実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

北陸真宗門徒の東北「移民」・新しい社会を求めて!!

2013年12月15日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

12月10日の課題研究の時間に、家山勉先生から浄土真宗とわたしたちとの

結びつき」について教えていただきました。

江戸時代後期、厳しい幕藩体制の中、当時の農民たちは自分の生まれた土地から離れる

ことを堅く禁じられていました。しかし、そのような中で、北陸のとっても多くの浄土真宗

門徒だった農民が、藩の目を盗んで、東北地方に「移民」として移っていった歴史がある

そうです。彼らはなぜ身の危険を冒してまで、東北地方に移住していったのでしょうか?

16世紀末、加賀の農民たちは、徹底的な一向一揆弾圧によって、「侍がえらくて、

農民は従うのみ」という身分秩序に組み込まれていきました。

豊臣秀吉が行った「刀狩り」や前田利家らが行った残酷な「撫(な)で切り」は、

それまで「仏の前ではみな平等」という真宗の教えを心の支えに戦い続けた加賀の

農民の行動に大きな影響を与えたといえます。武器を持つことを許されなくなった

北陸の農民たちは、仏法の説く平等な社会を夢見ながらも、現実社会につくられた

幕藩体制の中で、我慢強くひたすら毎日を生き抜こうとする生活態度を身につけて

いったと思われます

そんな時代にあって、1780年代に起こった「天明の大飢饉」という大災害は、

特に東北地方に甚大な被害をもたらし、東北地方では多くの農民たちが餓死し、

人口が急減しました。そして東北各藩の財政は困窮をきわめていました。

東北の人びとの間では、食料難を解消するため、「間引き」が行われることが多かった

そうです。また一度領地を離れてしまうと、幕府の「旧里帰農令」が出されても、

なかなか人びとが領地に戻ることはなく、農耕地は荒れ果てていました。

そのような状況の中で、東北各藩の藩主たちが注目したのが、北陸の真宗門徒の

農民たちだったのです。真宗の教えから「間引き」という習慣を持たず、長男以外には

土地の相続が許されなかった中でも、我慢強く働き続けるという北陸の人びとを

東北に移住させて、藩の財政を建て直そうという政策が実行されたのです。

北陸真宗門徒の東北移民がとくに顕著に見られたのが、今の福島県南相馬市一帯に

あった陸奥中村藩だったそうです。教線拡大を図った真宗僧侶の動きとも関係しながら、

幕末までに約1万人もの北陸の人びとが移り住んでいます。

家山先生は、ここに北陸真宗門徒のもう一つの側面があらわれていると言われました。

「一向一揆の終焉によって、北陸の百姓たちが権力者の前に、ただただ従順な民に

なっていたとしたら、藩の決まりを破るという危険を冒してまで、東北に行くことは

決してなかったはずですよね。北陸の百姓たちは、『百姓の持ちたる国を作りあげた

ときと同じように、江戸時代になっても自分たちが理想とする"みんなが平等な新しい社会"

を作り出そうという夢を持って、遠い新天地に旅立つ決意をしたのではないでしょうか。」

東北に移り住んだ北陸の真宗移民たちの前には、痩せた土地との激闘や「加賀者」

「越中者」「入百姓」と呼ばれるような差別との戦いがあったそうです。しかし彼らは、

理想社会の実現に向け、ひたすら新天地で働き続けたのです。

このような北陸の真宗移民たちが多く移り住んだ福島県相馬地方に、2011年3月11日、

東日本大震災にともなう大津波が襲いました。そして福島原子力発電所から放出した

放射能により、北陸の真宗移民をルーツにもつ相馬地方の人たちは、住み慣れた

故郷を奪われ厳しい避難生活を余儀なくされています。

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