浅草寺東門に二天門(にてんもん)がある。写真の奥に本堂が見える。
本来は浅草「東照宮」の随身門であり、俗に「矢大神門」とも呼ばれていた、切妻造り、八脚門様式で元和四年(1618)東照宮を浅草寺境内に勧請した際、建てられた門、重要文化財指定。
浅草寺には日光の東照宮と同時に東照宮が造られ、参拝のためにこの門が建てられたが、寛永19年(1642)浅草東照宮は焼失、この門と石橋(しゃっきょう)だけが残った。明治の神仏分離の際、鎌倉鶴岡八幡宮の「経蔵」にあった「四天王」のうち二天を奉安し「二天門」と称したが、戦時中修理先で焼失、現在の「増長天」(左)、「持国天」(右)の二天像は、上野寛永寺の厳有院(四代将軍家綱)霊廟から拝領したものである。
本来は浅草「東照宮」の随身門であり、俗に「矢大神門」とも呼ばれていた、切妻造り、八脚門様式で元和四年(1618)東照宮を浅草寺境内に勧請した際、建てられた門、重要文化財指定。
浅草寺には日光の東照宮と同時に東照宮が造られ、参拝のためにこの門が建てられたが、寛永19年(1642)浅草東照宮は焼失、この門と石橋(しゃっきょう)だけが残った。明治の神仏分離の際、鎌倉鶴岡八幡宮の「経蔵」にあった「四天王」のうち二天を奉安し「二天門」と称したが、戦時中修理先で焼失、現在の「増長天」(左)、「持国天」(右)の二天像は、上野寛永寺の厳有院(四代将軍家綱)霊廟から拝領したものである。
修復したばかりなのでまだ下げていないのです。
提灯の底に注意すると、また違った意識をもたれたかも
知れません。
ソコが肝要で、4つの提灯共に龍が潜んでいます。
Digital Lifeさんが撮った本堂の提灯には写っています。
「底」をもっとしっかり見てくればよかったですね。
雷門の幸之助さんの名前は、しっかり見てきたんで
すけどね..
今後とも、よろしくお願いします!!