽しさを
もっともっと誰かに伝えたい!

そういう訳でワーキングホリデー(略してワーホリ)について
いろいろ書いていこうと思ってます(^-^)

ワーキングホリデーとは・・?

簡単に説明すると、
年齢制限があるけど異国で最長1年間滞在でき、
滞在資金を補うためのアルバイト的な仕事をしてもOK、
もちろん語学学校にも通ってもOKという、
海外生活に興味がある若者にはとてもありがたい制度なのです。
対象国は、オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・韓国・フランス・
ドイツ・イギリス・アイルランド となっています。(2007年1月1日現在)

もっともっと詳しい内容はコチラのホームページがおススメ!
【社団法人 日本ワーキングホリデー協会】 http://www.jawhm.or.jp/

わたしがワーキングホリデービザを取得して
オーストラリアへ渡ったのは1999年。

ワーホリビザが切れた後、ニュージーランドやタイにも
立ち寄り、やっとこさ帰国してもう6年です。

去年、わたしのワーホリの話を聞いた友達が
私も行きたい!とビザをとったので、
現地の語学学校や滞在先を探すお手伝いをしに、
わたしもついていっちゃいました。

6年ぶりのオーストラリア!
最近のワーホリはどんな感じなんだろう???
と楽しみに行ってみると・・・

「つまらない・・日本に帰りたい・・・」
って言っている子が何人かいて
ちょっとショックをうけました。

1年間も滞在できるのに、
途中で帰ってしまう子も何人かいました。

せっかくはるばるオーストラリアまでやってきたのに、
そんなのもったいない!!!!

わたしもオーストラリアに行く前に、
ネットや本でいろいろ情報を集め、
オーストラリア生活に夢をどんどん膨らませていきました。

実際むこうで生活してみて、
いろんな方の体験談やアドバイスが
ほんとうに役にたちました。

わたしのワーホリの話が、海外に興味をもってる人たちに
少しでもお役にたてれば最高にうれしいです。