ケネディスクールに入学するちょうど3年前、広島で英会話学校に通い始めた結果、僕の英語に向き合う姿勢は劇的に変化しました。
それまで無味乾燥な“教材”でしかなかったTOEICやTOEFLのテキストとの格闘は、さまざまな新しい英語表現を貪欲に求める“趣味の対象”と化しました。ページを開くたび、新しい単語に出会うたびに、「おぉ、こんな表現があったのか(あったなぁ)。よし、今度、クリスやマリアに会う時に使ってやろう!」というポジティブな感動に突き動かされたのを、即ち、自分の英語に対する受動的な姿勢が能動的な行動へと確かに変化したことを今でもはっきり覚えています。
そして暇さえあれば年間30万円で通い放題だった英会話に入り浸り、授業終了後もネイティブの先生達につきまとい、土・日はそれこそ日本語をしゃべらないことも稀ではなくなりました。
また東京に戻ってからは職場が提供してくれていた早朝の英語研修に徹夜明けの状態でも参加するとともに、アメリカからやって来た研修生に僕の横に座って仕事をしてもらえるよう、上司に騒いで調整したりと、それこそあらゆる手段を使って、また睡眠時間を削りながら、限られた環境の中で英語のアウトプットの機会を貪欲に求めました。
アウトプットの機会を作ったことにより、インプットへの欲求は上昇の一途をたどります。通勤途中や出張先に向かう車や電車の中、さらにはトイレにまで、自分でまとめた単語帳を肌身離さず持ちこんではボキャブラリーを増やし、ラップ・トップのスクリーン・セーバーは、熱帯魚が爽やかに泳ぎ回るものから、なかなか覚えられない単語たちが横からダラダラと流れてくるものに変わりました。
こんな“ほふく前進”を楽しんだ結果、文法や読解は順調にスコアを伸びましたが、それとは対照的にちっともあがらないのがリスニングでした。自分はひょっとしたら先天的に耳が悪いのかもしれない、と疑って医者にかかろうかと、本気で思ったくらいです。
しかし、そんなリスニングにブレークスルーを起こしたのが、継続的な英会話と今でもほぼ毎日欠かさず取り組んでいるシャドーイングという手法。
シャドーイングとは、ネイティブが読んだ英語を聞きながら、それと同じ文章をそっくりそのまま音読することです。ただ、普通の音読とは以下の2点において決定的に異なります。
① 通常の音読のように文字を追うのではなく、耳から入ってくる音を、相手が読んだ0.5秒くらいあとをまるで影のように追うようにして読むということ。
② そうした自分の音読を録音し、別途用意してあるその内容の原稿と見比べながら、自分が正しく発音できなかったり、後れを取って全く音読できなかった箇所を、逐一(冠詞や複数形も含めて)チェックし、最終的に間違えの箇所がゼロになるまで続けること。
この手法はもともと同時通訳養成のための訓練手法だったそうですが、リスニング及びスピーキング能力の向上のために、独学でできる最も効果的で、だからこそチャレンジングな手法であると今でも確信して続けています。
こうした無我夢中の“ほふく前進”と、
「今は箸にも棒にもかからないボクだけど・・・、3年後の今頃は、ハーバードのケネディスクールで、世界中から集まった面白い連中と何不自由無くに生き生きと議論ししているんだなぁぁ・・・」
という、今でも覚束かない理想状況をものすごく具体的に頭の中に想像するという、半ば病的な「ボジティブな想像力」を発揮した結果、高校1年生レベルにまで落ち込んだ英語力は、その一年後の秋には、TOEIC:920、TOEFL:250にまで達していました。こんな風にして僕は、ケネディスクールにむけたレースのスタートラインに立つべく、靴ひもを結び終えることができたのです。
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一般的に、ケネディスクールに限らずアメリカの大学院にノン・ネイティブで出願する上で最低限必要なTOEFLのスコアは250点と言われています(僕は280近くまでスコアをあげて出願をしました)。仕事をこなしながら、このスコアを達成するために継続的に努力することは、海外在住経験や外資系での勤務経験のない、そして典アウトプットの機会のない型的な日本の詰め込み式英語教育を受けてきた多くの日本人にとって、最初に乗り越えなければならない、長期間の苦痛を伴うハードルです。
さらに、昨年より新しいTOEFLが本格導入され、文法セクションがスピーキング・セクションに取って代わられたこともふまえると、成功のポイントは「英語をアウトプットする機会を出来る限り増やし、それによって通常退屈で苦痛を伴うインプットのプロセスを如何に自分なりに面白くするか」にあると思います。
高い金と時間を費やして英会話学校に通うのは一つの選択肢ですが、実現が難しければシャドーイングでも代替できるでしょう。また、実は需要が多い在日外国人とのLanguage Exchange(こちらが日本語を教える代わりに相手から英会話を習う)の相手をウェブ等を通じて見つけ、彼・彼女を通じて在日外国人のコミュニティにアクセスするという手もあると思います。
また、こうしたアウトプット重視でTOEFLのスコアを伸ばしていく(伸ばすための努力を継続させるインセンティブを自分に与える)手法は、ロースクール等と比較してクラスでのディスカッションが重視されるケネディスクールのような公共政策系大学院やビジネススクールに入学した後にも、効果を発揮するとも思います。
特に僕が所属するケネディスクールのMPP(Master in Public Policy)プログラムは、250名の同期生のうち75%がアメリカ人、カナダやオーストラリアなど、所謂ネイティブスピーカーの比率は85%近くに上ります。さらに、非英語圏からの留学生もほぼ例外なく海外の四大を卒業し、英語圏で仕事をしている連中です。
ですから、出願のためにTOEFLのスコアをあげるべく苦闘をしたり、入学前の夏に英語のサマースクールに通っていたのは、正に日本人4人だけでした。
このブログの読者の皆さんのなかで、ケネディスクールのとくにMPPプログラムを念頭に置かれている方がいらしたら、こうした現実を念頭におきつつ、日本で可能な限り英語のアウトプットの機会を増やすことに優先順位を割くことを強く勧めます。
それからもう一つ。
僕のようなコテコテの日本人だとTOEFLと苦闘したり、そして入学後、ケネディスクールで議論する中でどうしても、
「あー、帰国子女はラッキーだよなー。こんな苦労しなくていいんだから」
とか、
「あーぁ、アメリカ人やイギリス人はいいよな。自分の言葉で議論しているだけなんだから。」
みたいな、ひがみに似たネガティブな思いがどうしても湧いてきてしまう時があります。しかし、これは生産的でないし大間違い。なぜなら、帰国子女の友人達は彼、彼女なりの、途方もない苦労を小学校や中学校時代にしている訳ですし、ネイティブ・スピーカーだって、秘かにフランス語や中国語、スペイン語等を一生懸命、苦労しながら勉強し続けている友人達が大勢いるからです。
英語に限らずそれこそ日本語だって、語学の上達は王道無しのライフワーク。
常に「ポジティブな想像力」と近視眼的で不器用な「ほふく前進」を続けることが、結果として目標を実現するツール獲得への近道だと自分に言い聞かせ、留学生活がスタートして1年が経過した今も格闘を続ける日々です。
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最後にアメリカ公共政策系大学院への留学を本格的に考えている読者の皆さんのために、GRE(Graduate Record Examination)について簡単に紹介して本稿を終えようと思います。
GREとは、Verbal(言語能力:800点満点)、Quantitative(数的処理:800点満点)、そしてWriting(6点満点)で構成される試験であり、大学院進学を目指すネイティブを対象に作られたものです(なお、ビジネススクールについてはGREの代わりにGMAT(Graduate Management Admission Test)の受験が求められています)。
よって特にVerbalセクションの難易度はTOEFLや英検1級とは比べモノにならないほど高く、ノン・ネイティブが高得点(例えば600点)をとるのは、何年もかけてGREに特化した対策をしない限り不可能だといってもいいと思います。
一方でQuantitativeは大学受験レベルの数学(算数)であり、多くの日本人は満点近くとれるといわれています。
こんなGREですが、特に留学生に求められる出願項目の中で、あまり重視されていないのではないか、といのが僕の印象です。
例えば僕が出願した2005年冬の時点で、コロンビア大学SIPAの出願フォーマットをみると、TOEFLはRequired(必須)とされているのに対し、GREはStrongly Recommendedとされており必須項目とはなっていません。また同じく公共政策大学院の名門校の一つとされるGeorgetown大学のGPPIの出願フォーマットにはTOEFL、GREのスコアを記入する個所はなく、TOEFLの実施主体であるETSを通じて、TOEFLのスコアを送付することのみが求められていました。さらに、Michigan大学のフォード・スクールの出願フォームにはTOEFLのスコアを記入する欄のみで、GREについては何も言及されていません。
もちろんスコアが高いことにこしたことはありませんが、限られた時間の中で優先順位をかんがえながら出願準備を進めなければならないことを考えると、GREの対策に血道をあげるのは得策ではないとおもいます。
目安として、このスコアはTOEFLの勉強をしっかりとしていれば出せるVerbalとQuantitativeの合計が1,100~1,200点程度、Writingが4点程度のスコアに到達したら、とっととGREのことは忘れて、上述した英会話能力の向上や、特にケネディスクールが最重視しているESSAYの作成に精力を注ぐべきだと思われます。(なお、このスコアは別に“足切り用ボーダー”という訳では全くありません)
ちなみに僕自身は出願年である2005年の8月から市販の問題集を買って勉強し、9月から11月まで3回も受けましたが、なぜか受けるたびに点数が下がりました(汗)。結局、Verval 410 Quantitative 700 Writing 4.0であった最初の受験時の点数を出願フォームに書き込んで提出しました。
目的は異なれど目的がある場合、そのために何かに努力することは共通ですから、大いに触発されます。
私も英語の勉強をしましたが、1998年に最初のTOEICが700点くらいで、920点まで行くのに、3年くらいかかってしまいました。
若い地方の役人は、暇な時間に何をしているのだろうかと思います。
自治体においても、もっと多様なチャレンジをする機会を若手職員に与えても良いかと思います。
話は変わり、少し前のことになりますが、oldyorkerさんに誘われたCrossover21へ初参加させていただきました。
とても刺激的な方々の集まりで、よくオーガナイズされた企画だと思いました。
来年は始発帰りを目標に楽しみにしています。
次回のクロスオーバーはkinkinさんと始発まで議論できるのを楽しみにしていますので、こちらこそよろしくお願いします。
某県のK氏のことですよね!
K氏とは、Crossoverでお会いし、親しくたくさんお話をさせていただきました。
ikeikeさんのバイタリティ溢れるお話もK氏から伺いましたよ。
ikeikeさん、oldyorkerさん、K氏は皆さん私から見ると眩しいかたばかりです。
今のところ、地方にはK氏のような人材を生かす制度がないのが自治体の弱みであると思います。
そこで、そうした制度や風土を創るため、人事担当をしている間にその種でも蒔いておきたい私も思っているのですが、当事者である若手のほうから声が上がって来ないのが寂しいところです。
結局、孤立無援。。。
そこで私のような老体が自己啓発等休業制度で国内でも公共政策大学院等へ行けば、触発される若手もいるのではないかとも思っているのですが、
いまのところ、「バカな奴」と思われて終わるような情勢です。
> 次回のクロスオーバーはkinkinさんと始発まで議論
喜んで!
この前のCrossoverでは、ikeikeさんとお話をしたいと思っているかたにたくさんお会いしましたよ!
確かに残念ながら現状ではK氏やkinkinさんのような意識と能力の高い人は「一匹狼」になりがちかもしれませんが、県内の各自治体に点在しているそんな一匹狼たちをつないで、ムーブメントを起こしていくことはできないものだろうか、とも考えています。