リバースエンドルート序盤プレイ中
激しくネタバレ注意
陶也「実はお前が今まで体験してきた世界は俺たちのコンピューターが作り出した疑似現実だったんだ!」
トウヤ・私「な、何だってーーー!!!」
ああやってしまったよ…こういうオチじゃないのかって薄々感づいてた
何かこういう展開あまり好きじゃないんだよね
実は主人公は植物状態でしたとか学校の先生してると思ったら病院の患者でしたとか(どちらもゲームはプレイしてないけどオチだけは知ってる)
何というか仮想現実、妄想世界、魔法とかは物語の「逃げ」にしか思えない
きちんと風呂敷広げたんだからそういった便利な展開は使わずに物語を畳めにきて欲しかったな
ってか予言についてはどうなるんだろう。一種のコンピューター上のバグか何か?
別に入莉をデジタル上に復元するのが目的であるなら世界滅亡とかシステム的に必要ないよね
今のところカサンドラは電子の海に偶発的に生まれた意識体なんじゃないかと思ってる
で、何か良くわからないけど世界滅亡の予言を発していると
まぁコンピューター世界って設定は上手いよな~。はちゃめちゃな天変地異や殺人ウイルスがいきなり出てきても仮想現実ってことで納得も説明もつくから
けどそういった便利な物に頼らずに現実味溢れる展開で来てほしかった…
まぁ面白くなるのはここかららしいんで最後までプレイしますけどね
案外、疑似現実というネタバレに拒否反応起こしてなじってしまってゴメンナサイ。ってほどに素晴らしいストーリーが展開されるような気もしなくもない
しかし10年後って設定なのに携帯の進化が2012年でとまってるとか…それこそ携帯が一番進化してるだろうアイテムだと思うんだけど
ただ、これだけは納得できないって点を1つ
「故人を思い出のみを頼りにデジタルの世界に復元するのは可能なのか」
私が愛してやまない「魔人探偵脳噛ネウロ」という漫画があります
その漫画は人間の限界、可能性、人の素晴らしさをテーマとして扱った素晴らしい漫画です
探偵漫画(の皮を被った単純娯楽漫画)なのですがその中に登場する春川という犯罪者(脳医学の権威)が
たった1人の故人の女性をデジタル上の世界に復元、再構築するために世界的規模の犯罪を犯し、世界中からスパコンを押収
無限ともいえる時間を使って(自身の脳を寸分違わず電脳世界へトレース。電人HALとして無限演算を可能とさせた)
故人である彼女をデジタル世界上に蘇らせようとした
そういう話があるんですけどね
結論からいうとそれは不可能だった
自身の脳のトレースならいざ知らず(現物がありデジタルに再現したデータとの検証も可能)
亡くなってしまった故人を思い出のみを頼りに再現するなど不可能に近い所業
そう。人間はそんなに安っぽい代物ではないのだ
例え再現したい故人のデータを客観的に見て生存時と99%相違ないレベルでデジタル上に再現してみたとしよう
そうして生まれた意識体は亡くなった故人と同一であると言えるのか。それはおそらく違う
どれほど似ていようが1%でも誤差があるのならそれはもうその人本人ではない
加えていえば例え100%の再現をしたとしても作成者はそれを本人と同一だと認めることは出来ないだろう
作成者は自身が作り出したという事実、その余剰な部分により復元した故人を生前と同一であると認められないだろうし。何より例え100%の復元であったとしてもそれを確認する手段がない
HALはその事実に気づき、自身の作成者である春川を殺害。そして自己破壊の権限を春川から与えられていなかったHALは世界を巻き込んでの壮大な自殺劇を繰り広げ最終的に消滅する。わけなんだけど
そうなんだよ。終わる世界とバースデイのように簡単に故人が復元できてしまっていいのか?
復元できたとしてそんな安っぽい命でいいのか?満足するのか?
っていう部分がゲームをプレイしていての最大の引っかかり
ネウロでも語られていたように人間は1人1人簡単に再現できるようなものじゃない
だから素晴らしいんだ
だから1人1人が生きていくことに意味が有るんだ
と述べられていてそれに共感してしまった身としてはどうにもこのゲームの主人公たちの目的が受け入れられない
またまたゲームの押し売りとなってしまいますが
Fateで衛宮士郎が「起こってしまった事を無かった事にしてしまってはいけない」って言ってるように過去を否定してはいけないんですよね
悲しいこと辛いこと、目を背けたくなるような過去も確かにある
だけどそれらを乗り越えてこそ今の自分は存在しているし今の世界があるんですよね
だから過去の否定は己の否定になってしまうし死者の蘇生を望むのならその故人の否定にもなってしまう
まぁ最近実生活でみじかに人の死を感じた事がないからこんな事言えるんですけどね
私だってたぶん家族が死んでしまって、仮に死者を蘇生する手段があるのならなんとしてもそれに縋るだろうと思いますし
まぁ何が言いたいかというとデジタル上に人間をやすやすと復元できるほど人間は薄っぺらいものではないということですね
もしドラゴンボール並みに人がころころ生き返るような世界なら人の生き死にに今のような価値は無くなるでしょう
激しくネタバレ注意
陶也「実はお前が今まで体験してきた世界は俺たちのコンピューターが作り出した疑似現実だったんだ!」
トウヤ・私「な、何だってーーー!!!」
ああやってしまったよ…こういうオチじゃないのかって薄々感づいてた
何かこういう展開あまり好きじゃないんだよね
実は主人公は植物状態でしたとか学校の先生してると思ったら病院の患者でしたとか(どちらもゲームはプレイしてないけどオチだけは知ってる)
何というか仮想現実、妄想世界、魔法とかは物語の「逃げ」にしか思えない
きちんと風呂敷広げたんだからそういった便利な展開は使わずに物語を畳めにきて欲しかったな
ってか予言についてはどうなるんだろう。一種のコンピューター上のバグか何か?
別に入莉をデジタル上に復元するのが目的であるなら世界滅亡とかシステム的に必要ないよね
今のところカサンドラは電子の海に偶発的に生まれた意識体なんじゃないかと思ってる
で、何か良くわからないけど世界滅亡の予言を発していると
まぁコンピューター世界って設定は上手いよな~。はちゃめちゃな天変地異や殺人ウイルスがいきなり出てきても仮想現実ってことで納得も説明もつくから
けどそういった便利な物に頼らずに現実味溢れる展開で来てほしかった…
まぁ面白くなるのはここかららしいんで最後までプレイしますけどね
案外、疑似現実というネタバレに拒否反応起こしてなじってしまってゴメンナサイ。ってほどに素晴らしいストーリーが展開されるような気もしなくもない
しかし10年後って設定なのに携帯の進化が2012年でとまってるとか…それこそ携帯が一番進化してるだろうアイテムだと思うんだけど
ただ、これだけは納得できないって点を1つ
「故人を思い出のみを頼りにデジタルの世界に復元するのは可能なのか」
私が愛してやまない「魔人探偵脳噛ネウロ」という漫画があります
その漫画は人間の限界、可能性、人の素晴らしさをテーマとして扱った素晴らしい漫画です
探偵漫画(の皮を被った単純娯楽漫画)なのですがその中に登場する春川という犯罪者(脳医学の権威)が
たった1人の故人の女性をデジタル上の世界に復元、再構築するために世界的規模の犯罪を犯し、世界中からスパコンを押収
無限ともいえる時間を使って(自身の脳を寸分違わず電脳世界へトレース。電人HALとして無限演算を可能とさせた)
故人である彼女をデジタル世界上に蘇らせようとした
そういう話があるんですけどね
結論からいうとそれは不可能だった
自身の脳のトレースならいざ知らず(現物がありデジタルに再現したデータとの検証も可能)
亡くなってしまった故人を思い出のみを頼りに再現するなど不可能に近い所業
そう。人間はそんなに安っぽい代物ではないのだ
例え再現したい故人のデータを客観的に見て生存時と99%相違ないレベルでデジタル上に再現してみたとしよう
そうして生まれた意識体は亡くなった故人と同一であると言えるのか。それはおそらく違う
どれほど似ていようが1%でも誤差があるのならそれはもうその人本人ではない
加えていえば例え100%の再現をしたとしても作成者はそれを本人と同一だと認めることは出来ないだろう
作成者は自身が作り出したという事実、その余剰な部分により復元した故人を生前と同一であると認められないだろうし。何より例え100%の復元であったとしてもそれを確認する手段がない
HALはその事実に気づき、自身の作成者である春川を殺害。そして自己破壊の権限を春川から与えられていなかったHALは世界を巻き込んでの壮大な自殺劇を繰り広げ最終的に消滅する。わけなんだけど
そうなんだよ。終わる世界とバースデイのように簡単に故人が復元できてしまっていいのか?
復元できたとしてそんな安っぽい命でいいのか?満足するのか?
っていう部分がゲームをプレイしていての最大の引っかかり
ネウロでも語られていたように人間は1人1人簡単に再現できるようなものじゃない
だから素晴らしいんだ
だから1人1人が生きていくことに意味が有るんだ
と述べられていてそれに共感してしまった身としてはどうにもこのゲームの主人公たちの目的が受け入れられない
またまたゲームの押し売りとなってしまいますが
Fateで衛宮士郎が「起こってしまった事を無かった事にしてしまってはいけない」って言ってるように過去を否定してはいけないんですよね
悲しいこと辛いこと、目を背けたくなるような過去も確かにある
だけどそれらを乗り越えてこそ今の自分は存在しているし今の世界があるんですよね
だから過去の否定は己の否定になってしまうし死者の蘇生を望むのならその故人の否定にもなってしまう
まぁ最近実生活でみじかに人の死を感じた事がないからこんな事言えるんですけどね
私だってたぶん家族が死んでしまって、仮に死者を蘇生する手段があるのならなんとしてもそれに縋るだろうと思いますし
まぁ何が言いたいかというとデジタル上に人間をやすやすと復元できるほど人間は薄っぺらいものではないということですね
もしドラゴンボール並みに人がころころ生き返るような世界なら人の生き死にに今のような価値は無くなるでしょう