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上野

2009年01月17日 | 東京エリア
東京の上野の地名は、伊賀の上野うえのを採った。
なるほど、江戸開府のとき藤堂高虎が上野付近を整地し屋敷地として拝領した。この辺りは、まだ地名がなかったため高虎は自分の領地の上野の称をつけた。
その証拠に、不忍池しのばずのいけがある。伊賀の忍者しのびからとったのだ。

偶然なことに、この辺りの台地は、かつて忍ヶ丘しのぶがおか、忍が森と呼ばれ、いかにも伊賀者に縁がありげだ。しかも、両者の地形が酷似している。どちらも三方からせり上がって小高い丘だし、東京の上野にある車坂、清水坂という坂は伊賀の上野にもある。


ところが、藤堂高虎が江戸にでかける以前から、江戸上野の地名は存在した。(御府内備考)
平安初期の小野篁おののたかむら(802-852)は、上野国こうずけのくに(現在の群馬)での任を終え、武蔵をすぎ、いまの上野のあたりに足をとめ、館を営んだために、当時たかむらのことを「上野殿こうずけどの」と呼んだ。 上野こうずけがいつのほどか地名になり、上野うえのと呼ばれるようになったという。

小野篁という人は、学才、吏学、詩才に長けた人で、弘法大師、菅原道真とともに、史上、もっとも超人伝説が多い。
京都の松原通りにある六道珍皇寺ろくどうちんこうじの古伝説では、篁は、寺の井戸にもどりこんで地獄極楽まで通ったという。

上野の地名伝説に篁が登場しても、弘法大師が津々浦々の伝説のなかに出てくるように、その点ではべつだん不思議なことではないように思える。

もっとも、小野篁が上野国の地方官になったことはないようであるし、御府内備考の編集も「付会の説なり」とあるから、おそらく嘘と思える。

「街道をゆく 夜話」司馬遼太郎をまとめました。


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3 コメント

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おもしろいですね (捨てネコ)
2009-01-20 07:25:48
TBありがとうございました
小野篁の「たかむら」という字が中々でなくて困りました。
つい「すめらぎ」と読んでしまいますしね。
読み方がいろいろあって人名は難しいです。
返信する
(捨てネコ) さん へ (iina)
2009-01-20 17:29:08
結局、きょう上野におでかけでしたか。
そして、谷中霊園で墓参りして、小野篁のように極楽まで
行っておじいちゃんに会ってきたのでしたか。
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TB(司馬遼太郎の作品) さん へ (iina)
2009-01-21 16:17:50
iinaも司馬遼太郎の大ファンです。
ほぼ、全作品を読んだような勢いです。
1月末から、長編で唯一読んでない「花神」を読むのを、
いまから たのしみにしています。
返信する

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