実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

「猫橋遺跡」は弥生時代後期の大きな遺跡です!

2013年06月10日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

 

6月6日(木)の加賀市観光ボランティア大学第5回講座 加賀の古代をウォッチング

-古墳は語るいにしえの加賀-」で、加賀市教育委員会文化課課長の田嶋正和先生

から教えていただいたことをもとにレポートさせていただきます。

加賀市八日市町と合河町にまたがる地域から1955年に発見された遺跡を

猫橋遺跡」といいます。この遺跡は弥生時代後期の広範囲な遺跡で、

「北陸の登呂遺跡」と称されるほど大きな水田耕作を行う集落があったところです。

遺物を通して、山陰地方と交流があったことも認められています。

柴山潟に注ぐ八日市川の下流一帯の沖積平野からは、貝塚や竪穴住居らしい遺構、

豊富な遺物などもたくさん見つかっています。弥生時代後期の土器のほかに、さまざまな

木製品が発見されています。なかでも長さ14cm、一辺約3cmの角棒状品の側面に、

繊細な縦型の流水文を鋭利な刃物で浮彫した木製品は、弥生時代後期のものとしては、

全国的にもまれにみるものだそうです。

古墳時代のムラ←(財)石川県埋蔵文化財センターホームページより

竪穴式建物の跡←竪穴式住居の跡(同ホームページより)

猫橋遺跡」のあたりは今でも田んぼを掘ると水が湧き出るほどの湿地で、食物性の製品が

ずっと「水づけ」のまま保存されるとてもいい条件であったことから、多くの遺品が残されたと

考えられています。

発見された木製品の中には、2000年前の「しゃもじ」や「鍬(くわ)」・「鋤(すき)」といった農具も

あって、「鍬」の作り方などは今も2000年前もさほど変わっていないそうです。ということは、

2000年前の人たちも現代人と変わらないほど、生活の知恵が発達していたことが分かります。

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