必読!人生を豊かに生きる!あんな人達のこんな日々

年齢の壁を乗り越え常識を打ち破る!新感覚の若さを手に入れた者達の日々を綴る。
そこに浮かび上がる自成道とは!

ご挨拶

2018-01-10 19:30:53 | 前進あるのみ!JISEIのKEN

新年、明けましておめでとうございます。

ご挨拶、遅れまして失礼致しました。

去年は週一で必ずブログをアップするということを自分に課し、果たして本当にそれが出来るかどうか自分自身を試してみました。

思いついたことを自由に書いたので、まとまりに欠け読みづらいところも多々あったかと思いますが、

一応、自分としては決めたことをやり遂げることができたので一区切りつけることが出来ました。

今年は、魅力溢れる自成道の素敵な皆さんにまたそれぞれの視点から、「人生を豊かに生きるあんな人のこんな日々」を綴って頂ければと思います。


皆様にとりまして素晴らしい年でありますようお祈り申し上げます。


自成道の皆様へ、

今年もより多くの人達に元気と優しさを振舞って頂きたいと思います。

そのための大きな力を求めて、今年も一緒に楽しく稽古して行きましょう!

押領司 健
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初心者から見た剣道 その3

2017-12-26 11:30:42 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
さて、打突の有効なポイントを面、小手、胴、突きに限定している剣道の勝負形式のなかで技を磨くことの意味について、

私の拙い体験から実感し考えたことは、この制限と拘束があるからこそ、逆にその中でしか研ぎ澄ますことの出来ない感覚を伸ばすことなっているのではないかということです。

その中でしか研ぎ澄ますことの出来ない感覚とは、一言で言えば「間合い感覚」です。

恐らく、剣道で身につく間合い感覚は、他のどの武道よりも繊細で精密なのではないかと思います。

安易に飛び込むと、それは見切られるか余裕を持って応じ技で返されてしまい、今度はそれを踏まえ十分に引きつけて打とうとすれば、

待ちすぎて既に相手の打ち間に入られてしまい、やはり打たれてしまいます。

早すぎず、待ち過ぎず、的確に自分が打てる機を捉える必要性は、他の分野の勝負でもあると思いますが、

特に剣道の勝負における間合いの重要性は、勝負を制するための要素としてかなり大きな比重を占めます。

剣道で限定されるているのは、実は有効打突ポイントだけではありません。

竹刀の剣先から中結いまでの「物打ち」と呼ばれる部分が当たらないと一本と見なされないし、

当然ですが、ただタイミングで相手より先に当たればいいわけではなくよく言われる、気、剣、体が一致した打ちでなければならず、

そのために打つ動作そのものもある程度限定されています。

ただ遠くへ速く飛び込める身体能力に長けているだけでは、1メートル2,30センチの竹刀の向こうにある相手の打突ポイントに向かって、

これだけの条件を満たした打突を決めることはできません。

相手の意識の虚を捉え、追い詰めて、飛び込む前に「打てば必ず当たる」という状況を作る必要があります。

それは必然的に間合いに対する感覚を研ぎ澄まし、精密化させていくことになります。

従って、剣道が強くなる、ということは自成道的に言うと、戦いにおける間と拍子の次元での攻防に長けていくということになります。

自由度を高くした勝負形式では、チャンバラのようになってしまい、こういった繊細な間合い感覚を身につけることは難しいと思います。
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初心者から見た剣道 その2

2017-12-18 13:08:52 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
剣道の形式のなかにある動きは、現代の生活様式を基盤にしている武の動きと比べると、いくつかの自由が拘束されています。

更に、勝負を決する有効打突ポイントを面、小手、胴に限定していることによってその自由度はより一層狭められ、

その点が剣技の現実から遠ざかっているとしてしばしば批判の的となっています。

形式的なことをどこまで踏襲し、どこまで現実に根ざした技の追求をするか、その間に生まれるジレンマというものはどの武道にもあります。

剣道にとことん打ち込み絶えず剣道のことを考えている人から、このような問題点を指摘されると説得力があり、

私もいろいろと考えさせられ、いい勉強になります。

しかし、少しかじった程度、または全くやりもしない人がこういった批判にいとも簡単に便乗してしまうのには閉口してしまいます。

今は、武道、武術、格闘技を趣味程度に嗜んでいる人の方が昔のどんなに優れた達人よりもいろんな情報を得ることができる時代です。

人には、知っていればあたかもそれができる人かのように振舞おうとする傾向があり、つい安易に分かったようなことを言ってしまう人がいますが、

情報はあくまで情報であって、その量が武のレベルを示しているわけではないし、それを許さないのが本来武の厳しさです。

今に生きる私達が武を志す場合、そのことを肝に銘じなければならないのだと思います。

細々とではありますが、剣道の稽古を始めてからいろいろなことを学んでいます。

まだまだこれからの話ですが、それらは確実に私の取り組む素手の領域における技も豊かなものにしていきます。

そして、その豊さとは、剣道がむしろ面、小手、胴に限定された勝負形式であるが故に得られるものでもあるのです。
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初心者からみた剣道

2017-12-11 16:45:36 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
一年半程前に剣道を始めました。

とは言っても稽古に通える時間が限られているため、本当に細々と続けていて上達も覚束ないのですが、少し剣道について触れて見たいと思います。

剣道では利き側に関わらず、竹刀を持つ時の手は常に右手が上で左手が下になります。

これは、昔武士が左側に帯刀していたことに因るのだそうです。
(左腰から刀を抜き構えまで到達するとき、右手が上になった方が無駄のない動作になります。)

そうであるならば、今は生活様式も昔と異なりほとんどの人が洋服を着ているし、そもそも帯刀もしていないわけですから、

剣による格闘術の発展、進化ということだけを最優先にした発想で剣道というものが存在し続けてきたとすれば、

そのなかにある技術論も時代の変遷と共に絶えず変化し続けてきたはずです。

つまり、左手が上になる発想も当然出てきただろうし、今日ある剣道の常識とは凡そ相容れないような動きが沢山生まれてきていたことでしょう。

実際、今の剣道の状況が出来上がる前のある時点までは多くの技法があり、

剣術というカテゴリーには無数の流派が存在しているのはその名残りとみることもできます。

しかし、一方でもし剣の技法が乱立するような状況になっていたとしたら、

今日の剣道のように武道を代表する一つの明確なカテゴリーとして確立されていなかったかも知れません。

剣道は単なる一つの竹刀競技として独立的に存在しているのではなく、

昔の日本人の生活様式のなかの所作を再現しようとする伝統文化としての属性を持ちます。

剣道を長い間稽古している人は、自分が剣道をやり始めた頃のことをもう覚えていないかも知れませんが、

相対化できる観察力がある程度高まってから剣道を始める人にとっては、ある種の異空間へ飛び込んでいくような感覚があります。

袴姿や防具、礼節、そしてあの独特の奇声などの全てが現代においては非日常であり、

対峙している相手がときどき能や歌舞伎の演者と重なってみえることもあります。

このような印象を持つのは、まだ私が剣道というものを外側から見ているからなのかも知れませんが、

剣道の達人になると間違いなく武士というものを想像させるような佇まいが剣風に現れています。

恐らく、剣道を深めていくためには一競技として取り組むのでは不十分で、こういった剣道のあり方を感覚的に理解する必要があり、

それが技の習熟の度合いに応じて深まっていき、知らず知らずのうちにこの異空間に溶け込んでいくことになるのだと思います。
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構えなき構え その三

2017-12-04 14:09:08 | 前進あるのみ!JISEIのKEN
武道の指導に携わる人なら誰でも構えの大切さを説くと思います。

そして、もっとも大切な構えとは「心構え」であると言います。私もそう思います。

ここで問われるのは、それをどれだけ自分の言葉で説明できるかです。

構えということについて私なりの私見を述べていますが、もう少しいろんな角度から考え補足してみたいと思います。

自分の利き側に固定しない方がいいという考え方は、師の教えに基づいて稽古してきたことで実際に私が体感したことが元になっています。

野球で言えば、以前は右打ちだったのがスウィッチヒッターに変わり、それ以来打率が上がったというような変化が私の中に起こったということです。

だから、今更右側だけに固定した構えに戻すと、ある種の不自由さを伴った違和感を覚えてしまいます。

そしてその要因について振り返り、現時点で説明できることについてここに記しています。

私は、素手打撃の領域においてこのような変化を経験したので、

利き側と構えに対するこの考え方は素手打撃の方法において考慮すべき問題なのだと思います。

しかし、左右自在に使い分けるような動きはあまり見られないのが現状です。

それは、長い時間をかけて醸造されてきたそれぞれの競技形式において現実には機能しないからなのか、

単に誰も向き合ってこなかった盲点なのかは分かりませんが、私は今後も左右に固定されない構えなき構えの方法を、実践し磨いていくつもりです。

しかし、他の領域における戦いや格闘技以外の競技、更にはそれらを超えた日常の所作においては、

様々な経緯による事情があり、それぞれの状況の中では必ずしも自分の利き側の問題が重要ではない場合も多くあるでしょう。

このように視野を広げて見てみると構えという問題の本質は、単に右か左か、とか上段か中段か下段か、とかいう形の問題ではなく、

必要なときに必要なところに動ける状態であるかどうか、ということなのだと思います。

さて、「様々な経緯による事情があり、それぞれの状況の中では必ずしも自分の利き側の問題が重要ではない場合も多くある」ものの一つとして

剣道が挙げられますが、次回は剣道について見てみたいと思います。
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