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天使に出会ってから

体と心の変化を見つめて書き留めておきたい

父と一緒に入院した3ヶ月の終わりの日

2005-06-26 12:04:48 | Weblog
僕の父は肺がんで病院で亡くなった

僕は9階、父は天国に一番近い病棟、最上階の癌病棟に入院していた

12階のナースが

「田中さんお父さんの様態が悪くなりました

12階にいらっしゃって下さい、お母様には知らせましたから、」

僕が12階に上がっていった時にはもう父の意識はなかった

足は左右に力なく180度開かれ、呼吸器はつけられ。心蔵だけが動いていた、

僕は父の左右のむくんでパンパンに腫れ上がった足を左右交互に両手で優しく包み込んだ

なぜそうしたのかはわからなかったけれど、そうしたかった、

母と妹が駆けつけきた、目が真っ赤になっていた

ナースと先生は、心臓が止まっているかどうかを確かめにちょくちょく覗きに来ていた、

もうどうすることもできないのはわかっていた

それより僕は父はもう既に死んでいると認識した、、。

心臓がだんだんよわくなってきて

朝8時43分止まった

先生が腕時計でを見て「8時43分ご臨終です」と言った

母と妹はそこで泣き崩れた

僕はなぜか涙がでなかった、、

「やっと開放されたんだね、お疲れ様」と心で思った。



僕は9階、父は天国に一番近い病棟、最上階の癌病棟に入院していた

僕は毎朝、朝食が終わったら、父の病棟へ登っていった、

そして毎日父の写真を撮り続けた

まわりの人達もほとんどが、自分の命が終わる予定の日を知らされている人達だった、

よく本人に告知するかどうかで悩んでいると聞いたけれど

現実は、大学病院に入院すると、そんなドラマチックなことはない

実際、、僕に対する告知も淡々と事務的に行なわれた、、、。

父のカンファレンスでもまだ厚生省で許可が下りていない新薬を使うかどうかの話がメインで、もし

この薬が効けば治るかもしれない、、
この話がメイン、当然効かなかったら、あと3ヶ月と簡単に説明される、まあ合意のもとの人体実験、、。

でも本人や家族は1%の可能性にすがる、

父は僕が入院中に、二回治研薬を変えられた、

(治研薬とはよく考えられた言葉だ、治療の研究の薬、、。)

その度に副作用で辛そうだった、頭はダチョウの頭のようになった、
はたから見ていて一番辛そうだったのが、口内炎だった、水も飲めないほどに痛がっていてた、

母はそれを見ていてある日僕と妹に

「おとうさんが辛いっていったらもううちにつれて帰っていいかな?」

その時までは僕はなんとか父にがんばて欲しいと思っていた

父を一番愛してる母が自分の元から父がいなくなってしまう辛さよりも、

もう父を苦しみから解放してあげようと思ったことに僕は気が付いた、


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mago_oz_war@hotmail.com (mago_oz_war@hotmail.com)
2006-07-06 22:50:37
HOLA CHINO mago_oz_war@hotmail.com
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