随喜功徳 (逆のものさしをもってみませんか)

黙々と穏やかにさり気なくおまかせする

20171226

2017-12-26 06:28:32 | 日記


そうやって俺は彼らと一緒に生きている。
彼らと二度と会えないのだという事実上と
折り合いをつけながら生きている。
それは、悪いことではないと思う。
いや、あえて言わせてもらえば、今の世の中が殺伐としているのは、そういう感覚が喪われてしまったからでもあると思う。
世界は目に見えるものだけでできている
わけではない。自分というあ存在がここにあるのも、気の遠くなるような過去から延々とつづく生と死の連鎖の結果なのだ。
・・・・・・
ただ彼らへの感謝の気持ちだけは忘れたくない。
彼かが死んだからといって、彼らとの絆までか断ち切られたとは思いたくない。
だから俺は仏壇に手を合わせる。一日のうちのほんの僅かな時間ではあるけれど、・・・

超思考
北野 武著



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手を合わせる。子供の頃から仏壇の手入れ
だとか手伝ったのを思い出します。
今も続く。昔は自分のために、近頃は
まわりへの感謝が中心になってきた。
武さんの言うことわかる気がする。なにも特別なことではなく。




20171225

2017-12-25 06:58:51 | 日記


私は淋しい人間です
・・・
自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味あわなくてはならないでしょう。
「こころ」
・・・
そこで味わわざるをえなくなった「淋しさ」とはどういう感情のあり方か。

日本思想の言葉
神、人、命、魂

竹内 整一著
Seiichi Takeuchi
store@dokusume.net



・・・・
淋しさとか辛さとか、孤独感のような感情の
根っこは、思い込み、怒り、悲しみなど
あると思います。何年か生きてそれらを直視した経験を恩返しに活かせたら しあわせに
変わるんじゃないかという イメージはございます。




20171224

2017-12-24 10:07:24 | 日記


In this there is something of the Zen method
of tragning , which consists in personally experiencing the truth whatever this may be,
not appealing to intellection or systemic theorisation..

ここに禅の鍛錬法の一風変わったところがあるのだ。それは真理がどんなものであろうと、身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬということである。

Zen and Japanese Culture
Daisetz I. Suzuki
Translated by Momo's Kitagawa

対訳 禅と日本文化
鈴木大拙 著
北川桃雄 訳



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Rockだなあ。 読んでてワクワクするなあ。
Rockは私の中で哲学的な要素が大きいので
読んでいて背骨で通じるものを感じますと
もう、ワクワクがとまらない。Ok, Let it loud!
jajaja! :-)
Merry X'mas and a Happy New Year!







20171223

2017-12-23 07:44:01 | 日記


・・・念仏三昧の"花"が開くときに、はじめて聖なる霊性というべきものが自身のなかに、"精"として入ります。その霊妙にして不可思議な霊感が霊の胎となるのです。・・

法然上人の真髄
現代語訳 山崎弁栄講述
store@dokusume.net



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美しい言葉づかいとか、表現が楽しい。
日々の積み重ねによりなりたっているのだなぁ。。



ありてなければ

2017-12-21 12:39:17 | 日記



そうしたところでは、当然のことながら、
これまで通用してきた意味するやもくてき、また秩序(社会)形成への意力といったものは削がれ、突き崩されてしまいます。
自分の存在理由が、自分の生きている秩序
(社会)からうまく説明できなくなってしまう
からです。その意味でのニヒリズム・・・・・

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ニヒリズムってこういう場面で使うのですねえ。
そして、うまく説明できないことだらけ
なのです。