きままな旅

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2016/2/12 名古屋市の史跡散策路(瑞穂区・南区)を散策しました。

2016-02-14 | 尾張文化の会

2016/2/12(金)名古屋市の史跡散策路(瑞穂区・南区)を散策しました。
 地下鉄名城線の瑞穂運動場東駅で下車、瑞穂区、南区を約9km散策して名鉄本笠寺駅より帰宅するコースで見学して来ました。
山下通交差点の道分け地蔵

 道分け地蔵
あゆちの水(伝承地) 
・尾張の名水の一つといわれ、万葉集で詠まれている小治田の年魚道の水はここであるという説があり記念碑(歌碑)と井戸がある。『 小治田(おわりだ)の 年魚道(あゆち)の水を 間(ひま)なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子(わぎもこ)に 我が恋ふらくは やむ時もなし』(13-3260)
・藤原師長の伝説
あゆちの水記念碑や石製の井桁がある付近は、藤原師長がこの地で京都をしのびながら琵琶を弾いていたという伝説がある師長町です。
   
入口の道標   案内板   石碑   井戸
大曲輪貝塚(おおぐるわ)
・縄文時代前期の貝塚を中心とする遺跡で数の部落が集まって、生活の良い環境にあった。
  
案内板   貝塚   瑞穂スタジアム
下内田貝塚(しもうちだ)
・縄文時代後期の貝塚とされる。
 
   案内板     貝塚
瑞穂古墳群(みずほこふんぐん)
・第1号古墳(豊岡小学校校内)第2号古墳(南児童遊園北)第3よ4号古墳は消滅です。
  
案内板  第1号古墳  第2号古墳
◇瑞穂運動場前の交差点を200m西に天聖寺とその西は津賀田神社がある。
亀獄山天聖寺(てんしょうじ)曹洞宗
創建は享保2年8月(1717)、秋葉山円通寺十四世活水昇竜禅師の開山と伝えられている。門前には付近の路傍にあった石仏が並べられている。
 
   山門     門前の石仏
津賀田神社(つがたじんじや)
・仁徳天皇を祭神に天照大神を祀り、神殿は古墳の上に建っている。
    
 入口   神殿   案内板
亀井山龍泉寺(りょうせんじ)曹洞宗
・行基の開山と伝えられている。また、かつては津賀田神社の神宮寺であった。
・亀井の水
 源頼朝の誕生地であるという逸話があり、表門脇の亀井水は、頼朝が産湯の水に使ったと伝えられている。亀井の名は津賀田神社社守(亀井忠太夫)の屋敷が近くにあった。
   
門前   山門   案内板  本堂
  
 案内板    亀井水(柵部分)   石碑(左に頼朝公産湯の井の刻印)
藤原師長謫居跡(ふじわらもろながたっきょあと)
・太政大臣藤原師長公は、平清盛により井戸田の地に流された。
・嶋川稲荷(名古屋市瑞穂区)の境内にある尾張配流時代の師長の屋敷跡とされる
・師長は出家し理覚と名を改め、琵琶の名手で琵琶を弾き自ら慰めた地と云われる。
  
 入口    案内板     石碑
◇井戸田やくし道標を過ぎ、山崎橋を渡り旧東海道に入る。
   
山崎橋の右岸石標    左岸石標
安泰寺(山崎城跡)浄土宗西山禅林寺派
・境内は、信長の家臣佐々木信盛の居城「山崎城」の跡地にあたり、東西約45mの南北約56mで、三方が崖で囲まれた城砦の地でした。現在は西側の崖下を名鉄電車が数多く通っています。
  
 山門   案内標示  本堂
白毫寺(びゃくごうじ)曹洞宗 
・元亀2年(1571)の創建。昔、このあたりは、あゆち潟と知多の浦を望む勝景の地で、旧「年魚市潟」展望地の名勝として現在も西南方向が開けています。
・年魚市潟勝景跡
 奈良時代に至り持統天皇が三河国へ行幸遊ばされた時、高市連黒人も随行し『桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし 鶴鳴き渡る』(3-271)の歌もその時に詠んだと云われています。
また、『年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 知多の浦に 朝こぐ舟も 沖に寄る見ゆ』(7-1163)という歌もあります。
・愛知の語源で「あゆち」は、「あゆち潟」に由来する言葉で愛知の語源となって、瑞穂区師長町の近くまで、「あゆち潟」が広がっていたと云われる。
  
 案内標示  山門   本堂
   
案内板   石碑(年魚市潟勝景)    句碑(年魚市潟 潮干・・・・)
◇東海道・鎌倉街道(白毫寺の前えを通り東海道に出て更に鳴海方面へ)の道標まで戻り東へ向かい、環状線の桜本町4交差点を西へ500m進む。

石標(東海道・鎌倉街道)   
村上社
・境内には、幹回りが約10.8m、樹高が約20mで樹齢は千年といわれ巨大なクスノキがあります。この樹は、船人の目印になっており、かつては舟をつないだと伝えられています。
・高市連黒人(たけちむらじくろひと)の詠んだ詩を久松潜一(愛知県東浦出身の国文学博士)氏の自筆による『櫻田へ たづなきわたる あゆちがた 志ほいにけらし たづなきわたる』(3-271)の歌碑が建てられています。
   
案内板  正面  クスノキ  歌碑
八幡社
・八幡社は創建不詳です。
・桜田貝塚跡は、見晴台遺跡のすぐ北側に位置し、弥生後期に掘られた濠の中に形成されたものです。
・桜田勝景跡に桜田へ飛ぶ鶴を詠った歌碑がある。
『桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴き渡る』(3-271)
   
入口    参道     拝殿
   
 案内板  石碑  石碑(八幡社の名古屋十名所) 石碑(山田幼稚園入口)
 ※名古屋十名所(2015の写真を思い出し貼り付けてみました<東区山田>)
大正13年ごろ旧中日新聞が選定した名古屋十名所(熱田神宮、名古屋城、笠寺観音、◇櫻田勝景、◇山田元大将之社、他)
  
案内板  石碑  石碑(櫻田勝景)
◇見晴台遺跡の前を通り抜け笠寺西門交差点を通り名鉄本笠寺駅より帰路についた。                    以上

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