プララより移行 イズマイヤー

プララより移行して来ました。
今後とも宜しくお願い致します。

石廊崎の旅

2006-07-22 12:51:38 | 旅行

前にも何度か来た事が有るが、家から車で4時間ほどで着いた。 伊豆半島の最南端の岬で、石廊崎灯台そして青い海と断崖絶壁の岩肌は見ごたえがある。この時は台風の後だったので岩肌にぶつかる波の迫力を感じた。

この中で釣りを楽しんでいる人達がいた

駐車場から岬へ向う道中の脇に咲いていた花も綺麗に咲いていた。

     


竹採公園(竹取物語)

2006-07-08 13:39:05 | 旅行
最後に寄ったのが竹採公園で、ここも観光案内に住所を尋ねてカーナビにセットして行って来た。
「竹取物語」は、童話で語られる物語で、竹取の翁と竹から生まれたかぐや姫の物語を、富士に伝わる「竹取物語」として、ここに紹介されていた。



公園内は、あまり広くはないが手入れが行き届いていて、この一角だけ緑が綺麗だった。
また、この時期は、竹の生長が早くすくすくと伸びていてた。

 



曽我寺(曽我兄弟の仇討ち)

2006-07-01 21:53:43 | 旅行
富士に行った時、観光本に曽我寺が載っていたので観光案内へ電話をして、曽我寺の住所と電話番号を聞いた。住所が分かったので早速カーナビにセットして行ってみた。ちょっと探したが看板を見つけ辿りついた。観光客、見学者は誰もいなく我々夫婦がけだった。今時、仇討ちは縁遠い感じで、現代は裁判で処理される、でも裁判の判決も疑問視される事もあるが。
仇討ちで一番思い出すのが、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の仇討ち、次が曽我兄弟の仇討ちではないか。


曽我兄弟の仇討ちとは、伊豆の河津桜で有名な豪族、河津祐泰が工藤祐経に殺された。その後富士の裾野で工藤祐経を、曽我十郎(兄)と二歳年下の弟五郎によつて仇討ちをはたした。

 
では何故、曽我姓なのかは父が殺された後、母が曽我祐信と再婚したため曽我兄弟となった。