#BGM:「元気です」(吉田拓郎)
もう閉鎖を決意したブログではありますが、今年のこの1日だけは例外とさせて下さい。(年内には完全に消去させたいと思っています。)
あの事件の第一報を聞いたのは、今からちょうど10年前の1998年10月29日午前6時のこと。
あの時の衝撃は一生忘れないし、あの時から徐々に判明した事実の数々については何年経とうとも絶対に許しません。
けれど、
あれから10年経っても、いろんなところへ行っていろんな夢を見て、三ツ沢をはじめとしたスタジアムで様々な人と会う日々を過ごせていること。心から感謝しています。
ハッキリ言って、今の横浜FCというクラブは市民クラブではありませんし、このクラブがフリューゲルスと名乗るのも今となっては違和感があります。
ですが、
「三ツ沢」で「青と白」のカラーを持つ「フリエ」という愛称のクラブがしっかりと存在していること。こんなに嬉しいことはありません。
こうして、全てを奪われたわけではなく、しっかりと存続されているのですから。
フリューゲルスからずっと応援している人もいれば、横浜FCになってから応援している人もいるし、その逆にフリューゲルスがなくなったことでスタジアムから離れていった人もいますが、その人達1人1人の熱意がなければ今日まで過ごすことは出来なかったことだけは間違いありません。
「フリエ」に携わってきた全ての人達に心から感謝します。
激動の10年でした。
そして、喜怒哀楽、様々あれども、その全てが良き思い出であり誇りに思える日々でした。
でも、最も長く携わってきた人であっても、その期間は、まだ、「たったの10年」。
これからもみんなで素敵な歴史を作っていきましょう。
「三ツ沢」で「青と白」のカラーを持つ「フリエ」がいつまでも続くためにも。
もう閉鎖を決意したブログではありますが、今年のこの1日だけは例外とさせて下さい。(年内には完全に消去させたいと思っています。)
あの事件の第一報を聞いたのは、今からちょうど10年前の1998年10月29日午前6時のこと。
あの時の衝撃は一生忘れないし、あの時から徐々に判明した事実の数々については何年経とうとも絶対に許しません。
けれど、
あれから10年経っても、いろんなところへ行っていろんな夢を見て、三ツ沢をはじめとしたスタジアムで様々な人と会う日々を過ごせていること。心から感謝しています。
ハッキリ言って、今の横浜FCというクラブは市民クラブではありませんし、このクラブがフリューゲルスと名乗るのも今となっては違和感があります。
ですが、
「三ツ沢」で「青と白」のカラーを持つ「フリエ」という愛称のクラブがしっかりと存在していること。こんなに嬉しいことはありません。
こうして、全てを奪われたわけではなく、しっかりと存続されているのですから。
フリューゲルスからずっと応援している人もいれば、横浜FCになってから応援している人もいるし、その逆にフリューゲルスがなくなったことでスタジアムから離れていった人もいますが、その人達1人1人の熱意がなければ今日まで過ごすことは出来なかったことだけは間違いありません。
「フリエ」に携わってきた全ての人達に心から感謝します。
激動の10年でした。
そして、喜怒哀楽、様々あれども、その全てが良き思い出であり誇りに思える日々でした。
でも、最も長く携わってきた人であっても、その期間は、まだ、「たったの10年」。
これからもみんなで素敵な歴史を作っていきましょう。
「三ツ沢」で「青と白」のカラーを持つ「フリエ」がいつまでも続くためにも。