負け組不良中年のたわごと

勝ち組には到底入れない年金受給も無理な不良中年のたわごとです。

ブロイラーか?

2006-10-27 19:45:10 | Weblog

いいかげん、オレの食事量をわかってくれ。
勝手にたくさん作って食べないと文句を言う。どう考えても分量が多すぎるだろう。
それにおかずはすべて一人分ずつ分けて出す。そりゃぁ分けるのもあるが家族で
ひとつの皿をつついたりすだろう。例えば野菜炒めなどはそうだと思う。

なんでもかんでも一人分ずつ分けて割当だ。割当を食べないと文句を言われる。
うまいのなら別だが、全体的にうまくない。(まずいまではいかないが・・・)

そのくせチラシの安売りは見ないと言う。自分の目で見て買うのだと・・・。
それは料理が得意な人のセリフだぜ。家計のことを考えてチラシ見て安売りの
やつでいいじゃんとオレは言うのだよ。そんなに君は金持ちなのか!?


なんでも「いじめ」かい!

2006-10-17 03:15:42 | Weblog

早退してサボるやつにその結果自殺したのが教師の責任?

親の責任はないのか?
そりゃ、教師の対応は良くなかったかもしれんが中学1年で学校早退して
うちでインターネットを見てるなんてぇのは学校より親の問題じゃねぇの?

どのマスコミも教師ばかり責めて、親の責任や本人の行動について言及
してるのはほとんどない。そもそもダメ教師にツッコミされたり、クラスメイトに
バカにされるような行動をしたのは誰だ?本人じゃねぇか!

そのバカさかげんやバカ親のそれまでの教育に何も触れずに教師だけを
悪者にしてどうすんだよ。なおさら学校の教師は教育に踏み込まず教科書
だけを淡々とやることになるんだよ。

教育評論家なるものまでが教師だけを責めてる。
確かに学校の教師は生徒に接してる時間は長いが親のほうがもっと長いのだ。
バカ親は自分のことや自分の息子のことを棚上げして他人に責任押し付けて
金でもせびろうというのかねぇ~


どうなんすかねぇ~

2006-10-13 23:52:49 | Weblog

知り合いにとても活動的な車椅子の人間が何人かいる。

そのうちのひとりはいろいろとチャレンジして、そこそこの有名人になっている。
思い立ったら行動するのはそれなりに良い事ではあるのだが、もう少し回りの人間に気を配ってほしい。その瞬間だけ付き合うにはいい奴なのだが、ずっと付き合っていくとあちこち問題になる事がどんどんと山積してくるのだ。もういいかげんいい年なんだから回りの人たちにも気を配る必要があるし、障害者だからいいかげんでいいということはない。人間ひとりでは障害者とか健常者とかに関わらず生きていくのは困難なことだ。彼自身がいろいろな事にチャレンジしたりする時にそれに賛同した人たちが一緒にやろうと思うのだ。それは彼自身の部下でも奴隷でもなく、ひとりの人間として一緒にやろうとしているのだ。そのあたりを直接ぶつけたことがあるが、残念ながら一向に治る気配はない。何かやるたびに新たなシンパができて、彼を持ち上げているからだ。しかし、結局ひとつのイベントに一生懸命やる人ほど(すなわち彼と長い時間を過ごす人ほど)、その一度で離れていく。
長く付き合ってる人間はこのあたりがわかっている人がほとんどなのだが、彼本人は一向に気に留めない。あんまり物分りが良すぎるのも困るがもう少しなんとかならないかなぁ~

ところが、最近もう一人同じようなコースを歩んでいるのがいるんだよなぁ。mixiでコメントしてるのはワシ以外はみんな「偉い!」「勇気付けられる!」「感謝!」のべた褒めばかり。普通の会話(ツッコミしたり、ボケたり、くだらないこと)が成り立たない状況なのだ。
コメントつけてる連中がどんなやつらか知らんが、ちょっと障害者ががんばると「すばらしいこと」と勘違いし、障害者は善人しかいないと思い込んでるんじゃないのかねぇ。もちろんそいつは友人だから少なくとも悪人ではないが、そのへんにいる普通の人よりちょっと頑張る人で、悪態もつくし、愚痴もこぼす普通の人だ。その持ち上げ具合にどうも本人もそれに乗ってしまっているのがオレにはたまらなく不愉快なのだ。ヤッカミももちろんあるが、「そんなにべた褒めするほどすげぇわけでもないぜ」とぼやいてしまうのだ。

どうなんすかねぇ~


密かなお楽しみ

2006-10-05 00:47:24 | Weblog

たま~に(ほんとにたまにだ)思っている人倫に劣ることを実行したりする。

まぁ、人倫に劣ると言ってもそこはそれなりの配慮をしているわけで(意味不明)少なくとも他人様に迷惑をかけないようにはしている。

だったのだが、今回はお相手に余計な迷惑をかけてしまった。
なんとお楽しみの後にホテルに携帯電話を忘れてしまったのだ。お遊び専用携帯電話(んなもの持つほど遊んでないのに・・・)なので、チェックアウト時に余裕があったにも関わらずすっかり忘れて気が付いたのはお相手と別れた後。

「取りに戻ればいいじゃん」
それが普通なのだが、実はこのお遊び自分の活動テリトリーから著しく離れていて取りに戻ると飛行機(!?)に乗れない可能性があったのだ。でお相手の地元ということで申し訳ないのだがお相手の方に取りに行ってもらい宅配便でもこちらに送ってもらうことにした。幸いにもお相手の地元ということで瞬時に時間などを計算してくれて、空港に向かう途中駅で落ち合え忘れた携帯電話を取り戻すことができた。Skipという新しいANAのサービスのおかげでチェックインにかかる時間も少ないのが幸いした。しかし、ホテルのアメニティのうち使い捨てライターが手荷物検査でひっかかり(元々自分のも持っていた)、ひとつは廃棄ということで検査官に渡した。(しかし、これらで集まった使い捨てライターの山はどうなるのだろう?)

ところで今回のお遊び、前日午後から遠征したのでいわゆるサービスタイムをフルに使い充分堪能させていただいた。何かもっぱらこちらがご奉仕を受けるばかりで多少申し訳ない気もするのだが・・・・
1年に一回あるかないかなのだが、お互い割り切って行為そのものを楽しんでる(と私は思うが・・・) もちろん行為と言ってもそれだけをえんえんとしているのではなく、話もしているのでそれが互いのストレス解消にも繋がっているとは思うが。次があるかないもわからない事もお互い充分承知している。お互いが都合のいい男、いい女なのかもしれない。でも、気持ちよかったぜ


愛とセックス

2006-10-01 01:23:27 | Weblog

というmixiのコミュの話を以前書いたが、確かに愛とセックスは別ではあるのだが、セックスに「愛情」は必要だと思う。

なぜこんな話を再び書くのかと言うと、あるところで「やらせてくれ!何でも買ってやるから」と言われた女性の話を読んだからだ。そこに至るまでその女性はいろいろプライベートな話を聞いてあげていたらしいのだ。しかし、そういった話をしていればこんなセリフを吐くなんて言語道断だと思う。そうした話をしているということはそこに恋愛感情はなくても感情的な繋がりが多少なりともあると思う。その一言はその感情的繋がりをぶち切るものだ。それではなく、相手に対してとても不快な感情をもたせることになる。

そこで「愛情」という話が出てくるのだ。もちろん恋愛感情ではない。ただセックスをするというのは自分だけの満足を得るものではなく、男女が共に快楽を(肉体的にも精神的にも)得る行為だと思うのだ。その快楽を得るには「愛情」が必要だと思う。相手をいつくしむ心、悦ばせようとする心。そういった類の感情を「愛情」と言って差し支えないだろう。例えそれが一時であろうとお互い「愛情」を持ってまぐわいたいものだ。それでこそ、単なる肉体的快楽が本当のセックスの悦びになるものだと考える。自分もそれに精進したいものだ。