飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

富士塚を求めて(2):十条冨士神社(十条冨士塚)/駒込富士神社(駒込富士塚)

2012-07-04 02:17:01 | スポットなたしなみ

富士山の山開き(7月1日)当日。
山開きに合わせて富士塚登山ができるということで出かけてみたものの、(茅原)浅間神社、池袋氷川神社、と2箇所とも登頂出来ずじまい。何となく幸先が悪いのが気がかりでもあったので、確実な場所を押さえておこうと向かった先は、池袋のお隣となる十条でした。

目指すは、十条冨士塚。
この日限定で登れる富士塚ではありませんが、こうなると一山くらいはちゃんと登っておきたいですし、何といっても毎年6月30日と7月1日の二日間、「十条冨士神社大祭」として盛大なお祭が行われていますから、ご利益もあるに違いないと向かったのでした。そういえば、ここで書かれている名称は、全て『富士』ではなく『冨士』となっていますが、何故『富士』ではないのでしょうかね。掲示されている説明書きにも書かれていなかったので、ちょっとした疑問として残っています。


十条冨士塚(北区指定有形民俗文化財)

 十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。
 現在も、これを信仰対象として毎年六月三十日・七月一日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。
 塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、三十数基あります。銘文によれば遅くとも、天保十一年(1840)十月には冨士塚として利用されていたと推定されます。
 これらのうち、鳥居や頂上の石祠など十六基は明治十四年(1881)に建立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄(じきぎょうみろく)、本名伊藤伊兵衛の百五十回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
 形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。
平成四年三月 北区教育委員会


東京都北区中十条2-14
十条冨士神社



説明書きには、

『冨士神社は都内七冨士巡りの1つ(十条冨士)としても知られる神社です。毎年6月30日と7月1日の「十条冨士神社大祭」は、「お冨士さん」と呼ばれ、たくさんの人や露天でにぎわいます。』

とありますが、『都内七冨士めぐり』の一つと言われても、その言葉自体が正直初耳。どこを見てもその他六富士がどこの富士塚なのか、あまり言及されずにスルーされていたので、気になってまた調べてみました・・・と、今回は勉強会のような感じになってしまっていますね。都内七富士とは、

江古田富士(茅原浅間神社)、音羽富士(護国寺)、下谷坂本富士(小野照崎神社)、品川冨士(品川神社)、千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社)、長崎富士(富士浅間神社)、十条冨士(冨士神社)

さすがに富士塚素人の自分でも知っているような、国・都指定民俗文化財がずらりと並んでいます。この中ですと、長崎富士が時期を問わず登れないようですので、七富士めぐりは、今では完遂出来ないようです。あら残念。



前置きが長くなってしまいましたが
東十条駅からスタートです



駅の地図で確認しようと見てみると
問い合わせが多いのか、後付け感たっぷりで貼り付けられていました
これはこれで、分かりやすくて助かります



駅から歩いて数分ほどということでしたが
近付く前から大量の幟がたなびいていて、直ぐに分かります



盛大とは聞いていましたが、想像していた町の縁日のレベルを遥かに凌駕する規模のお祭りでした
こんなに屋台だけが並ぶ姿は、正月以外で初めて見ました



登山口も分かりやすく、入口看板にドーンと書いてありました



こちらが登山口
お線香を買うのが正しい参拝方法とのこと・・・あれ、神社でお線香?!



山頂は階段の上
富士塚というよりは、高台の神社のような感じです



しかし、別の場所から眺めれば、確かに立派な富士塚のよう



凛々しい狛犬も、登る途中で見守ります



老若男女、皆さんせっせと山登り



大人気のようで山頂は行列になっていました
線香は山頂でお焚き上げ、そして、護摩木もあったりと
修験道が混じった感じで伝わったようですね



本日、初登頂!
しっかりお祈りをしておきました



下山路は別ルートから



昔は、この間を登ったのかもしれませんね



こちらは、『麦わら蛇』
火防と疫病除けに効果ありです



十条駅方面までの直線道路にずっと屋台が続いていました



最近のお祭でもあまり見かけなくなった、射的や亀釣りや型抜きなどもありまして
それに興じる子供たちがいるのを見ると、なんだか嬉しく思えます



お祭りといえば、もう一箇所。駒込富士のある(駒込)富士神社でも縁日の山開きが行われていました。


富士神社 本駒込五-七-二〇

 富士神社はもと、旧本郷村にあった。天正元年(1573) 本郷村名主木村万右衛門、同牛久保隼人の二人が、夢に木花咲耶姫命の姿を見て、翌年駿河の富士浅間社を勧請した。
 寛永六年(1629)加賀藩前田候が上屋敷(現東京大学構内)を賜わるにあたり、その地にあった浅間社はこの地に移転した。東京大学構内一帯は住居表示改正まで本富士町といっていた。
 社伝によれば、延文年間(1356~61)には既に現在の社地には富士塚と呼び、大きな塚があったといわれる。この塚は一説によると、前方後円の古墳といわれる。
 富士神社の祭神は、木花咲耶姫命で、氏子を持たず富士講組織で成り立っていた。
 山嶽信仰として、近世中期頃から江戸市民の間に、富士講が多く発生した。旧五月末になると富士講の仲間の人々は、六月朔日(ついたち)の富士登拝の祈祷をするために当番の家に集まり、祭を行った。そして、富士の山開きには、講の代参人を送り、他の人は江戸の富士に詣でた。富士講の流行と共に、江戸には模型の「お富士さん」が多数出来た。文京区内では「駒込のお富士さん」といわれるここと、護国寺の「音羽の富士」白山神社の「白山の富士」があった。

-郷土愛をはぐくむ文化財-

文京区教育委員会 昭和五十六年三月


東京都文京区本駒込5-7-20
駒込富士神社




ということで、勢いに乗っかりやってきました駒込駅



六義園の先を抜けて、歩いて数分といったところ(駅から十分ちょっと)
入口から屋台が並び賑やかです



午前中ということもあって、お祭はまだまだこれからといったところでしょうか



屋台の参道を抜けるとその先が富士塚の麓にあたる場所
その先に階段が見えます



こちらの富士塚も階段で整備されており、いつでも登ることが出来ますが
一歩視線を外に向ければ、富士塚の名残を見ることが出来ます
入口の石碑には、天保十年と書かれていましたし、落ち着いたときにゆっくり見たいですね



富士講の方々でしょうか、綺麗な揃いで登っていきます



よく見れば、結構急な階段ですね



山頂は広場になっていて、拝殿がありました



中では祭事が始まったようです




「駒込名物 麦らくがん」を販売していたので購入
富士山型と凝った作りのらくがんでして(雪をかぶったバージョンあり)
この系統の和菓子がそれ程得意でない自分も、麦の味がアクセントになって美味しく食べられました

そうそう、十条冨士神社では、『麦わら蛇』でしたが
こちらの神社では、『厄よけ神龍』の伝説が残っています



下山途中、山中に目を移すと「小御嶽社」の碑を見つけたり



御胎内と思われる洞窟を見つけたり
と、しっかりと富士山を模した造りになっているのですね



外から見ると、ただの小高い場所にしか見えません


午前中ということもあって、お祭りとしては、まだそれ程活気を見せてはおりませんでしたが、こういった機会にお参りすることが出来て良かったです。次回は、普段の時に来てみて、祭りのときには見えなかった点を探してみるのも楽しいかもしれませんね。



<おまけ>
駒込神社の説明書きには、文京区内では「駒込富士」「音羽富士」「白山富士」があると書かれておりました。
都営地下鉄「白山駅」の駅名の由来にもなった白山神社ですが、ここに富士塚があることなど全く知りませんでした。幾度か行っていたはずですが、富士塚があるなんて見たこと無いよなぁ・・・


東京都文京区白山5-31-26
白山神社




ということで、行ってみました



相変わらず、金色の瞳を爛々と輝かせる狛犬は見つけたものの
それらしい富士塚は、境内では見つかりません



裏手の公園の方に向かうと・・・おおっ、それらしきものがあるじゃないですか



しかし、扉は開くこと無く硬く閉ざされておりました
調べてみると、この白山神社の富士塚の開放日は、7月1日ではなく


『文京あじさいまつり』のある 6月上旬~中旬まで だったのでした



・・・って、終わってるやん。

山開きではなく、あじさいが綺麗に見えるスポットとして進化を遂げているとは、思いませんでした。
何はともあれ、前半の失敗同様、事前の下調べは必要だなぁと痛感したのでした。



中に入ることが出来ないため、外でそれらしい富士塚の痕跡を探してみました
結果としては、これくらいでしたでしょうか



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