2009年9月終わりの2泊3日の新潟温泉旅の帰路、越後湯沢の「山の湯」さんに寄ってみました。
新潟の日本海沿いの「西方の湯」のある中条駅から、鈍行列車を乗り継いで、越後湯沢まで、ほぼ4時間半あまりの列車旅。僕のヤサは新横浜ですから、新幹線を使わずに道のりの半ばまで鈍行でいき、わざわざ越後湯沢で途中下車したってわけ。
----なに? じゃあ、お前は、たかが温泉だけのために、越後湯沢で下車したのか?
と問われれば、まあそうですねえ、と笑いながら答えるしかない。
越後湯沢にある共同湯、この「山の湯さん」は、ええ、古くからイーダちゃんの座右の湯のひとつなんですよ。
いままでに何度ここに訪れて、固く凍えた心と身体とを癒させてもらったか、もう勘定もできないくらいですねえ---ええ、それくらい繁く、ここには足を運んできています。
思えば、温泉に凝りはじめた2006年のあたりから、この種の参拝ははじまったように記憶してます。
なぜ、そうまでこの「山の湯」に魅かれるのか---?
むろん、名湯だからです。それは、決まってる。
澄んだお湯の底にほのかに香る硫黄臭がなんともたまらない、自然湧出のお湯をこちらの「山の湯」さんが、昔からいままで、しっかりと管理されているからです。
これほどの名湯につかれるのは、温泉好きにとって至上のヨロコビですもん。
こちら、湯口からお湯がボコッ、ボコッと湯舟に注ぐ、その注ぎ方が、自然湧出ならではの不規則な注ぎ方をしてるんですよ。ときには湯口からのお湯の流れが、とまったりすることもある。で、4、5秒後にまたボコッなんて溢れてくるのを、あったかい湯舟に肩までつかりながら眺めているときのあの至福…。
ただ、僕がここに足繁く訪れるのには、もうひとつ、いわゆる第二の理由があるんですねえ。
それは、あの川端康成の名作「雪国」の舞台になったのが、ここ、越後湯沢であったということなのであります。
あのー イーダちゃんは、むかしっから骨がらみの川端フリークなんですよ。
ですから、「山の湯」さんにつかっているとき、イーダちゃんの胸のうちには、いつでも川端さんのあの「雪国」がこだましているわけなんです。
ところで、あなた、「雪国」は、読まれましたか?
日本文学はじいさん臭いからイヤ、とか、陰気に枯れてる風情が苦手だからまだ未読だとか、そのようなことをおっしゃっているならあまりにもったいない…。
未読の方のためにちょっとだけ解説させてもらえるなら、えーと、この「雪国」っていうのは、東京で虚名を売った著名な舞踏の批評家である島村って男が、冬のあいだだけ、越後湯沢の温泉に湯治にくるんです。
で、現地にきたら芸者を呼んで、と---まあ、ひとことでいえば、彼、「女漁り」にきてるわけ。
そうやって、こっちでたまたま引っかけた、若くて美しい芸者の名前が、駒子---。
そのようなケシカラン情事の話なんですが、東京への遠い憧れと、この島村への思いがだんだんに募っていって、ヒロインの駒子がこの遊びのはずの恋愛にぐんぐん深入りしていっちゃうんですね。
この種の恋愛劇にハッピーエンドなんてありっこないってことぐらい、骨の髄まで知りつくしているくせに…。
こうして僕がストーリーを述べると、ありふれたただの薄汚い不倫モノになっちゃうんだけど、川端さんがこの話を書くと、話のどんな細部までもがきらきらと艶やかに光り輝くんだなあ。
僕は、川端さんは天才だと思います---大江健三郎はちがうと思うけど。
ま、能書きをいくら連ねても無駄撃ちにしかならないから、このへんでそろそろ川端さんの実弾紹介にいきますか---ほい。
----妻子のうちへ帰るのも忘れたような長逗留だった。離れられないからでも別れともないからでもないが、駒子のしげしげ会いにくるのを待つ癖になってしまっていた。そうして駒子がせつなく迫ってくればくるほど、島村は自分が生きていないかのような苛責がつのった。いわば自分のさびしさを見ながら、ただじっとたたずんでいるのだった。駒子が自分のなかにはまりこんでくるのが、島村は不可解だった。駒子のすべてが島村に通じてくるのに、島村のなにも駒子に通じていそうにない。駒子が虚しい壁に突きあたる木霊に似た音を、島村は自分の胸の底に雪が降りつむように聞いた。このような島村のわがままはいつまでも続けられるものではなかった。(川端康成「雪国」より)
はあ、写してるだけでため息がでちゃうよなあ…。
なんという名文、そして、それらすべての底に潜んで、すべてを冷酷に観察している、なんというこの「ひとでなし」目線---。
川端さんは、ある高僧がかつて述べたように、一種の「鬼」じゃないか、と僕は思います。
「鬼」は「鬼」でも、たぶん彼の場合、あてはまるのは「餓鬼」でせう。
美の「餓鬼」、愛の「餓鬼」、それから、他者の生命のきらめきに対して羨望の吐息をもらすことしかできない、ひととしていちばん大事な部分があらかじめ欠落した、さまよえる「餓鬼」…。
このひとは完璧にネガティヴ戸籍、この世の影の国在住の埒外者ですよ。
もうはなからこの世に生きてないんですね---ただ、たまたまこの世に産まれてきちゃったから、かろうじてなんとか生存してる---おもしろいことなんかなんもない、薄暗くて淋しいばかりのこの世だけれど。
他人の愛情も葛藤も、世の騒乱も混乱も、なーんも関係なし。
どうせ煙のごとき世の中だもの、ふらふらと川べりを散歩しつつ、ときどき草むらのあいまに恋人たちがまぐわってるのを見つけたら、おお、いいなって餓鬼のまなこでじーっと眺めて、餓鬼の視線で情事の炎の最後のほむらまで見つくして飲みこんで……そうすればなんとか残りの行路もゆらゆらと歩いていける…。
言葉はわるいけど、僕はこのひと「生命の乞食」じゃないか、と以前から感じてるんです。
面白いことも、生き甲斐も夢も、なーんもないの。あるのは「むなしむなし」の退屈と孤独と。それと、たまさかの肉の情事---それ見て、男女の交合のエネルギーと光とをふかーく吸いこんで、ほんで、またゆらゆらと暗い叢のうえを飛んで、うつろっていくばかり…。
なんか人間じゃない、むしろヒトダマとか浮遊霊みたいなイメージなんだけど、僕、川端さんの本質はそれだったと睨んでますね。
このひとは大作家なんかじゃありません、ただの妖怪ですよ。
妖怪というか、一種の「色情霊」なんじゃないかなあ。ひとと称するためには、ちょっとばかし壊れすぎているもの。
ただ、壊れてはいるけど、感受性の冴えと繊細さにかけては、なんとも無類のモノがあるんです。
----「しかそんな夢を信じるもんじゃない。誰だってそんな夢は見るが、逆夢のことが多いんだ。そんな夢を信じると自己暗示にかかって、嘘がほんとになったりするからね」
「そんなことを言ったってだめですよ」
「どうしてだめだ」
「なんて言ったってしかたがありませんもの。この秋に死にますね。枯葉が落ちる時分ですね」
「それがいけないんだ。死ぬと決めてしまうのが」
「私なんかどうなったっていいんです。死んだっていい人間は沢山あると思います」
お夏は固くうつむいていた。突然私はこの自分の滅亡を予見したと信じている存在に痛ましい愛着を感じた。このものを叩毀してしまいたい愛着が私を生き生きとさせてきた。私はすっくと立上った。うしろからお夏の肩を抱いた。彼女は逃げようとして膝をついと前へ出した拍子に私に凭れかかった。私は彼女の円い肩を頤で捕えた。彼女は右肩で私の胸を刳るように擦りながら向直って顔を私の肩に打ちつけてきた。そして泣出した。
「私よく先生の夢を見ます。---痩せましたね。---胸の上の骨が噛めますね」
私は二人の死の予感に怯えながら、現実の世界に住んでいないようなお夏を現実の世界へ取戻そうとするかのように抱いていた。この静けさの底にあらゆる音が流れるのを聞いていた。(川端康成「白い満月」より)
嗚呼、怖い。如何です、この暗いポエジーの怒濤の奔流は?
読んでいて、そのあまりの地獄ぶりに、ギシギシとこの世ならぬ耳鳴りがしてきます。
不吉な青白い炎がたえまなく飛び交っているさまなんかは、さながらあのホロヴィッツのピアノ演奏のようじゃないですか。
× × ×
おっと。「雪国」からいくぶん話がずれてきちゃいましたね。軌道修正しませうか。
そんなこんなで傑出した一代の詩人であった川端さんの足跡をたどる旅が、僕的には非常に愉しいわけなんです。
興味ないひとには「なんのこっちゃ?」でしかないかもわかりませんが、川端さんが戦前の一時期この越後湯沢に滞在して、あの名作「雪国」を仕上げたっていうのは、動かしがたい事実ですからね。
ちなみに、川端さんがここに滞在してたときのの宿の名は、「高半」っていいます。
いまももちろん残ってます、ただ、現在は「雪国の宿 高半」なんて称しているようで---。
この古びた共同湯「山の湯」さんのむかいの丘陵に、この「高半」さんは、ドーンと建ってます---ええ、近代的な、鉄筋コンクリートのでっかい宿ですよ。
入口も赤系の絨毯が豪奢で、なんか凄いの。
で、二階をあがったとこには、川端さんが「雪国」を執筆した当時の8畳間が、そっくりそのまま再現されてるの。
有料で、入場料を払うと上にいくエスカレーターを宿のひとが動かしてくれて---この部屋を観覧することができます。
僕も以前いってみた。すると、「雪国」の映画なんかも、1日に何度かここで上映してるんですね。
ここのお風呂も入ってみたことありますよ---ガラス張りで、景観のいい、掛け流しのいい湯だったと記憶してます。
しかし、あれやこれやと多くの策をこらすにつれ、原初「雪国」の素朴な情緒から、かえって「高半」さんはどんどん離れていっているように僕には感じられてしまう。
ええ、「雪国」のなかにあったあの情緒は、むしろ当時の「高半」さんの真向かいにあった、この歴史ある小さな共同湯「山の湯」さんのほうが、より純粋に保持しえているんじゃないか、と思います。
ですから、僕は、越後湯沢にきたら、いつもここ「山の湯」さん一本なんですよ。
では、ちょっくらここらで「山の湯」さん周辺の風景なんかも、何点かUPしておきますか---。
まずは、肝心の「山の湯」さんの三景ね---。
正面入口のガラス戸と男湯の湯舟と着替処の天井---こちらのお風呂は実によくジモティーに根付いていて、いついっても大抵誰かほかに湯浴み客がいるんですが、このときは珍しく僕以外どなたもおられなかったんで、携帯でパチリとやっちゃいました。
これはもう、見てるだけで涎がでてきそうな、質実剛健の湯舟じゃないですか。
素朴でなんの飾りもないけど、これこそが真の意味での山のお湯だと思いますよ、うん。
ちなみに、川端さんも越後湯沢に滞在中、この「山の湯」には何度も足を運んでこられたそうです。
そうして、こちらは、この「山の湯」さんのある丘陵をさらにさきに登ったとこにある展望---小説「雪国」にも登場する穴沢河の風景です。
僕が以前ここに訪れたときには---いま nifty温泉さんのクチコミ投稿で調べなおしてみたら、2006.9.21のことでした---河の流れの中央の堤防のところに、猿がいっぱいたむろってました。
さらに右に曲がった河の流れに沿って、河の向かって左の部分に、山道が細々と続いていってるの、見分けられるでせうか?
これ、「雪国」のなかで島村がたどった散歩コースです。
すなわち、当時の川端さんが散歩したままの道---それが、まだ、そっくりそのままあるの。
僕もここをたどって奥までいったことあるんですが、道がつづら折りになって、結構山の奥まで入っていけちゃうんですよね---この道をいくと。
「山の湯」さんで極上のお湯を堪能したあと、この穴沢河沿いの道をぶらぶら歩く、というのはイーダちゃんお気に入りの、お薦め散歩コースのひとつです。
おっと。もうひとつ忘れもの---この「山の湯」さんの旬はね、なんと春先なんですよ。
春先---越後の春は、僕の住む関東に比べるといくらか遅いんですが---その春になると、この「山の湯」さんの敷地内に生えているソメイヨシノの桜が、一斉に花ひらくんです。
「山の湯」さんの湯舟にぼーっとつかってるとね、窓からすぐにそれが見えるの。
はらはらはらーってね---これは、極上ですよ---この時期の「山の湯」さんの湯浴みの至純さは、これは、もう譲れない。
----願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ
なんて有名な西行法師の歌が、脳味噌の奥の忘却済みの記憶の書庫からぽろっとまろびでてくるような、それはそれはキュート極まりないお湯なんですから。
温泉好きなひとは、この時期の「山の湯」さんを、是非自らの肌と心で体験してみてほしい、と思いますね---。(^.^;>
写真の山道、山に吸い込まれてしまいそうな、とてもいい雰囲気ですね。
人里離れた自然の場所って、とても好きです。森の精が、きっといるといつも思います。
先日は心のこもったバースディのメッセージをありがとうございました。胸にしみました。
私と同じ天秤座生まれのこのブログを、いつまでも大切にしたいと思っています☆
いまごろ山の湯は、越後の厚い雪のなかに埋もれているんでしょう。
ああ、雪見風呂、いきたいもんですねえ。
いま、僕は、音楽仲間と今度施設でモーツァルトやることになったんでギターの猛練習中---ブログに注げるパワーが正直不足気味といった感じなんですが、
にもかかわらず訪ねてくれて、コメント有難うえす!(^0^)/