裏・じぇいど♪の日記

あっ・・見つかっちゃった!別にたいしたこと書いてないかもよ?

☆じぇいど♪にとっての9/11 その1☆

2007-05-01 19:30:03 | Weblog
唐突ですが、急に書きたくなったので(^^)。
じぇいど♪がずっと触れられなかった部分なのですが、
なんの心境の変化でしょうね?

あと数ヶ月でもうすぐ6年にもなろうとするんだよね。
2001年の9月11日の「あの日」。
多くの人にとってそうであるように、あの事件はじぇいど♪に
とっても精神的に大きな転換期だったのです。

じぇいど♪の住んでるのは西海岸。だから、直接現場に
いたわけじゃあありません。舞い上がるコンクリートの砂塵の
中を必死で逃げ惑った経験を直接した人たち、家族や友人を
失った悲しみを経験した人たちからくらべたらそのインパクト
なんてほんの微々たるものなのでしょう。

でもね。じぇいど♪が今こうやって表ブログ「なにが見えてる?」
を書くようになったはじまりは、たぶんここから、だったのですね。
「本当の世の中のしくみ」を探し始めたきっかけだったから。

あの日は朝早く、日本の親友からの電話で始まりました。
じぇいど♪が寝る前までなーんでもない平和なおしゃべりを電話
でして、「おやすみ」を数時間前に言ったばかりの友人が血相を
変えた声で電話してきたのです。

「じぇいど♪大変だよ、寝てたでしょ?戦争かも!!
すぐTVつけて!!」

2機目の飛行機がツインタワーにつっこんだ直後の電話でした。

1機目が追突したときは、まだ皆事故だと思っていましたよね。
でも、2機目が突っ込んできたということは・・・あきらかに
なんらかの意図がある。

とりあえず、みんなを起さなくっちゃ!と、2台の携帯と家の
電話の3台を駆使して、おとーさんの仕事関係や地元の
あちらこちらに連絡を取り始めました。
殆どの家庭ではまだ起きてもいない時間。

事態を把握するために、いろんなTVチャンネルのニュースを
見て情報を得ようとするのですが、あまりの事態に何が起こって
いるのか報道する立場の人たちも混乱している様子。
また、ここはアメリカ。報道には規制がかかっているのか、
日本でどんどん報道されている情報が電話で入ってくるのに対し、
同じ映像が繰り返し流れるだけで、新しい情報が
入ってきません。

日本では「全部でハイジャックされたのは11機。
そのうち何機かは他の空港に向かっている可能性。
可能性が大きいのはロサンゼルス空港」

・・・って、逃げなきゃじゃん!!!

あとでわかるのですが、実際にハイジャックされた
4機のうち3機までがロス行きだったのです。


しかし・・・どこに?

うちからロスの空港まではわりと近く。
空港全体が被害に合うほどの爆発でもまあ、
すぐに家が吹っ飛ぶような距離じゃあないですが、
交通はもちろんマヒするでしょう。

飛行機は止まるだろうから、日本には逃げられない。

でも・・・戦争、となったら、あたしはこの国の人じゃあない。
なにが起こるかわかったもんじゃない。
この地域がどうなるかもわからない。

とりあえず何が起きてもいいように支度だけはしておかなきゃ。
ということで情報収集をつづけながら、貴重品と
パスポートと子どもたちのオムツや着替えを
リュック一つに詰めて用意。

当時6歳だったちゅまは学校を休ませて、
2歳のももちゃんとおうちに。

そのうち11機あると思われていたハイジャック機は誤報、
全部で4機で、あと2機のうちの一機はペンシルベニアに墜落、
一機はペンタゴンに突入した、という報道があったこともわかり、
事態もかわってきました。

まあ、逃げなくてもよさそうだね。と、とりあえずは安心。

「何が起きてるの?」とたずねるちゅまに、
かいつまんで状況を説明しました。
戦争というコンセプトはもちろん、国という概念、
政府という概念、宗教というもの、そういう基本から
説明するはめになりましたが、不思議なことに教えれば
ちゃんとわかって的確な質問が帰って来る。

ああ、こんな小さい子でも、教え方を工夫すれば、
一見難しいことでもちゃんと理解できるんだ、
とその時に認識を新たにしたのをおぼえています。


その日学校は結局ほぼ休校状態になったようで、
何も知らずに子供を送り出してしまった親は
すぐにUターンして迎えに行ったり。

しかし、翌日には「普通に学校は開けます。子供たちの
精神的な平穏のためにも、学校には登校させてください。
何が起こっているかは一切教えず、TVも見せないでください」
とそういう指示が学校からありました。

そして、すぐに街中には星条旗があふれはじめました。

何が起こってるか一切教えないの???
じぇいど♪はすでに教えてしまったし、
街中が異様な雰囲気に包まれて緊張してるのに、
その理由も説明しないのか?子供たちは知りたがってるぞ?

へそまがりなじぇいど♪は、ちゅまにわかる限りのレベルに
噛み砕いて「学校では話さないように」と厳命した上で、
図解しながら教え続けました。

ちゅまによると、学校で何かが起こってることを知っていそうな
子は大きい子でもあまりいないみたい、
でも何が起きてるの?とみんな疑問に思ってお互いに聞いて
確かめようとはしている、とのこと。

数日後、学校ではPatriot Songとよばれる愛国心たっぷりの
歌を子供たちに教え始めました。
州知事を招待して記念式典をやり、子供たちに歌を歌わせ、
募金を集めて犠牲者の遺族に届けよう、という主旨でした。

子どもたちは星条旗のTシャツや、赤・青・白の服に身を包み、
星条旗模様の車で乗りつけたカリフォルニア州知事の前で、
ニコニコと笑顔でアメリカ国家への愛を歌い上げました。

その姿にみんな感動しこそすれ、
うすら寒い軍国主義的な雰囲気を感じていた人
は私の他にいったい何人いたのでしょう?

式典が終わっても子供のあそびも絵も服装も変わっていきました。
大人が指示もしないのに、いたずら書き程度の絵にも、
星条旗とハートばかり。

そしてI love my country. America is No1. I love America .
そんな言葉が書き添えられていたり。

服は、星条旗の入ったものや、迷彩柄の服が流行しはじめ、
口ずさむのはPatriot Song。
通っていたダンス教室の発表会のナンバーも衣装もすべて
それで統一されました。

うすら寒いものは感じるけれど、それを止めるわけにはいかない。
なぜなら、外国人排斥の雰囲気が始まっていたから。
非白人が、排斥される側にならないためには、
店先に星条旗をかかげ、車に星条旗をはためかせ、
星条旗のTシャツをこれ見よがしに着なければ
安心して歩くことができない。

そういう雰囲気の街になってきてしまったから。

ちゅまも同じように影響されていくのを、じぇいど♪は
複雑な思いで見ていました。

つづく


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
覚えてます。 (とりあっこ)
2007-05-04 11:05:23
この日、母が東京から遊びに来て
姉のお店で飲食後、タクシーに乗って帰宅中、ラジオで飛行機がビルに衝突と流れてました。

帰宅し23:30頃、TV付けたら、飛行機がビルに突っ込むシーンが流れて「な、なに?」
同じシーンが何回もリピートされてました。

福岡は飛行機が低空飛行するので飛行機見る度に恐怖を感じてました。

視覚による効果はてきめんですね。
簡単に恐怖を刷り込めるんですから。


観てました・・・ (maplehunnupooh)
2007-05-12 23:07:00
こんばんは。
覚えています、2機目が突っ込んだ瞬間。
たまたまチャンネルを変え、
あれ?ビル?何で煙出てるの?
ドラマ、じゃないよね・・・と旦那と話していたら
あ、飛行機?え!?
と思っているうちに、新たな煙が・・・!!!

ただただ衝撃で。
涙も出ませんでした。

その後何度も何度も、2機目の瞬間や、人が落ちていく様子がテレビで流されました。
観れませんでした。顔を背けていました。

その時、じぇいど♪さまはそちらにいらしたんですよね・・・

ほんと、うすら寒い (ぺりどっと☆)
2007-05-17 05:11:12
日本にいる私でさえ、「強いアメリカ」「世界のリーダー国アメリカ」それが脅かされることへの恐怖と嫌悪感…みたいなものを、当時のアメリカから感じていました。

あの事件で亡くなった方々やご遺族の方々に対しては、本当に心が痛むし、慰めの言葉も何も見つかりません。
でも、そこから生まれる異様な空気。想念の波。
そっちの方もこわかったです。

「波長の法則」という言葉もありますが、戦争意識が戦争を呼ぶのです。力で支配しようとする意識が腕力を引き寄せるのです。

かつて、日本国内が日の丸の旗であふれ返り、「神国日本!」と皆が心を一つにした時期がありましたが、星条旗やハートマーク、「I love my country. America is No1. I love America .」などの言葉が国中にあふれ返るアメリカ…。同じです。

国家VS国家であろうと、宗教VS宗教であろうと、人が人を殺してはいけないのです。誰かに奪われてもいい命なんて、一つとして無いのです。
どんな大義名分も、肯定できるものではありません。

じぇいど♪さんは、そのアメリカの中で、お子さんを学校等に通わせながら、日々の生活を送られていたのですものね日本を含め他の国に住む人々のように、テレビの画面の中の出来事ではなかったのですものね。