台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ354 藤沢秀行という人知って居ますか

2013-04-17 00:07:38 | 台湾
(ふじさわ ひでゆき、しゅうこう、1925年6月14日 - 2009年5月8日)は、囲碁棋士。本名は藤沢保(たもつ)。その後秀行に改名、本来の名前の読みは「ひでゆき」だが、「しゅうこう」と呼ばれることが多く、「しゅうこう先生」の名で呼ばれていた。
私は、この囲碁の先生に会ったことありません。けど、何か、生き方が似ていると言われ、調べたら、そっくり、同じ。
ギャンブルが好きで、お万個も大好き。酒を飲むと、お万個を連呼する生き方。
本音で生きています。もちろん、囲碁の時は、真剣。
教師でも同じ。
彼は、競輪。私は、オートレース。
何でも本質は、いっしょです。
ただ、中国人の登小平と会った時、あろうことかベロンベロンに酔っぱらっており、「中国語ではおまんこのことを何というのだ」と執拗に絡み、面会は途中で中止となった。
似ているような気もします。子供・大人。
周りの人は、大変です。
奥さんのエビソード。 女性関係も派手で、愛人の家に入り浸って自宅に3年もの間帰らなかったこともあった。用事ができて帰らなければならなくなった際、自宅への行き方がわからず妻を電話で呼び出して案内させたという。
米長邦雄の妻が藤沢の妻を訪ね、米長の妻が「うちの主人は週に5日帰ってこないのですが」と藤沢の妻に相談したところ、藤沢の妻は「うちは3年、帰りませんでした」と答えた。 酒好きでほぼ毎日飲酒をしていた
競輪が好きで、後楽園競輪で250万円を取り、それを花月園競輪で480万円にしたこともある。亡くなる前年には競輪場で転倒して骨折している。年2回の若手育成合宿は湯河原で行われるのが恒例だったが、その日程は小田原競輪の開催日程に合わせて組まれるのが常だったという。
競輪で250万円の車券を1点買いしたが惜しくも外れ、競輪場で観戦していたときに金網を強く握りすぎて菱形にひしゃげてしまい、「秀行引き寄せの金網」としてその競輪場の名所になった。
棋聖戦6連覇の間に、借金のために自宅を競売にかけられたが、「最善手を求めて命を削っているから、借金も女も怖くない」と語った。
似ているところがたくさんあります。
私は、黒岩重吾の生き方。もちろん、若い頃の「我が炎未だに死なず」「どでぼら人生」
が好きで、「我が炎・・・」を持ってきて、もう、何回も熟読しました。ある部分、共通面があります。
ギャンブルに溺れる人は、何か、共通点があります。その日その日を精一杯生きて、明日のことは、考えない。私も、溺れて居る時代そうでした。黒岩も、株で大儲けして、人生が狂い・・・。とこからどろどろの日々。このどろどろが好きで何度も読んでは、俺もそうだ。
ただ、彼には、一つだけ希望がありました。いつか、「小説家」になろう。藤沢さんは、プロの囲碁。みんな希望があり、生きています。
世の中に似たような生き方する人が居るもんだ。と思いました。
 そして、エピソードを読んだ時、腹抱えて笑いました。ま、私も似たような者です。
教え子から、教わった人物です。私は、彼ほど、豪傑ではありません。全然小庶民です。では皆さんも、ギャンブル・女・酒に溺れることなくがんばってください。
                再見。


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