隊員NO.7ゆっこで~す(^_^)v
みなさ~ん、加賀市が新潟県新発田(しばた)市と友好都市であることをご存じですか?
加賀市と新発田市は、1584(天正12)年から1598(慶長3)年までの15年間、
大聖寺城主をつとめた溝口秀勝(1548~1610年)が、1598年4月に新発田6万石に
移封され、初代藩主になった縁から、平成3年11月8日に友好都市提携をしました。
新発田市は、新潟県下越地区に位置し、新潟県で5番目に大きい都市です。
人口は約10万3,000人。かつては大聖寺藩と同じ10万石の城下町として栄えました。
↑国指定名勝「清水園」(旧新発田藩下屋敷大名庭園)
いまでも新発田城や足軽長屋など当時をしのぶ史跡や文化財などがたくさん残る
大変美しい田園都市だそうです。
また赤穂浪士の討ち入りで知られる堀部安兵衛や実業家で名を馳せた大倉喜八郎
(鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立)の出身地としても知られています。
そして溝口秀勝が越後の新発田6万石に移封した際に、大聖寺に住んでいた多くの商人や
僧侶、農民たちが溝口秀勝と一緒に新発田へと移ったといわれていて、今でも新発田市には
加賀市にとっても親近感を持っておいでる方が多いそうですよ。
先日わたしたちの顧問の先生が、出張で新発田市を訪問され、加賀市とゆかりがある
お店の写真を撮ってきて下さいましたので、ご紹介します!
「菓子司菊谷」は、大聖寺から移られた方が1613年に創業されたお店です。長らく
新発田藩御用菓子屋をつとめた名店です。とくに400年の間作り続けてきた「御水飴」
は名物で、参勤交代のおりにはこの「御水飴」が大奥で大変好まれていたそうです。
市島酒造の本家にあたる豪農市島家は溝口秀勝が新発田藩主に任ぜられたさい、溝口家に
随伴して大聖寺から現在の新発田市近辺に移住したといいます。現在は七代目が伝統ある
酒蔵の歴史を受け継いでいます。
夏休みの時期です。みなさん、加賀市とゆかりのある新発田市に一度行ってみませんか!