昨日あげそびれたんですがせっかくですのでのせておきます。
こちらは新撰組に途中参加ながら幹部となった伊東甲子太郎が分離後暗殺された地です。
堀川通りを一本入った油小路通りの小さなお寺の前にありました。
ちなみに暗殺された後伊東の遺体を囮に高円寺党を誘き寄せ伊東一派の粛清を行うわけですがその中には試衛館以来の同士ながら袂を別った藤堂平助もおり激戦の上戦死しております。
藤堂平助戦死の地は油小路通りをもう少し北に向かった七条通りとぶつかる辺りと言われていますが残念ながら何もその場には記すものはありませんでした。
しかし、伊東甲子太郎という人は学も剣の腕もある人だったのに、こんな敵地でなんであんなにも油断してしまったんですかね?
完全に近藤勇をたらしこんだと勘違いしてたのでしょうか?
あと半年待てば京都での立場は入れ替わっていたでしょうに・・
自信と過信のとりちがいというのは恐ろしいですね。
こちらは新撰組に途中参加ながら幹部となった伊東甲子太郎が分離後暗殺された地です。
堀川通りを一本入った油小路通りの小さなお寺の前にありました。
ちなみに暗殺された後伊東の遺体を囮に高円寺党を誘き寄せ伊東一派の粛清を行うわけですがその中には試衛館以来の同士ながら袂を別った藤堂平助もおり激戦の上戦死しております。
藤堂平助戦死の地は油小路通りをもう少し北に向かった七条通りとぶつかる辺りと言われていますが残念ながら何もその場には記すものはありませんでした。
しかし、伊東甲子太郎という人は学も剣の腕もある人だったのに、こんな敵地でなんであんなにも油断してしまったんですかね?
完全に近藤勇をたらしこんだと勘違いしてたのでしょうか?
あと半年待てば京都での立場は入れ替わっていたでしょうに・・
自信と過信のとりちがいというのは恐ろしいですね。