甚六ぶらぶら日記

岩手の穀潰し主婦・甚六の覚書

旧覆練兵場と旧陸軍兵舎跡

2008-01-10 21:49:10 | 盛岡散歩

 ↑今宵の月


 最近慌しく盛岡のあちこちを訪れていますがレポートが追いつきません。本も資料もたまっていく一方で消化できず・・・。私は一体誰に課せられた宿題をしているのでしょう???


 先日お伝えした旧覆練兵場(朝日新聞では「旧陸軍第3旅団覆馬場跡」としていました。こちらが正式名称なのでしょう)について、市が国の登録有形文化財に申請する方針を決定しました。以下、1月10日付朝日新聞岩手版より引用。

 覆馬場跡は敷地面積3316平方メートル、床面積1159平方メートル。赤れんが造りで間口約23メートル、奥行きは約49メートルある。屋外の馬場が利用できない冬季や雨の日に、軍馬の訓練に使われた。
 騎兵第3旅団は1909(明治42)年に盛岡市青山に新設され、45(昭和20)年2月の陸軍の改編により歴史の幕を閉じた。今も当時の姿で残っているのは珍しく、北海道旭川市にある同じような覆馬場跡は国の重要文化財になっている。 覆馬場跡は国の所有だったが盛岡市が05年10月に取得した。
(中略)
 覆馬場跡は柱のない広大な空間。平和を願う「戦争記念館」という性格を持ちながら、多目的に利用することが可能な施設として利用方法が検討されている。(引用終わり)

 この建物には四面すべてに出入り口があるのですが、すべて馬に乗ったまま出入りできるような大きさになっているらしいです。
 この施設と、岩手が馬産地だったということは関連があるのでしょうか。

 一方、IGR青山町駅の向かい側にある森永乳業盛岡工場内には築約100年の旧陸軍兵舎跡の木造建築がありますが、市はこの建物の現物保存は難しいとして記録で保存する考えを示したので、今月末の解体がほぼ確実になったそうです。
 現在工場内では新しい建物を建造中で、その完成後木造建築は取り壊すとの掲示が出されています。



 この建物を見るたび、私が通った小学校の木造校舎を思い出します。
 取り壊す前に、内部を一般公開してくれたらいいなぁ、と思っています。