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1948年に考古学者・江上波夫が「騎馬民族征服王朝説」を発表した。4,5世紀にユーラシアで北方系の騎馬民族が次々と南下して新王朝を築いたことを踏まえ、日本でも例外ではないというものだった。
発表当時から、柳田国男や折口信夫らの民族学者や考古学者から根拠の乏しい空論と批評された。再び1990年代に江上説批評の最先鋒に考古学者・佐原真が次のように論説した。
騎馬民族文化が日本にやってきたことは認めるが、騎馬民族の王侯貴族と騎馬集団とによる日本征服はなかったとする。
騎馬民族は遊牧で暮らしている。モンゴル高原は1500mほどの標高でやわらかいニラ系の草が生える。
羊や馬は草を食べるが、南下すると雑草しかない。まして日本はもっと荒々しい雑草になるから、そこに行こうと志すかどうか。
匈奴が強かったのは騎兵の集団運用が得意であったことと、もうひとつ巧みな騎射の技術をもっていた。騎馬民族の弓は短く遠くまで飛ぶが、日本の弓は長いのに説明がつかぬ。江上の答は騎馬民族は行った所のものを採用するという。
地を引っかいている農民の姿をモンゴル人は軽蔑する。
また、家畜管理として去勢の習慣がない。血や内臓を食べることがないし、乳製品にも弱い。天皇家の儀式で犠牲を捧げることがない。誓いのときでも、古代の日本は水で口をすすいでいるが、騎馬民族は家畜を犠牲にしてその血を飲む。
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騎馬民族征服説は、大陸にある古墳のようなものと関連付けて説明した本を読んだことがあります。
その説は詳しく読んだことはないので、読んでみようかと思います。