「教育基本法」が改訂されると火が消えたように教育論議が静まった。教育をゆっくり考えるにはいい時期かもしれない。新旧の「教育基本法」にうたわれている「人格の完成」に関して若干考察してみたい。
横綱の「品格」が大きな話題になった。手許の国語辞典では、「品格」とは品位・気品のこと。「人格」は、人柄、人の品格・品性などをさすという。辞典を作った人も大いに困惑したのではないか。そのあいまいなところがいいのかもしれない。
1947年3月31日公布された「教育基本法」で、教育の目的の最初に「人格の完成」がうたわれた経緯は広く知られているが、かんたんに振り返ってみる。
その前年、教育刷新委員会(委員長・安倍能成、副委員長・南原繁、委員約50名)ができ、その中に第一特別委員会(主査・羽渓了諦をはじめ学者8名)が、教育基本法の原案を作成することになった。委員会は非公開であったが、後、すこしづつ漏れてきた。
最初に文部省が「教育基本法要綱案」(田中二郎起草)を特別委に提出、討議始まる。この案に、教育の目的として「人格の完成」がうたわれていた。もともと委員会の発想ではなく文部省の発案だったのである。
委員の一人務台理作が口火を切って、「人格の完成」ではなく「人間性の開発をめざし」ということで委員の意見が一致し、それを文部省に答申した。
文部省はこの答申に基づいて法案作成、それを刷新委員会総会に提案。ところがその案では、特別委の「人間性の開発をめざし」がもとの「人格の完成」に差し替えられており、特別委の案は押し切られてしまった。南原繁が「人格の完成」に賛成したことが大きく影響したともいわれる。羽渓主査は「つまりわれわれ委員会が負けたことになる」と悔しがったという。勝った負けたの激しい闘争があったことを伺わせる。
この法案は閣議決定のあと枢密院(一部修正)、衆議院、貴族院という順に可決され成立した。衆議院・貴族院ではなんの修正もなかった。
こういう決定の仕方にはいろいろ批判もあった。一例として憲法学者鈴木安蔵の見解を紹介する。(『憲法研究』)。
○原案の作成が、教育刷新委員会、文部省、法制局という官僚的方法でなされ、とりわけ 国民的討議は尽くされずに終わった。
○極端にいえば、審議会委員であるかぎり、学者も経験者も官僚機構の付属物(あるいは しばしばその装飾品)であるにすぎない。
○根本的には、政府が法案の主たる起草者であるということ自体が・・・立案・起草の民 主化という点からみて、根本的に不適当なのである。・・・ともかく、国会自身が「立 法事務機関」をもつこと、・・・十分に全国民の関心をうながし、とくに勤労者大衆の 自覚せる層の批判をとりいれる方法をとるべきことが、必須の条件である。
この「人格完成」論は田中耕太郎文相→文部省→法制局ラインで立案されたものと考えられている。田中文相は「人間を超越する目標」「人間を超越する真善美の客観的価値」へと指導することこそが「教育の最も重要な任務」と説明した。
また、『教育基本法の解説』(教育研究法令会編、辻田力・田中耕太郎監修、1947年)は、教基法が改訂されるまで、多くの人にバイブル扱いされた書であるが、そこでは次のように解説している。
「人格とは、人の人たるゆえんの特性である」「自己意識の統一性または自己決定性をもって統一された人間の諸特性、諸能力ということができよう」「完成ということは、あるべき姿、完全性ということを予想する概念であって、その基準となるべきものは真,善、美の普遍的価値でなくてはならない。したがって人格の完成とは、人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な基準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない」「教育の淵源はあに教育勅語のみならず、あるいはバイブルあり、あるいは論語、孟子あり、あるいは仏教の聖典あり・・・そういうものの全部を教育の淵源として今後道徳、道義的の教育に利用しなければならない」。(注:一連の文部省側の見解は、ブログ「子どもはそれぞれが小宇宙」「国民学校の理科教育思想」でも触れた)。(つづく)
横綱の「品格」が大きな話題になった。手許の国語辞典では、「品格」とは品位・気品のこと。「人格」は、人柄、人の品格・品性などをさすという。辞典を作った人も大いに困惑したのではないか。そのあいまいなところがいいのかもしれない。
1947年3月31日公布された「教育基本法」で、教育の目的の最初に「人格の完成」がうたわれた経緯は広く知られているが、かんたんに振り返ってみる。
その前年、教育刷新委員会(委員長・安倍能成、副委員長・南原繁、委員約50名)ができ、その中に第一特別委員会(主査・羽渓了諦をはじめ学者8名)が、教育基本法の原案を作成することになった。委員会は非公開であったが、後、すこしづつ漏れてきた。
最初に文部省が「教育基本法要綱案」(田中二郎起草)を特別委に提出、討議始まる。この案に、教育の目的として「人格の完成」がうたわれていた。もともと委員会の発想ではなく文部省の発案だったのである。
委員の一人務台理作が口火を切って、「人格の完成」ではなく「人間性の開発をめざし」ということで委員の意見が一致し、それを文部省に答申した。
文部省はこの答申に基づいて法案作成、それを刷新委員会総会に提案。ところがその案では、特別委の「人間性の開発をめざし」がもとの「人格の完成」に差し替えられており、特別委の案は押し切られてしまった。南原繁が「人格の完成」に賛成したことが大きく影響したともいわれる。羽渓主査は「つまりわれわれ委員会が負けたことになる」と悔しがったという。勝った負けたの激しい闘争があったことを伺わせる。
この法案は閣議決定のあと枢密院(一部修正)、衆議院、貴族院という順に可決され成立した。衆議院・貴族院ではなんの修正もなかった。
こういう決定の仕方にはいろいろ批判もあった。一例として憲法学者鈴木安蔵の見解を紹介する。(『憲法研究』)。
○原案の作成が、教育刷新委員会、文部省、法制局という官僚的方法でなされ、とりわけ 国民的討議は尽くされずに終わった。
○極端にいえば、審議会委員であるかぎり、学者も経験者も官僚機構の付属物(あるいは しばしばその装飾品)であるにすぎない。
○根本的には、政府が法案の主たる起草者であるということ自体が・・・立案・起草の民 主化という点からみて、根本的に不適当なのである。・・・ともかく、国会自身が「立 法事務機関」をもつこと、・・・十分に全国民の関心をうながし、とくに勤労者大衆の 自覚せる層の批判をとりいれる方法をとるべきことが、必須の条件である。
この「人格完成」論は田中耕太郎文相→文部省→法制局ラインで立案されたものと考えられている。田中文相は「人間を超越する目標」「人間を超越する真善美の客観的価値」へと指導することこそが「教育の最も重要な任務」と説明した。
また、『教育基本法の解説』(教育研究法令会編、辻田力・田中耕太郎監修、1947年)は、教基法が改訂されるまで、多くの人にバイブル扱いされた書であるが、そこでは次のように解説している。
「人格とは、人の人たるゆえんの特性である」「自己意識の統一性または自己決定性をもって統一された人間の諸特性、諸能力ということができよう」「完成ということは、あるべき姿、完全性ということを予想する概念であって、その基準となるべきものは真,善、美の普遍的価値でなくてはならない。したがって人格の完成とは、人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な基準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない」「教育の淵源はあに教育勅語のみならず、あるいはバイブルあり、あるいは論語、孟子あり、あるいは仏教の聖典あり・・・そういうものの全部を教育の淵源として今後道徳、道義的の教育に利用しなければならない」。(注:一連の文部省側の見解は、ブログ「子どもはそれぞれが小宇宙」「国民学校の理科教育思想」でも触れた)。(つづく)
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