Mensajes a Japón? Gracias Isabel

2011-03-25 | Folklore
東日本大地震で大切な家族や友人や家を失い避難所生活をされている方、未だインターネットはもちろんテレビやラジオすら見れないかもしれませんが。私は余震と原発事故におびえながらも幸せに生きていますがTOUTUBEで元気をもらったので紹介します。チリのフォルクローレ歌手イサベル・パラの3月16日のライブです。多分日本での大地震のニュースは彼女へも届いていたはずです。祖国チリの軍事クーデターや海外亡命生活など幾多の苦難を乗り越えてきた彼女からの被災者への愛のある力強いメッセージが歌に込められていると感じます。たとえ勝手な思い込みであっても構いません。
http://www.isabelparra.cl/

Isabel Parra en Francia, Corazon maldito


Isabel Parra en Francia, La carta


Isabel Parra en Francia, Parabienes al revés


Isabel Parra en Francia, Cueca del libro, Malaya de amor


地震日記は後半へつづくの予定でしたがあまりに文章力がない為、見苦しいので中止します。

東日本大震災より1週間 NTTフレッツ光復旧(文章修正)

2011-03-19 | Weblog
地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。
津波などで亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
(3月11日)地震発生
茨城県北部では震度6強の揺れだった。
いや4階にいたので実際はもっと凄かったに違いない。
3月11日金曜日は日立市でケーナサークルマユの練習中だった。
一息いれようとメンバーみんなでコーヒーとお菓子で談笑中のことだった。
ユサユサ、あれ地震かな?
だんだん揺れが大きくなっていく。
このまま収まるよね?
いや収まらないぞ。
揺れはどんどん大きくなっていく。
コーヒーのカップはひっくり返り、ケーナや譜面が容赦なくコーヒーまみれになる。
これはヤバイぞ!何か落ちてくるかもしれないからテーブルの下に隠れねば。
でもテーブルにつかまっているだけでやっと。
身動きできない程のゆれは全く収まる気配がないどころか大きくなってくる。
ガサガサ、ガチャガチャという壁かなにかが落ちているような音。
電気が消える。
このまま建物ごとつぶされてしまうのではという不安と、恐怖。
死ぬなんて嫌だ。俺は絶対に死なない!地震なんかに負けてたまるか!
という気持ちがとっさに浮かぶ。
ようやくのことで揺れが収まり、呆然としていると2回目の地震が。
楽器は置いて貴重品だけ持ってみんな早く外に出よう!
みんなで通路に出ると防火扉が閉まっている。
あれー閉じ込められた?
エレベーターは当然止まってる。
防火扉を他の人が手で開けてくれた。
必死で階段を降りるとようやく外の広場に大勢の人が集まっている。
するとまた地震。
地震速報をiPhoneで確認する。
なんと宮城県の震度7を最高に東北から関東まで震度5以上の数字。
大変なことになった。東京も凄い状況だろう。
自宅が心配で電話するも、全く通じない。
公衆電話も通じない。
余震も続けざまに起こっている。
家に帰らねば。
もう一度4階に上りこぼれたコーヒー漬かった楽器と譜面などを撤収。
みんな家が不安なので早く帰ることに。
帰宅途中はあちこちで崩れた石塀だらけ。
奇跡的に家屋は瓦屋根も落ちず無事だった。でも部屋の中は倒れた物でぐちゃくちゃ。
もちろん停電。電話は固定電話はもちろん携帯も通じず。防災無線で断水の知らせがある。
水道もまだ出ているから浴槽に非常用水として満タンにする。かなり濁っている。
夜になるぞ、ローソクと懐中電灯を用意。
定期的に来る強い余震。
ローソクの明かりとラジオだけが情報源の不安で眠れぬ夜。
幸い灯油ストーブと灯油の買い置きが十分にあったので暖はとれるし、お湯も沸かせた。
カセットコンロとボンベカセット3個はケーナの竹をあぶる為に常備してあるが、まだそれは使わないことにする。
なんだかソワソワして眠れない夜。
(3月12日)2日目
翌日防災無線で緊急給水の場所を知る。
一度も使ったことのない、20L入りの白いポリタンクを持っていった。
以前から気になってた銀色の巨大なタンクは、こういうときのために水の備蓄をしてあったのか。
給水の列に並んで給水してもらう。一人5リットルまでだという。家族の人数分だけというが20リットル入れてくれた。
後で知ったが、一人5リットルという量は近隣の市町村よりもかなり恵まれていた。20kgって結構重い。
ラジオではショッキングな津波の被害が報じられる中、なんとなく1日がすぎる。
2晩目も余震続きのローソク生活。
停電、断水、固定電話、携帯電話通じず。情報源はラジオだけ。あ、ケータイのワンセグ見れるかも?
運良く妻のケータイにはワンセグがついていた。こんな時にワンセグが役にたつとは予想外。
小さい画面ながら、津波の被害を報じるテレビを見る。さらに事の大きさを実感。
まだまだ余震がつづいて眠れない。
(3月13日)3日目
余震で寝不足ながら、妻の日立の実家と連絡がとれず心配なので車で出かけることにする。
給水所に寄っていくが、かなり並んでいて時間がかかりそうなので後回しにして日立方面へ向かう。
国道が激しく渋滞している。通行止めのルートがあるので迂回しながら到着。
義父、義母、義祖母の3人とも無事。家屋の被害もほとんどなく一安心。
飼い猫の子猫が地震でビックリして出て行ったきり戻ってこないという。
近場に湧水があるというので義父に案内してもらう。日立は山と海が近く山麓なので湧水に恵まれている。
山超えのルートで帰る途中、よく知られた湧水の場所には車が多数並んでいてかなり待たないと水汲みができないように見えた。たまに携帯電話を確認するが圏外のままだ。
うちに戻り、しばらくすると電気が復旧した。電気のありがたさを知る。
さて、これでインターネット繋げると喜び勇んでみるが、全くうんともすんとも。あれれ、モデムが壊れた?
電話の受話器をあげてもプーという音がしない。フレッツ光のモデムを確認するとプロバイダに接続できていない。
設定をやり直してもだめだ。というわけでNTT固定電話の故障だということを認識するのに何時間もかけてしまった。
電気の復旧でSoftBankのiPhone3GSでのネット接続は復活。
電気の戻ったので明るい夜だったが、テレビを見るほど津波の被災地への想いに気持ちが暗くなる。
仙台の知り合いは無事だろうか?祈るような気持ちになった。
(3月14日)4日目
翌日、また給水に出かけようとすると、ガソリンも残量少ないが、なんとバッテリーの警告が出ていじゃないか。
ああーこりゃまずい。
どこかでバッテリー交換できるだろうか?とりあえずだめもとで国道沿いのオートバックスへ向かう。
国道は渋滞しているので、迂回路で向かうがなんと国道へ出る道ですら大渋滞でまったく動かない。
それはガソリンスタンドへ給油に向かう車の列だった。
仕方なく遠くに車を止めて、オートバックスの営業状況を確認しに。
店は開いていた。電気は来ているようだが店内の商品が落下した物などを整理しきれていない状況だった。
自車適応のバッテリーが買えることがわかり一安心。渋滞の車の列に並んでようやく到着。
商品に損傷がないか念のため確認して下さいとのことで、問題なさそうなので交換してもらいホッとする。
給油ランプが点灯しているので、また渋滞に並んでガソリン給油することに。
6号国道反対車線上り方面のなかには福島県ナンバーの車がたまに見かけられる。
ガソリンスタンドまで100mくらいしかないのだが、ガス欠したら大変なので、まめにアイドリングストップしながら30分くらいかけて給油完了。一人3000円までなので給油できたのは20リッター程。
午後からもうすぐ中学生になる息子の学生服受け取るために、ひたちなか市へ向かう。
ガソリンスタンドが渋滞している。アイドリングストップ励行で向かう。
被害の状況が日立近辺よりひどい気がする。地盤の関係かもしれない。
店舗の建家ががひどく崩壊して危険なため、隣の幼稚園を借りているという。かなり古く鉄筋ではなく木筋コンクリート構造だったためダメージが大きかったようだ。息子の学生服を購入して帰路またガソリンスタンド渋滞にはまる。
ついでにもう少しガソリン補給することにする。なんとレギュラー品切れ、ならあきらめるのではなく選んでいる場合ではないと判断しハイオクを給油することにする。こんなガソリン高騰なのにハイオクというのは仕方ない。リッター155円で満タン30リットルちょっと。カード決済できて助かる。
これでしばらく不要な外出は避けてガソリン温存し自転車生活に切り替えるべしと思った。
まだ断水が続き風呂に入れなので体を拭いて早めに就寝。

後半へ続く。