必読!人生を豊かに生きる!あんな人達のこんな日々

年齢の壁を乗り越え常識を打ち破る!新感覚の若さを手に入れた者達の日々を綴る。
そこに浮かび上がる自成道とは!

出来なくなるレベルへ進む

2017-06-18 20:30:18 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
爆発的な打ち方で打突しようとすると、身体の内部から生まれる力を使うので、

動き出しでいきなり打突をすることが可能になり、打突対象との間に距離を必要としません。

これが出来ることの戦いでの優位性については既に述べましたが、

これができる為には身体の内部の力を高めることとそれを外へ発する感覚を掴むことが必要で、

それがないうちは例えばミット打ちのような稽古もあまり手応えを感じられず不完全燃焼に終わってしまうかもしれません。

それに対してオーソドックスな打ち方は、自由に伸び伸びと打てるのでミットの音も心地よく響き、

爽快で満足感を得られる稽古が出来ます。

だから、いくら頭では稽古すべき打ち方が分かっていたとしても、つい体の方がやり易い動きをしようとしてしまいます。

この爆発的な打ち方を体得するための正しいスタート地点に立つ、

つまり、分かっていないが故に出来てしまうレベルから、分かったことによって出来なくなるというレベルに進むには、

この「つい動いてしまう」自分と向き合いそれを抑制するということが厳密に出来なくてはなりません。

オーソドックスな打ち方と爆発的な打ち方の違いについては既に触れました。

一つの動作に対して二つの異なる身体使いがあり、そのうちの一つが出来ないということは、

その筋肉操作のパターンがまだ自分の身体の中に感覚として構築されていないということです。

馴染みのある筋肉操作のパターンを使い続けていたら、いつまで経っても新しいパターンが開発されません 。

これを封印するから「出来なくなる」わけです。

そしてそれは次の段階に進むことを意味します。

いずれにしてもある意味の忍耐を要することは間違いありません。

つづく
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

武道的稽古のもう一つの三段階とは

2017-06-12 12:49:05 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
以前に書きましたが、武道の稽古というものは、まず正しいスタート地点に立てているかどうかということが最初の問題となります。

これは武道の世界に限らず、多くの芸事や伝承されるもので身体感覚を拠り所としているものは全てそうです。

その門をくぐりさえすれば正しい道が無条件に約束されているわけではなく、やはり自ら求め探さなければなりません。

そして、仮にそのスタート地点に立てたとしても、文字通りそこからが本当のスタートですから、まだまだ長い道が続くわけです。

こういったことから、武の長い道を進んでいく過程には三段階あると言われます。

まず分かっていないが故に出来てしまうレベルから始まり、

次に稽古の本質が分かり、理想の動きと自分の動きの違いを認識することによって逆に出来なくなってしまうレベル、

そしてそれを乗り越えて本当の意味で出来るようになるレベルというのが最後にきます。

これは武道の世界でよく言われる守、破、離とは少し違う尺度かもしれません。

正しいスタート地点に立つこととは、ここでいう一段目から二段階目に進むところに相当します。

さて、前回打ち方の比較としてオーソドックスな打ち方と爆発的な打ち方についてそれぞれの長短をみました。

オーソドックスな打ち方は、普通に身体を動かせる人なら誰でも出来る打ち方です。

そして、とりあえず今持っている自分の力を最大に発揮することもできます。

しかし、相手と戦うということは単純なパンチ力の競争ではないので、

どうやったらそれを当てることができるかというところの技法にも目を向けなければなりません。

もう一つの爆発的な打ち方には、その点が備わっていると言えますが、

その身体操作自体が難しく、日々の稽古を地道に積んでいかなくては体得出来ないものです。

このようにみると、争力を養成し爆発力を高め、それを技として使うという稽古は、

先述した三段階の道をそのまま通っていくようであり、武道的な意味における正しいスタート地点に立てているのではないかと思います。




つづく
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

爆発的動きの特性

2017-06-05 13:13:05 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
力や速さを出そうとするときの動きについて考える上で、

二つの対照をなすオーソドックスな動きと爆発的な動きを、打つという動作のなかで比較してみます。

オーソドックスな動きというのは、自分の動きに対して何らかの訓練、もしくは特殊な環境によって習慣化されたものがない、

いわゆる普通の動きで身体操作という点では凡そ誰でもやる動きです。

そのような普通の状態で「打つ」という動作をしようとするとほとんどの場合、

最速で最大の力が最後の方に来るようなタイミングで打つ打ち方になります。

これは空手の試し割りなどでもよく見られる打ち方なので想像してもらえば分かると思いますが、力という点では確かに大きな破壊力があります。

しかし初動の部分は比較的ゆっくりで軽い状態にあり、そこから次第に加速し力が入っていくので、

初動のところで相手に反応されてしまうとその破壊力も発揮できないという欠点があります。

(この初動の部分にいわゆる「気配」というものがあり、それは戦いの知覚力が高い相手には察知されてしまいます。)

また、いわゆる質量×距離の原理で力を生むため、陸上競技の投擲(とうてき)や跳躍種目で助走が必要なように、

相手との空間に一定の距離を必要とします。

一方、爆発的な動きというのは前項で触れたように、争力感覚を養成する目的の一つであり、そのための稽古を積むことによって高められる動きです。

そして爆発的な動きで打つと、初動の部分にいきなり最速で最大の力が出ます。

打突動作の後半部分では既に打ち終わって脱力し始めており、打つ前のリラックスした状態、つまり、またいつでも打てる状態に戻っています。

打つための距離をとる必要がなく打突ポイントが短いので動きは必然的に小さくなります。

そして、前述の気配というものがあまり出なくなり相手が反応しにくくなるため、当たる確率は高くなります。

しかし、身体操作という点で前者よりも難易度は高く、爆発的要素の低い身体使いしかできないうちは、

打つための距離の短さがそのまま威力の弱さとなってしまい十分な戦力とはならないという問題があります。

つづく
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

争力 その5 ー爆発的な動きー

2017-05-29 09:22:15 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
争力という力は意念で全身を包み込むことによって養成され、

意念は特定のイメージ活動を伴った動きによって生み出すことができます。

そのイメージについては既に一つの例を紹介しました。

争力を養成することの武的な意味を理解するには、

実際に自分の中に生じる感覚と様々な対人稽古のなかでの自分のパフォーマンスを観察し確認していくしかありません。

意念によって全身に争力感覚が行き渡ると、身体中にある種の束縛感が生まれ、

同時にそこから解き放たれようとする躍動感が出てきます。

従って、この束縛感覚が大きくなるのに比例して躍動感が潜在的に蓄積されていき、

それが飽和状態に達したときに爆発的な動きが起こります。

つまり、争力養成の一つ目の意味はこの爆発力が高められるということですが、

その場合更に、爆発的な動きの意味、有効性について理解しなければなりません。

爆発的というとき、それは速さと力が具体的な要素となります。

私達は誰もが例外なく、関節の伸展と屈曲、筋肉の緊張と弛緩を繰り返すことによって動いているわけですが、

ある瞬間に速く動こうとしたり、力を出そうとしたりするときの動き方は一様ではありません。

それらには主に対照をなす二通りがあるのですが、

それぞれの動きについて戦いのなかでの一長一短というものを理解しなければなりません。

つづく
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

遅ればせながら、私も合宿の感想を。 (vol. 8)

2017-05-25 12:40:46 | エム氏の見つけた宝物 -私の自成道日記-
年一度になりますが、時津先生にお会いできるこの合宿を楽しみにしています。

合宿では、毎年多くの感動と学びがあります。

しかし、今回は、反省すること多し。

正直 自分に「ガックリ」来ています。

それは、相手を前にして、攻められない自分の存在。

よく、足がすくむと言いますが、なぜか足が動かないのです。

技を試すために、二人一組になります。

攻防を決め、相手を揺さぶり、虚を作り攻めるという練習です。

単純に考えれば、相手は攻めてこないわけですから攻めればいいのですが。

相手が「強い」と思うと、思うように足が動きません。

攻めてもすべて動きを読まれています。

アタマではわかっていても、カラダが動かない。

ますます動けないという悪循環。

この部分こそ、ダイナミックな組手への入り口です。

ここが、自分が長い武道人生を歩む、ターニングポイントであるとよくわかっているだけに、情けない。

帰って、いろいろ考えました。

剣道では、守・破・離と言いますが、「守」を破り離の世界へ入って行こうとする

認識も、鍛錬も足りない、そのような練習を意識してやってこなかったと強烈に反省しました。

しかし、見方を変えれば、今後の課題が明らかになったという意味で収穫の多い合宿でありました。

合宿では、皆さんそれぞれの立場での参加。夜の会合での率直な意見交換。

毎回いい刺激を頂きます。励まされます。ありがたいことです。

今回も、時津先生、押領司先生をはじめ仲間の皆さんには、大変お世話になりました。

感謝申し上げます。来年の合宿には少しでも進歩した自分をお見せできるよう、日々の練習に精進いたします。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加