--Katabatic Wind-- ずっと南の、白い大地をわたる風

応援していた第47次南極地域観測隊は、すべての活動を終了しました。
本当にお疲れさまでした。

夜間氷上輸送(2)車両

2007-01-05 | 南極だより・作業
昭和基地WEBカメラ リアルタイム画像のカメラ3が直っていて嬉しいです。
カメラ1と2はときどき動くけれど、3と4は全くの定点カメラですよね。
カメラ2では「しらせ」に目を奪われてしまうのですが、南極大陸のスカイラインも見ることができます。
そういえば昨年の3月にブリザードで凍り始めた海氷がガバッと持っていかれて、開水面が見えたときにも、この位置になっていました。
桃色に染まる大陸を眺めていたのを思い出しました。
それでは、渡井さんからの南極だよりです。
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2007年1月4日(木)晴れのち曇り 夜間氷上輸送(2)車両

昨晩ほとんどのリターナブルパレットとスチコンを運んでしまったので、今日の氷上輸送のメインは車両が主だ。
前日運び残したスチコン8個の後は、KC型雪上車7台、トラッククレーン1台、SM50型雪上車1台、
そしてブルドーザ1台を運ぶ。
ブルドーザ1台を除いて他の車両は日本で廃棄される予定だ。

KC型雪上車はもはや原型をとどめていない。
が、その姿は長年放っておかれた寂しさと、南極で天寿を全うした誇らしさが半々に混じって、複雑な思いを抱かせる。

#原型を留めていないのは、使い込んだからではなく、風化しかけていたからかな。

#クレーンで吊って「しらせ」のおなかの中に収まる

トラッククレーンはJARE28で導入されたもの。
走行系は大丈夫だが、肝心のクレーンが壊れてしまっていて用を成さないのだ。

#残念なことに、志半ばで帰還することになってしまったトラッククレーン

SM509Sはキャビンの塗装も剥がれ、使い倒された感が強い。
デフはいかれてしまった他のSM50に付け替えため外され、その時キャタピラも外されてしまった。
しらせまではほとんど底板で支えられて引っ張られる形になる。
SM50SはSM100Sが開発されるまでは大陸の主役であった。
大陸上で縦横無人に走り回っていた姿を思うとなんとも切ない。
現在はHIAB付きに改造された509を除いて、SM518以降、522までの5台しかないことになる。
昭和基地にある雪上車の中では最も好きな形式だ。

#こちらは使い込まれて引退

車両の運搬方法は単純だ。
迷子沢で橇の上に載せられた雪上車やクレーンは、ブルドーザで見晴らしの荷揚げ場まで引っ張ってくる。
荷揚げ場ではブルをKC型雪上車の乗った橇の後ろにつけ、押し出す感じで橇を押し出す。
氷上に泥をなるべくつけないための工夫だ。
トラッククレーンやブルは、ブルで海氷上にまで出て橇を出す。
氷上輸送の最後だから、それほど泥を気にしなくてよいのだ。
その後は雪上車でしらせまで引っ張っていく。
KC型雪上車はSM40Sで、トラッククレーンとブルはSM518で、そしてSM509Sは最新型のSM601Sに牽かれて、しらせに向かっていった。


ブルは日本に帰っても廃棄されないらしい。新天地で活躍して欲しいですね
このブルは持ち帰りのブルではなく、運搬に使われた現役のブルだそうです。
で、持ち帰るブルは修理されて戻ってくるかもしれないらしいです(持ち帰るブルの写真は取り忘れたのだそう)<1/6修正>


-----1月4日本日の作業など-----
・氷上輸送(SM413で見晴らし<>しらせ)
・フラスコ梱包&マーキング
・サンプリングメモコピー
・CH4計47<>48交換
・CO2, CH4, CO, O3濃度分析システムチェック
・CH4計48機リニアリティチェック

<日の出日の入>
日の出 なし  
日の入  なし  
<気象情報>
平均気温0.8℃
最高気温4.9℃(1237) 最低気温-3.2℃(2354)
平均風速3.9m/s
最大平均風速9.9m/s風向ENE(0450) 最大瞬間風速12.7m/s風向ENE(0442)
日照時間 23.2時間

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ボロボロになった雪上車は昨年3月「昭和基地案内 その3」の写真を送ってもらったときに、かつてはどんな姿で走り回っていたのか思い描いたことがありました。

#使い捨てられた雪上車が道路脇に残されている
今回は、それでは飽きたらず、どんな雪上車だったのか調べてみました。
でも、それがなかなか出ていないのです。
KC型雪上車はいくつかあるようで、ふじ船内に展示してあるKC20-3S(車体に「1」と書いてある)は第一次南極観測隊で使われたもののようです(西堀氏著書の「南極越冬記」の写真を一生懸命に見比べてみたので、間違いないと思います)。
そして昨夏の「ふしぎ大陸南極展2006」でKC40が展示してあったと図録に出ていたけれど、どうも記憶にないのですよね。
SM25Sは確かにあったのだけれどな・・。
どちらにして持ち帰りのKC型雪上車はすっかりつぶれてしまっているので、どれなのか区別が付きません。
ただ「28」と番号が見えるものがあり、第一次で持っていった1-3の番号を考えると、28台目の雪上車ということなのかな、と思いました。
人は毎年入れ替わるけれど、雪上車や重機(他のものもだけれど)は、何年も越冬するのですよね。
今では、使えなくなったもの、年月を経て引退するものはすぐに持ち帰りますが、かつての雪上車や重機は置き去りになったものが少なくないと聞きます。
雪上車は南極点旅行をはじめとして、大陸、海氷上を移動し、たくさんの物を運び、そのままベッドや食卓にもなるという、観測隊にはなくてはならないものとして活躍してきました。
雪上車に会うと、傷や塗料の剥がれたあとなどが勲章のように思えるのです。
昨年末、南極観測50年の企画展や講演会にいくつか足を運び、3次隊の映像を見る機会に恵まれました。
3次隊では「宗谷」から基地までの輸送にヘリコプターを使った初めての隊だということでした。
驚いたのが、赤い車体の雪上車が赤いヘリコプターに吊られて下りてくる場面(当時のヘリコプターは今よりももっと小さかったということもあって、かなり高い技術を要したのだと説明されていました)。

これらの雪上車や重機は南極でたくさん働いたあと、帰りは海氷上を運ばれて「しらせ」に載り、ふるさと日本に帰ることになります。
いや、彼らのすでにふるさとは南極昭和基地になっているかもしれませんね。
氷上輸送を終えた隊員さんにも、南極での仕事を終えた力持ちの雪上車、クレーン、ブルにも、心からお疲れさまを言いたいです。

「しらせ」と荷揚げ場の位置はここをクリックして確認できます。
一度昭和基地を離れた「しらせ」は12月末に再接岸したため、もう少し北にいるようです(昨年の位置と書いてあるあたりだと思う)。

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