john note〜マリアニストの霊的日記

いちカトリック者です。イエズス・マリア様に捧げるブログです。勝手に書いてます。お気にさわりましたらすいません。

最も小さい霊魂の会は自由の会なのです。

2018-04-21 22:57:39 | 最も小さい霊魂の会

入るのも自由、やめるのも自由。

全く規制がありません。

一日に3つの祈りを祈るということ、そして、入りたい人は名前(ハンドルネームでも可)お住まいの都道府県を教えてくださいということだけです。

それはどこに会員がいるのかと人数の把握のためです。

この会は小さく力のない会なんです。あくまでも私的な祈りの会なんです。

なぜこんな事を書いたかと言いますと、会員の第一号さんは、辞めてしまいました。

理由は会員の承認のしるしとしてブログに入会報告で、お住まいの都道府県名のMさんが(Mとは実名ではなくハンドルネームのMです。)入会してくださいました、とか書いた訳ですがそれが気に入らなかったらし速攻で脱退していかれました。

人には人の事情がありますから。

こんなことでなぜ、激怒するんだろうと思いましたがわかりません。

今、会員である人も考え方が違った、あるいは嫌になった、さまざまな理由でやめたくなったらお知らせ下さい。

私は、決して拒みません。

むしろ、いままで入って頂いてありがとうございましたと言いたいのです。

後は、自分なりのやり方で神様を愛してくださればそれでいいと思います。

たしかに、会員が増えることはうれしいことです。

もう一度会の目的を復習してみます、

あくまでも私的祈りの会です。
入るのもやめるのも全くの自由です。
個人の自由意志におまかせいたします。
神様のみ前において小さなものであることを承諾すること、神様の救いのみ業に隠れた存在として協力すること。
短い祈りではありますが、会によって、また同志たちによって、継続することによって、神様の救いのみ業に協力したいと思っております

メッセージを通して神様を愛するのではなく、メッセージ無しでも神様を愛すること。

いろいろな聖母の出現には意味がありますが、それにより聖母やイエズス様を真に愛するのなら、出現に固執する必要はないと感じます。

私は、一日に一回3つの祈りを祈っていました。

でも、最近、8回ずつ祈っています。

すべての会員の為に祈る必要があると、なにか、背中を押されました。

多分、マリア様だと思いますが。

相変わらずの体調ですが、取り急ぎ書きました。


一つの愛の祈りが一人の霊魂を救う

2018-03-11 21:33:42 | 最も小さい霊魂の会
イエズス・マリア・(ヨゼフ)
我、御身を愛し奉る。
よって霊魂を救いたまえ。

これは、シスターコンソラータが考えた祈りではなくて、イエズス様が私達に言った確約です。

イエズスが一つの祈りを祈ることによって一人の霊魂を救って下さるとおっしゃっているのですから、これをいたしましょう。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 総評

2017-12-24 08:30:43 | 最も小さい霊魂の会


やっとおわりました。
これで年末が越せます。

天において聖コンソラータもきっとお喜びになってくれていることと思います。
本を写メして載せるのではなく、実際に文字を打って載せることは根気のいる作業です。

でも、読んでくれたかたが少しでも神様の事を知ってくれたのなら、それで満足です。
そして聖コンソラータの模範となっている聖テレーズもきっとお喜びになってくれていることと思います。

このあと最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道の前半部分を転記いたしましたのを数日に渡り連載いたします。
主イエズス様の分かりやすい言葉でのメッセージです。
それらはコンソラータを通して、私達に向けられている言葉なのです。
神様の言葉は、難解な言葉ではなく優しくて理解できる言葉でもあるのです。
どうか、優しい神様の言葉に触れてみてください。

きっと神様のイメージが変わるはずです。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 69

2017-12-24 08:24:32 | 最も小さい霊魂の会
最終回

・・・づづき

「時々この小さな病室は、トリノ市の憂き人の慰めなる聖母の小聖堂のように思えます。・・・前にいた病室の皆さんや、看護婦さんたちさえも自分の心を打ち明け、私に祈って下さいと願いにきます。そして彼らが言うには『慰められて』帰ります。私を看護してくださる修道女は、皆が私をそんなに好むことに驚いていますが、わたしこそなおさら不思議に思っています。日曜日のごミサの後、私の病床のまわりには挨拶に来た8人の方が立っていました。」

コンソラータは常に無口の人であり、問われた時だけ話し、折々ただ、微笑みだけで答えた。

光、喜び、慰めにますますイエズスが、コンソラータの中に働いておられることは明らかだった。
死後全ての人の慰め手(コンソラータ)となるというイエズスの御約束が、すでに生前から、その小さな病室で果たされ始めたようである。
†††††††† おわり†††††††††††

これで最も小さい霊魂の会〜コンソラータへの道は終了いたしました。
読んで下さった皆様ありがとうございました。
目の痛さは収まったものの、視力が低下してしまいました。
なので、ちょっとづつ書いておりました。
やはり、最後までやらないのは後味が悪いので😊
今後は気長にやっていきます。

もうシリーズはやれない・・・?ですよね。
また、やめる、やめると言い出しかねないですから。
また書いた時は、ああ、またか・・・と思ってくださいまし😊😊😊。
👁️👁️と相談しながらやっていきます。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 67

2017-12-24 08:20:03 | 最も小さい霊魂の会


・・・づづき

「私は足で立つことができず、毎朝2時間、歯がガタガタして身体中がひどく震えるので、ベッドまでガラガラ鳴ります。10時ごろ、寒気がおさまると熱がどんどん上がって40度となり、氷室から溶鉱炉へ移されたようです。私はイエズスが毎日送って下さることをそのまま受け入れ、すでに覚悟しています。目方はどんどん減ってゆきます。ここへ入院するとき、52キロでしたが、今は46キロになりました。熱は体をどんどん蝕んでいきます。」

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 66

2017-12-24 08:10:00 | 最も小さい霊魂の会


・・・続き
「ご降誕祭に、十字架に釘付けられたイエズスが、私の心にくだり、殉難の頂上に登らせて下さる約束をなさいました。イエズスがそのことを考えて下さいますので、私はただイエズスを愛することだけ考えます。それが私にとって全てです。尊いロザリオを唱えることも人にまかせました。
私はできるだけ自分を隠すように努力し、よく愛しうることの他は何も望みません。モリオンドの修道院の公園の中で、ある夜、イエズスは私に医者の治療を受けない苦痛を忍ぶよように要求なさった事を思い出します。今、あのときのご要求を実行していると思います。それで私は幸せです。・・・神父様、もはや私に残された日は短いのですから、日常生活が与える苦行の機会を有効に使ったほうがいいのではないでしょうか?時々たまらないほど何かがほしく、ちょっと口を開けて言えばすぐに頂けるのに頼みません。それを犠牲にしてその不自由のために、喜んでいます。X'MASに素晴らしいリンゴを一箱頂きました。出来るだけ大勢の人を喜ばせるために、全部人にあげ、私のためには一つもなくなったために喜びました。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

じょばんに 記事

私達、カトリック者の仕事は自分の魂を救うとともに、多くの魂をも救うこと。
救うのは、イエズスさまであるから救うことに協力すること。
世界には、人の命を救うために多くの医者や看護士が働いている。
テレビではそういう番組が放映されていて、見るたびに感謝と敬意を感じられずにはいられない。
この人達の患者たちを間「救いたい」という意志。
それは、この世の限りある命を救いたいという意志。

カトリック者も多くの人を「救いたい」という意志を持っている。
それは、霊魂の救い。
死んでからの行き先のことを言っている。
死んでからの行き先は、変える事ができない。
多くの人によって、このよく分からないこと。
だからこそ、カトリック者が責任を担っているのだとおもいます

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 65

2017-12-24 08:00:35 | 最も小さい霊魂の会


つづき・・・

「・・・私達の部屋は6人になりました。そのうち2人は共産党員です。時々私はこの部屋で孤独を感じますが、私がこの部屋にいることは神のおぼしめしであるという考えに強められ、神の御手から直接この境遇をいただきます。初金曜日に聖心が恵みの勝利を得たもうのを見て私は大変喜びました。と申しますのは、昨木曜日に共産党の2人を含めた6人が全部告解し、今日の初金に皆でご聖体拝領をして日曜日までそれを続けるそうです。みな私を愛してくれて、他の病室から患者たちが私の所に見舞いにくると、「このシスターは私達のものですよ」と言います。毎日午後私たちは揃ってロザリオを唱えます。
」さて、私の霊的状態についてなんといったらいいでしょうか。ご聖体拝領は最も幸福な瞬間で、その時全ての苦しい事を忘れます。イエズスは療養所の生活のために、日課を与えて下さいましたので、それを守るように頑張っています。
それから体の状態は少し悪くなったようです。昨夜熱は39.5、その上絶え間なく咳が出て体全体が強く振動しました。心臓がそれに耐えられず、夜は少しばかり苦しいです。書く力がなくなってしまいました。・・・・」
🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾

昨日夕ミサに行って来ました。(12/9)
今日の聖体拝領は特別なものでした。
拝領した瞬間から全身にイエズス様が染み渡るかのようにジーンとして、不思議な感じになりました。
まるで、体が聖化されていくかのようでした。
私は、聖体拝領のために生きているといってもいいと思います。
決して聖人たちのように、コンソラータのようにではないけれど、多くの思いを胸の中に抱いて、イエズス様を愛する人の1人として生涯受け続けたいと思います。

最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 64

2017-12-24 07:55:37 | 最も小さい霊魂の会


つづき・・・
「この病院で、私は院長先生、医者やシスターがた、看護婦たちの人気者になってしまいました。いいえ、なりすぎているようです。みなが私を甘やかします。私は、いくらか『うき人の慰め』となったようです。みなさんが私に祈りを願いい、心を打ち明けにきますので、どんなにさまざまな大きな不幸の数々を聞いたことでしょう。
昨日美しい20才くらいの女の人が入院してきました。医者の診察後、その人は私に『ああ、こんな病気になったことがわかってたら、鉄道自殺していたことでしょう。』というので、私が『そんなに美しいお顔を持っていらして、まさか本気じゃないでしょうね』と答えました。
あとで、二人きりになった時、その人は子供があるのに主人から捨てられたことを打ち明けました。私は、よく若い母の苦しみと悲しみを理解することができました。
20才でもうすでに失敗するとは・・・・。
私は、1日ずつ日を送っています。あまり心が悲しみに打ち沈んだ時は、翌日のご聖体拝領の事を考えます。毎朝司祭が私にイエズスをもたらしてくださいます。私の心臓は全く悪化して咳をするたびごとに身体中の臓物が全部ひどく振動して逆さまになるようです。それらのすべてを、イエズスと『兄弟たち』のために・・・・」

😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄😄
コンソラータって、とっても愛されていたんですね。
聖徳はまわりの人に香りをはなちますから。
鼻で感じることの出来ない香りをはなちます。


やっぱり、まわりの人もコンソラータは聖なる人だって、なんとなくわかっていったのでしょう。

やっぱり、オーラが出てくるのだと思います。

だからこそ、祈りの依頼があったのでしょう。

コンソラータとて、こんなに苦しむとは思っていなかったと思います。
そしてまた、この20才の女性とて同じだと思うのです。
幸せそうに見えたあの人がまさか・・・ということは珍しくありませんし、また、その逆もありきです。

全てを司る神は、人それぞれの救いのために一人一人に計画をお持ちかと思います。

同じ人生を送る人などあり得ないことです。

私も複数の病気をかかえていますが、それは私にとっては良いことなのです。
幸いなる病気なのでしょうか。
しかしながら、この生きている間に罪の償いが出来ることは幸せなことなんです。
実感はたしかにできません。
でも煉獄に入って罪の償いをすることと比べたら・・・(汗)
たしかに生きているから、病気になることは辛いし、病気に限らず、いろいろな苦しみや試練や誘惑がきます。
でも、未来を心配せずに1日1日を神様に捧げることが、私の使命なんです。
それは、カトリック者の使命でもあります。
簡単なことのように感じますが、時には難しいのです。
間違いや罪を犯します。
その時は素直に神様に謝ります。

今後の予定を書きたいと思います。

また、今日から最も小さい霊魂の会の最後の部分と、過去記事のコピペしたものを何回かに分けてのせます。

それで終わりですかね。
目が悪くなろうが、書くべきものは書かねば・・・。






最も小さい霊魂の会 〜コンソラータへの道 63

2017-11-24 21:20:59 | 最も小さい霊魂の会


死に対する「はい」

数時間後、コンソラータはトリノ市ランソの療養所に入院した。翌日指導司祭に療養所での最初の便りを送った。

コンソラータ
「モリオンドを去る時、私の病気に関して、誰にも責任を負わさないようひたすら願いました。なぜなら責任者こそはイエズスの聖心です! 優しい神が今まで私にして下さった根本的な準備と指導によって、それは明白ではないでしょうか?イエズスこそ私に、『兄弟たち』のため、この十字架をお与えになったのであり、私はこの十字架の上で死ぬでしょう。・・・あす、治療に耐えられるかどうかを試みる注射を打って頂き、だめなら、治る見込みのない患者たちのために、トリノ市サン・ルイジ病院へ移ります。モリオンドの母様は、いろいろな栄養物を下さいましたが、おそらく全部食べることが出来ないでしょう。そんなに心を込めて下さったものを拒むことも、また私ひとりだけで食べることもできません。病院でも例外をせず、いつも修道院の皆さんと同じように!」


病院の料理も食欲のないコンソラータにとって多すぎた。

コンソラータ
「殉難を続けましょう。食物を一口食べるごとに、霊魂を救いましょう。」

😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞😞
数ヵ月前、自分は歯が悪いため、ものを噛むごとに激痛が走った。
食べるという事が普通のことではなくなっていた。
だから、コンソラータと同じように、「一噛みごとに霊魂を救ってください」とイエズス様にお願いしていた。

本当に普通の事が普通でなくなり、また、他の人が普通にしていることが自分には出来ない寂しさは身に染みてわかるようになった。
しかしなが、イエズス様のためにこの苦しみを捧げることで慰めも頂いている。
聖ヨブのように、神様から恵みをたくさん頂いたのだから苦しみも頂いたこう。
たくさんはいらないですけれど(笑)😓