一匹ヒツジの営業日報

練馬に住む一匹ヒツジ(狼ではない!)が日ハムを中心に中華料理や日常も含め愚痴る日記です。

伊東甲子太郎暗殺の地

2008-09-15 18:14:40 | 乗り鉄の旅~2008
昨日あげそびれたんですがせっかくですのでのせておきます。



こちらは新撰組に途中参加ながら幹部となった伊東甲子太郎が分離後暗殺された地です。
堀川通りを一本入った油小路通りの小さなお寺の前にありました。
ちなみに暗殺された後伊東の遺体を囮に高円寺党を誘き寄せ伊東一派の粛清を行うわけですがその中には試衛館以来の同士ながら袂を別った藤堂平助もおり激戦の上戦死しております。
藤堂平助戦死の地は油小路通りをもう少し北に向かった七条通りとぶつかる辺りと言われていますが残念ながら何もその場には記すものはありませんでした。



しかし、伊東甲子太郎という人は学も剣の腕もある人だったのに、こんな敵地でなんであんなにも油断してしまったんですかね?
完全に近藤勇をたらしこんだと勘違いしてたのでしょうか?
あと半年待てば京都での立場は入れ替わっていたでしょうに・・
自信と過信のとりちがいというのは恐ろしいですね。

お土産♪

2008-09-15 17:48:24 | 乗り鉄の旅~2008
by自分用σ( ̄∇ ̄ )



こうやってうちの本棚の上はカオスになっていくのでした(笑)
あと、会社用とか友達用とか買ったら結構金がかかってしまいました( ̄▽ ̄;)


こうやってこんな元値いくらかもわからん物を喜んで買うアホウもいるんですから、そりゃ観光資源になる何かがあれば一生懸命整備もしますわなぁ。



けど壬生寺の芹澤鴨のお墓の周りはやり過ぎだと思うんだ・・
お墓の前に自分を殺した人間の胸像なんてあったら安らかに眠れないでしょうに(´・ω・`)ショボーン

不動尊村屯所

2008-09-14 17:50:55 | 乗り鉄の旅~2008
そしてここが本願寺に金を出させて移った最後になる屯所ですね。
さすがに本願寺が金を出しただけあって大名屋敷くらいの規模があったそうです。
けどここも半年もたたないうちに大政奉還からの負け戦により逐われることになります。

太鼓楼

2008-09-14 17:16:57 | 乗り鉄の旅~2008
壬生が手狭になった新撰組が一時身を置いた場所ですな。
長州に同情的だった本願寺に睨みを効かすとともに脅かして新しい屯所を建てる資金を出させるという、一石二鳥を狙った策略としては素晴らしい。
が、世間の評判はよろしくなかったでしょうな。
ある意味多摩の田舎者だから出来た策略でしょう。



ちなみにここは新撰組幹部の数少ない生き残り島田魁が維新後守衛を勤めたことも有名ですね。
蝦夷で一緒に戦いながら出世した幕臣たちに媚びなかった彼の生きざまは格好良いものだと思います。

島原大門

2008-09-14 17:07:53 | 乗り鉄の旅~2008
ここをくぐる時には仕事を忘れて・・



とも言えず楽しむだけでなく密議や会合なんかが尊皇派、佐幕派共々行っていたようですから虚々実々の駆け引きがあったんでしょうな。

刀傷

2008-09-14 16:56:36 | 乗り鉄の旅~2008
あんまり新撰組連中が飲み過ぎてつけを払えなかったのか新撰組は出入り禁止を喰らったそうです(笑)



で、飲ませて貰えなかった隊士が激怒して暴れた時に出来た刀傷がこれだそうです。
こういう暴れた隊士には何かおとがめとかあったんですかね?

角屋

2008-09-14 16:36:52 | 乗り鉄の旅~2008
島原を代表する揚屋です。
壬生より約1km南に下りてきて着きました。
ここで近藤一派が芹澤鴨を暗殺のため酒で潰したのは有名な話しですね。



ちなみに今まで花街と遊廓の違いがよくわかってなかったのですが、今日ようやく理解出来ました(笑)
角屋はようは宴会場だっただけで、いかがわしく楽しい場所だと思っていた自分に猛省ですねヾ(・ε・。)ォィォィ

芹澤鴨の墓

2008-09-14 15:37:07 | 乗り鉄の旅~2008
しかし、8年前に来た時と比べて壬生寺がえらい変わっててびっくりしましたf(^_^;


今回阿弥陀堂は出来てるわ、芹澤鴨の墓の前に近藤勇の胸像は出来てるわ、墓参り前に100円とられるわ、土産物が売ってるわ・・
大河ドラマの後にこういう風に整備されたと言いますから大河ドラマの影響というのはさすがに大したものですね。
ただ昔は芹澤鴨の墓の周りに供養塔が立っているだけという簡素なものだった気がするんですが、今は金の匂いがし過ぎてあまり好感は持てませんでしたね。



大体供養するはずのお寺が殺された芹澤鴨のお墓の前に暗殺した近藤勇の胸像を造るなんてデリカシーに欠けるにもほどがあると思いますけどね。