脱原発・放射能

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『隠して核武装する日本』核武装にかかわる議員に米から巨額の資金提供の事実

2012-04-23 21:06:19 | 原発・放射能

『隠して核武装する日本』

核武装にかかわる議員に米から巨額の資金提供の事実

衆参両院の現職国会議員のうち、自民・民主両党の100人以上が核武装あるいは核武装準備論者である。それだけでなく、核武装推進を言わない議員の中にも、核武装論者が少なくない。
「本気で核兵器をつくろうと思ったら、絶対に内緒で進める」というのが、核武装を推進しようとする人たちの考え方だからだ。
政府は、表に「原子力の平和利用」の看板を掲げ、その裏で「軍事目的」の意図を隠して、核武装の準備をしてきた。

そして忘れてはならないのが、核武装にかかわる議員にアメリカから巨額の資金提供がされていた事実。

これは何を意味しているのか・・?

 

06年10月北朝鮮の地下核実験→「日本が核攻撃される危険に備えよ」(見当違いもはなはだしいと槌田敦はいう)と、時の安倍首相の兄貴分格の中川昭一自民政調会長がのろしをあげ、麻生外相(のちの幹事長も「核武装の検討を」と連鎖合唱が湧き起こった。

同時期に同意見の自民党代議士は75人、同参議院議員は15人、さらに民主党はそれぞれ14人と5人(毎日新聞)をしめ、小池百合子(今年発足予定の小泉新党党首といわれる)、石破茂や大森理森ら、民主党は前原誠司前党首、野田佳彦ら名うての右派が名を連ねている。

安倍はその以前の官房副長官時から「自衛のための必要最小限度を超えない限り、核武装を保有することは憲法の禁ずるところではない」と公言してきた。

 

大署名運動と中曽根マジックの勝利

 1954年、南太平洋ビキニ環礁でおきた焼津港マグロ漁船の第五福竜丸の水爆実験被災は、圧倒的多数の人々に衝撃を与えた。
 “恐怖する市民の意志”としての杉並アピール原水禁書名運動は、一点の火花も燎原を焼きつくす勢いで全国に広がった。署名者は歴史上かつてない、3238万人、国民の3人に1人が呼応した。
 原水爆許すまじ、と日本平和運動が大高揚した同じ時期に、「原子力の平和利用」について、二つの保守党(民主党と自由党)と革新党(左派社会党と右派社会党)が超党派で結束し、ジュネーヴの国連原子力平和利用国際会議に4党4人が参加。帰路に仏英米加4ヵ国施設を見学し、帰国三ヵ月後に議員立法で原子力基本法など8本の原子力基本法体系を「電光石火の早業」で成立させた。
 「全国民協力」「戦争の圏外に置く」「平和利用に徹する」等6点が網羅的に盛りこまれた。立役者は若き中曽根康弘(37歳)であり「中曽根マジックの勝利」(藤田)であった。後年に国家戦略家として名を歴史に刻んだ彼に、革新勢力は完璧に出しぬかれたのであった。翌年の原子力委員会は、読売新聞社主の正力松太郎議員が委員長で、政・財・学(ノーベル賞の湯川秀樹)・労(労農派でマルクス主義の有沢廣巳)ら各トップクラスを結集した「豪華メンバーは、驚嘆を持って迎えられ」「原子力時代の到来」を告げた。
 いらい半世紀、その原子力平和利用なる原発は、地下水道で原爆、核としっかりとつながっていた。五大核武装国並みに「日本は原爆材料を所有する国」となり、政治のボタン一つで核武装は現実化する。

 政府は、あくまでもプルトニウム開発はエネルギー政策の一環であるとし、「核燃料サイクル」という、何かエネルギーの安定供給を連想させる名称を付けて国民をだましているが、真の目的は「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルを保持するため」(1969年外務省文書)である。

 プルトニウムは原発使用済み燃料中に生成される。長崎型原爆の材料で、非常に強い放射能を持ち、半減期の十倍の24万年もの間、厳重管理が必要という(24万年前というとヒトはまだ旧人だった)。 

要するに、高速炉「もんじゅ」(高純度プルトニウム製造施設)のブランケット燃料を再処理して得られる兵器級プルトニウムを終着点とする、ひたすら環境を汚染し核のゴミを出し続ける一方通行の経路になるかと思う(図参照)。全国55基の原発も六ヶ所村再処理工場も連動している。
 政府はなんとか「サイクル」の体裁を取りつくろおうと、六ヶ所村再処理工場から原発への経路(プルサーマル計画)を強行しようとしているが、プルトニウムを普通の原発で燃やすことは危険性が高く、しかもその使用済み燃料は再処理する価値がなく高レベル放射性廃棄物になるので、サイクルにはならない(図の×印)。

 「核開発に反対する会」代表の槌田敦氏は、巨費を投じ、国民の命を危険にさらしても「もんじゅ」の運転再開(2008年十月予定)をめざすのは、軍事目的でなければできないことだと断言する。

 

広島、長崎への原爆投下の犯罪性

「アメリカは原爆を投下するためだけに、天皇制を利用して戦争を三ヶ月も引き延ばした。原爆を投下する目的は、この新兵器の人的効果を知り、戦後の世界支配に利用することであった」……。

 

国家的大偽装、原子力兵器生産に備え科学技術庁新設

戦後、政府は一貫して核武装を画策してきた。平和憲法施行からわずか5年後の1952年、吉田茂首相は原子力兵器生産に備え科学技術庁新設のための具体案作成を指令した。1954年には中曽根康弘原子力予算が採択され、1957年、岸信介首相は核武装合憲論を打ち出した。1964~72年の佐藤栄作内閣の時代に「非核三原則の堅持、日米安保条約による米国の核抑止力への依存、核軍縮の推進、核エネルギーの平和利用の推進」を表向きにしつつ、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と宇宙開発事業団を科学技術庁傘下に設立し、核武装能力の保持への方策を促進させた。しかし、1995年に「もんじゅ」がナトリウム火災事故を起こして頓挫したわけだ。

 しかし、この間も政府は「平和利用」を隠れ蓑に、多額の税金を投入し、国策としての核燃料政策をしゃにむに進めてきた。放射性廃棄物の行き場もないのに、現場労働者を被曝させるのに、環境を破壊するのに、原発大震災の危険性が高いのに、大事故になれば取り返しがつかないのに、核武装をいう隠された狙いのためには何でもやるのか!

 また、日本政府が国会答弁において「日本国憲法は自衛のための必要最小限度を超えない範囲にとどまる限り、核兵器、通常兵器を問わず保有を禁ずるものではない」と説明してきたことも事実である。非核三原則は政策指針であり、法的な拘束力はないのである。

アメリカ政府は1970年代までは日本の核開発を一貫して妨害してきたが、1980年代のレーガン政権以降方針を変更して常陽ともんじゅのブランケット燃料から軍用プルトニウムを抽出することのできる特殊再処理工場(RETF)の建設を認めた。それは、中国の核が強大となり、小型化、多弾頭化が進んだので、米中の核戦争となった場合にアメリカが核攻撃を受けるおそれがあり、日本を限定的に核武装させることで、そのおそれを避けることができるとされている。

このRETF計画は1995年のもんじゅナトリウム漏れ事故、1995年の東海再処理工場の火災事故のために建設が中断されてきた。しかし、槌田氏は、2008年にも予定されているもんじゅの運転再開が実現すれば、ほぼ完成しているRETFも完成運転にこぎ着け、軍用プルトニウムの抽出ができることとなるだろうというのである。

もんじゅが正常に運転されれば、濃縮率98パーセントの軍用プルトニウムが毎年62キログラムも生産できるという。そして、もんじゅは発電を目的とするように偽装されているが、実はこのような軍用プルトニウムを製造することが目的であるとしているのである。

発電用としてはほとんど意味をなさない「もんじゅ」が、なぜプロジェクトとして息の根を止められることなく継続しているのか、そこには発電用原子炉とは異なる目的があるのではないかと疑うに足りる十分な根拠はある。
 また、RETFなどという、およそエネルギー政策としては意味のない施設が、なぜ多額の国家予算をつぎ込んで建設されようとしているのかについても、納得のできる説明はなされていない。

世界の原発保有国31カ国の中でウラン濃縮と再処理も行うのは核兵器保有国と日本だけであり、日本が「プルトニウム・ロンダリング」まで国策としていることに危機感を持つべきではないだろうか。また、核兵器と原発の共通の出発点であるウラン鉱山の被曝労働(人形峠ウラン鉱山でも肺ガンが多発したことはまず間違いない)や大量の核廃棄物(100万kw原発を1年間運転するためにウラン鉱山では200万トン以上のウラン残土、鉱滓が生じる)は、問題ではないのか。さらに日本最初の原発である東海1号(1966年運転開始、1998年運転終了、現在解体作業中)が兵器級プルトニウムの生産装置であり、使用済み核燃料が英国で再処理されて英米の核兵器生産に貢献した。

 岸信介内閣は1957年に「自衛のための核兵器保有は合憲」という見解を採用し、これは村山内閣を経て現在も堅持されている。また岸は1958年に「平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる」と指摘した。

弟の佐藤栄作首相は1965年にラスク国務長官との会談で「中国共産党政権が核兵器を持つなら、日本も持つべきだと考えている」と述べた。佐藤内閣のもとで秘密裏に行われた核武装研究についても藤田論文は詳しく紹介している。

1969年の秘密文書にある「当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないように配慮する」という文章も有名だ(123頁)。後にノーベル平和賞選考委員会は、ベトナム戦争を長引かせたキッシンジャー(1973年)、核武装論者佐藤栄作(1974年)と連続人選ミスをした。安倍晋三前首相も核武装論者であった。福田康夫首相(官房長官在職の2002年に核武装容認発言)の父である福田赳夫も1978年の首相在任当時、参議院予算委員会で「国の武装力を核兵器で装備するという決定を採択することができる」と述べた。

核武装の検討を容認する国会議員リスト

長崎選出では自民党の谷川弥一が入っている。ちなみに、ウィキペディアの「核武装論」という項目(作成作業中)には、「主な核武装論者」として、次の名前があげられている。伊藤貫(国際政治・米国金融アナリスト)、中川八洋(筑波大学教授)、副島隆彦(常葉学園大学 教育学部特任教授)、中西輝政(京都大学大学院教授)、志方俊之(帝京大学教授、元陸将、元陸上自衛隊北部方面総監)、福田和也(慶應義塾大学教授文芸評論家)、平松茂雄(前杏林大学社会科学部教授)、西部邁(秀明大学学頭)、兵頭二十八(軍学者)、小林よしのり(漫画家)、橋下徹(弁護士)、勝谷誠彦(コラムニスト)、石原慎太郎(東京都知事)、小池百合子(衆議院議員・自民党、元防衛大臣)、高市早苗(衆議院議員・自民党)、丸川珠代(参議院議員・自民党、元テレビ朝日アナウンサー)、西村眞悟(衆議院議員・無所属)。

ここまで『隠して核武装する日本』著作紹介記事より引用
http://www.kageshobo.co.jp/main/syohyou/kakushitekakubusou.html

 

 
CIA、自民に数百万ドル援助
50-60年代 左翼の弱体化狙う 

1994年10月10日(朝日新聞)

【ワシントン8日=ニューヨーク・タイムズ特約】米ソ対立の冷戦時代にあった1950年代から60年代にかけ、米中央情報局(CIA)は、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は1ドル=360円)の資金を援助していた。米国の元情報担当高官や元外交官の証言から明らかになったもので、援助の目的は日本に関する情報収集のほか、日本を「アジアでの対共産主義の砦(とりで)」とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった、という。その後、こうした援助は中止され、CIAの活動は日本の政治や、貿易・通商交渉での日本の立場などに関する情報収集が中心になった、としている。
55年から58年までCIAの極東政策を担当したアルフレッド・C・ウルマー・ジュニア氏は、「我々は自民党に資金援助した。(その見返りに)自民党に情報提供を頼っていた」と語った。資金援助にかかわったCIAの元高官1人は、「それこそ秘密の中心で、話したくない。機能していたからだ」と述べたが、他の高官は資金援助を確認している。
また、66年から69年まで駐日米大使を務めたアレクシス・ジョンソン氏は、「米国を支持する政党に資金援助したものだ」と述べ、69年まで資金援助が続いていたと語った。
58年当時、駐日米大使だったダグラス・マッカーサー2世は同年7月29日、米国務省に送った書簡の中で、「佐藤栄作蔵相(当時)は共産主義と戦うために我々(米国)から資金援助を得ようとしている」と記している。

 

CIA、58年に特別班 日本向け選挙資金担当 

1994年10月13日(朝日新聞)
【ワシントン12日=五十嵐浩司】米中央情報局(CIA)が1950年代から60年代にかけ、当時日本の政権を担当していた自民党に、極秘の資金援助を行っていたと疑われている問題で、CIAが58年4月に日本向けの選挙資金工作を担当する特別グループを作っていたことが12日に朝日新聞が入手したCIAの内部文書で明らかになった。また、これとは別に米国務省の内部文書によると、58年7月に当時の佐藤栄作蔵相が、在日米大使館を通じ選挙資金援助の要請を行った際、自民党の川島正次郎幹事長とみられる「カワシマ氏」を「窓口」に指定し、秘密のうちに慎重に取り扱うことを求めていた。米大使館はこの時には、資金援助を断った模様だが、CIAによる特別グループの設置は、これとは別に資金援助が行われた可能性を示している。
CIA文書は今年4月に「極秘」扱いを解かれたもので、50年代半ばから末にかけ、反共活動支援の目的で、フランスやフィリピン、ギリシャなど世界各国で選挙資金の援助工作をしていたことを記している。具体的な援助策は各国ごとに作られた「計画調整グループ」「特別グループ」で行われていた。日本担当のグループは58年4月11日に設置した、としている。
グループ設置が直ちに「援助の実施」を意味するものではないが、日本では同年5月に衆議院選挙が行われており、これに照準を合わせた動きだったとみられる。翌月には、米側の信任が厚かった岸信介氏を首班とする第2次岸内閣が発足した。
国務省文書によると、岸氏の弟でもある佐藤氏の「選挙資金援助要請」は、これを受け同年7月25日に行われたもので、59年6月に予定される参議院選挙用の資金調達が目的だったようだ。
同文書は、佐藤氏と会った当時のカーペンター米大使館1等書記官が国務省に送った「メモ」などで、これによると会談は佐藤氏が要請し、「報道陣を避けるため」東京グランドホテルで2人だけで行った。
佐藤氏は、日本共産党や日教組などの「脅威」を指摘すると同時に、「共産主義勢力」がソ連(当時)や中国から資金援助を受けている、と説明した。
一方、「これら過激分子と戦っている」政府と自民党は、支持者・企業から資金を集めており、また経済界の一部指導者たちが「結成も活動も報道されていない秘密のグループ」を通じて資金提供を図っているが、衆院選の後だけに「資金不足」と窮状を訴えている。
このうえで米側に「保守勢力が共産主義と戦うための資金援助の可能性」を打診した。窓口として「カワシマ氏」の名前を挙げており、当時の川島正次郎・自民党幹事長とみられる。
佐藤氏は、もし米国が援助に同意しても、「米国が困る立場にならないよう、極秘に行う」と提案している。
「メモ」に付けられた当時のマッカーサー大使からパーソンズ国務次官補(東アジア担当)にあてた書簡によると、佐藤氏は前年も同様の打診を行っていた、という。

 

資金援助疑惑とは
「CIAは1950、60年代にかけ、主要秘密工作のひとつとして日本の自民党に数百万ドル(当時は1ドル=360円)の資金を援助していた。目的は日本に関する情報のほか、日本を『アジアでの共産主義に対する砦(とりで)』とし、左翼勢力の弱体化を図ることだった」(ワシントン10月8日発のニューヨーク・タイムズの記事の骨子)

CIAと秘密活動
CIAは1947年の国家安全保障法で、大統領直属の情報機関として設立された。同法に「国家安全保障に影響するその他の機能を時に応じて果たす」とあるのが、CIAが秘密活動に従事する根拠だ。その後、数度の大統領令などで、国家安全保障会議(NSC)の政策決定を受けてCIAが秘密活動を集行する枠組みが定まった。それは大きく宣伝、政治工作、軍事作戦などに分類され、初期の典型的な政治工作としては、48年のイタリア総避挙でキリスト数民主党にてこ入れした例がある。

 

CIAが大規模対日工作 最盛時は要員100人 自社議員らに報酬も 関係筋証言
【ワシントン5日共同】米中央情報局(CIA)は日本国内に、最盛時には100人以上、現在も約60人という在外支局としては「世界で最大規模」の要員を配置し、自民党や社会党の議員、政府省庁職員、朝鮮総連幹部、左翼過激派、商社員らに定期的に報酬を渡して秘密の情報提供者として確保してきたことが、複数のCIA関係筋の証言で明らかになった。CIAはこうした政治・安全保障分野だけでなく、経済・技術分野でも日本の対米貿易の交渉方針、日本企業の高度技術(ハイテク)を対象に、情報活動を展開してきた。

在日CIA工作の全体的な実態および陣容はこれまでほとんど知られていなかった。CIAスポークスマンはこうした工作について「ノーコメント」と論評を拒否した。
CIA関係筋は、CIAの情報提供者となっていた自社両党の議員の名前を明らかにすることを拒否したが、社会党議員については「長老で、1980年代に月25万円の報酬を手渡し、党の運動方針などを聞いた」とだけ述べた。また数人の自民党議員にも同様の報酬が支払われ各種の政治情報を得た、と同筋は指摘した。

情報提供者には地位に応じて、現金で月10万-25万円をホテルなどで手渡したという。

政治情報では、第1に首相の動向が最大の関心事。CIAは歴代首相の側近、周辺に常に情報提供者を確保してきた。
例えば、85年5月ボンで行われた中曽根・コール両首相の日本・ドイツ首脳会談の際にはCIA要員もボンに出張、会談直後に中曽根氏の側近からその内容を入手するといった方法。レーガン米大統領が中曽根首相にゴルフクラブを贈る際、好みをCIA要員が調べ、ロン・ヤス関係演出に一役買った。

自民党の中では金丸元副総裁がCIAに協力的だった。90年9月の金丸氏による北朝鮮訪問の前後には、同氏と親しかった中尾宏・元衆院議員(92年7月死去)が訪米、CIA側に状況を説明したという。

日米間の貿易交渉をめぐっては、主に通商代表部(USTR)の要請を受けてCIAが日本側の交渉態度を探るのが通例。88年6月決着した牛肉・オレンジ市場開放交渉では、農林水産省内の情報提供者から「日本の最終譲歩リスト」を入手していた、と別の関係筋は証言した。
電気通信分野の交渉に関連しても郵政省の内部やNTT、さらに通産省内部からも情報を得ていたという。日本企業のハイテクの軍事的側面も調査、京セラや大日本印刷、宇宙開発事業団、三菱重工、石川島播磨重工業などが調査対象となった。
このほか、中東の日本赤軍に国内の支援勢力がブラジル経由で数十万ドルを送金したことも突き止めるなど、左翼過激派の動向調査も怠らなかった。(中日新聞 1995/01/06)

 

CIA:緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析
1955年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治工作を行っていた実態が25日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。
CIAの「緒方ファイル」は、戦後の日本政治が、東西冷戦の下、水面下でも米国の強い影響を受けながら動いていた様を示している。米情報機関が日本の首相を「作り」、政府を「動かせる」という記述は生々しい。毎日新聞 2009/07/26

 

中曽根康弘

中曽根元首相は、レーガン元アメリカ大統領と「ロン・ヤス」関係と呼ばれるほどアメリカに忠誠を尽くした人物であり、当時の日本のハイテク技術をアメリカに引き渡した。また、もとの電電公社、すなわち現在のNTTを民営化した。

実は、このNTT分割・民営化もアメリカの圧力によるものであった。

1978年、ジュネーブでのガット東京ラウンドでアメリカが電電公社の門戸開放を要求。その後、アメリカの対日要求は厳しさを増した。85年2月には、アメリカのオマール商務次官が来日し、4月1日までに結論を出せと強硬に迫ったのである。

その後、アメリカの多国籍企業のモルガン財閥の傘下であるIBMとNTTの合弁会社、日本情報通信株式会社がつくられたが、これにより日本独自の高度な通信技術がIBMに、ひいてはその親会社であるアメリカのモルガン財閥に流れていった。

アメリカの手に落ちたのは通信技術だけではない。NTTとIBMの開発した情報ネットワークが一本化することにより、日本国民のクレジットカードにおける消費生活の全情報がアメリカの手に落ちることとなった。

さらに、アメリカはこの中曽根を通して1機106億円もするP3Cを自衛隊に100機も売りつけることに成功した。そして中曽根は賄賂としてロッキード社から30億円を受け取った。しかし中曽根は刑事問題にされなかったのである。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060609
 

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