ふろしき王子のブログ
使わなくてもよいから、
ふろしきをバッグに入れとこう!
きっと役立ちます。
 



流してよくないものは、体にもよくない。

人は、自分の生活と環境問題を別に考えやすい。
暮らしやすさは環境に負荷をあたえ、環境によい暮らしは
不便なことになると。

しかし体というもの自体が、生きている環境そのものであり、
体内の機能は大自然の循環の仕組みに等しい。

強力な界面活性効果を持つ合成洗剤は、皿洗いがはやくて便利かも
しれないが、分解されにくく、流れた先の生物の粘膜や
細胞膜の脂質を壊し、本来の生態系を破壊する。

そしてそれは、無関係な川の中だけのできごとではなく、
使う人の体において同じことが起きている。

皮脂をさらい、しみこんで細胞を壊し、体にダメージを与える。

その影響には個人差があるが、アトピーなどでバリアのない人には
痛烈なものとなる。

自覚できる困難の生じない人であっても、
体の奥底では、暗くて冷たくて、かなしい何かが
進行していく。

環境に負荷を与えない選択をする生き方は、どこか遠くの
森の動物を守るといった利他のこころにとどまらず、
自分自身の健やかさに直結しているのだ。

あらゆる自分の行ないは、自分ごとになる。
誰かのための行動も、最も恩恵を得るのは自分なんだ。

それは、自己満足とか、お礼や感謝といった分かりやすい
ものを超えて、もっと細かな、見えない反作用として
深く温かく、ゆっくりとしみ込んで、生涯の骨子になる。

あらゆる対象は自分自身とイコールであり、
親切は偽善じゃなくて、自分を大切にする
当たり前の道理となるし、

誰かを傷つけ、他人の犠牲によって
自分がしあわせになるということは、不可能である。

同じだけのダメージが返ってきて、知らんぷりしておっても
内なるハートは傷ついていく。

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僕はメモ魔ゆえに忘れっぽいので、
物理的な見える化をしておかないと、抜け落ちる。

何かを持っていくことを忘れないようにするには、
通りみちの真ん中に置いて、歩けばぶつかるように
しておけば忘れにくい。

また、様々な小物たちも、全部見えるようにしておけば、
必要性を感じるための確認がしやすいので、
片付けの極意は、きれいに収納するだけでなく、
しまったものが分かるようにすることだ。

これは、お店の商品の陳列にもいえる。
聞かれてから取り出すことができても、
まずは店に置いてあるかは、視覚的に判断されるので、
全商品が分かりやすく目に入るとよい。

人の場合は、服装で、何をしている人だかを判断されやすいが、
逆に、たかをくくられる可能性もある。

頭が坊主で、野球のユニフォームを着ていたら、
野球少年と判断されるだろうが、実はバイオリンの名手であっても
野球以外の関心は持たれにくい。

もし、野球のユニフォームを着ていながら長髪であれば、
逆に天才プレイヤーであるとか、何か他の才能がありそうという
興味を起こさせるかもしれない。

分かりやすいようで、どこかを外すのは
氣になるきっかけとなる。

ハイハイ、またあれでしょ?分かったわかった。とは言い切れない、
あれ?というふしぎ。

さような意味では、スカートの丈の短い女学生は問題です。

セーラー服等の制服は、学業に専念する身分であり、
色めきたる大人の女性ではないという情報が発信されて、
それが身を守ることにもなるはずなのに、

矛盾するように短いスカートでは、かえってギャップによって
目立つ存在となってしまう。

で、日本では既に生徒の制服自体が、むしろ性的な魅力を響かせる
アイコンという逆転現象が常態化してしまっている。

だから、落ち着いた普段着を着ていたほうが、
かえって目立たなくて安定するのかもしれない。

ともあれ、未成年のスカートは長いほうがよい。

髪もありのままに、黒くて長いのがよい。

成長期は、人為的なおしゃれに偏らず、自然素材に
守られながら、心身の基礎を培う季節なのだ。

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今朝はよく冷えておるのじゃが、
マナツに種まきしたのらぼう(菜っぱ)は今月入ってから
ぐんぐんと成長してきた。

じっくり、ゆっくりと、寒さに慣らしてくるから、真冬も
乗り越えられる。
これが、秋めいてからの種まきでは
大きくならないままに冬を越すため、菜っぱを収穫しづらくなる。

さて、こんな寒い朝なれど、近所の川原の浅瀬に、
白と黒の鳥がたっくさん集まっている。

チュウサギやカワウであろうが、毎年、時おり見る光景。

土手には、カメラを携えたおじさまたちがぽつぽつ。

この場所だけに何らかの餌が集結してるとも考えにくいので、
この群れは、真冬に向けた鳥たちの作戦会議集会なのかも。
または多勢で囲む漁のかたち?

横目に、今日は横濱さ向かっている。
南武線はほぼ多摩川沿いかな。

環境汚染を解決する装置のメンテナンスに協力している。

実は、横濱と神戸は下水道の汚染が大きい。
それは中華街があり、油をそのまま流す店も少なくないのだ。
さらに、街が古いから、下水道は合流式で、大雨の日は
トイレの排水も油の塊も、近くの川へ直接排出される。

だから、横濱の街を流るる川は、灰緑色をしていて、
これが流れ込む東京湾も大腸菌が見つかるから遊泳できない。

汚染物質は、ケミカル(合成化学物質)と有機(炭素化合物)があり、
前者の洗剤や薬剤は直接生物の細胞を壊すが、
食用油など食品廃棄物は栄養のかたまりで、水中のプランクトンが
異常にふえて酸欠を起こし、魚や小動物の死へつながる。
比較的浅い位置でプランクトンがふえるのが赤潮。
一方、海底のヘドロの微生物が酸素を消費し、その酸欠の水が
潮の流れで上昇し、巻き込まれた生物が犠牲になるのが青潮。

確かに、川や海には自然の浄化機能があるけれど、
今はその許容範囲を超えている。
流す内容が不自然だから、結果もバランスが壊れている。

何でもかんでも、水に流してしまう感覚はいかがなものか。

アメリカなどによくある、台所のディスポーザーは、
生ごみをミキサーのように粉砕し、そのまま排水として流すのだが
これも、栄養のかたまりなので、直接川へ入れば汚染が生じる。

濡れた生ごみを燃やすのは燃料コストがかさみ、
不完全燃焼はダイオキシン等の有害物質を生むから、
生ごみは下水に流したほうが環境によいという見方もある。

だけど、魚の骨や野菜くずやピザの残りをドロドロにして
台所から流すという発想が、解せない。

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今夜、風呂敷の新しい結び方と出逢った。
「背中ぶくろ」と命名しよう。
簡単だし、きっと昔に誰かが結んだものと思われるが
子どもがよろこびそうだし、
肩が暖かくて荷物もはこべるから、なかなかよいかも。
次回、どこかの講座でやってみたい。

それと、今後考えているのが、街歩きふろしき講座です。

放浪歴37年の私が、特に馴染みある上野や浅草の
観光ガイドには載らないような楽しい裏道や
スポットをぶらぶら案内しながら、要所要所で役立つ
風呂敷のむすび方をお伝えするというリアル実践講座?
のような感じで。

荷物が重ければ楽なはこび方、風の冷たきゃ防寒具のむすび方、
というように。

浅草~三ノ輪編、上野~日暮里編、鎌倉~江ノ島編、
明治神宮~表参道編、三ノ輪~巣鴨編、日野~八王子編、等々。

みなで歩きながらの、風呂敷のある旅はぜったい楽しい!
来年から毎月開催しようかな。

土曜あるいは日曜日で、息子も連れて行こう。
いつもブログをお読みいただいているみな様とも
会ってみたいので、どうぞよろしう。

参加者には、道中つかう風呂敷大小つきにします。
大風呂敷は僕がパッチワークで縫ってきます。

何が起こるか分からない、ふろしきの旅を、ともに楽しみましょう。

言いっ放しで、忘れないようにしないと。

写真は小1の息子の作ったクリスマスリース。
輪は葛のつる。杉葉や松ぼっくりは、グルーガンで
付けたようです。
僕は個人的にグルーガンはあまりすすめなかったのだけど、
彼のやりたいようにまかせました。

僕は元の材料に戻せる作り方をするので、
ひも等で結ぶほうが好きなんですよ。

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風呂敷講座で、ちょこちょこ小学校へおじゃましているが、
僕の時代と違うのは、校内にビオトープがあること。

根っからの生きもの好きなので、ビオトープもスキスキスーだけど、
なんとなくピンとこない感覚もあった。
それは、たいていのビオトープが、人の暮らしや周囲の自然との
密接なつながりはなく、その場の箱庭世界にとどまっていることだ。

睡蓮鉢ひとつでも、中に微生物→植物→動物の
食物連鎖的な循環があればビオトープと呼ぶので、
ただスケールの問題なのかもしれないが。

それでも、周囲の暮らしや環境との融合と循環がなければ、
金魚池の表面的なアレンジにすぎない。
大切なのは仕組み。

たとえば、学校の手洗い場からの排水を引いて水場をつくり、
そこにアシが生えていて、メダカが泳ぎ、
底は防水シートで遮断しておらず、水は大地にしみこみ
地下水になる、という大きな環が結ばれていてこそ
真の環境教育になり得る。

自分が流したものが、巡りめぐりてくる法則が、見える化する。

僕も元々、豊かな生態系をとり戻したくて風呂敷をはじめたので、
こういう思いを、たとえばブログだけでなくたまに小冊子に
まとめて、講座後に結び方のレジュメと合わせて配るとか、
それを半年や1年ごとに更新して、過去の参加者へ
レターを送るなどの
「融合と循環」を取り入れるべきだな。

家庭でビオトープを作るなら、台所の下の管にもう1本分岐させ、
バルブによって庭への排水にも切り替えられるようにする。

眠くなってきたので、つづきはまた今度。
実際にやってみよう、やっているという志ある方は
教えてくださいね。

現代においてよりよいあり方へと、智恵を出し合い
つながっていきたい。

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高王  


家族で、ご近所の高幡不動の裏山で
松ぼっくり拾い。
葛のクリスマスリースに添えるとか。

帰り際、アラカシのどんぐりを見つけた。
一帯はシラカシが多いので、ちとぽってりした形を
うれしがる。

松ぼっくりと杉ぼっくりと、万両の実ともみじ葉と
アラカシの実の入った袋を大切に抱えながら、
その後みんなでインドカレーを食べました。
アラカシコ。

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 この季節は毎日、庭の百日紅とアオギリの落ち葉が
玄関前に舞い散っている。よほど急ぎでなければ
それを掃くのが朝の日課のひとつ。

集めた落ち葉はゴミに出さず、庭の片隅にどっさり積んである。

きっとこの中や下は、でえぶ暖けえにちげえねえ。
から、虫や小動物が冬眠してるかも。

このごろはあまり、道端を覆いつくすほどの落葉を見ないと
思ったら、最近は葉の落つる前に街路樹を剪定するようだ。
落ち葉対策も目的のうちだから、容赦なくぱっつんと伐られる。

付近の住人にとって掃除は楽だけど、
紅葉に道が色づく季節感を失う。

でも掃除を面倒と思わない人もいるから、所々に
ほうきとちり取りと、やや細かめのパイ助(竹かご)を
備えておけば、近所の人でも通りがかりの人でも、
自主的に掃き清めると思う。

それで、燃えるごみと一緒に回収されてもよいし、
落ち葉を使いたい人はつかう。

何もしない楽と、みんなで助け合う楽があるが、
前者は人のつながりを分断し、社会を弱体化させる。

恩師である芸術人類学者・中島智氏の言葉を引用すると、

障害とは、個体の問題ではなく、個体が生きていく時に立ちはだかる
社会的障害という問題である。
この意味で「障害者/健常者」という区分けはナンセンスとなる。
ただ手を差し延べるという相互扶助で、
社会的障害のほとんどは解消する。
(以上引用)

物理的なバリアフリーも非常に大切だが、
人同士の無関心という社会的障害・損失を減らすには、
共通の課題が適度にあると、つながり合える。

落ち葉を掃くのも、レレレのおじさんが如く、あいさつの
入り口になったりするよね。

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今日は青梅の小学校の4年生と保護者対象の、
ふろしきの授業でした。

1時間しかないためぽんぽんと進み、せわしなかったかもしれませんが、
布きれ1枚が変幻自在に結ばれる様を体感していただけたかな。

色んな結び方を覚えなくても、とにかく風呂敷が
カバンに入れてさえあれば、その場しのぎでも色々と助かります。
やっつけ仕事でも役立っちゃう、伝家の風呂敷クオリティー。

ところで、そのうち60名の生徒さんが大風呂敷をお持ちでなく
、家からどっしりと背負って行きました。
学校の最寄り駅まで車で迎えにきていただき、
早めに着いて、なんと小学生たちと一緒に、給食をいただきました。

学校の先生はすてきな方ばかりですが、
こうして、時には私がごとき変なおじさんが闖入して
交流するのも、世の広さを知るのによいだろうと。
お呼びくださった勇氣に感謝しています。

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うさぎのおうちは、桐の米びつの古いのを改造したもの。
木質化した葛の堅い茎をかじって食べているので、
これからは乾し草でなく摘んできた生の葉だけでも、
歯の伸びすぎは予防できる。

先日編んだ葛のかごには、
バンダナサイズの小風呂敷の4つの角をそれぞれ
ひとつ結びしたものをかぶせて、
子どもの色鉛筆を挿している。

まったく、葛のお蔭でいろいろと助かる。

細めの篠竹みたいのと、葛、流木も、
歩いて3分の河原にある。
ちょっとした暮らしの用品として助かります。

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朝に豆乳ヨーグルトをすすってから出かけ、
お昼は持参のサンドイッチ。ピーナッツバターとブルーベリージャムで
アメリカ人のようだが、量は彼らの半分以下だろう。

そして帰りみち、19時を過ぎれば既に腹ぺこに。

パンは腹持ちがよくない。おむすびがちょうどよい。
餅は常食には重い。

餅つきが衛生上の問題で、開催されなくなってきている
と聞くが、

う~~ん、と考えてしまう。

食中毒は動物性食品で多いけど、餅に添えるとすれば
桜エビくらいで、元々乾物だから考えにくい。

あとはきな粉やあんこ、海苔じゃん、平和だな。
特に大根おろしは殺菌力があるから、辛いの食べとけば
食中毒は起こりにくそう。
生の長ねぎや玉ねぎを刻んで醤油をたらしたものも
予防によいだろう。

ただし、モチは喉につっかえる。

これを防ぐには、100%餅米を使わずに
うるち米と混ぜて、蒸したのを撞いたら、団子程度の
伸びとなり、喉に引っかかりにくい。

または、蒸した餅米と、ほぐした焼き芋を一緒に撞くと、
黄色くて甘みがあり、つっかえにくい美味しいおもちになる。

肉のイベントに比べれば、お餅は食中毒が起きにくいので、
たぶん、手でこねたり丸めたりすることが氣になるという
ところもあるのだろう。

逆に、色んな人の手からのエネルギーが入ることで、
イベントでの餅は得難い特別な力を秘めると思うのだが、

子どもたちの思い出のためにも、
行事が消えるなら、家庭や有志で行なっていく価値があるだろう。

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