静かの海

この海は水もなく風も吹かない。あるのは静謐。だが太陽から借りた光で輝き、文字が躍る。

ローマの栄冠

2011-01-30 13:10:10 | 日記

(一)カエサルの戦い
 ユリウス・カエサル(の軍隊)が何人殺したかはいろいろな説があるらしい。私はそん
なことには興味がないのだがが、ディヴィッド・ヒュームが書いているところを紹介する
(『市民の国について』)。

 まず、アピアヌス(知らない)によるととして、400万のガリア人と対戦し100万
人を殺し100万人を捕虜にしたとある。プルタルコスによると交戦した兵力を300万
としているそうだ。ヒュームはそんな数を正確に数えることは不可能だと言っている。
 パテルクルスという人物は、カエサルが殺したガリア人の数をわずか40万と計算して
いるが、カエサルの『ガリア戦記』の記事と一致する計算だとヒュームは述べているが、
果たしてそれも正しいか?

 またヒュームは、プリニウスによるとして、カエサルは自分が戦った人間は内乱のとき
亡ぼされた人々を除いても119万2000人であったといつも自慢していたという。(
注:これは岩波文庫判の小松訳によるが、プリニウスの原文では「戦った」ではなく「殺
した」とある)。ヒュームはこのあとで、カエサルが殺した人数は大体この(つまりプリ
ニウスのいう)半分近くだったようだと書いている。だからヒューム自身は殺した数は5
0数万と見ていたらしい。

 プリニウスがどう考えていたか紹介しておこう。ヒュームの文とは少し違う。
 「わたしは彼が自分の同胞市民を征服したうえ、戦争で119万2000人の人間を殺
したことを、彼の名誉とは考えない。このことは、避けえない悪であったとはいえ、彼自
身が内戦の死傷者を発表しなかったことでそうと告白しているように、人類に加えられた
途方もない悪事であったのだ」。

(二)ファビウスの草の冠                                                       
 ローマにおいて最高の冠は corona graminea =「草の冠」である。それ以外の冠は、
将軍や司令官たちが個人的に兵士や同僚に与えたり、あるいは凱旋式に際して元老院か人
民の布告によって与えられた。
 「草の冠」、これを「草冠」としたいのだが、わが国には「くさかんむり」という言葉
があり漢字の部首の一つを指す。といって、「そうこう」という読みには馴染みが薄い。
 草冠は、全軍が絶体絶命に陥ったとき、それを救った指揮者に、全軍の兵士たちの評決
によって与えられた。それ以外の冠は司令官たちによって与えられる。全陣営が恐ろしい
破滅から免れた場合はこの草冠は obsidionalis =「攻囲冠」と呼ばれた。

 この冠は、包囲された軍隊が救われたその場所で摘み取られた緑草で作るのが普通であ
った。理由は、昔は、征服者に草を捧げることは被征服者にとってもっとも厳粛な敗北の
しるしであったから。敗北者にとっては、彼らを育ててくれた土地から、そして埋葬の手
段から撤退することを意味していたからだ。
 だから危機に陥った場所で見つかったどんな植物でも、どんなに下等で賎しいものであ
っても、その草がその栄誉に尊厳を与えたのだ。

 この冠を授与されるということは稀だった。そのうちの一人デキウス・ムスはそれを二
度も得た。彼が護民官であった時、一度は彼自身の軍隊により、も一度は守備隊によって
贈られた。もちろん草冠に金銭的価値は全くない。ムスは、贈呈を受けたのち軍神マルス
に、白い雄牛一頭とともに、救助された守備兵から贈られた百頭の黄褐色の牛を生贄とし
て捧げたという。
                                                                               
  スラもこの冠を受けたが、後に彼が殺した人々の数に比べたら、彼が救った人の数な
ど問題ではないとも酷評されている。そのほかスキピオ・アエミリアヌスやアウグストゥ
スなども貰っているそうだ。

 だが、一番印象深いのはクィントゥス・ファビウス・マクシムスの場合である。第二次
ポエニ戦争でローマ軍のトラシメヌス湖畔での大敗を受け、元老院によって独裁官に任命
された彼は、真正面からのカルタゴ軍との戦いを回避し、ハンニバル軍を消耗させる作戦
を採った。彼の消極作戦は一時非難されたが、最終的には弱体化したカルタゴ軍は撤退に
追い込まれた。
 ハンニバルがイタリアから駆逐された年(前203)、元老院とローマ市民( senatu
 populoque Romano )はファビウスに草冠を贈った。その理由は、戦いを拒むことによっ
て「全ローマ国家を救った」からであった。この冠は、国家そのものの手で受贈者の頭に
載せられた唯一の冠であったし、全イタリアによって与えられた唯一の冠であった。ロー
マ史でも空前絶後のことだったろう。この話を伝えた著者(プリニウス)は、「人間が獲
得しうる最上の栄誉」と称えた。                                             

 後世マキアヴェリは『ローマ史論』でファビウスを批判して言う。戦局は変化し、それ
に応じて戦法も変えなければならないのに、ファビウスは相変わらずの戦法を維持しよう
とした。もしファビウスがローマ国王だったらおそらくこの戦争に負けていただろうと。
勝ち戦をしなければいけない時にスピキオがいた。君主国に比べてさまざまな市民がいる
ため手軽に時局の変化に適応できたのだとしてマキャベリはローマ共和制の利点を強調し
て見せたのである。

 またフランシス・ベイコンはこのマキャベリの見解を支持しながら、ファビウスは戦争
の性格が変わってはげしい追撃が必要となっている時代にも、昔からの癖で相変わらず合
戦を避けるという引き延ばし戦術に固執したと非難し、判断の鋭さと洞察力に欠けたと評
した。ベイコンは人間の判断力・洞察力の必要性を強調するためにこのエピソードを利用
したように見える。そこではマキャベリのようなローマ共和制への視点は見当たらない。
 だが二人とも、ファビウスに草冠を贈った元老院とローマ市民の心意気には触れていな
い。知らなかった筈はないと思うが・・・。二人とも近代合理主義思想の申し子なのだろ
う。

 この戦争の結末は、スピキオ・アフリカヌスがファビウスや元老院の反対を押し切って
アフリカ遠征に乗りだし、ザマでハンニバル軍を破ってカルタゴをローマの朝貢国の地位
に陥れた。さらにこのスピキオ・アフリカヌス(大アフリカヌス)の養孫のスピキオ(小
アフリカヌス)は第三次ポエニ戦争を起こし、カルタゴを完膚なきまでに破壊つくし灰塵
に帰せしめた。
                  ◇        ◇        ◇                       
 ファビウスにちなんで、19世紀後半にロンドンでフェビアン協会が結成された。バー
ナード・ショウ、H・G・ウェルズ、ウェッブ夫妻など当時のイギリスの知性が参画した
。社会改良主義の道を歩んだこのフェビアンたちはイギリス労働党に影響を与えた。何人
もが労働党の党首や首相になった。元首相トニー・ブレア氏もそうである。彼はアメリカ
のイラク侵略戦争に積極的に追随し「ブッシュのプードル」と揶揄された。ブレア氏がイ
ギリス議会や国民から何らかの冠を授与されることはないだろう。ファビウスに面を向け
られる筈もない。

                                                                               
                                                                               
                                                                               


空回りするのが民主主義(続続)

2011-01-24 16:41:06 | 日記

(七)
 北アフリカのチュニジアで大規模なデモが起き大統領は国外に逃亡した。ヨーロッパで
はしばしば大きなデモがおき、法案を撤回させたり、政権を交代させたりする。
 リンカーン大統領は「人民の、人民による、人民のための」政治と言った。「人民の代
表による」ではない。
 日本国憲法前文は「日本国民は・・・国会における代表者を通じて行動し・・・」「その権力は国民の代表者がこれを行使し・・・」であり、これらは人類普遍の原理であるとした。おそらく「成熟した民主主義」原則なのだろう。これによれば、デモが政府を倒すなどということはもってのほかである。

 今はネットの時代だ。ネットで呼びかければたちまち群衆が集まり、デモをかけ、政府
だってふっとばすこともできる。まさに「人民による」時代になった。日本はちょっと様
子が違うようだが。

 日本で重要なのはデモではなく世論調査である。マスコミはしょっちゅう世論調査をや
り、その結果がしばしば政局を動かす。「政治とカネ」などというのは絶好のテーマであ
る。テレビはもちろん重要である。コメンテーターの会話が日本国民の意見を代表するかのようである。大手全国紙の社説は、政府の政策が充分国民に浸透しないのは自分たち新
聞にも責任があると自責の念を発表し、今後の努力を誓う。総理大臣は、自分はまっとう
なことをやっているのに国民が理解してくれないと苛立つ。

(八)
 エマニュエル・トッド氏のインタビュー記事は、民主主義を考える一つの手がかりになるかと思ったが、そう簡単に問屋は卸さない。彼の著作を読まないであれこれ言えば恐らく的はずれになるだろう。だが、少なくとも筆者がこういうテーマで駄文を書くきっかけにはなった。
 
 民主主義という考えや制度が良いか悪いかは別にして、それが古代ギリシアに始まった
というのが定説であることは前回触れた。その民主主義的精神はローマにおいて共和制と
いう型をとり、中世ヨーロッパではルネサンス期のイタリア都市国家に反映している。
 ルネサンス以降のヒューマニズムはイタリアからフランスへと拡がっていった。そこでは古代ローマの人間主義に基づく思想が近代市民社会の思想形成に強い影響力を与えた。その思想的代表例はキケロである。                           

 キケロが「軍服はトガに服すべし」と言ったことは知られている。キケロがこれを言っ
たとき周りの人たちはあざ笑ったそうだが、その中にカエサルもいたという。なるほど、
カエサルらしい。
 日本国憲法では「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(第6
6条)に反映しているのかもしれない。しかしわが国では軍人もなく軍服もないことになっているので奇妙だ。だがそのうち「軍服」が「トガ」を支配する時代が来るかもしれないと恐れる人々もいる。
 
 日本ではカエサルは断トツのヒーローであり、キケロはしょぼくれた爺に過ぎない。トッド氏は、民主主義を発明したのは個人主義的傾向の強い英米やフランスであると述べた。だが私は、しょぼくれた爺であるキケロの思想の一端を書き記しておきたい。

 キケロは多くストアの思想の影響を受けていたに違いない。その思想の発端はギリシア
で、それはローマに定着してゆく。おおまかに言えば次のようなものか。             
 人間の為す業の究極的目的は自然に一致して生きること、自然に従って生きることにあ
った。それが virtus(力、勇気、徳、価値など)であった(中国の仁あるいは徳にあたるか?)。
 
 だが人間は理性的存在である。つまり、人間において自然なものは理性である。理性と
一致して生きること、それが人間の生き方である(注:彼は、理性は人間を獣よりすぐれ
たものにする唯一のものという。動物にも人間と同じような理性があるとした18世紀の
人ヒュームなどとは違う)。
 そして、自然との一致によってもたらされる最高善はすべてに平等である。なぜなら、人間の自然的理性は、普遍的でものの中にその根源を持っているからである(『法律について』から)。

 キケロは言う。
 「われわれは人に対する尊敬の念を、もっともよき人に対してのみならず、その他の人びとに対しても、持たなくてはならない」
 「身分のもっとも卑しいものたちに対しても、正義はまもられなくてはならない・・・。もっとも低い状況と運命に置かれているものは奴隷たちである。かれらを日雇者のように取りあつかい、仕事を課するかわりにそれに相応した報酬を与えるべきだとわれわれに注意する人々の教えは、正しいとしなければならない」(『義務について』、泉井訳)。

 日本国憲法第13条には「すべて国民は、個人として尊重される」とある。だが、筆者の見るところ、この条文はほとんど画餅である。ストアの思想はローマの支配層に影響を与えた。キケロの後の人物、皇帝ウェスパシアヌスは、巨大な大理石柱を安い費用で運ぶ方法を考案した技師に褒美を与えた。しかし彼は「私に貧しい労働者を養わせてくれ」と言ってこの新技術の使用を断ったと、スエトニウスは伝えている。
 21世紀の民主主義国家の総理大臣に、よーく聞かせてやりたい。憲法第25条(生存
権)はどうなっているのだ!           

 キケロはさらに言う。(『法律について』)
 人間は正義のため(iustitiam)に生まれたのであり、その正義(ius)は人間の考えに
基づくのではなく自然に基づくものである。人間同士の交わり、関係を調べてみれば分か
る。人間は相互に似ているが、こんなにそっくり似ているものはないだろう。
 だから、人間をどのように定義するにせよ一つの定義がすべての人間に当てはまる。人
間の種族(in genere)には全く相違がない。いかなる種族の人間であれ、自然を導き手
として持ちながら徳に到達することができない者はいない。                         

 そしていう。自然によって理性を与えられているということは正しい理性も与えられて
いることであり、従って正しい理性の表現である法(lex)も与えられているのだ。した
がってまた正義も与えられているのである・・・。 (注:上記のキケロの文の訳語の一部はは通常訳とは異なるかもしれない。なにしろ素人のなすことなのでご容赦を)。                                                                                                                   

 このような自然法思想は中世を通して多様な型で伝えられ、やがて近代市民社会の誕生
とともに、変形しながらも天賦人権説や社会契約説となって近代民主主義の思想を醸し出
してゆく・・・キケロの思想が正しく継承されたかどうかという問題は残るが。
 
 キケロの分厚い思想をこんな断片で表現しようとは思わないしまたできない相談だ。キ
ケロに関しては、同じローマ人の間にも多様な評価がある。ここでは軍人でもあり文人で
もあった一人の人物のキケロ評を紹介しておこう。

 「国父という称号の最初の受領者、文民の勝利と雄弁に対する名誉の花輪の最初の獲得
者、雄弁とラテン文学の父、そして以前の君の敵手、独裁官カエサルが君について書いているように、いかなる勝利のそれよりも大なる月桂冠の獲得に栄あれ。ローマ天才の未開拓の領域をこんなにも深く切り開いたことは、ローマ国境を広げたことよりもはるかに偉大なことなのだから」(プリニウス『博物誌』)。

 『キケロ・もう一つのローマ史』の著者アントニー・エヴァリットはこの文に依拠しながら、「カエサルは持ち前の明敏な頭脳と寛大な心で、キケロが獲得した『栄誉』がいかなるものか正しく理解しているように見える」(高田康成訳)と書いた。カエサルもやはりローマのレス・プブリカの子どもであったのだろうか。

 今回も主題から外れた文章になってしまった。                         


空回りするのが民主主義(つづき)

2011-01-16 16:27:19 | 日記

 (五)
 さらに「もう一つの問題、超個人主義や共同体の弱体化の問題は残る」という聞き手の
大野氏に対して次のような所論を述べる。ここが私にとっていちばん分かりにくい箇所で
あった。少し長くなるがエマニュエル・トッド氏の思想を知る要点(このインタビュー記
事の中での)と思われるのでそのまま引こう。

 「それは信仰の危機のようなものです。抜け出すのは非常に難しく、精神面での革命的
な変化が必要です。欧州の歴史を見ると、共同体としての信仰は、キリスト教という普遍
性の高い宗教の登場とともに始まりました。それが政治思想に変化し、民主主義を可能に
し、政党を作り上げる力になっていった。共同体の代表的なものは国であるけれども、国
民さえ一体として行動できなくなっているのは、同じ共同体に生きているという感覚の解
体があるからです」。

 まず言葉の問題から。「共同体としての信仰」、この言葉は数行後にもう一度出てくる
。しかし私にはどうしても理解できない。多分私の頭が弱いからだろう。強引に私の解釈
を当てはめると、日本にも古来共同体はあった。典型的なのは村落共同体。そこでは氏神
様が鎮守の森に祀られていた・・・そんなものを指すのであろうか。古代ギリシアのポリ
スでは多数の神々をそれぞれの神殿で祀った・・・。古代ローマをわれわれは国家という
が、彼らは一貫してレス・プブリカ(公共のもの)と自称し、神の数も市民の数くらいは
あったという。それに比しトッド氏の頭のなかにはキリスト教しかないように思える、神
ご一身である。

 トッド氏の言をそのまま理解すると、キリスト教の登場とともに共同体としての信仰が
始まり、それ以前には存在しなかったことになる。
  共同体といっても多様である。原始時代には原始共同体が、古代には古代共同体が、封
建社会にはそれなりの共同体があったが、資本主義はそれらの共同体を掘り崩して行く。
後発の資本主義国ではその崩壊は遅れ、トッド氏の言うように「リベラルな民主主義」の
発生も遅れた。
 共同体は東欧やロシアでは長く存在し、アジアやアフリカでもそうである。トッド氏は
この共同体が民主主義発達の阻害になったと言いたいのか、それとも共同体が民主主義の
危機を防ぐきずなになっていると主張したいのか、どちらなのか理解しにくい。アメリカ
を超個人主義と批判する彼は、日本にはまだ民主主義の危機を防ぐきずなである個人と共
同体の密接な関係が残っているとして評価しているのだろうか。
 彼の論旨がどこにあるか、まことに見にくい。

 アメリカ合衆国が、その建国のはじめから共同体の否定のうえに成り立ち、キリスト教
という宗教的基盤の上に成り立ってきたという見解を、私は以前述べたことがある(ブロ
グ「神の国アメリカ」)。
 先住民であるインディアンの共同体を武力で破滅させ、アフリカの共同体から原住民を
引き離して労働力として連行した。彼らを支配し建国に携わった人々は欧州各地の自己の
属する共同体を捨てて移住してきた人々であった。トクヴィルは合衆国の長所のひとつと
して「タウン・シップ」があり、これが合衆国を支える共同体とみなしたが(『アメリカ
における民主主義の発達』)、私の見解では正反対である。トクヴィルの後輩であるフラ
ンス人トッド氏はどう考えるのだろうか。

 かれのいう超個人主義は、合衆国憲法修正第2条の「人民が武器を保有し携帯する権利
は侵してはならない」にきっちり反映している。この点では彼の故国フランスとは大きな
違いがある。古代にレス・プブリカの一員であったフランス(ガリア)は、「腐っても?
」その伝統が多少とも息づいているとみるのは筆者の独断か? かれがフランスより高く
評価するドイツは古代においてはゲルマンの地で、まだ原始共同体の域を脱していなかっ
たしレス・プブリカのような体験をしていない。東欧の多く、ロシア等もそうである。植
民開始時代のアメリカインディアンも原始共同体だった。

 (六)
 元へ戻ると、トッド氏によると、共同体としての信仰が政治思想に変化し、民主主義を
可能にし、政党を作り上げる力になったという。共同体としての信仰はキリスト教の普及
とともに始まったとされる。                                                     
 つまりつきつめて言えば、キリスト教が民主主義を生み出したと言いたいのだろうか。
その結果は、キリスト教以外の宗教のもとでは、たとえばイスラム教、仏教、道教、神道
その他もろもろの宗教では駄目なのだろうか。現実に合衆国では今でもキリスト教と民主
主義を不可分のものと考える国民が多いことも前に述べた。

 さらにトッド氏は言う。共同体の代表的なものは国であると。ところが今では国民さえ
一体として行動できなくなっている、それは同じ共同体に生きているという感覚の解体に
よると嘆いているのである。そしてそれは信仰の危機のようなものだと。
 トッド氏は国民がナショナリズムに燃え一丸となって行動することを期待しているよう
に見える。また、民主主義はキリスト教の普及とともに発達したのだからそれは信仰の危
機を伴っていると主張しているようにもみえる。私などの凡人には到底理解できない論理
である。

 新聞のこの「空回りする民主主義」というインタヴューのタイトルは恐らく編集部が考
えたものだろう。私は「空回りするのが民主主義」という題で意見を述べるつもりで始め
たが、そこまでには至らずに終わった。今回はトッド氏に空回りさせられてしまった。

 この文を書いている最中、別の新聞(毎日、1月13日)に「生命こそ真の力」と題す
るトッド氏へのインターヴユー記事が載った。トッド氏は著名な偉大な人なのだと気づい
た。一介の市井人にすぎない私などが論評の対象とすべき人ではないとも気づいた。   


空回りするのが民主主義

2011-01-15 17:17:21 | 日記

 

(一)
 先日「空回りする民主主義」というインタビュー記事がほぼ全一面を費やして新聞に
載った。(朝日・1月8日)。フランスの人類学者エマニュエル・トッドという人への聞
き取りである(聞き手はオピニオン編集長・大野博人氏)。

 トッド氏は面白いことを言う。「今の時代に権力を握っているのは、実際のところ政治
家たちではなくて、自由貿易という経済思想である」と。
 これを今の日本に当てはめてみれば、権力を握っているのは管直人首相ではなく「自由
貿易思想」ということになる。一つの思想が一国の権力を握るといういかにも民族学者ら
しい発想である。
 
 管首相は徹底した自由貿易主義者のようにもみえるが、おそらく何の思想もないのだろ
う。ただ「自由貿易思想」のサイボーグになったのかもしれない。世の中保護貿易の風が
吹けば今度は保護貿易主義のサイボーグになるのだろう。「平成の開国」とおっしゃるが
、わが国は鎖国しているとでも思っているらしい。もっとも管首相だけをあげつらうこと
はない。直近の世論調査によると管首相のいう完全自由貿易に賛成する人は過半を越える
らしいし、大新聞をはじめとする大手マスコミもみんなそうで、まるで管首相のサイポー
グになったみたいだ。

 新聞報道によると、アメリカの主張する「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)」
は、農業分野を中心とした関税の原則撤廃やサービス分野(筆者注:多分医療や介護の分野
なども含むのだろう。健康保険制度などなくして自由診療にしてしまえ!)だという。ま
あ、日本はアメリカの属国みたいなものだから仕方ないか。私の周辺には今でも、終戦後
日本もアメリカの一つの州になればよかったと言う人がいる。そうすれば、英語が話せる
ようになっていたと・・・短絡的だな・・・もっとも、ご本人は冗談のつもりだろうが、
なにがしかの真実味もこめられている。

 (二)
 私自身は、自由貿易主義や保護貿易主義は主義主張であっても思想なんかではないと思
っている。単なる時の政府の政策の一つでしかない。一般に先進国・帝国主義国は自由貿
易を主張して自国の工業製品・大量生産物を後進国・植民地に押しつけようとし、後者は
自国の産業を守ろうと保護貿易政策をとるのが歴史の教えてくれることである。自由が正
義で保護が非正義などということはない。それは国際政治・経済の手段であり、いずれを
採るかはその時のその国・地域の事情による。

 今までも、現今も、自由貿易で最大の利益を得てきたのが合衆国で、さらに完全自由化
を強要して一層の利益を挙げようとしている。中国やインドは途上国で、自由貿易で得た
利益もあっただろうが、一方で多くの利益を失ってきた。たとえばレアメタル。アメリカ
や日本が安く買いたたき中国の国土を疲弊させ、安い労働力を収奪してきた。中国が堪え
兼ねて輸出保護を始めると米日は口を揃えて非難する。戦争でも起こしかねない勢いだ。
人々は中国やインドの貧富格差を喧伝し、一般民衆の貧困のを嗤う。安い労働力を自分た
ちが収奪してきたことに気づかないふりをしている。

 にもかかわらずエマニュエル・トッド氏は言う。「自由貿易という文脈の中では、各国
の政策は中国やインドのような新興の国々の景気を刺激するばかりだった」と。トッド氏
の「文脈の中」では、世界の支配者である筈の自由貿易思想が「新興の国々」以外の国(
つまり欧米や日本)を富ますことができなかったと告白していることになる。
 ではそれなのになぜ米日は自由貿易に熱中するのでしょうか? トッドさん。
                                                     
 (三)
 トッド氏は、自由貿易の底にある問題は何かという問いに対して、「深い精神面での変
化です。ハイパー個人主義、あるいは自己愛の台頭とでも呼ぶべきもの・・・社会や共同
体を否定するような考え方です」と答えている。彼は自由貿易を批判する立場から答えて
いるのである。つまり社会や共同体を否定するような考え方が自由貿易主義の敵だという
ことになる。

 その一方で氏は、民主主義を発明したのは個人主義的傾向の強い英米やフランスであっ
て共同体のきずなが強い国ではない。権威主義的であった日本やドイツはリベラルな民
主主義になじみにくかったという。
 これらをまあ私流に解釈すれば、民主主義の伝統のある国では個人主義が強く、共同体
を否定するような傾向が生まれ、自由貿易思想が盛んになり、それが政治家をも支配する
に至るということ。これで「文脈」が通るような気がするが。

 一つ不思議に思うのは、私などは民主主義を発明したのは古代ギリシア人だと教えられ
てきた。しかも、ギリシア人は個人主義的でありながら強い共同体意識を所有していたと
も。ギリシアは特別なのだろうか。それともトッド氏は古代民主主義は度外視しているの
だろうか。 
 
 (四)
 またトッド氏は別の視点から、識字率の向上によって文化的に同質性の高い社会が築か
れ民主的な考え方も形成されてきて、その結果、みんなで共有している何かがあるという
感覚が育まれてきたと主張する。
 私などは、「文化的に同質性の高い社会」というのは共同体の性質のように思えるのだ
が違うのだろうか。
 
 一方で氏は、先進諸国は文化的平等から抜け出し、教育格差が拡がり、民主主義や平等
感覚の弱体化につながっているという。教育格差を心配しているわけである。そういう論
を進めながら、一方で民主主義を救う道の一つとしてエリート層の活躍に期待すると述べ
ている。エリートは要らないと考えるのはポピュリストたちだと。さしずめ管直人氏など
はエリート中のエリートなのだろう。
 その発言に対し聞き手の大野氏は、多くの政治家やオピニオンリーダーは自由貿易こそ
諸問題の解決策と考えているのではないかと問う。それに答えて、
 「最近の欧州では・・・自由貿易が解決を阻んでいるということが理解され始めた」の
だと。つまり、オピニオンリーダーたちも自由貿易の弊害に目覚め始めたということか。
                                                          (この項つづく)     
                                                                               
                                                                               
             


21世紀の哲学は?

2011-01-07 16:35:48 | 日記

 

 

 先日のブログで、イギリスBBC放送の視聴者アンケートで、最も偉大な哲学者にマル

クス、2位にヒュームが選ばれたことについて触れた。それとともに、村山斉氏やホーキ

ング博士が宇宙や存在などの解明に関して哲学がもはや役立たずになっていると言ってい

ることにも触れた。                   

 

 マルクスはちょうどヒュームの一世紀後の人だが、しばしばヒュームを論じているらし

い。私が知っているのは、マルクスが『経済学批判』のなかの「流通手段および貨幣にか

んする諸学説」でヒュームの貨幣論(「貨幣について」『市民の国について』)を批判的

に論じた箇所くらいなものである。だがここでそれを論ずるつもりはない。ただマルクス

は「ヒュームは一八世紀におけるこの理論(古典派経済学の貨幣論)のもっとも重要な代

表者であるから・・・」と述べてヒュームの理論の概観をはじめていることだけは記して

おこう。

 

 貨幣論は経済学の問題である。しかし、しばしば人生論に関わってくる。貨幣が人間の

生活、精神にいかなる影響を与えたかというように。貨幣を発明しなければ人間はどんな

にか今より幸福だっただろうかと論じた人々もいた。貨幣を使用するのは人間だけだとし

て動物との区別に利用する人もいる。

 

 著名な政治思想家ハンナ・アレントは『人間の条件』のなかで「労働が人間を動物から

区別するということを最初に主張したのは、マルクスではなくてヒュームだと思われる」

と述べている。ただし彼女はこれを Adriano Tilgherという人物の " Homo faber" から

知ったようである。だから「と思われる」などと言っているのだろう。               

                                                                                

  にもかかわらず、ヒュームの哲学では労働はなんら重要な役割を果たしていないとアレ

ントは指摘する。当然と言えば当然だろう。ヒュームはまだ労働価値説には至っていなか

ったのだから。                         

 

 ヒュームについてアレントが注目するのは、動物にも思考や推理の能力をもっていると

いうヒュームの考えである。もっとも、動物にそのような能力があるということは、古代

からいろんな人が言っておりなんら目新しいことではないが・・・。

 だがヒュームは一八世紀の、創世記の記述が絶対的と一般に信じられていた時代の人で

ある。

 

 アレントは、ヒュームが動物と人間を区別するのは知能ではなく労働であると言いなが

ら、その労働が人間をつくるうえで果たした役割などには無関心であったと指摘している

。一方でアレントは、理性でなく労働こそ間を他の動物から人間を区別するとか、神では

なく労働が人間をつくったというマルクスの冒涜的な観念は近代の定式にすぎないと論じ

た。いろいろ面白いことを言う人である。                                          

                                                                               

 ヒュームは動物の理性について次のように述べている。

 「人類と並んで畜類も思惟及び理知を付与されていることは最も明白な真理である」(

『人生論』1、大槻春彦訳、270頁)。また次のようにも述べている。「動物・幼児・普

通人は、最も完熟した天稟と知性を持つ人と同じ情感及び感情を感じることができるので

ある」(同上272頁)。後者の発言は少し言い過ぎのような感もするが、説得力もある。

 そういう点に関してはアリストテレスよりもプリニウスの方が面白い。プリニウスはゾ

ウの知性や信仰心までも語り、人間に恋するイルカの話も書いている。だけどヒュームほ

ど明確にプリニウスの発言を繰り返した人がいたであろうか、中世の教会の説話物語は別

として。だがそのプリニウスもゾウの芸術心まで語ることはできなかった。今日、絵筆を

鼻で握って見事な彩色画を描くゾウの話がテレビデ紹介されたりする。

 

 夏目漱石はヒュームについてこう言っている。「ヒュームが『人生論』とか『人間の悟

性に関する哲学的論文』等を著した時に、俗人は無論読み手がなかった。教育ある人の中

でもこれを読んだ人は頗る僅少である。その僅少な中で彼を理解したものは極めて少ない

」(漱石『文学評論』上、60頁)。

 一八世紀でのことを指しているのだろうが、漱石が何を根拠にそう言っているのかはわ

からない。この『文学評論』は東京大学での講義録である。東大生の自尊心をくすぐって

ヒュームを読ませようとしたのかもしれない?・・・そんなことはないか。          

 

 漱石がまとめたヒュームの考えの一端はこうである。

 「吾人が平生『我(エゴー)』と名づけつつある実態は、まるで幻影のようなもので、

決して実在するものではないのだそうである。吾人の知る所はただ印象と観念の連続に過

ぎない。」「だから心などという者は別段それ自身に一個の実態として存在するものでは

ないというのがヒュームの主張の一つである」(同上、76)

 

 もう一つ、因果の概念というのもまた習慣の産物として出現するにすぎないというヒュ

ームの考えを紹介したのちこう語っている。

 「経験的に与えられたる己知件(きちけん)から出立して漫(みだ)りに経験の領域以

外に逸脱して、徒(いたずら)に超絶的の議論に移るのは明らかに不法である。従って神

とか不滅とかを口にするのは不法である。これがヒュームが世人からして懐疑派といわれる所以(所以)である」(同上77)            

 

 ヒュームは懐疑論者だとわが国でいわれることも多いが、これは上述の漱石の発言から

始まったのかもしれない。ただし見てわかるとおり、漱石は懐疑派だと決めつけているわ

けでは決してない。ではヒューム自身、自分をどう見ていたか。

 「一切が不確実であって、我々の判断がいかなる物に於ても真偽のいかなる尺度も持た

ない、と唱える懐疑家の真の一員であるか否か、そのように問うとすれば、私は答えよう

、この疑問は全く蛇足であって、私も他の誰も未だ嘗て真剣に且つ絶えずこのような考え

であったことはないのである」(『人生論』2、9頁)。

 

 前回のブログ(「偉大な哲学者」)でちょっと触れたが、ホーキング博士はヒュームを

イギリスの偉大な哲学者と評価してヒュームの発言を紹介している。もう一度載せる。

 「私たちは現実が本当に存在していることを信じるに足る、道理にかなった理由を持た

ないが、それでも私たちは現実が真実であると思って行動する以外に選択肢がない」。

 

 ホーキング氏は、これをモデル依存実在論を論ずるなかで肯定的に引用している。モデ

ル依存実在論とはあまり聞かない言葉であるが、いまここで詳しく紹介している余裕はな

い。ホーキング氏によると、「モデル依存実在論の下では、あるモデルが本当かどうかは

重要ではありません。そのモデルが観測結果をよく説明するかどうかが重要なのです」と

いう。

 そして同氏はさらに「科学の世界において、私たちはモデルを作ります。しかし、私た

ちは日常生活においても同様にモデルを作っています」「私たちの知覚の世界から観測者

- を取り除くことはできません。この知覚の世界というのは、私たちの感覚が働くこと

によって創られるもののことで、それによって私たちは考えたり判断します」(『ホーキ

ング宇宙と人間を語る』)と語っている。     

 

 ホーキング氏はすごいことを言っているわけである。今日の私の思考力はこのへんまで

、あとはまた考えてみることにしよう。