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必ずコメントに参ります by iina

飛鳥

2012年06月13日 | 歴史街道
その昔、近鉄吉野線飛鳥駅でレンタル自転車を借りて巡ったりした。写真には家族が写っているので案内写真は小さくしたiinaサイトの写真を使うことにした。大きい方はiinaが15年ほど前に撮ったもの。
                               
石舞台古墳
月夜に狐が美女に化けて舞いを舞ったと伝わる。蘇我馬子墓説が有力。
                               
橘寺
此処で聖徳太子が誕生したとされ、境内に人の心の善悪を表現する二面石がある。

 川原寺飛鳥三大寺で、一時的に宮として代用した。

 亀石
  亀が頭を垂れうずくまっているような姿をしている。亀石が、西を向くと辺りが海のようになり大和が洪水になるという伝説がある。

入鹿の首塚飛鳥寺西傍の畑の中にある五輪石塔。
中大兄皇子と中臣鎌足に殺された蘇我入鹿いるかの首が葬られていると伝えられている。雷丘

飛鳥板蓋宮跡飛鳥宮の天皇(大王)の宮の跡地と伝わり、この宮で入鹿を襲った。

酒船石遺跡<酒船石 亀形石造物>
酒船石は、酒の醸造に用いた説から命名されたが、2000年2月亀形石像物の出土により水を注ぐ湧水施設と解明された。
石組み遺構にある亀形と小判形石造物は、閉鎖された位置にあることから秘密の祭祀場とされ、対する北部の飛鳥池遺跡が斉明女帝の「神仙世界を表現した庭園・饗宴場か神祭りの場」といわれる。更に北には狂心渠たぶれごころのみぞらしい運河跡がある。
鬼の俎まないた 雪隠せっちん
鬼が旅人を捕まえて上の俎で料理し食べた後、下の雪隠で用をたしたといわれるが、古墳の石室の一部がずれ落ちたとする説あり。

高松塚古墳  
石室・壁画に極彩色で四神が描かれている。

猿石
「今昔物語」に登場する吉備姫王墓内にあるユーモラスな表情をしている石造。欽明天皇陵の隣にある。

益田の岩船
天孫降臨伝説の岩船として語り継がれる謎の大石造物が、山の上に鎮座するのが不思議。


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7 コメント

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Unknown (tamirin)
2012-06-13 07:57:51
懐かしい~
修学旅行で行ったっきり。。
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石舞台古墳 (らいちゃん)
2012-06-13 09:04:43
石舞台古墳の中に入りました。
このような巨大な岩をよく天井に乗せましたね。
高松塚古墳や橘寺にも行きました。
奈良は観るところがいっぱいあって何度でも行きたい所ですね。
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Unknown (ぼたん)
2012-06-13 15:22:53
懐かしい学生時代に行きましたよ。
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石造物がいっぱい (ムツゴロウ)
2012-06-14 07:56:46
飛鳥のガイドを見て観光したくなりました。
東大寺とか法隆寺には行ったけど、飛鳥までは今まで縁がなかったです。
飛鳥は、石造物が多いですね。
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commentに 飛鳥観光 (iina)
2012-06-14 08:45:23
(tamirin) さん へ
陽射しが強い夏は、黒に熱を集め熱くなりそうです。
おしゃれをするのも大変ですね。

やはり、夏の服は白か青それも薄い色が爽快快適でiina~
・・・あぁ そうかい  (^^ゞ




(らいちゃん) へ
自殺者が多いのが東京都、大阪府、神奈川県の順なのは人口の多い所なので仕方ないですが、
徳島で踊る阿呆に見る阿呆と浮かれるに限るようです。
なるほど、最近阿波踊りが全国に広がっているのは、自殺予防を狙ったものでしたか・・・

そして、古代遺跡がたくさんある飛鳥辺りを歩いて、まほろばの里を味わえば、こころも
安らぐでしょう。
明日か(飛鳥)来年にといわず、今すぐにでも直行をすすめたいiina~。




(ぼたん) さん へ
おととしに白山神社の紫陽花を見てきましたよ。
やはり、「はくさん」と読むほどに「たくさん」な紫陽花です。
ことしは猿まわしが来ていましたか、犬猿の仲と申しますが、連れの犬と喧嘩しなかったですか?
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/7e6cd6dffd01934f46065d17ae5bb0b5




(ムツゴロウ)さん へ
好いガイドが務まったら幸いです。
飛鳥は、少し奈良の奥地になってますね。
こんど足を伸ばしてみてください。
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TBありがとうございます ()
2013-06-11 09:33:58
歴史マニアの小生としては、この記事にTBいただいたことは大変うれしいことです。個人的にも、何度か明日香に訪れておりますが、また行きたくなってまいりました。
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(桂) さん へ (iina)
2013-06-12 08:38:45
『日本書紀』の「斎明記」に、「斎明は初めに橘豊日天皇(用明天皇)の孫・高向王に見合いして漢皇子を生れませり...」
とある部分が、「漢皇子」を天武天皇とし、兄・天智は弟・天武より年下となる説ですね。

この話題は、「もののはじめ」の①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩を離れて近々公開予定です。

果たして・・・?
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