*** june typhoon tokyo ***

「ユルネバ」がもたらすもの ~ Feelings that "YNWA" brings to us


 ダイバーシティなクラブ・アンセム、それが“ユルネバ”。

 FC東京のファン/サポーターならば一度は耳にしたことがあると思われる歌に「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」(You'll Never Walk Alone)がある。元来はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世のコンビ(のちに『サウンド・オブ・ミュージック』などを手掛ける)による1945年のブロードウェイ・ミュージカル『回転木馬』のために作られた歌(邦題「人生ひとりではない」)だが、その後、フランク・シナトラや米テノール歌手/俳優のマリオ・ランツァ、R&B/ゴスペル歌手のロイ・ハミルトン、パティ・ラベルら多くのアーティストがカヴァー。1954年のハミルトンのヴァージョンは全米トップ30、R&Bチャート1位となり、バリトン・ヴォイスでのパワフルなオペラ調ヴォーカルは、エルヴィス・プレスリーらに影響を与え、プレスリーも1968年にカヴァーしている。

 そのなかで特に広く知られているのが、1963年に全英1位となったジェリー&ザ・ペースメイカーズのヴァージョン。元々ビートルズのデビュー曲として用意されていたという逸話もあるデビュー・シングル「恋のテクニック」(How Do You Do It?)がいきなり全英1位となりスターダムにのし上がるなか、3作連続全英1位となるシングル「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」を発表。同バンドがリヴァプール出身ということから、地元のリヴァプールFCのサポーターが歌い始めると、その後世界各地のサッカークラブのサポーターに広まり、歌い継がれる人気曲となった。

 FC東京もご多分に漏れず、いつからかファン/サポーターが“ユルネバ”と称して歌い始め、今や試合開始や試合終了後に合唱するアンセムとして定着している。だが、なぜこの歌が広く愛されるのだろうか。

 個人的には世界のサッカークラブ情勢の明るくなく、多くのクラブが歌い始めた経緯も分からないのはもちろん、ルーツとなる原曲のブロードウェイ・ミュージカル『回転木馬』がどのようなストーリーで、「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」がどのような場面で劇中歌として使われているのかも知らない。辛うじてロイ・ハミルトン版は聴いたことがあるものの、ほぼFC東京のアンセムとして聴くことが常といっても過言ではない。FC東京のファン/サポーターの中には、歌詞の意味が分からない人たちも当然いるし、原曲がどういう経緯で生まれたかというルーツを知らない人たちもいる。時に相手サポーターやFC東京を懇意にしていない人たちからスタジアムで歌う光景を「お経のようだ」と揶揄されたり、歌唱中に相手チームのサポーターからブーイングや威勢の良いチャントを被せられたりして邪魔されることもある。原曲とはややアレンジが異なって定着していることもあってか、その歌唱やスケールから「本家リヴァプールFCとは雲泥の差」との批判や心なき罵声を浴びせられることも。それでも歌おうとするのは、愛着を持ち続けるのは何故なのだろうか。



 一つには情緒溢れる美しい歌詞にあるだろう。“嵐や風、雨が立ちはだかり、夢が破れようとも希望を胸に抱いて歩いて行こう。君は独りじゃないんだ”という詞は、常に晴天で行なわれるとは限らないピッチで試合に挑む選手たちへ向けてのエールに相応しいのと同時に、共に闘っているというサポーターの心情を汲むメッセージとして非常にマッチしている。静けさのなかから耳に注いでくるさえずりが徐々に風を纏い、高らかに響き渡る教会の鐘に心を揺らされるような高揚が胸を打つドラマティックなメロディラインも、感化させるのに十分な展開力を有している。
 
 もちろん、詞やメロディも耳を惹く重要な要素ではあるが、個人的にはそれ以上にこの楽曲が持つ共時性、いわゆる“シンクロニシティ”が大きく影響しているのではないかと感じている。スポーツやサッカーというファンやサポーターにとっての日常のなかで具現化されていくある種の非日常(=エンタテインメント)で起きる光景、即ち、ピッチ上では選手たちが泥臭く闘う姿を観て、その一挙手一投足に一喜一憂し、自らの苦悩や葛藤を忘れて喜怒哀楽を表現するファン/サポーターたちが、無意識のなかで自身の人生の一片とを重ね合わせる瞬間において、高い共鳴性をもたらしてくれるのが、この「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」という楽曲なのだろう。
 
 そして、もう一つは、この楽曲にははっきりとした言葉にはし難い感情を芽生えさせる“何か”を孕んでいるということだ。誤解を恐れずに言うならば、“サウダージ”(saudade)的感覚とでも言おうか。
 サウダージはポルトガル語やスペイン語などにおいて、郷愁、憧憬、思慕、切なさといった意味を持ち、明確に翻訳される日本語は存在しない独創的なニュアンスを持っている言葉として知られ、ボサ・ノヴァのコンセプトにもなっている。このハッキリとした陰影を持たずにさまざまな心情を語りつくせるという言葉に近い、あるいは重なるような要素がFC東京版「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」にあるとしたら、この“ユルネバ”がFC東京のファン/サポーターそのものを表出しているとも言える。

 つまり、声援や観戦、サポートの仕方は十人十色。それぞれがさまざまな形で応援する姿は、首尾一貫として圧倒的な“一体感”を持続しているスタイルとはやや異なる。スタジアムで言えば、試合開始のだいぶ前から声を上げて士気を高め、試合に備えて圧を増していくことに神経を尖らせるタイプではない。どちらかと言えば、牧歌的か。のんびりと練習を眺める者もいれば、スタジアムグルメの列に並び、グルメを堪能することを繰り返す者、マスコットのグリーティングに勤しむ者もいて千差万別だ。特にホームの味の素スタジアムでは、アウェイサポーターが次々とチャントを繰り出してテンションを高めるのとは対照的に、ほのぼのとした空気さえ漂う。遠征先でもそのスタイルはそれほど変わらない。一番熱気があると言われるゴール裏も、よく見れば試合前の(テンションという意味での)熱度の差も窺える。メインやバックスタンドとの差はなおさらだ。

 だが、試合が目前となると、それまであちこちにあらゆる方角へ向いていたベクトルが次第に“FC東京の勝利のために”という方向へと束ねられ始める。応援スタイルはさまざま。“みんなちがって みんないい”ではないが、表面的な態度や興奮の差こそあれど、勝利へ向けてエールを送る魂を宿していく。その発火点の端緒の一つに“ユルネバ”があるのではないか。大らかに始まるイントロはまさに牧歌的そのものだが、歌が進み、声が重なり合っていくなかで、興奮と緊張が混ざり合いながら鼓動を高めていく。その心境に共鳴しやすい何かを“ユルネバ”は備えているのではないだろうか。大袈裟に言うなら、“ユルネバ”はFC東京サポーターの心を映す鏡になり得ているのかもしれない。



 先日(6月4日)、FC東京サポーターの有志が、Jリーグ再開への想いや新型コロナウィルスに対して奮闘する医療従事者へ向けての感謝と声援を兼ねて、サポーターの歌唱や演奏などの映像を編集した「みんなでユルネバ」という企画動画を公開した。一般のファン/サポーターに加え、FC東京の応援番組でもおなじみの橘ゆりかや、映画『アリー/ スター誕生』挿入歌でレディー・ガガとブラッドリー・クーパーが歌う「シャロウ」をガガの前で披露して話題となった歌手のKIMIKAらが出演するほか、音楽や編集などの巧みなスキルを持つサポーターが制作に尽力。あくまで有志としての企画作品ながら、動画公開直前にはFC東京のオフィシャルTwitterが、味の素スタジアムで実際に“ユルネバ”を歌う前に告げられる「Fans now, it's your turn」(さあ、ファンたちよ、次は君らの番だ)というメッセージ画像を投稿するという洒落た演出もあった。

 TwitterやInstagramなどのSNS上では多くの好評を得ているが、なかには参加への戸惑いを見せた者や、この企画に対して「(これに参加する、称賛することが)FC東京ファン/サポーターの全てじゃない」と表明する者も。賛同、疑問を含めさまざまな意見があったようだが、それこそがFC東京のファン/サポーターのスタイルなのだと思う。言動の違いは多々あれど、FC東京の勝利や奮闘のためとなれば、そのベクトルが自然と束になる。そのきっかけの一つが“ユルネバ”でもある訳だ。

 個人的なことを言えば、FC東京を本格的に応援し始めた当初は自分もゴール裏へ駆けつけ、飛び跳ねて声を挙げていたが、次第にサポーター応援などに思うところがあり、ゴール裏から離れた経緯がある(現在もゴール裏へはほとんど行くことがなくなったが、離脱当初に感じていた理由とは概ね異なっている)。自身の応援スタイルや表現方法も変わり、観る風景も変わってきたが、どこの場所からであろうと、FC東京サポーターのここぞという時の想いや熱が、想像以上の大きな力となることも感じてきた。それが声を枯らすほどの応援だろうが、静かなる内なる炎のような想いであろうが、時々東京ドロンパがするハチマキにも書かれてあるように、“心をひとつに”した瞬間には、言葉にし難いうねりが選手たちを後押しすることも知っているのだ。



 コロナウィルス禍の緊急事態宣言は解除されたものの、依然としてコロナウィルス禍の危機から脱しているとはいえない。足元を顧みれば、不安と悲しみや怒りが付きまとう日常もあるだろう。以前過ごしていた日常を取り戻せずにいるなかでは、なかなか冷静な判断や態度を示すことは難しく、さまざまな感情が目まぐるしく巡るなかで、何を拠り所にすればいいのかの明白な正解もないだろう。
 そのあらゆる感情の根に感化するものが“ユルネバ”にあるとしたら。即効性や直接的に心を揺さぶる力があるかどうかは分からないが、サウダージよろしく琴線に触れる何かが宿っているような、そんな気がしなくもないのだが、どうだろうか。

 最後に、勝手ながらFC東京サポーター有志が手掛けた渾身作「#みんなでユルネバ」(「You’ll never walk alone」 F.C.Tokyo Funs Sing)を引用しておこう。自分は言い方は悪いが、表立って顔を出せるような内面も外面も持ち合わせていないのであまり“徒党を組む”というタイプではないアウトロー気質なので(笑)参加せず単なる傍観者と化しているが、製作の技術や手間は半端でないことは明らかに解かるので、参加者や製作者たちの勇気と意志と熱意にそして楽器演奏や動画編集などのスキルを持つ人たちへの大いなる嫉妬も併せて、敬意を表したい。



◇◇◇


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「FC東京」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事