7月8日(土)に恵み野教会親睦会として、鶴の湯温泉に行ってまいりました。
朝、教会に集合しバスに揺られること一時間、その間には讃美歌を歌ったり、バスの中から大盛り上がりでした。
そして鶴の湯温泉に到着後、早々に昼食の時間となり、中にはビール片手にお昼を楽しむ方もいました。
昼食後は自由時間です。
温泉でのんびりする人もいれば、さっさと上がって周囲の散歩をする人もいれば、ハーモニカの練習をする人もいれば、バードウォッチングをする人もいる。とても自由な時間でした。
そして最後はカラオケ大会という名の、牧師夫人のカラオケコンサートになりました。
牧師夫人の歌う松田聖子で大盛り上がり、アンコールまで飛び交いました。
最後は皆で「青い山脈」を歌い、寂しさを覚えながらも鶴の湯温泉を後にしました。楽しい楽しい、豊かな交わりのひと時が与えられました。
土曜日ということで、新任牧師は「説教が出来上がっていない」という悩みの中にありましたが、信仰の大先輩であるマルティン・ルターの言葉に励まされたと言います。
「私がここに座って、美味いヴィッテンベルグのビールを飲む。するとひとりでに神の国がやってくる」
ヴィッテンベルクではなくサッポロのビールではありましたが、神の国を感じながら、楽しいひと時を過ごしたそうです。
さて、
7月9日(日)聖霊降臨後第5主日の礼拝報告です。
本日の聖書箇所はマタイによる福音書9:35~10:15。
イエス様の中心的な教え(5-7章)と行為(8ー9章)が記された後、そこから得た喜びを携えて弟子たちが派遣されていく箇所であります。
しかし、派遣に際して弟子たちには厳しい命令が与えられました。それは「何も持って行ってはならない」というものです。
旅に必要だと思われるものを何ももっていけないというのは非常に不安だったでしょうし、怖くもあったでしょう。
しかし、この御言葉から伝えられるものは、本当に必要であるのはただ神への信仰のみということでしょう。
私たちは意外にも、いろいろなものを頼りにしています。それがなくなってしまうところに、恐怖を感じてしまいます。
金銭であったり、身の回りを便利にする道具、大切な人、健康な身体。それらがすべて必要不可欠なものとなり、いつの間にかそれを失うことがとても怖くなる。
しかし、私たちに必要とされているのは信仰、ただそれだけなのです。
私たちがすべてを失うようなことがあろうとも、それでも、主が共にいてくださる。そのことを覚えて、そこに身を寄せられるとき、そこには目に見えるものは何もなくとも、確かに豊かであるということができるのではないでしょうか。
私たちが心から、その言葉を言うことが出来るとき、そこはまさに天の国と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。
きっとその境地に至るのは困難でありましょう。不可能といってもよいかもしれません。それでも、私たちはそうなれるようにと祈っていきたいのです。なぜなら、イエス様は力強く言われたからです。「天の国は近づいた」と。
祈り求めていきましょう。
次回の礼拝予定です。
7月16日(日)聖霊降臨後第5主日 9:00~
司式説教:中島和喜 「心配性な私たち」
次週礼拝後、「讃美歌練習」「聖書の学び」があります。「聖書の学び」はガラテヤの信徒への手紙6章です。
ぜひ教会へお越しください。