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金沢篤「ラヴクラフトと『禅の書』―お疲れの女子と蕩児と男性に」(修訂版*)

2012-09-27 | 談話・その他
『アーカムアドヴァタイザー《定本ラヴクラフト全集5》月報<6>』(1985・6・25:国書刊行会)第1面


ラヴクラフトと『禅の書』―お疲れの女子と蕩児と男性に


         微小(ミニ)梵語学者 金沢 篤


 強気のラヴクラフティアンなら、ク・リトル・リトル神話を数珠(じゅず)つなぎする「魔道書」にも通じていなければならない。それら耳慣れぬ書物の数々は、いわば彼らの見果てぬ夢の具現である。誰が、いつ、どこで書いたのか? なにが、どんなふうに書かれているのか? 入手するにはどうすればよいのか? なぞなぞ。そうした疑問に答えてくれそうな便利なリストも、既に種々作成されているとの由である。解答付きの『ラヴクラフト・問題集』が、KKKから刊行される日もそう遠くはあるまい。それとも、「解答篇は狂師の方々にのみお頒ちします」という例のいわくつきのものとなるだろうか。
 日頃、インド古来の様々な「魔道書」に取り巻かれて生活している僕には、ラヴクラフトに棲まうマニア達の振る舞いは、よくわかる。どうも他人事とは思えないのだ。真面目な学問研究の対象となるインド古来の書物の中にも、現在ではもはやお目にかかれぬ「謎の書」や、出典を詳(つまび)らかにし得ぬいかがわしい引用の類いが、山の如く存在するのである。未解読の写本の山にわけ入って、それらを追跡調査することが、ともかくも立派な研究として公認されている。一方、版を重ねて世界の隅々にまで行き渡っている「真正の書」を読み、知識の命ずるままに、艶(あで)やかに感想を述べたてることなどは、むしろ学問の邪道として嫌忌されるのである。
 こうした尋常ならざる事態を前にすると、なけなしの豊かさを感じさせる「遊戯(ゲーム)」などが介入する余地はないように見える。つまり、お憑かれの女子や蕩児や男性にとっては、そんな言葉は絶対禁物なのだ。そこは、ある意味では冗談の全く通じないそら恐ろしい幻夢界である。
 『ネクラノミトラ』いや違った、『ネクロノミコン』がアメリカの某古書店の目録(カタログ)に掲載された際には、件(くだん)のマニア達からの「アラ・待ッタ!」が殺到したとの由である。勿論イギリスでそれが公刊される以前のことである。これは、あの「汚損売レズ」氏の宇宙人来襲を伝える迫真のラジオ放送のエピソードと同様、僕などは、ごく厳粛な面持ちで伝え聞いた。その時僕は、「逃げた人にはどこへ、なにを手にして逃げたか尋問すべきである。だが、逃げたという振る舞い自体はむしろ誉めてしかるべきである」との若やいだ声と、幼い頃にイヤになる程聞かされた「羊飼いと狼」の寓話とを思い浮かべたものである。結果に仰天して「イヤ冗談冗談」と謝罪を出した揚句、流血騒ぎが持ち上がった、と後で知らされたとしても、僕は驚かなかっただろう。彼らは夢の力に身命を賭していた筈であり、だからこそ、敢えてあの「潰瘍(カイヨウ)」先生が、「火傷を恐れる者は火遊びをするなかれ」と宣(のたま)ったのだ。また「小児は古代人である。必ずしもすべての小児が小児ではない。若者もまた古代的である。しかし必ずしもすべての若者が若者とは限らない」という「反畢竟無(ネヴァーレス)」君の断章(フラグメンテ)も恐らくそのことを言ったのだ、と今の僕は好意的に曲解している。実際、優勝堂の天金的目録(カタログ)に希訳でも羅訳でも『ネクロノミコン』の名前があったとしたら、僕だって懐ろ具合いを見計らった上、結局は「アラ・待ッタ!」するに違いない。疑心暗鬼、半信半疑であったにしても、そうしたオイシイ誘いに抗しきる自信は、僕自身ないからだ。
 これまで僕は、『ネクロノミコン』をラヴクラフトが捏造した「架空の書」と、一度として考えたことがない。現に邦訳でも読めるし、インドの「魔道書」研究に明け暮れる僕にしてからが、優に十回は読み返しているのだから。一つの書物に種々リセンションがあるというのは、学界の常識である。にも拘わらず「あれは断じて偽書である」と言い張る御仁には、納得のいくよう説明を願いたいものだ。
 実在することが明明白白なこの『ネクロノミコン』はおくとしても、ラヴクラフトが引く「魔道書」のうち、『ジアンの書』が特に僕の関心を引く。だが生憎(あいにく)、まだ刊本は手にしたことがないのだ。『身毒之栄華』に誘われて「アラ・待ッタ!」して入手した部分訳と註釈から成る書物、即ち『ジアンのスタンザより成る二つの書』とその原本『秘密教理』全六巻から判断するに、それはどうやら『禅の書』とでも訳し得るものらしい。だが、僕の持つそれですら嚥下するには梵藏漢英の教養が不可欠である。さらに註釈者や聖無着(アサンガ)の記述からは、『ジアンの書』そのものについての情報も得られはする。「未無(マダム)」が記(しる)すところを信ずるなら、『ジアンの書』は実のところ裏の名であり、文献学者には表の名で知られているとの由である。文献学を越える極微(ミクロ)文献学の実践者を僭称する僕にしてからが、「読破全書」は夢のまた夢であるから、未だ白黒つけられないでいる。だが、これにしたってプーナの大梵語學者の縁者と思(おぼ)しきプロヴィデンスの神童が、ヨーシと本腰を入れさえすれば、程なく明らかとなることだろう。
 それとも、塾は経営できても目録(カタログ)一つ満足に出せない素顔(すがお)社**の雑本の山から、この僕自身がひょんなことで掘り当てないとも限らないのである。そう、これこそが、ラヴクラフトを読み初(そ)めて、十有余年を経るにも拘わらず、まだまだ疲れたと感じることのない僕自身に、ついこの程寄生し始めた紛れもない夢なのだ。


(*)わたしにとっては無性に懐かしい雑文である。ラヴクラフトという小説家の世界に引き入れてもらった懐かしい同志たちへの秘かなオマージュとして書いた戯文(カーヴィヤ)。わたし以外の者には全く無意味なもの。だが、オリジナルは戯作者としては不本意な誤植が数多あった、またかなり特異な文学者の今は絶版となった個人文学全集の挟み込み月報(非売品)で、人目に触れることなく、早くも忘れ去られてしまったとの思いもあり、まあ束の間の枯れ木座興復刻として。いや、むしろ次にアップを予定している論攷の先触れくらいにはなるかとの期待からの復刻。ご笑覧いただければ幸甚である。なお、本文中の( )内の文字はルビ。(K)

(**)「塾は経営できても目録(カタログ)一つ満足に出せない素顔(すがお)社」についてのコメント。素顔社とは、わたしがもう40年以上も住み続けている埼玉県所沢市の<金山町の五叉路>の一角にあった古本屋。そこの主人が知る人ぞ知るの草薙実(くさなぎみのる)さん。まさしく「古本屋のオヤジ」だったが、本人はそう呼ばれたくないから、古本屋にしては異な「素顔社」と命名? もしかしたら「オヤジ」ではなく「社長」と呼ばれたかったのかも知れない。その草薙さんがわたしのこの雑文「ラヴクラフトと『禅の書』」を山車にして地元所沢の地方紙に投稿したことがあった。その記事の切り抜きがこのほど思いがけず出てきたのである。
 草薙さんが素顔社の店を畳んでからも既に四半世紀は経っているのではないか。所詮客と店主のつきあいだから、店がなくなったので交流も絶えた。どうしているかな、と思うことはあっても、それっきり。「切り抜き」が出てきて、ネットで検索したところ、編集者としてやはり知る人ぞ知るの伊藤文学さんの以下のブログで、草薙さんの消息が知れた。

 http://bungaku.cocolog-nifty.com/barazoku/2019/01/post-ac5f.html

 伊藤さんの甥に当たる草薙さんのご長男からの連絡が紹介されていて、「2018年12月31日午前」、草薙さんが老人ホームで80歳の生涯を終えた、とか。びっくり。文庫本にもなっているベストセラー『限りある日を愛に生きて』などの著者であることを知るばかり、ご家族を時々店で見かけることはあっても、草薙さんの生活については一切話をしたことがない。したがって、追悼したくてもほとんど材料がないのが真相。作家の片鱗を窺わせる件の新聞記事(伝説の地方紙『日刊新民報』も2012年に廃刊)を拙文の註記として引用すると共に、草薙さんがある時期、店を舞台に月1くらいに開催していた素顔塾についてだけ紹介し、遅まきながら、愛すべき草薙さんを偲ぶことにする。
 素顔塾、まったく立派な事業! 草薙さんのお気に入りの有名人?を塾頭(草薙さんはそう呼んでいた)として招き一夕話を聴く、聴く側は塾生、素顔社の常連さんからなる。自慢の酒や肴を持参して、塾頭の話の後に大いに盛り上がる、というものであった。そういうバンカラが苦手なシャイなわたしは、水木しげるの時も杉浦日向子の時も敢えて参加しなかったが、岩波のラスカサスの編集者、宮澤賢治の専門家でもある科学者の斎藤文一さんの時には参加した。そして、「最高の仏教研究者のおひとり」とわたしが草薙さんに紹介した松本史朗さんが、「信仰と仏教—またはドストエフスキーと宮澤賢治」について話をすることになった夕べ(1985.10.18)だけは家族ぐるみで積極的に参加したことを覚えている。野蛮な?世界に巻き込んでしまった松本さんには今でも済まく思っているが、その時の真摯で格調高い松本さんの『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』、『銀河鉄道の夜』や『法華経』などをめぐる話は、テープに録音して今でも手許にあるから、機会があったらどこぞで紹介したいと思っている。若々しく爽やかこの上ない松本さんの声とその話しぶりは、今年度中に古稀を迎える34年後の今と少しも変わらない。驚くべきこと・・・
 もとい、そんな素顔社の草薙さんがわたしについて書いてくれた記事を改めて読んだ。事実と齟齬する内容に満ちているが、草薙さんにとって、わたしは「小社発足当時からの最もケチな上客の一人」だったとある。これだけは全く的確な表現だと感心する。「よく顔出しするけど、ほとんど本を買わない客」という意味だが、その通りだった。わたしはとことん貧しく、書棚には並べてもらえないコンクリートの床に直置きされた汚い文庫本くらいしか買わなかったのだから。また、草薙さんは、わたしの戯言(これもたぶん真実ではない)によって、自らの「運命の書?」とも言うべき、河口慧海の『入菩薩行』を見放し、菩薩道を諦めた、と言う。この本は、言うまでもなくBodhicaryāvatāraの河口慧海訳のこと。わたし自身は見放したりせずに、「善逝(佛陀)と法身具有の御經と佛子菩薩等禮拜せらるべき總てに禮拜恭敬して。善逝法子(菩薩)の誓戒に入ることを佛説に随ひ要を集めて説明すべし。」と始まる大橋家の博文館から刊行された金文字入りの紫布製函入りの文庫本を今でも大切に所蔵している。
 草薙さん、ああ懐かしいね。草薙さんのお住まいがどのあたりかは大体見当がついていたが、訪ねていくことはしなかった。が、草薙さんがただ一度だけ拙宅の玄関ブザーを押したことがあった。今でもしっかり繁盛している神田神保町の某有名T書店の兄者か弟君かは定かではないが、そのどちらか(弟さんの方か?)が運転するライトバン?(今のワゴン車)に乗って。所沢地区でT書店の買い付けがあり、それの仲介をしたのが草薙さんで、そのついでにわたしの所にも何かないかと寄ったといったところだろうか。古本屋通いを日課のようにしていたわたしだが、古本屋に本を売ることは原則としてしなかったのだから、思いもかけないことで、「何もない」と済ませばよかったのだが、つい当時書庫として使っていた庭のプレハブから選び出して、桃源社の小栗虫太郎の作品集函付きなどをまとめて「これなら」と言ったところ、Tさんは「喜んで」と買ってくれたことを思い出す。むろん草薙さんもそれだけで家に上がらずに帰っていった。本当に懐かしい想い出だ。その忘れ得ぬ人、草薙実さんが、昨年大晦日に80歳で身罷ったという。知ったのはつい先日のこと。心よりご冥福を祈りたい。合掌(2019. 10.20)(K)



『日刊新民報』(1985・8・20(火):日刊新民報社)

所沢千字文(金山町 くさなぎみのる)

 現代の奇書『定本ラヴクラフト全集』(国書刊行会)は、極稀熱狂読者に支えられて、間もなく完結する。内容は本文に就くしかないが、この全集月報⑥に一読ラヴクラフト自身が書いたとしか信じられない奇戯文?二千字ほどのものがあり、更に奇異なことに小社が何か途方もない古本屋のごとく書かれているのはなんぼ何でも賞めすぎだ。
 筆者は小社発足当時からの最もケチな上客の一人で梵語を専門とする研究者だがどうした訳かロシア文学を専攻する絶世の才媛を配偶者に持ち、ともに東大出ですこぶる簡素な実生活を送っている、らしい。
 研究に費す時間欲しさに三分以上かかる食事仕度はやらず大体缶詰・即席もの、季節によっては山野草をむしって味噌つけて食うそうだから、簡易生活者として名を成すことも可能だろう。
 名を金澤篤さんといいどこぞの寺のいささか規格はずれの出自だったようで、ご多分にもれずたいへんな照れやで自虐に近い。従ってミーハーを自称するが、ある時、ぼくの若い頃枕頭の書だった河口慧海『入菩薩行』を示し、あんた仏教学者としてどう思うかと尋ねたら、確かに慧海はよい仏典を探しにシルクロードも旅したが、他の学僧が招来せし仏典までおのれの成果にするなどボウズの風かみにも置けない野郎だと断定したのである。
 このボウズの直系がNHKで高給取って少しばかり有名になったところで参院全国区から自民党で当選したあのだだのアナウンサーのカミさんになっているのはよく知られた話だ。
 以来ぼくはこの本を見放して菩薩の道はあきらめ、金山町の五叉路で店番しながらボケッと座っているが修業が足りないせいかちっとも売れず買いもない。
 その金澤さんが書いた文が「ラヴクラフトと『禅の書』」と言う。つい先日そのコピーとこの怪文書解読の為にと称して何と三十三ヶ所もの注釈までつけて持参。その三十三番目で最後の注が「素顔社」で、そこにぼくが創業の頃名刺の裏に印刷した自戒が転載されてある。即ち、
〇素顔社は商道の原則を忘れたら、何もない
〇警醒の志を失ったら何もない
〇人間の良心に外れたら 何もない
〇学問の尊さを忘れたら 何もない
 とある。確かにそう書いた。おそらく金澤さんは、その初心を忘れたら何もないぞ、と言いたかったのだろう。自称「電卓派自然主義者エルメス」にとって今の世はほとほと生きづらかろうが、こんな知友のおかげで今までやって来れたのも事実だ。




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