イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その19☆清原なつのによろめいて☆

2010-10-31 11:31:51 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                               

 今回は、少女マンガのお話です---。
 しかも、一条ゆかりとか山岸涼子とかいくえみ稜とかのビッグネームじゃなくって、もそっとマニアックな、清原なつのセンセのマンガのお話。
 あのー だから、清原なつのさんのマンガに興味ない方は、読まないほうがいいんじゃないかなあ、と思います。
 余計なおせっかいかもしれないけど---損しないために。
 損なんて全然オッケー、ポエジーとはそもそも人生の損のなかに生息しているのだから、という粋な信条をお持ちの方と、あと、清原センセのマンガをご存じだというお方のみ、これより先にお入りください---。

 僕が清原ワールドと出逢ったのは、いま調べなおしてみたら1978年の10月のことでした。
 なんと、イーダちゃん15の秋!---妹から借りた「りぼん」増刊号のなかに、先生のマンガが乗っていたのです。
 僕の目当てはおなじ「りぼん」にレギュラー連載されていた一条ゆかりの「砂の城」のほうだったのですが、一読するやいなや、先生の世界に惹かれるモノをしんと感じたのです。
 「村木くんのネコぶるーす」という作品でした。(これ知ってるひといるのかな?)
 あらすじとしては、要するにありふれた再婚話なんですよ。ただ、再婚する双方にそれぞれひとりづつ連れ子さんがいるんです---親父さん側には、物語の主人公の村木くん(彼は受験生という設定です)、そして、妻サイドの側には彼よりひとつ年上の美禰子(みねこと読みます)ねーさん---この年頃のふたりが両親の再婚に対して抱く、微妙で繊細な思いと葛藤とがテーマになってるお話なのでありました。
 フツーだったら、こういうの、妙にねとーっとした話になっちゃいますよね、今までの少女マンガだったら。
 ところが清原センセのはちがってた---なんかね、どっか乾いてるんです。
 乾いてて---そう、ちょっと理科系のにおいがするんですよ---人間同士の決死の葛藤をちょいと離れた位置からメガネごしに眺めている理系の一少女、みたいなクールなかおりを僕は一瞬嗅ぎつけたんですよね。
 そのイメージ、たまたまだと思うんですけど、このページ冒頭にアップした花岡ちゃんとやや似てますね。
 そしたら、どうしてか惹きこまれちゃった、そのクールで繊細な距離感と造形とに。

 この子供たち---村木くんと美禰子ねーさんは---内心ではどっちとも両親の再婚には反対なんです。
 でも、お互いもう17と18なわけですし、子供じみた感情に訴えるのも大人げないと思ってる。
 ところが、主人公の村木くん、さっそく同居しだした義母の由比さんにどーしてもなじめないわけなんですよ。
 で、それがあるとき、小さな喧嘩に発展しちゃう、義母の由比さんが泣いちゃうわけです。
 村木くんは自己嫌悪に陥って自室にこもっちゃう。
 すると、そこに勝気な美禰子ねーさんがやってきて笑うわけなんです。

  -----こわれてとーぜんいつわりの平和!!(必要以上にはしゃいだ感じで)
  -----うるさい何しに来た。だまって…いや、急にわめきながら人の部屋へはいってくるな!
       いつわりじゃない、みんな努力してんだ、だのにおまえがぶちこわしてゆく。
  -----ウソよ ウソッパチよ! もともと他人 どうあがいたって他人よ!
  -----最初はかあさん とうさん 他人だったよ。ねーさんのパパとママだって……
      (プイと顔をそむける美禰子ねーさん)

 ちょーっと原画のほうを見てみませうか---ざっ!

                   

 この右上の、バーンと高らかに笑う美禰子ねーさんに、僕は非常に惹かれるモノを感じたんです。
 なんちゅーか、この絵、「痛い」んですよ。美禰子ねーさんは笑っているし、流れ的にもコミカルに画かれているから、本来なら読んでて笑うとこですよね? 実際、僕も読んでて笑ったような記憶はあります。でも、にもかかわらず、この流れはなんだかちょっと胸にくる。というかちくりと「痛い」。
 最初は絵のせいかと思ってた。ねっ、清原センセの絵ってどこか醒めてるじゃないですか。醒めてて、余白の白がほかのマンガ家よりだいぶ多くて。その白に対して、僕はいつも非常に潔癖な印象をもっていたんですよ。
 ああ、このセンセはきっと綺麗好きでケッペキなひとなんだろうなあって。
 うーん、たとえば多くの清原作品に共通する要素というのをつらつらと考えてみて---僕はどうやらそれは「喪失」の情念なんじゃないかと思うんですよ。
 この「村木くんのネコぶるーす」の村木くんと美禰子ねーさんのケースでいうなら、このふたりは「本当の家族」というものを喪失してるんですね---出逢いのまえからあらかじめ。だから、その関係を改善したくて、いろいろと葛藤を感じたり悩んだりしているのですが、いずれにしても「喪失」というキーワードでもって、ひとくくりで結ばれてる関係なワケなんですよ、ざっくりいえば。
 だから、美禰子ねーさんもこんな風に「こわれてとーぜんいつわりの平和!」なんていってはしゃいだりしてるけど、たぶん、内心は張り裂けそうになっているのにちがいないんです。
 むきーっとなって怒っている村木くんにしても事情は同じこと---彼だって切ないんです。
 親密になろうとして、けれど、微妙なすれちがいから家族の皆の関係がほころんでいくのを、どうしていいか分からないでいる。
 でも、だからといって清原センセのペンは彼らを安易に泣かせたりしない、涙のなかの安逸は清原ワールドのもっとも厭うところ。
 清原作品のヒロインは、だから泣けないんですよ---作者のペンによってそう設定されちゃってるから。
 じゃあ、哀しくないのかといえば、むろんそんなことはない、哀しみはあくまで哀しみです。
 ただ、彼女らは、哀しみの濃度を下げようとしたり、哀しみから逃げようとしたり、ふつうなら思いつきそうなことをあんまりやらないんですよね。むしろ、哀しみの対処法に関してはずぼらな感じさえする。

   ----あんた… その細絹の髪に何をかくしてる? 風紀違反の超ロングヘアに何をかくしてる?
   ----私… 
     (みすかされたのかしら? まさか… わかるもんですか!)
                                                (1979年作品「桜の森の満開の下」より・生徒会長とイオナの会話)

 もしかして哀しみは哀しみ、生活は生活、と区分けしているのかな。
 哀しみはあくまでも胸にそっと秘めたまま、それはそれとして耐え忍びつつ、そのままで笑ったり怒ったり、あるいは恋したり議論したり、着実に生きていく道をあえて模索してるようにも見えますね。
 あの美禰子ねーさんのどこか醒めたような顔と、ちっとも飾らないすっぴんの表情で世界と対峙してる花岡ちゃんの顔とは、そういう意味でよく似ています。
 けなげですよね、とても---。
 けなげでいて、まっすぐだ。
 清原作品のなかのヒロインのそうした目線のまっすぐさに、イーダちゃんはまず惹かれました。

 当時の少女マンガの本流はそうじゃなかったんですよ。
 涙による救い、王子サマによる救い、そんな救いの結末パターンはそれこそ山ほど流用されていて、どちらかというとそっちのほうが主流で定番だったんです。いってみれば、みんなでしめしあわせて水戸黄門を上演してたようなもの。みんな、それなりにずるかったんですよね、マンガのなかのヒロインたちもそれの読者たちも。ハードな現実とガチに闘うより、羽根布団のマンガ世界のなかにくるまれているほうが、そりゃあ居心地いいに決まってますもん。
 マンガという物語世界のなかで結ばれた架空の共犯関係---ルールはいつまでも籠の鳥でいることと、籠の外の世界を決して見ないこと---このふたつ。
 清原なつのはそれにノンといったわけです。
 ノンといって自分の足で巣立っていくことに決めたんですね。
 荒波と他人のごうごう渦巻く世知辛い世間の海のなかに、たったひとりで帆をあげて。
 だから、ちょいとほろ苦かった。ほろ苦くって、新しかったんです。

 でも、こんな風にいっているのは僕だけじゃなくって、有名どころではあの吉本ばななさんが、

   ----彼女の描く女性たちは今でも私の理想像です。
 
 なんていってらっしゃる。うーん、さすが分かってますねえ。(^.^;>

 たくさんある清原作品のなかでいちばんいま手に入りやすいのは何でせうか。
 ひょっとしたら「家族八景」あたりがいちばんポピュラーなのかもしれませんが、僕はこれの原作の筒井さんがあんまり好きじゃないんで、これはあいにく推薦できません。
 早川書房から出てる「花図鑑」なんてどうでせう。傑作揃いですよ。
 このなかの「雨のカトレア産婦人科」なんて特に好きだなあ。これ、作家志望の本屋バイトの女の子と幼馴染の産科医との恋の話なんです。
 あと、伝統の女学校が経営難で男女共学になっちゃう際の関係者の悲喜劇を描いた「聖笹百合学園の最期」もいい。
 ただ、こうした円熟期の清原センセもよいけど、青春期の、若き時代の清原なつのの魅力はやっぱりまた格別なんスよ。
 ものすごーく古い作品で、手に入れるのも読むのもいまじゃ難しいかもしれないけど、
 1982年の5月の「飾り窓のあかね姉さん」なんてもうマイ・フェバリアット。
 1979年の「桜の森の満開の下」もいい。あのなかで生徒会長がコクトーをもじっていう、

   ----私の耳は貝のから 人の親切うとんずる…

 なんてフレーズ、いまだに耳に貼りついてて折りにふれでてくるくらいですから。
 
 ああ、こんなの書いていたら清原作品がなんか急に読みたくなってきちゃったなあ。
 台風の影響で天気もまだあんまよくないし、今日の午後はアールグレイでも飲みながら、ひとつ、清原作品を読みあさって過ごそう、とたったいま即決したばかりの風邪気味60%のイーダちゃんなのでありました。(^.^)


 追記:最近、敬愛するまんが家の、あの天才・山本直樹氏が、清原なつのセンセを誉めている文章を見つけて、非常に嬉しい思いをいたしました。「マンガ好きを自称していて清原なつのを知らない人間はモグリだ」とまでのおっしゃりよう。やはり、やはーり清原なつのの世界はいいっすよ。切なくてちょっぴり涼しげで。

   ----大人になれば上手に恋愛ができると思ってました…
   ----恋はいつでも初舞台です。 
                             (1985年作品「うぶ毛の予感」より)

 

 

 



 


 
 


 
 
 

 

徒然その18.5☆ スケッチブックより--ポエム「ペコちゃん」☆

2010-10-31 09:01:24 | スケッチブック
                      

                     ペコちゃん

               ペコちゃんの心は風より軽い
               だからホラ--
               こうして空を飛んでいる

               ペコちゃんの夢は
               ビー玉をすかして見た雲の色
               だからホラ--
               こんなに優しい目をしてる

               肖像画を画きたいんだけど       
               似合う花はなんだろう?
               たんぽぽの花より軽くて
               優しい花を教えてよ
               僕は想うんだ
               それはきっと…

               ペコちゃんの心は風より軽い
               だからホラ--
               こうして空を飛んでいる




-----おっそろしいほど遠いむかし、芸大の授業中の段々デスクで2分くらいでさらさらって書いちゃった詩。たしか同人誌にも乗っけたような…。 当時イーダちゃんは友人のマンションの管理人の娘さんに恋していたのでありました。その娘のあだ名がペコちゃん(^.^;>




               

徒然その18☆アーティストの太陽星座別人名録☆

2010-10-28 23:48:13 | ☆西洋占星術への誘い☆
 雑誌の占いコーナーの末尾によく、<あなたと同じ○○座の有名人にはこんなひとがいます!>
 みたいなノリでさまざまな芸能人やタレントさんの名前が乗っているのを見る機会ってとても多いと思うんですが、たとえば僕なんかまったくTVというものを見ないので、知らないタレントさんの名前をならべられてもちょっと困っちゃうワケなんですよね。
 そのようなケースがあまりにもつづいて悔しくなったので、太陽星座別の人名録を自分流にこしらえてみようと思ったのが約7年前---登場するキャラもまるきりイーダちゃん好みのアーティストばかりでね、完全に自分用の楽しみのための個人企画のつもりでありました---壁に貼ってひとり悦に入って、その後はずーっと忘れてそのまま貼りっぱなしになっちゃって……。
 ところが先日、ある知人が「いや、なに、これ面白いよ」というので、えっ、そうかな? と意外の感に打たれまして、たまたまブログなんかも始めたばかりのタイミングだったので、それならと、これ、公開してみることにしました。
 つまんなかったら御免なさい。m(_ _)m
 けど、少しでも面白いなと思ってくれたり、あるいは何かの参考にでもしていただけましたら、イーダちゃんは大変光栄です。(^^;

                                  

                              ◆牡羊座生まれ◆

アルトゥーロ・トスカニーニ (イタリアの国民的指揮者。「歌え歌え、休止符まで歌え!」と叫びながら火の玉のような指揮をした)
チャーリー・チャップリン (銀幕の喜劇王。哀愁とペーソスにあふれた名作を多々残した)
ビリー・ホリデイ (Jazz史上最高の女性ヴォーカリスト。黒人ということで差別され苦難の人生を辿った。44才で死去)
フィンセント・ファン・ゴッホ (オランダ人画家。牧師になろうとしてなれず、画家になろうとしてなれなかった。多くの絵を画いたが、生涯で一枚しか売れなかった)
ウィルヘルム・バックハウス (ドイツ音楽の伝統を引き継ぐ正統派ピアニスト。ベーゼルドルファーの澄んだ音で淡々と弾くベートーベンが絶品)
サン・ハウス (初期の時代の黒人ブルースマン。ひとを殺して刑務所に入っていたこともあった。ロバート・ジョンソンの師匠)
ニコライ・ゴーゴリ (ロシアの大作家。書いたものすべてが命を帯びて動き出す程の異常な想像力をもっていた。代表作「外套」「検察官」。43才で餓死)
田岡一雄 (神戸山口組の三代目。山口組を現在のように大きくしたのは彼の功績。「田岡一雄」としか書いてない名刺がカッコいい)
和田あき子 (書く必要ないんじゃないかと思うくらい凄い知名度の日本人タレント・歌手。レイ・チャールズが好き)
ヨハン・セバスチャン・バッハ (対位法が得意なドイツの大作曲家。後世のあらゆる音楽家から尊敬された)


                               ◆牡牛座生まれ◆

ロバート・ジョンソン (伝説的ブルースマン。悪魔と取引して音楽の腕をもらったのでは、と噂されるほどギターが巧かった。29才で毒殺される)
デューク・エリントン (ビッグバンド・ジャズの開祖。大変な艶福家だったという。羨ましい。タッチの重いピアノが素敵)
ジェームス・ブラウン (ミスター・ソウルと呼ばれた黒人ミュージシャン。超熱い音楽と生き方。銃撃戦、カーチェイスなんて日常茶飯事だった)
ルー・テーズ (20世紀最高の偉大なるレスラー。ハンガリー系アメリカ人。得意技はバック・ドロップ。なんともいえない風格のあるひとだった)
リトル・ウォルター (ヤクザチックなブルースマン。ハーモニカの天才。マディー・ウォーターズのバンド出身。喧嘩で殺される)
レヴェランド・ゲーリー・デイヴィス (全盲の牧師、兼黒人ブルースマン。フィンガー・ピッキングの天才。あのシンコペーションはコピーできない)
ヨハネス・ブラームス (シューマンに見出された音楽家。重厚だが優柔不断な音楽を多々残す。シューマンの妻のクララが好きだった。手は出したのかどうか不明)
中原中也 (汚れっちまった悲しみに、の詩人。天才だと思う。アレクサンドロスの瞳をもっている。30才のとき狂死)
レイモンド・カーヴァー (現代アメリカの小説家。静けさのなかに暖かさを感じさせる独自の作風。 村上春樹訳の「ぼくが電話をかけている場所」がいい)
ペーター・チャイコフスキー (ロシアの作曲家。超メロディー・メイカーにしてワルツ王。交響曲もいいけど「白鳥の湖」「胡桃割人形」とかもよい)

 
                               ◆双子座生まれ◆

ロベルト・シューマン (19世紀のロマン派を代表する音楽家。スキゾで淋しい、現代を先取りした名作を多く書く。後年、発狂して精神病院で死亡)
川端康成 (ノーベル文学賞受賞に日本中が湧いた。代表作「雪国」「伊豆の踊子」。孤児として生まれ、その孤独な作風には類例がない。晩年、伊豆でガス自殺)
太宰治 (生まれてすみません、の太宰さん。でも、この言葉は盗作らしい。代表作「人間失格」。情死が好きで最期はやっぱり情死で死んだ)
安藤昇 (渋谷安藤組組長。男のなかの男。戦後のドサクサを学生ヤクザとして駆けまわる。ヤクザをやめて役者になったり、とにかく破格。凄え)
ポール・ゴーギャン (画家。このひとは器用で株の仲買人からボクシング、絵となんでもできた。一時期ゴッホと暮らすも決裂。タヒチに逃げる)
エフゲニー・ムラビンスキー (20世紀ソビエトの天才指揮者。その整った外貌に似合った冷たーい音楽を作った。僕は苦手。でも聴くと感動する。なぜ?)
マイルス・デイヴィス (現代Jazzの巨匠。名トランペッター。パーカーに憧れてJazzの世界に入った。コルトレーンを発見し育てる)
リヒャルト・ワーグナー (上演に4日かかるオペラをシナリオも音楽も凡てひとりで書き、その劇を上演する劇場までぶっ建てた恐るべきドイツ人)
レイモン・ラディゲ (フランスの天才小僧。コクトーとつるんでよく遊んでた。代表作「ドルジェル伯の舞踏会」。20才で死去)
マルタ・アルゲリッチ (アルゼンチン発の女流ピアニスト。ときおりケダモノみたいなピアノを弾く。そこが好きでそこが嫌い)


                               ◆蟹 座生まれ◆ 

ルイ・アームストロング (通称サッチモ。初期Jazzの偉大なる先駆。トランペットもVocalもパブリングもなんでもござれ。Hot Fiveあたりの録音がいいな)
ビクトル・エリセ (スペインの映画監督。代表作「ミツバチのささやき」「エル・スール」。10年に一度の間隔でフェルメールばりの名作を撮る稀有なひと)
カール・シューリヒト (20世紀前半を代表するドイツの名指揮者。渾名は「老紳士」。モーツァルト、ブラームスの曲の清明な指揮ぶりはまさに絶品)
リー・モーガン (名ジャズ・トランペッター。色気と艶の化身みたいな音楽をやるひと。浮気問題で逆上した妻にクラブで演奏中射ち殺される)
ディオン・ディムチ (多分みんな知らないと思うが50'Sに流行ったドゥーワップ界の白人スター。歌めちゃ巧し。フィル・スペクターが買っていた)
エドガー・ドガ (踊子の連作で有名なフランス人画家。デッサンを重視しアングルを尊敬していた。晩年はほとんど世捨て人と化しパステル画ばかり画いていた)
マルク・シャガール (ロシア出身の幻想画家。パリに渡って本格的に活動。架空のパリ上空にふわーっと舞いあがるような飛翔感がいい)
万年東一 (愚連隊の元祖。映画「兵隊ヤクザ」のモデルになった一代怪傑男。安藤昇の親分筋にあたる。若いころ、個玉誉史緒を殴ったことがあるらしい)
リンゴ・スター (ビートルズのドラマー。ヘヴィーであとノリの実にカッコいいリズムを叩く。初期ビートルズのサウンドの要)
グスタフ・マーラー (20世紀の交響曲作家。抒情的で瑞々しく、喜びと落ちこみの緩急が激しい作風。死ぬのが怖くて、生涯鬱々としていた)


                               ◆獅子座生まれ◆

ジョルジュ・エネスコ (20世紀前半の3大ヴァイオリニストのひとり。呻るくらい気高いひと。ルーマニア出身。あのディヌ・リパッティの名付け親でもあった)
ジネット・ヌブー (ティボーをして<ヴァイオリン界至高の女司祭>とまでいわせた俊英。ありあまる前途をもちながら、27のとき巡業途中の飛行機事故で死亡)
ヨーゼフ・シゲティ (3大ヴァイオリニストよりややあとの世代のヴァイオリニスト。その気迫にあふれたplayには追随者がいない)
キャスリーン・バトル (現代オペラのディーバ。このひと、絶対声を張りあげない。絹のようになめらかなレガートは絵にも描けない美しさ)
ジョン・リー・フッカー (米国ブルースマン。白い背広に身を固め、靴先でこつこつリズムを刻みつつ、沼のようにねばっこいブルースを奏でる。必聴)
ビル・エバンス (白人Jazz Pianist。たまに聴くとすごくいい。耽美的なナルディスがお薦め)
マル・ウォルドロン (晩年のビリーと組んでいたJazz Pianist。音にこめるソウルの量がちがう。山下洋輔がしきりに感心していた)
クロード・ドビッシー (印象派の作曲家。西洋伝統音楽のイデオムから離れた場所で、唯一無二の抒情的な音楽を作った。でも人間的には厭な奴だったらしい)
シャルロット・チャーチ (イギリスの小さな歌姫。12才の頃は凄かった。世界中の老若男女、ローマ法王まで夢中になった。成長した今はどうしてる?)  
ナポレオン・ポナパルト (歴史の教科書にでてくるあのナポレオンです。いわなくても分かるよね?)


                                ◆乙女座生まれ◆

チャーリー・パーカー (モダン・ジャズの生みの親。超天才。モーツァルトの次に才能があったのでは。人類最高のアドリブをレコードに残してくれた)
レフ・トルストイ (「戦争と平和」の作者。ロシアの大貴族の家に生まれながら、庶民との経済格差に悩み、晩年無茶な家出を敢行、片田舎の駅で没す)
宮澤賢治 (写真で見ると恐ろしい顔をしてる。でも天才。えぐい詩多数とはかない童話1セットとを残して、銀河鉄道で星空の彼方に逝っちゃった)
井上陽水 (もしかしたら美声ナンバーワン? さらには詩も凄いから天は二物を与えずというのは嘘だと判る。ただ、声が乱反射してた昔のがよかったという声も)
オーティス・レディング (もうひとりのミスター・ソウル。このひとの歌は文字通り胸を抉る。辛い。27才のとき、やはり飛行機事故で死亡)
アントン・ブルックナー (長い長い長ーい交響曲を書いたひと。クラッシック・ファンでも擁護派と否定派に大きく分かれる。天空に響くオルガンみたいな音楽)
矢沢永吉 (本人はロックといっているけど、実は完璧ブルース・シンガー。歌めちゃ旨し。ライブで失神しそうになった)
塩田剛三 (合気道の達人。植芝盛平の弟子。中学生より小柄な体格のくせに、ロバート・ケネディのボディーガードを一瞬でひっくり返し、皆を唖然とさせた)
バディー・ホリー (自分で作って自分で歌うスタイルの始祖。ロックンロールのセンス抜群。きらきらしてる。飛行機事故で23才のとき死亡)
ジョン・コルトレーン (乙女座の連中は、しかしどうしてこうも苦しげなのか? その筆頭株主がこのひと。このひとのテナーサックスは修験道みたいだ)


                                ◆天秤座生まれ◆

ウラディミール・ホロヴィッツ (古今東西を通じて恐らく最高のピアニスト。少々頭がおかしくて、20年近く引退してたけど、あれほどの才能の主ならまあ仕方ない) 
グレン・グールド (これも凄い。よくぞ同時代に生きていてくれました。市場で評価の高いバッハはむろんいいけど、ヘンテコリンなモーツァルトも好き)
アルフレッド・コルトー (演奏家は天秤が多いなあ。ピアノの詩人コルトーの詳細が知りたくば、徒然その17のコルトーの箇所を読まれたし)
ジャック・ティボー (超色男で詩人で天才ヴァイオリニスト。書いてて悔しくて厭になるが、このひとの演奏にはほんと抵抗できない。魔法みたいだ)
バド・パウエル (チャーリー・パーカーと同時代の黒人ジャズマン。モダン・ジャズ・ピアニストの始祖。天才。だもんで早死に。栄養失調だった)
ジョン・レノン (ビートルズのリーダー。名ヴォーカリスト、平和主義者に前衛芸術家と、さまざまな顔をもつスーパースター。80年、CIAの手により暗殺される)
レイ・チャールズ (Black Musicを今日の興隆まで導いた、偉大なる音楽家のひとり。盲目。和田あき子のアイドル)
チャック・ベリー (ロックンロールの生みの親。ジョンにいわせれば偉大なるロックンロール詩人だそうだ。ゆるゆるのステージが面白かった)
坂口安吾 (文士の中の文士。太宰の先輩。人気は太宰だけど、実力はやっぱこのひと。いうことが凄すぎて本を読みながらひっくり返ったことが何度もある)
アルチュ-ル・ランボー (フランスの誇る詩人。いや、誇るだけあって凄いです。このひと、詩は若い頃の3年位しか書いてない。その3年だけで歴史に残った) 


                                ◆蠍 座生まれ◆

フョードル・ドストエフスキー (近代最大の文豪。ロシア文学の頂点。代表作「カラマーゾフの兄弟」。無意識の底まで暴露するような底光りする洞察力が不気味) 
ドメニコ・スカルラッティ (バッハと同年生まれのイタリアの作曲家のくせに、バロック臭のしない、時代離れした、モダンなクラビィーア曲を多数残した)
クリフォード・ブラウン (マイルスと同期の米国ジャズマン。まさに天性のトランペッター。その歌心は流麗かつ無敵。55年自動車事故で死亡)
クロード・モネ (水蓮の連作で有名な印象派の巨匠。のちにルノワールらとならんでフランス印象派の代名詞的存在となる)
フランツ・リスト (音楽史上初のヴィルトゥオーソ・パガニーニを聴いてたまげ、僕はピアノのパガニーニになると宣言。そして実際そうなったんだから偉い)
ニッコロ・パガニーニ (ヴァイオリンの妖怪。とにかく破格に巧かったらしい。アダージョになると批判的な批評家もとたんに涙を流したというんだから普通じゃない)
ジョルジュ・ビゼー (カルメンの作曲家。これだけのメロディー・メイカーが生前受けなかったというんだから世の中分からないもんさなあ)
マリー・ローランサン (20世紀初頭のパリの女流画家。彼女が画く女はみんな精霊になる。だもんでパリの貴婦人は皆われ先に画いてもらいたがった)
ジョニ・ミッチェル (アメリカのフォーク・シンガー。オープン・チューニングのギターにあわせて朗々と歌う「青春の光と翳」が忘れられない)
五嶋みどり (故バーンスタインが「別の星からきた怪物」と呼んだくらい別格の大ヴァイオリニストだった。20歳すぎたら普通のヴァイオリニストに戻っちゃったが) 


                                ◆射手座生まれ◆

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン (それまで名人芸がメインだった西洋音楽界に「交響曲の時代」を築いた作曲家。晩年の耳の疾患はあまりにも有名)
ジミ・ヘンドリックス (ジミヘンはある意味、ロックの頂点を体現した存在だったんじゃないだろうか? 唯一無二の天才ギタリスト。27才時に麻薬過で死去)
ヤン・シベリウス (西洋伝統音楽とは文脈の異なる、寡黙で内気な音楽を書いたフィンランドの作曲家。星空みたいに純な音楽は恍惚の極み)
エドヴァルト・ムンク (ノルウェイの画家。ヴァイキングの末裔。代表作「叫び」「生命のフリーズ」。どの絵にも血の濃さとしかいえない不気味な影がある)
リトル・リチャード (ロックンロール・シャウターの元祖。P・マッカートニーに初めてこれを聞かされたジョンは驚きのあまり口もきけなくなったという)
種田山頭火 (明治の俳人。「ほろほろ酔うて落ち葉ふる」「今日も一日風を歩いてきた」等の作品が有名。一生の大半を放浪のうちに過ごす。涙)
寺山修司 (青森出身の天才歌人。青森という土地そのものの呪いのような歌や詩編を多く残す。「大工町寺町米町仏町老婆買う町あらずや燕よ」)
ホイス・グレーシー (日本からブラジルに伝わった柔術---ブラジリアン柔術---の伝統を継ぐ達人。兄のヒクソンと共に一時代を築いた)
マリア・カラス (オペラ史上最高の歌姫。歌手としても女優としても天才だったため彼女が泣くと劇場も泣いた。海運王のオナシスと結婚し実生活でも栄華を極めた)
キャスリーン・マンスフィールド (英国の女流作家。ナイーヴで繊細な作風。代表作「園遊会」で死者に自分の帽子を詫びるシーンはいまもたまらん)


                                ◆山羊座生まれ◆

エドガー・アラン・ポー (天才詩人にして探偵小説の元祖。代表作「盗まれた手紙」。こんな切れる人間が存在するのかと呻るくらい切れる人。40才時アル中で死去)
エルヴィス・プレスリー (それまで差別されていたロックンロールを世界中に振りまいたエルヴィス。その意味で音楽史のセカンドインパクト。まさにキング)
ジャニス・ジョップリン (ジミヘンと共に60'Sロックのシンボルだったジャニス。まさにロックの女王。ジミヘンとひと月違いで死去。27才。やはり麻薬過だった)
クララ・ハスキル (女流ピアニスト。チャップリンが私が出逢った3人の天才と呼んだ中のひとり。多分近世最高のモーツァルト弾き。ポロンとやっただけで音がちがう)
エリック・サティ (「三つのジムノペティ」があまりにも有名。家具としての音楽の提唱者。変わり者のひねくれサティ。でもときたま無性に聴きたくなる)
モハメッド・アリ (米国ボクシング史上最強の黒人ボクサー。チャンプにして英雄。兵役を拒否してベルトを取りあげられたりしたが信念を貫いた。男はかくありたい)
稲垣足穂 (川端さんや太宰と比べると知名度はないが凄い天才。三島由紀夫もこのひとを畏怖していた。代表作「一千一秒物語」「弥勒」)
ボ・ディドリー (ロックンロール初期の牽引車のひとり。ジャングル・ビートの生みの親。ほら、ペギー・スーとかあのリズムですよ)
ニコラ・ドスタール (現代ロシアの画家。真白い屋根の並んだ風景ばかりを生涯に渡って書きつづけた。たまんなく淋しい絵。でもちろっとあったかい)
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ (イタリアの天才ピアニスト。気分が乗らないと演奏しない人。生涯に半数のコンサートをキャンセルしたといわれている)


                                 ◆水瓶座生まれ◆

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (超天才。努力の跡の全く見られない、完璧無比の音楽を欠伸するようにぽんぽん生みだした異常な作曲家。37才で死去)
フランツ・シューベルト (あまりにも美しい青春の抒情と死神の死の誘いとの両面を同時に音楽にできたドイツの作曲家。31才のとき梅毒で死亡)
ウィルヘルム・フルトヴェングラー (クラッシック音楽界の恐らく最高のカリスマ。彼の指揮するオケでないとベートーベンは鳴らないと考えている人は今も多い)
フリッツ・クライスラー (20世紀前半、世界で一番人気があったヴァイオリニスト。彼の音楽はいつもヒューマンで暖かい。ユーモレスクがお薦め)
ジャクリーヌ・デュ・プレ (女性チェリストの最高峰。ケルトの情熱をこめて奏する彼女のチェロは骨太で、音を聴いてるだけで泣けた。42の時多発性硬化症で死亡)
スリーピー・ジョン・エステス (戦後再発見された米国のブルースマン。極貧にして盲目。鉛筆をカポ代わりに彼が歌いだすと、聴衆の空気が瞬時に変わった)
エルモア・ジェームズ (米国のブルースマン。エレキギターを大音響にしてボトルネックを滑らせるその熱い音楽は追随者を呼び、一時代を築いた)
サム・クック (50'S後半から60'S前半にかけて活躍した黒人歌手。ソウルの先駆。伸びのあるVocalは素晴らしかったが、33才の冬の夜、モーテルで射殺された)
ラーマクリシュナ・パラマハンサ (19世紀生まれの印度の聖者。サマディの法悦状態に入ると蜂がとまっても微動だにせず、三昼夜その姿勢のままでいたという)
アントン・チェーホフ (トルストイがお嬢さんと呼んで可愛がった彼は作家であり同時に医者だった。哀愁のこもった珠玉の名作を残した。代表作「桜の園」)


                                  ◆魚 座生まれ◆

ハンス・クナッパーツブッシュ (フルヴェンと同時代のドイツの指揮者。愛称クナ。練習嫌いだったが、その気になったときは誰も及ばない怪物的な音楽を聞かせた)
ディヌ・リパッティ (ごく短いフレーズをさっと弾くだけで、この世ならぬ清い空気をふりまけた天才ピアニストだが、天才の常として彼も夭折。白血病だった)
モーリス・ラベル (スイスの精密時計と呼ばれたフランスの作曲家。超絶の作曲テクをもった男だが、ルービンシュタインにいわせるととてもナイス・ガイだったらしい)
フレデリック・フランソワ・ショパン (ポーランド出身のピアニスト兼作曲家。白い服で白い馬車に乗って貴族の令嬢にレッスンしにいったりしてた。判らん)
アントニオ猪木 (レスリングもいいが顔がいい。決めの顔は恐らく世界一でルー・テーズも超えるだろう。得意技は卍固め)
スヴァトスラフ・リヒテル (ソビエトのピアニスト。シューベルトの晩年のソナタをあの世に沈みこむような遅いテンポで延々と弾ききった最初の巨匠)
ジョージ・ハリソン (ビートルズのリードギタリスト。一聴するといかにも下手。ジェフ・ベックもあのギターだけは代わってやりたかったとかいってるけど?)
梶井基次郎 (「檸檬」の作者。川端康成をことのほか慕っていた。ほかにも繊細な好短編を多く残すが肺病のため若死にする。またか)
オーネット・コールマン (フリージャズの開祖。他のフリー勢は頭でっかちの印象があるが、この人は自然体。どんな状況でもファニーで抒情的な音楽をやってくれる)
ライトニン・ホプキンス (コード3つしか使わないのに、なんでこんなに豊穣なブルースが演れるのかさっぱりわからない究極のブルーズ親父。グレート!)

      

徒然その17☆いと美しき恍惚---アルフレッド・コルトーについて☆

2010-10-24 21:47:22 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                          

 批評家の宇野功芳氏がその著作のなかで、ショパンならワルツがいちばん好き、とおっしゃっていたことが以前ありました。
 宇野先生とは意見がことなることがわりに多いイーダちゃんなんですが、先生のこの見解にはまったくもって大賛成---本をほっぽりだして思わず拍手を送りたくなったくらい、このときは嬉しかったんです。
 批評家の先生ともなると意見をいうのにもいろいろ体面とか面子とかややこしい事情が絡んできそうじゃないですか。
 たとえば、ショパンなら「ソナタ3番」がいいとか「幻想ポロネーズ」が格別だとか、そんな風に答えたほうが多分しかめっつららしいマニア連は感心してくれやすいんじゃないかと思うんですよ。
 ところがこのとき先生はそうされなかった。
 受け狙いめいたことなんかてんでいわず、非常に正直に自分の気持ちを打ち明けてくれました。
 素晴らしい、いいですね、そういうひとが僕は好きです。
 で、フレデリック・フランソワ---グールドはショパンのことをこう呼ぶんですよね、この衒学趣味が気に入ったんでちょっと盗用をば---の作品なんですが、イーダちゃんの好みも宇野先生といっしょで、とにかくワルツ! ショパンではワルツがいっちゃん好きなんです。
 ショパンのワルツってホントにいいですもん。
 あれって心のなかから湧きでてきたばかりの獲れたてインスピレーションを、そのまま切って握ってカウンターに「はい、お待ち!」の世界じゃないですか。
 力みがなくて、へんな気取りもぜんぜんなくて---。
 なるほど、ワルツはポロネーズやバラードなどの大作とくらべると、貴族のサロンなどで受け入れられやすいように---特に地元有力者の奥さん連中あたりをくらくらっと一瞬でたらしこめるように!---なるたけキャッチーに分かりやすく書かれているっていうのは事実です。コケテッシュな媚びテクも、思わせぶりな流し目も、それこそもうてんこ盛り状態。でも、ショパンって凄い盛りつけ上手のシェフだからほとんど胃にももたれない、そのへんすっごくワザ師的に書かれているわけなんですよ。
 それは、唖然とするほど見事な手腕というしかない。
 ところがこのワザ師ぶりにケチをつけるひとがいる、効果を狙いすぎててあざとい、それに、構成が単純すぎるっていうんですよ。

  ----構成が単純じゃなぜいけないんでせう?
 
 僕は、複雑で深遠なほうが藝術として上だなんてまったく思いませんが。
 僕にいわせれば、ショパンのバラードなんかのほうがむしろ装飾過多ですよ。それとスケルツォも。あれは、たぶんベートーベンからの悪影響じゃないのかしら?
 ショパンみたいな天性のメロディー・メイカーには、ほんとは形式なんか通り一遍程度のもので充分なんですよ。
 ベートーベンは当人もいっていたようにメロディー・メイカー・タイプの音楽家ではなかった、だもんで、その短所を補うためにいろいろ頑張っていたら、ああした形式で音楽をがちがちに締めあげるっていう独自路線をたまたま発明してしまった、というだけのもんであってね。
 あの芸風はあくまで彼一代限りのもの、あんな理詰めで窮屈な、拘束器具みたいな重苦しい枠組のなかに、メロディー・メイカーたちの自由でみずみずしい歌心を押しこめちゃあイカンですよ。スポイルされ音楽嫌いになっちまう。 
 武術的な視点からいわせてもらえば、ショパンのバラードはちといかんですな。
 あれ、構えが大きすぎるし、力みもそうとう入ってる。実力でいえばせいぜい初段クラスの感じ。むろん、稀有の素質と天才をもっているのは認めますが、でもこーんな大仰な、これからさあ襲いますよ、みたいな攻撃じゃ見え見えもいいとこ、これじゃあ勝負には勝てません。
 ワルツのが厄介ですね---いかにもこっちは手強そう。
 なによりワルツはフットワークがいいですよ。それに、軽みとしなやかさとが実にうまく同居してる。要するに限りなく達人ぽいわけ。
 こんな塩田先生みたいなの相手にするのはいやだなあ、はなから勝てっこないですもん。(^.^;>
 てなわけでやっぱりショパンはワルツでせう。(ト独断的にほくそ笑む)
 で、ワルツといえば、でてくるのはフランスの大御所であるところのこのひと、アルフレッド・コルトーかと。
 徒然その1で紹介したホロヴィッツよりもさらに古い時代のひとですけど。
 今回は、ガス灯時代のピアノの詩人---マエストロ・コルトーのお話です---。

 アルフレッド・コルトーは、1877年の9月20日、スイスのニオンの生まれ。
 ドゥコンブとディエメっていう、なんでもショパンの最後の弟子だったというひとにピアノを習ったそうです。
 でも、ピアノといっしょにこの人、若いころは指揮もやってて、フランスでワグナーの「神々の黄昏」や「トリスタン」「パルジファル」を初演しちゃったりもしている。
 要するにピアノだけじゃない、幅広い音楽性をもっていたってわけですよね。
 チェロのパブロ・カザルス、ヴァイオリンのジャック・ティボーと組んだ「カザルス・トリオ」はあまりにも有名。
 ただ、第二次大戦でフランスがドイツに占領されたとき、このひと、占領軍のヴィシー政権に非常に協力的だったんですよね。
 だもんで戦後は音楽界から追われたり、カザルス、ティボーからも絶縁をいいわたされたり(もっとも、後年に友情は回復したようですが)……けっこう苦い目にもあってるおひとです。

 以上がダイジェストの経歴なんですが、こうした百の能書きよりやっぱ一の現物。
 というわけでここの冒頭にアップしたコルトーの写真をもういちどじっくりとご覧あれ。
 これって凄くないですか? 僕は個人的にこれを、霊感がひとの脳髄をずるずるーっと音を立てて上ってくる瞬間をまざまざと捕らえた非常に貴重なフォトだと思っているのですが。
 とても美しい写真ですよね---これは、コルトーが自分で設立したパリのエコール・ノルマル音楽院で、生徒に音楽の教授をしている際の映像です。ピアノを弾きながら、音楽について喋っているところ、まあ弾き語りみたいなもんですかねえ。弾いてる曲はシューマンの「子供の情景」のなかの1曲<詩人のお話>---。
 で、コルトー教授は、これを弾きながら「ここは迷いながら、何かを探すように……」とか、「さあ、最期は夢のつづきに浸ってください……」とか詩的なことを呟きつつピアノの和音を奏でているんですが、そのピアノも言葉もどっちとも、なんというか超絶品なんです、これが……。
 文字で書くと、「えー ちょっとくさいよ」とかいわれちゃいそうだけど、見てもらえば必ず分かるから。
 スローな曲なのにもの凄い迫力なんです。貴方のなかの「子供の情景」観ががらがらと音をたてて崩落していくこと、間違いなし!
 ま、これはジョークですが、ぜひにも一聴をお薦めします。
 ちなみにこの貴重映像、ワーナーヴィジョン・ジャパンから出ているDVD「アート・オブ・ピアノ-20世紀の偉大なピアニスト-」のなかに収録されております。こんなプログを見ているよりも、いますぐ銭をもって大都市のCD屋に走れ、と僕はいいたい。金額は3,800円くらいだったと思います。
 たしか youtube でも視聴可能だった気がします---。

 コルトーの特徴をひとことでいうなら、「即興的な感興を思いきり生かした草書体のピアニズム」とでもいうべきでせうか。
 もう、ルバートかけまくりのピアノなんですよ。いまじゃかえって誰もこんな風には弾けないはず。
 あと、特徴的なのはミスタッチ---このひと、ミスタッチがとても多いの。♪ツララツララでしっ……ツララツララげしっ……。コンクール予選落ち100パーセント間違いなしのピアノなんですが、なぜかこのがたぴしピアノがとてもいいんです。
 ミスタッチまでが音楽的なんですよ---聴いてるうちに黄昏色のノスタルジーが胸いっぱいに広がっていくんです。

 ラフマニノフはコルトーがそうとう好きだったみたいですね。
「ねえ、ゴロヴィッツ」とある日彼はラジオを聴きながら若いホロヴィッツに向けていったそうです。「このコルトーってピアニストはうまくないけど、とても音楽的じゃないかい---?」

 ふわーっとコルトー発のむせるほど濃い詩情に包まれたら、たぶん、貴方はもう一生コルトーから離れられなくなると思います。
 ただ、コルトーの欠点は、音がわるいこと!(xox;>
 このひと、録音がひどいんですよ---まあ、全盛期が1930年代ですからむりもないんですけど---率直にいって、いまのデジタル録音に慣れたひとはとても聴いてられないかと。
 そんなコルトーのベストテイクを探してイーダちゃんがみつけてきたのがこれ、
 コルトー77才のときのショパンのワルツです。

 変ニ長調「小犬のワルツ」作品64-1 と 変イ長調「別れのワルツ」作品69-1

 これ、世界中にありとあるショパン録音のなかでの最高峰ではないか、とイーダちゃんは思っています。
 特に「小犬のワルツ」なんて、これ聴いて僕泣きますから。マジで。(ToT;>
 「小犬のワルツ」で泣かせる……そんな荒業をかませるピアニストは世界広しといえどもたぶんこの方のみでありませう。
 
 なお、前述したショパンは---1954年の5月---コルトーがEMIのスタジオで録音したものです。(^^;

 





 
 

徒然その16☆ビリー・ホリデイの鞄の中身☆

2010-10-22 20:14:31 | ☆西洋占星術への誘い☆
                           

 ところでクイズをひとつ---マンガ本、雑誌、ラジオにチョコレート---さあ、これはなんでせう?
 わかんない? そうですよねえ、というかわかるほうがどうかしてる、質問自体がそもそもむちゃだもの。
 実は、これね、1959年の6月1日、夜中に自宅のアパートで昏睡状態に陥って、NYの病院に搬送されたときのビリー・ホリデイの鞄の中身だったんです。

 ビリー・ホリデイはJazz史上最高と謳われた歴史的名シンガーです。
 ニックネームはレディー・デイ。くちなしの花を髪にさして歌い、その真情にあふれた歌唱は誰の心をもゆり動かしました。
 その死後半世紀、いまだに彼女を超えるシンガーは出ていないといわれている、それほどの存在です。

 現代に置きなおすなら、さしずめマイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーに匹敵するような存在。
 いまだったらこの危篤のニュースだけでマスコミは大騒ぎ、取材陣の記者やらクルマやらが一斉に彼女の搬送先のニッカーボッカー病院まで駆けつけて、病院前は喧騒の極みみたいなパニック状態になっていることでせう。
 ところがこの夜はそうはならなかった---。
 黒い肌をした麻薬患者ということでなんの処置も施されず、担架に乗せられたまま遂には入院を拒否される始末。
 次に運びこまれた市立メトロポリタン病院でも手当をされることなく、急患受付のホールで担架に横たわっているビリーを、心配して駆けつけたかかりつけの医者がたまたま見つけ、おかげでようやく酸素室に運びこまれ治療を受けることができたというのですが、そのときまで誰もミセス・エリノラ・マッケイと名乗るこの病人が、あの著名な歌手ビリー・ホリデイだと気づかなかったというんですから、これはふしぎな話です。
 酸素室に入れられ、ああ、よかったと普通なら思うところですが、ビリーの受難はまだ終わりません。
 酸素室に12日も入り、静脈にも点滴注射を受け、まだ身動きすらできないビリー、その顔に白い粉のようなものがついているのを見つけた看護婦が、そういえばベッドから6フィートも離れた壁にかかっていたビリーのハンドバックのなかにヘロインが入っていた、と警官に耳打ちしたのです。
 いっておきますけどビリーは危篤です。6フィートも動けるはずがないんです。
 しかし、瀕死のビリーは麻薬使用の嫌疑で逮捕されました。
 そして、彼女のバッグは証拠品として押収され---このとき押収された鞄の中身が、前述したチョコレートとかマンガ本などだったというワケ---動けない彼女の病室まえには監視のための警官が2人も置かれたのです。
 やがて、瀕死の病人に特別の尋問が行われるという噂が流れたとき、ハーレムの住人たちもついに警官と病院に対して抗議デモを行う準備をはじめます。
 しかし、この抗議デモが行われるより少うし早い7月17日の早朝3時10分、稀代の名歌手ビリー・ホリデイは病院のベッドのうえで苦難に満ちた44年のその生涯をひっそりと終えていったのです……。

 この話をはじめて知ったときは驚きましたよ。
 僕の産まれは63年ですから、そのほんの4年まえのアメリカで、まさかこれほどひどい差別がまだ健在だったとは。
 公民権法ができるまえのアメリカってこんなだったんですねえ。
 あの名画「ローマの休日」が撮られたのが53年です。あんなヒューマニティーあふれる傑作を撮ったアメリカ社会が、よもやカメラのフレーム外の影の部分でこんなことをやっていたとはね。暗然としました。ものいえば唇寒し秋の夜、です。
 サッチモやビリー、パーカーやレスター・ヤングは、みんな、こうした苦難の時代をくぐって生きてきたんですねえ。
 凄いわ。彼らのくぐってきた苦難と修羅場、眠れない夜々と涙に対して、ここでまず敬意を表しておきたいですね。
 さて---個々によって苦難の「降ってきかた」というのもいろいろあったようですが---特にビリーの場合のそれはひどかったようです。人生の与える辛酸で彼女の味あわなかったものはないんじゃないかと思えるくらい。
 生まれてまもなく両親が離婚。
 そして、10才のときに強姦され、不良少女呼ばわりされたあげくの感化院入り。
 出所後の12才の春に母親と暮らすためにNYにきてはみたけど、女中奉公から娼婦にまで落ちぶれて、とどのつまり売春罪での刑務所暮らし。
 ちょっと、ここまでいってしまうとイーダちゃんにはもはやいうべき言葉はありません。いったって嘘になっちゃいますから。
 ところが、こんな彼女がひょんなきっかけで後年、歌手になって歌ってみたら、みんな、しーんと聴くんです。
 それこそ全身を耳にして聴いている。歌い終わっても、みんな、あんまり深く聴き入りすぎてて拍手もでない。
 戸惑うビリーとバンドマン、それにクラブのマネージャー。
 しかし、30秒ほどの長い沈黙ののち、会場には割れんばかりの拍手の渦が……。
 のちの出世劇は誰もが知っての通り----
 薄幸の歌姫ビリー・ホリデイの歌が全米を制するまで、そう時間はかかりませんでした。
 
 で、お待たせしました---これがレディー・デイの出生図です。
 
                     

 ビリー・ホリデイの太陽は牡羊座の16度。おお、彼女、牡羊座生まれだったんですねえ。
 牡羊座はパッションの星座---燃えるようなパトスでもって人生の荒野をひたむきに駆けていく牡羊座生まれは、個人的にイーダちゃんの憧れです。
 そういえば、あの超男臭いアクションスターのスティーヴ・マックイーンが牡羊座生まれでした。
 あと、有名どころでは、かの喜劇王チャーリー・チャップリン。
 一生に一枚きりしか売れなかったのに、そんな事実には一切頓着せず、生涯パッションと狂気の絵を描きつづけた、あの狂熱のオランダ人画家フィンセント・ヴァン・ゴッホもたしか牡羊座生まれ。
 もっとも、彼女が牡羊座生まれだからといって、太陽の位置だけですべてのことを独断的に決めつけちゃうのは危険です。
 星はほかにも九つもあるんですから、それで総合的に判断していかないと。
 しかし、逸話をこうならべていくと、彼女の気性の激しかったというのは、これはどうやら事実のようですね。
 というか、本当のところは激しいなんてもんじゃなかったらしい、いちど切れたら誰の手にも負えなかったそうです。物を投げるなんてレベルで済んでればマシなほう、「雌虎のように凶暴だった」なんて知人の証言が残ってるくらいだから、これはよほど凄かったんでせう。

   ----ビリーは女じゃないの、感情そのものなのよ。

 というこれは、ビリーの親友メイリー・ダフティーからの証言です。

 なるほど、彼女の本質的な部分---太陽はそのひとの本質的な要素を表すのから---は、牡羊座的なパッション・キャラだったのかもしれない、一応はそうしておいてもいいかもしれません。でも、他の部分は?

 てなワケでじゃあ、月、いきませう。
 月は astrology 的には感情の表示体とされている星であります。
 で、ビリーの場合でいくと、これは山羊座の22度---おっと、これはちょっと意外かも。
 というのも山羊座っていうのはもともと分類学的には「土」や「物質」を表すサインであって、どちらかというと地味で、目立たない感触なんですよ。山羊座は貪欲で働きもの、けど、表れ的にはまじめで地道なんです。そして、決して「跳びません」---。
 実生活のビリーにこの山羊の月をあてはめるとつい「?」となっちゃうんですが、彼女の歌唱にこれを当てはめてみると「ああ、そうかも」と納得がいくような感じもややありますね。
 ビリーの歌唱法って独特なんですよ。彼女、絶対にシャウトしないんです。
 実生活においては前述した雌虎のごとくシャウトしたかもしれない、しかし、こと歌のことになると、ビリーは決して叫びませんでした。
 というかビリーの歌唱法って声色をむしろ単色にしようとあえて心がけてるような気がしません?
 ビリーの singing って独特です---声色をモノクロームに統一して、ひたすら自分の内部にむけて語りかけるようなその歌い口は、僕には西洋のオペラの世界より東洋の「能」的世界を連想させます。
 普通のシンガーは大抵ビリーの逆方向、だいたいにおいてシンガーって人種は声色を多彩にしようとするもんなんですよ。
 あれはたぶん本能的なものなんじゃないかな。声のパレットが多彩ならステージの間もそれだけもたせられるし、何よりそのほうが見栄えもいいし。それに「受け」の要素が非常に重視される芸能世界で、いちばんひとの耳をとろけさせることのできる最大の魔法を自分から封印してどーするのよ? と誰だって思うことでせう。
 でも、ビリーの歌はちがうの---淡々と、モノクロームに地味に---どこか深いところに沈んでいくような。
 あの感じ、山羊座の月のコントロールが結構効いているのかも。
 もともと山羊座の月って職人の手作業めいたな感じ、あるじゃないですか。練摩して練磨して、余分なものを削って削りきってみたらこんなのができあがっちゃったみたいな---まるで Arturo Benedetti Michelangeli のピアノのような---そういえばこのイタリア人貴族も山羊座生まれでした---人生の終局においてようやく辿りついた黄昏的シンプルさというか、そのような要素を僕は彼女の歌唱から感じます。

 生まれた瞬間の地平線の位置、アセンダントは水瓶座の2度ですか。
 アセンダントはいちばん大事な感受点です。そのひとが世界と向きあったとき、どんな感じかたをするか?
 これで見ると、ビリーって案外ヒューマニストですよね。ひとを地位や外見で判断しない、白も黒もない、そんなのは間違い、あらゆるひとは平等であるべきだと思ってる。
 彼女のそういった感じかたは正しいと思いますね。また、底ののほうからそういった要素が感じとれるからこそ、彼女の歌は今日までこんなに多くのひとから支持されているのでせう。
 ただし、彼女のアセンダントは水瓶の2度と度数が大変若いので、この感じかたが外に顕れるとき、非常に性急に、過激に表れちゃうことがありそうですね。おなじ理想主義者にいしても水瓶座の若い度数と老いた度数とじゃぜんぜんちがうんですよ。老練した理想主義者なら自分の心に封をして、世間サマの仕打ちをそれとなくやりすごすこともできなくはない、でも、水瓶座の2度じゃあねえ! だめだったろうなあ。子供みたいなノリで「突撃ーっ」って喧嘩に突っこんでいったんじゃないかと思います。なんか、実際、そんな感じだったみたいですけど(笑)。
 あと、彼女の場合、アセンダント水瓶の主星・天王星が 1House の「本人の宮」にいるんですよねえ。
 1house 天王星はエキセントリック!---何やっても目立っちゃうし、叩かれる。
 つまりは激運。あと幼少時の環境に何かとてもヘンなことがあった、みたいなトラウマ的な読みもできますね。実際、彼女の幼少期は、こんなお気楽な読みなんかじゃとても追っつけない、すさまじいものだったにちがいないんでせうが。

 MC(天頂)は蠍の24度---で、その主星たる冥王星は蟹座の0度にINしたばっかり。
 こりゃあ凄え---蟹座は藝術の象徴として読むことができますし、まして、そこのいちばん純粋で敏感な部分に究極の運命星・冥王星がいるわけでせう? こんな2重3重の偶然はないよ。
 しかも、この冥王星がいるのは5house で、5houseっていうのはそもそも遊びの宮ですからね。
 いわば彼女は日常から離れた遊びの世界に飛翔することで、はじめて生命の実感を味わえるような感受性をあらかじめ天から与えられているワケでもあって。
 これはもう絶対逃れられない---どう見ても天から選ばれてますよね---彼女、選ばれたディーパです。
 宿命というコトバはなるたけ使いたくなかったんですが、この場合は使わざるを得ないでせう。
 ええ、この部分、このチャートのなかでいちばん「ビリー・ホリデイしてる」部分だと思います。

 ほかにもアスペクトだとか語らなくちゃいけないことは山ほどあるんですが、いくらなんでも長くなりすぎましたんで、そろそろエンディング・テーマに入らしていただきます。
 ビリー・ホリデイ、いいですよ。僕は初期から後期までみんな好きだなあ。
 初期の傑作「 I'll Be Seeing You」 にしてもレスターとやった「 All of Me」にしても、さては戦慄なしには聴けない、後期の「 I'm A Fool to Want You 」にしても、子供みたいな喜びから老婆みたいな干からびた絶望まで、あまりにも多くの感情が矛盾を秘めたまま雑多につめこまれているから、聴く日によってぜんぜんちがって聴こえるんです。
 だから、もし貴方がはじめて彼女を聴いたとして、どう感じるかは正直分かりません。
 もしかしたら、「?」マークのいぶかり顔のまま通りすぎていくだけの縁しかないかもわからない。
 こればっかりは保障しかねます、むろん、僕としてはそれとは逆の目に張りつづけるつもりでいるんですが。
 しかし、いよいよタイムアウトかと、そろそろおいとまいたしませう。
 このわがままで拙い小文が貴方がビリー・ホリデイを聴きはじめるささやかな契機になってくれたら、イーダちゃんにとってこれに勝る喜びはありません。どうかそうなってくれますようにっ!(^.^;>
 
 

 

 

徒然その15☆デビルマンの黙示録☆

2010-10-18 22:44:08 | ☆むーチャンネル☆
                   

 丹沢山がよく見える、神奈川県秦野市の渋澤駅のすぐ前の通りに---むかしむかし本屋さんがあったんですよね。
 僕が12才、小学校の6年生だったときのお話です。
 ある日の午後、大秦野の塾に向かうとちゅう、僕は、駅前のその店の棚で少年マガジンを立ち読みしていたんです。
 そしたら---あったんですよ、ええ、ちょうどそこに---連載中の「デビルマン」の最終回が。
 
 思わず、息がとまりました---。
 
 慌ててページをめくり、最初からもういちど読みかえしました。
 周りから見たら、恐らく僕、肉親が死んだみたいな凄い顔をしていたにちがいありません。
 ええ、たしかに「デビルマン」は、小学校4年の学校帰りに捨ててあったマガジンを拾い読みしてからのファンでありました。
 それはちょうど妖鳥シレーヌの章のあたりでして、あれ、美樹ちゃんのヌードとか出てきて、当時としてはむちゃくちゃエッチだったんでありますよ。
 ドキドキして夢中になって読んで、そんな関連でファンになって、小遣いをためて単行本なんかもたしか3巻まで買いそろえていたんです。
 それからも折につけ物語の展開を気にしてはいたんですが、なにしろ小学生、毎週毎週マガジンを見るためだけに遠い本屋に通うワケにもいきません。
 ですから、僕の頭のなかでは物語が切れ切れになって繋がっていて、この物語の全体像が恐らく不気味なクライマックスを形成していくだろうことはある程度予想してもいたのですが、よもや!
 よもや、こんな地獄みたいな終りかたになろうとは---夢にも思っていなかったんです。

 ------だって、ありですか、こんなの?

 美樹ちゃんも美樹ちゃんのご両親も弟さんもみんな近所のひとにリンチで殺されちゃって、結局人類は滅亡、そうして、主人公たる不動明も飛鳥了との闘いで傷を負って死んでしまうなんて……ねえ、なんでせう、これ?
 明らかに少年マンガとしての領域を逸脱してますよ。
 というより、これほどあらゆる規範を逸脱しつづけた「作品」って、当時どんな分野にもなかったんじゃないでせうか。
 当時、SFは結構全盛でしたし、ハードSFのなかには人類滅亡をテーマにした作品もいくつかありました。
 たとえば小松左京の「復活の日」とか、あるいは「日本沈没」とかのあの路線。
 でも、それにしても、それらのうちのどれひとつとして、この「デビルマン」で描かれた終末ほど血生臭い、絶望的なものではなかったような気がします。
 一代の英傑・永井豪が自分の血をインク代わりにして書いてるんじゃないかって噂がのちにささやかれたほど、「デビルマン」という作品は怖かった。
 特に最終章に入ってからは、そのへんのパワーは人間業をとっくに超えて、もう読んでいるこっちのまぶたが自然に震えだすくらい。
 もー 完全ぶっとんでる。神がかってましたよ、どのコマもどのコマも血煙りが立ってました。

 さらにこのマンガが恐ろしいのは、人間のなかにある原罪みたいな「弱さ」の部分を徹底的に指弾して、糾弾しまくっている点だと思います。
 悪魔に襲われるのが恐ろしくて恐ろしくて---自分が助かりたいあまり---親しい隣人を悪魔呼ばわりしたあげく、魔女狩りの悪魔特捜隊に売りわたしちゃうような、弱くて臆病なごく普通の平凡なひとたち!
 こんな災難にあわなかったら超・普通の目立たない平凡な人生をつつがなく送っていたにちがいないような彼らが、次々と隣人を悪魔呼ばわりして、我も我もと魔女狩りの群衆に加わっていくあたりの描写はグロテスクの極みです。
 でも、とってもリアル。僕はこれ読みながらクラスのデビルマン仲間と、

  -----なあ。もし未来のいつかにこんな時代になったとしたら、このクラスの誰がまず友達を売ると思う?

 子供らしい無邪気な問いとはいいかねる、悪趣味なよくない質問だと自分でも思いますけど、このデビルマン仲間と捻出した「いかにも友達を売りそうなクラスメート候補」のリストは、僕のも彼のもだいたい一致してましたね、残念ながら。
 でもね、こうした子供の想像力って案外あなどれないと思いますよ。
 実際の世界史は、事実、こうした子供の想像力が思いおこす悪夢の姿そのままのかたちをたどって、今日まで進行してきたんですし。
 こうした血生臭い光景は過去にいくらでも繰り広げられてきたんです---ヨーロッパの魔女狩りとか、中国の文化大革命とか、旧ソ連のスターリンの大粛清とか---書いてるだけで自己嫌悪モードに入っていきそうですが、人間社会ではときたま周期的にこのようなサバトが演じられることになっているようですね。それが、むかしっからのいわゆる決まりごと?
 Oh My God、いくらなんでもこのプログラミングはないと思うなあ。DNA書きこみ時のあなたのミスじゃないですか。
 ちょっと、黙ってないでなんとかいってくださいよ。(^.^;>
 誰よりもさきに自分が助かりたいがための闘争---裏切りと暴力の連鎖と---そうして、人類は自滅していくのです。
 永井の豪ちゃんは血の気の失せた生っちろい顔をして、そんな淋しい光景を遠くからじーっと見ています。
 ページの向こう側の物陰の隅に、そっと己が姿をひそませて。

 永井豪自身の告白によりますと、彼には13世紀に神父をやっていた過去世があって、当時行われていた魔女狩りの厳しい時代に耐えきれず、木の枝で首をくくって自殺したことがあったというんです。
 永井豪をそうした光景に導いたイギリス人のチャネラーは、永井豪の目前に青空をバックに歩いている鉤鼻の痩せた神父と、その先に立つ枝ぶりのよい木のイメージが閃くとすぐに、

   -----あなたが首を吊った木ですよ。

 と指摘してきたそうです。

                      ×       ×       ×


 最近、エヴァンゲリオンの影響もあって、「死海文書」やら「トマスの福音書」なんかにちょっと目を通してみたりしたんですよ。
 すると、どうやらバチカンに問題があるらしいってことがわかってきた。
 あまりにちがいすぎるんですよ、「聖書」の伝えるキリストの姿と、ローマの検閲をすりぬけてきた、これらの文書の伝えるキリストの姿とが。
 キリストの教え自体もぜんぜんちがってる。キリストはエマニュエルという名前だったそうです。
 前世を認め、マグダラのマリアを妻として、弟子に自らの教えを伝えながら生活していたとか。
 でも、ローマの支配のためには、そのような牧歌的な教えはふさわしくなかった。だもんで、ローマの支配層とバチカンとが結託して「聖書」の内容を意図的に改竄してしまったようなのです。
 そうして、この体制の結託はいま現在もまだつづいてると思います。
 ローマの後釜にいま現在座っているのは、いうまでもなくアメリカ合衆国という国家です。
 この国は長いこと戦争で喰ってます。というか戦争をしないと喰っていけない、国の構造をそういう風にしてしまった。
 だもんで、もうまったく救いはないです---軍産複合体、デイジーカッター、局地核、砂漠の嵐作戦、対テロ戦争……こうやって思いのままに挙げてみても、出てくる単語は皆地獄のにほいのするアクマ色の言葉ばっかりで。
 僕はねえ、現在の合衆国の中枢に巣くっているのは---むろん、これはオバマさんの上の存在を指しているつもりです---まさしく永井豪が思い描いた通りのサタンなんだと思ってますね。
 サタンはたしかに実在すると思います。
 それが実際にアクマのかたちをしているかどうかは分かりませんが。(^^;
 20世紀の後半になって「死海文書」や「トマスの福音書」「ユダの福音書」なんかが次々と発見されたことは、非常に面白い現象なんじゃないでせうか。ひとむかしまえだったらそれが存在するっていっただけでもう火炙りはまちがいなかったでせうから。
 バチカンも世界権力も情報の漏洩をどうにも制御できなくなってきています。
 ボブ・ディランじゃないけど、時代は変わるんです。変わっていくんです。
 時代の発明であるインターネットがゆっくりゆっくり彼等の牙城を切り崩しつつあるいま、永井豪の「デビルマン」を読んで、悪魔とはなんだろうと考えなおすことは、とても意義深く有意義なことだと思います。

 うーむ、ちょいと切れのわるい話になってきちゃいましたねえ。もしかしてこれも「デビルマン」効果?
 夜もそろそろ更けてきたので、今夜はこのあたりでおひらきにしたいと思うのですが。
 長らくおつきあいありがとうございました。
 お休みなさい……。 m(_ _)m











 
 

 
 

徒然その14☆鉄人ルー・テーズを科学する☆

2010-10-18 14:45:15 | ☆格闘家カフェテラス☆
                       

 格闘家、好きです---
 というより、およそ男と産まれてきて格闘に興味のない人間なんているんでせうか?
 寡聞にして、僕は知らないっスね。おなじ中学からエリート進学校に進学した痩せっぽっちで臆病者の秀才Hクンも、それから、丹沢山のよく見える秦野市の小学校の校庭でいつも一緒に組手の朝稽古をしていたМクンも、思えば皆プロレスとボクシングと空手とが大好きでした。
 僕らの時代においては、あの梶原一騎作の「空手バカ一代」という恐るべきマンガ---ええ、恐るべきです! とんでもないマンガですって---があり、僕ら、昭和30~40年代産まれの少年男子はほぼ例外なくこのマンガに洗脳されていたんです。このマンガの影響で実際の夜の町に喧嘩の修行をしにでかけ、その結果、大事な人生を棒にふってしまった青少年を両手で数えられないくらい知ってます。
 もっとも、これはそう特別なことじゃありません。
 あの時代に少年期を送った男性ならほぼ例外なくそんな感じじゃないのかなあ、とイーダちゃんは思います。
 ただ、「いま」の時代に関しては、僕、多少タカをくくっていたんですよ。
 だって、いまの子たちはパソコンとTVゲームの世代の子でしょ? 馬乗りも殴りあいも禁止されていてできないんでせう? さらには熱血じゃなくってラブコメで育った世代なんでしょ? 
 だったら、いまの時代の子たちが、あの「空手バカ一代」みたいな、超・ロマンチックかつ荒唐無稽な名作マンガを所有できるワケがない、と半分優越感・残り半分淋しん坊みたいな気持ちでしんなりしていたんです。
 でも、まあ仕方がないな、それが時代ってもんなんだろう、とも思ってました。
 ところが10年程前、職場の友人から「グラップラー刃牙」というマンガを知らされ仰天したんです。
 なんだよ、ぜんぜん変わってないじゃん、コレ、いまの時代の「空手バカ一代」じゃないのと嬉しくなりました。
 このマンガ、凄いっスよ。何が凄いってこちらの登場人物、実際の格闘家が多数モデルになっているんですけど、そのセレクトがちょっとハンパない。
 合気道の伝説の達人---塩田剛三がいる。
 日本中のプロの暴力組織から喧嘩日本一と謳われた喧嘩士---花形敬がいる。
 アントニオ猪木がいて、ジャイアント馬場がいる。
 土管を素手で粉々に叩き割る、拳道会の中村日出夫がいる。
 あの人間の領域を踏みこえた超人レスラー、露西亜のアレクサンダー・カレリンもいる。
 うーむ、凄いや。(T.T)/
 しかも、これほどの凄玉を架空の闘技場にわざわざ集めておいて、何をするかといえば素手での格闘トーナメントを開催するというんだから。
 男ってバカだー、完全ネアンデルタール状態、あいかわらず進化してないなあ、と思わず笑みがこぼれてきちゃいましたねえ。(^^;

 で、枕がちょい長くなっちゃいましたけど、テーズです。

  -----ルー・テーズ。
       20世紀最大のレスラー。ハンガリー系米国人。
       1916年 4月26日、ミズーリ州セントルイス生まれ。父、マーチンよりレスリングの手ほどきを受け、
       その後、エド・サンテル、レイ・スティール、ジョージ・トラゴスらに学ぶ。
       1937年12月29に世界王座を奪取してから1966年1月8日までの延べ27年、NWA世界王座を守りつづける。
       191センチ110キロ。得意技、バックドロップ、ダブル・リストロック、ドロップ・キック。
       (Astrologer諸氏はこれで彼のCHartを作ってみるよろし。優れた運動選手に特有の火星が見られます)

 僕がテーズ・ファンになったのは6才のとき---。
 当時のなんか小学生向けの雑誌のアタマのページに、「ザ・マミー」や「ザ・コンビクト」やらの怪奇レスラーの特集が組んであったんだけど、その最期のほうにこのテーズの写真が紹介されていたんですよ。
 鍛えあげられた肉体といかにも意志の強そうな顔。
 そして、なんともいえない自信に満ちた、凛凛しげで爽やかなまなざし。
 猪木より凄えと思った。一瞬で痺れましたね。
 当時、猪木はまだ日本プロレスにいて、馬場とBI砲を組んでいました。僕はその当時から猪木贔屓だったのですが、なんで出逢いがしらのテーズのことをそんな風に気に入っちゃったのかなあ。理由はちょっと判りかねますが、6才のイーダちゃんがそう思ったのは事実なんです。
 ですが、時代が時代---テーズの映像なんてそれこそどこにもないんですよ。
 いや、ひとつだけあったかな。当時、12チャンネルでたしか「世界のプロレス」だかそんな番組があって、それが動いているテーズを見た最初かと記憶してます。
 動いているテーズはね、速かった。
 もー、とにかく速いの。腕を決めて投げる、その決めてから投げるまでが他のレスラーより断然速い。
 他のレスラーはまあ観客に解らせる意味もあるんでせうが、腕絡めてから投げるまでに、ひと呼吸分の休みというか、一種の間があるんですね。ところがテーズにはそれがない。
 連発ドロップキックなんて最初はコマ落としの映像かと思いましたもん。
 あれじゃあ、目前でそれやられてる相手レスラーはどうしようもないな、と子供心に思ったもんです。
 あと、印象に残ったのは、やっぱバックドロップ……。
 ええ、いささか有名にすぎるバックドロップなんですが、そのバックドロップにしてもとにかく速いのなんの。
 他のレスラーはみんな背後からまず持ちあげて、うーん、しょ、みたいな2段のタイミングでもって反り投げるんですよ。贔屓の猪木にしても、投げの際のブリッジこそ他のレスラーよりうんとこさ綺麗でしたけど、速度の瞬発力的な面でいうとね、本家テーズの足元にも及んでいない気がしました。
 テーズは、「ありゃ」と思ったら、しゅん! もう相手は後頭部を強打してマットに倒れてるんですから。
 で、まず立ちあがれない、ときにはダメージが大きすぎて二本目の試合放棄みたいな例もあったりして。
 どうです、凄いっしょ?---まさに稲妻---。(^o^;/
 
 新日のNWF戦でいちど、60代の老残のテーズと猪木とがたしか対戦してるじゃないですか。
 あの試合、ゴングが鳴ったかと思うやいなや、いきなりテーズのバックドロップが炸裂するんですよ。
 それがね、とにかく速い。観客がおお! と瞬間どよめくんですよ。あれは「なんだ、ありゃあ、バックドロップってあんなに速いのか」って意味のどよめきですよね。
 むろん、威力も強烈。ヒットの瞬間、猪木が跳ねましたから。
 レフェリーのアントニオ・ロッカは3カウントをあえて取りませんでしたが、いま youtube の画像で見ると、あれ、完璧3つ入ってますよ。試合を成り立たせるためにはあそこで終らせるわけにいかなかったのは当然なのですが、あの試合の見所はあの開始早々のテーズのバックドロップ、ただただそれに尽きると思います。
 この稲妻みたいな速さは例がないですね。後年の鶴田のバックドロップなんか本家直伝でなかなかよかったと思いますけど、やっぱり全盛期のテーズのものとはちょっと比べられませんね。

 あと、このひと、柔らかいんですよ、身体が。
 いまは幸い youtube という便利なメディアがあって50年代の全盛期の---936連勝中の---テーズの映像がいくらでも拾えますんで、興味のある方はぜひぜひそれらを拾い見てテーズの凄さを再認識してもらいたいなあ。
 イーダちゃんが自信をもって推薦するのは、ドン・レオ・ジョナサン戦、マイティ・アトラス戦、ラフィ・シルバースタイン戦あたりですかね。
 人間台風ドン・レオ・ジョナサンを除いたらほとんど日本じゃ無名の面子ばかりなんですが、テーズを見るためには、これがベストでせう。
 この映像のなかのテーズは、ちょっと憎らしいくらいに強いんです。というかあまりにも強すぎる。
 ラフィ・シルバースタイン戦なんかイジメかと思っちゃいましたもん。
 で、柔らかさの話でしたっけ---首投げとかで投げられたときのテーズの足に注目してください。
 マットにあたって、ぽんと少し跳ねて、ぱたんとまた落ちて。要するに力が全然入ってないんですよね。もー 脱力の極致。というかほとんど猫ですよ。いちどそういう視点に気づいて見なおしてみると、このルー・テーズってひと、どんなときも完全に余分な力が抜けきっているのがだんだん分かってきます。
 立ち方も歩き方も、このひと、ほんとに柔らかい。腰も完璧割れてるし、猫ですよ、マジで。
 他のレスラー同士の対戦だとそういう要素はあまり目につかないんですが、テーズと対戦してる相手を見ていると、その相手がだんだん「棒切れ」みたいにぎちぎちに固い存在に思えてくるんですよ。あまりにもテーズがしなやかで、そのうえ柔らかいから。
 
 ゴッチとの絡みでもそういう差異って発揮されたと思いますね。
 調べてみると、カール・ゴッチは1922年生まれなんですよね。テーズより6つ下の勘定ですか。
 僕はゴッチの全盛期の映像ってあまり見たことないんですが、ビル・ミラーやあのヘンクツの藤原喜明さんなどがあれほど礼賛しているところを見ると、やっぱりハンパない、そうとうの凄玉だったんですね。喧嘩キングの力道山が引いたくらいですもんね、あの総入歯のエピソードからも分かるように、その気になったときのゴッチというのは怖かったと思いますよ。ダニー・ホッジなんかもそのへんは凄かったって聞いてますけど。
 でも、その神様ゴッチにしても、テーズの牙城はとうとう切り崩せなかった。

 テーズVSゴッチの戦績は、テーズの4戦2反則勝ち4引き分けです。

 あの柔らかさとしなやかさにしてやられたんだと思いますね---格闘技において、柔らかさって力ですから。
 ぜんぜん関係ないんですけど、いまこれ、人生についてもおなじことがいえるのではないかとふいに思いつきました。
 なるほど、格闘技において柔軟性は力かもしれない、しからば、人生において、それに相当する「柔らかさ」とはいったい何なのか?
 うーん……なんなんでせうね? 冥界のミスター・テーズに電話をかけてちょっと聞いてみたい気もする、初秋の宵のイーダちゃんなのでありました。(^.^;>




 

 
 
 

徒然その13☆フランツ・カフカとお月さま☆

2010-10-17 17:01:42 | ☆西洋占星術への誘い☆
   

 「アレクサンドロスの瞳」ってご存じ?
 僕はこのコトバ、五島勉さんの著作で知りました。五島勉さんっていうのは、ほら、むかし「ノストラダムスの大予言」って著作シリーズを出して、文字通り一世を風靡したジャーナリストのことです。
 1999年の人類滅亡の予言がはずれたというのでむちゃくちゃ攻撃されて、最近あまり見なくなっちゃいましたけど、お元気なんでせうか?
 ま、そのへんはさておいて、僕は、彼の著作で前述した「アレクサンドロスの瞳」ってコトバを知ったのです。
 これ、実際には占い用語なんですよ。マケドニアのアレクサンダー大王のような瞳、という意味なんだそうです。歴史に残る大帝国をつくり、若くして亡くなった稀代の英雄アレクサンダー大王。
 彼は、口伝によると、ものすごーく暗い目をしておられたそうなんですよ。
 暗いけど、ぎらぎらと光る大きな目。
 孤独で、絶望しているくせに、その底のほうで凄く愛に飢えていて、でも、同時に外からもちかけられる愛に対して無言の「NO!」をいっているような---見ているひとの心を一瞬でうすら寒くさせてしまう、愛と孤独の両面をともに宿した、壊れそうな光の目。  
 「アレクサンドロスの瞳」と聞いて、すぐに連想するひとが僕にはふたりおります。
 フランツ・カフカと川端康成---どちらも20世紀の有名な作家です。(川端康成の瞳を見たいというひとがおりましたら、僕のブログの徒然その9をご覧になってください。頭に彼の肖像を掲げてあります)
 こちらの冒頭にアップしたのはカフカのほうの写真です。フランツ・カフカ。これ見てどう思われました?
 ゾッとされました? したっしょ? いや、絶対しましたよね?
 僕は、彼のこの正面写真を見るたびに、尾骶骨のへんがひんやり涼しくなるんです。
 渋澤龍彦をはじめ多くの有名どころは皆カフカが狂人だっていっていますね。
 実際のところはどうでせう? ちょろっと検証してみませうか。

----……誰ひとりわたしに助力の手を差しのべようとはしないのだ。要するに、そういう奇特な人間は誰もいない、皆無なのだ。しかし、ほんとうはちがう。助力の手を差しのべてくれる人間が皆無なのは事実だが、---この事実をべつにすれば、この皆無(ニーマンド)氏はなかなか気が利いた相手だともいえる。わたしは、この皆無(ニーマンド)氏の一行に加わり、大乗気で---乗気になっていけないわけがあろうか---ハイキングを試みる。もちろん目的地は山、ほかに、どこへ行けばいいのだ? 皆無(ニーマンド)氏たちがおし合いへし合いしている有様は、なんと形容すればいいのか、わずか数歩をへだてて、からみ合い組み合わされたおびただしい腕、そしておびただしい脚!(観察「山へ出かける」より)

 うわあ、これは読んじゃいけない文章かもしれませんねえ……。(^.^;>
 特に助力が皆無ってとこを皆無(ニーマンド)氏と人称化しちゃって、その皆無(ニーマンド)氏たちとなぜかみんなでハイキングに出かけるという展開のシチエーションが、鳥肌立つほどおっかない。
 これは、演じてる錯乱じゃないですね。計算じゃない、フリでもない、モノホンだ、中心軸そのものがもうよじれてる。
 なんか、深部から壊れてますよね、ひととして。

 で、このよじれた迷宮の大作家フランツ・カフカの運勢を、西洋占星術の立場から解析してみる、というのが今回のこのページのテーマなのです。
 イーダちゃんはいろんな趣味があるのですが、占星術もそんな古くからの道楽のひとつでありまして、いや、占星術の腕自体は下手の横好きで全然大したことはないのですが、ま、こんな角度からの取り組みがあってもいいかなと思い、今回のこの企画を試みてみたという次第なのです。
 うーん、でまあ、下図がカフカの出世図ってやつです。はい。

 

 カフカさんは蟹座の産まれ。
 月は双子座の22度で水星・金星とタイトに組んでます。
 惑星配分でいくと、男性宮が5、女性宮も5、
 火地風水の配分は、0,1,5,4 で「風」がやや過剰かな。
 あと、残念ながら正確な出生時間が不明なので、ASCとMC、部屋区分などは使えません。
 それと一日に12度動く月の位置のぶれを最小限に抑えるために、月位置が12度のちょうど真ん中になる正午の時間でもって本チャートは作成してあります。
 え~ で、このひとのチャートをざーっと読んでいきますと、

 おっ。このひと、基本的に「情」のおひとと出ています。
 永遠の幽囚みたいなカフカが「情」のひと!? とこれを書いている僕自身もややびっくりしちゃうんですけど、占星術的見地から見るとどうしてもそうなりますね。
 このカフカさん、太陽が木星と合で組んでいて、元々はかなりいいひと、信仰深く、ひとを信じやすいタイプのようです。
 いってみれば、じゃあカフカさんが人生を通じて作り上げてきた、彼の不信と孤独との巨大な迷宮は、彼の愛への渇望がその渇望ゆえにおのずから生み落としてしまったもの、といってしまっていいのかもしれません。
 要するに、愛されたいから苦しいんです。
 愛されたいという気持ちがあるからこその孤独なワケであって。
 その気持ちがてんでなかったら、まあ、つまんない薄情な世界だわ、産まれてきて損したなあ、でも産まれてしまったんだし仕方ない、産まれてきた以上はせいぜいこの世での酷薄さに慣れて、毎日毎日をせいぜい面白おかしく楽しみませう、美味しいものをいっぱい食べて、できるだけ贅沢ないい服を着て---と、これだけでまあ済んじゃうワケですから。
 この程度の安手の経済学で生きていけるなら、それはそれで素晴らしいことかもしれません。
 もっとも、幸せにはなれないでせうけど。
 ええ、幸せになるためには、人間、ある程度の誠実な不幸が絶対に必要なんですから。
 
 話がヘビーに飛びすぎました。次、月!
 カフカさんの月は双子座の22度。あと、水星も金星もおなじ双子でこの月と絡んでます。
 これは頭のいい、心の足の速い、機敏な、はしこい子ですねえ。
 言葉の喚起力とセンスがハンパない、しかも、これが乙女の天王星と超タイトな90度ですから。
 なおさら切れる。というより切れまくる。切れまくりすぎて平凡な生活を憎む、みたいな若干のヒネクレの暗示もありますね。
 でも、作家性としたら、これはいいサインなのかもしれない。

 で、非常に強いのが、カフカさんの牡牛座の海王星。
 これがおなじく牡牛座の火星と合の座相をつくってる。
 火星と海王星の合の意味は「サイキック」---これが牡牛座の感覚的な領域で発揮されるワケですから、これはちょっと、感覚的な魔術、といっちゃってもいいかもしれませんね。
 このアスペクトが作品に反映されたのかなあ。どうなんだろう?
 たしかに部屋にこもって迷宮の話などを黙々と書いているカフカには、中世の錬金術師のイメージがかなり似合うとは思うのですが。うーむ、なに書いてるのか自分でもわかんなくなってきちゃったゾ。

 だめだあ、ヘボだあ。(xox;>
 大作家フランツ・カフカの天才の印は、彼のホロスコープからは、あいにく見つけられませんでした。
 だもんで、ちょっと即興の詩でお茶を濁したりしてみませうか。


「カフカの瞳のなかのアパートの窓辺で葉巻を吸う話」
 

    カフカの瞳のなかのアパートにすんで
    
    カフカの瞳のなかの夜空にうかぶ月をながめてみたい
 
    窓辺に古いロッキングチェアーを置いて

    それに乗ってゆられながら

    葉巻の青いけむりをぷーっと夜空に吹きあげて

    冷たい瞳のお月さまを思いきりいぶしまくってやるんだ

    それが、カフカの瞳のなかの町に暮らすぼくとぼくの猫との長いことの夢

    カフカがまばたきをしてこの影絵の世界が終っちゃうまえにぜひそうしてやりたいんだけどな---。  
   
 

 今夜はもうケツまくって寝ちゃうことにします。お休みなさい。m(_ _)m
 
 
 
 
 
 
 
  

 

徒然その12☆サロベツ原野のエルヴィス☆

2010-10-16 23:01:45 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
           がらーんちょん。広大で淋しい、道北サロベツ原野。
         

 徒然その10の北海道キャンプのコーナーでもちょっと書いたのですが、イーダちゃんは今年---2010年---の8月、まるひと月かけて北海道各地を放浪してきました。
 目的は多々ありました---温泉、キャンプ、名所の見学に多少のグルメ、自然をめいっぱい味わうこと---それから、これは超マニアックな趣味としての、運転中のミュージック実験!
 こんなややこしいいい方だとなんのこっちゃさっぱり判らないかと思いますが、なに、よーするにクルマのなかでどんな音楽を流せば北海道の風景にいちばんマッチするのか、という実験(?)のことです。
 発想からして香ばしい暇人臭がプーンと香ってきそうですが、いやいや、イーダちゃん的には結構まじめなつもりです。
 クルマで北海道をさすらうとなると、車中ですごす時間も当然多くなる。
だったら、その時間をただ漫然と運転してるだけじゃあちょっともったいない、お気に入りの Music CDをドカスカ持ちこんで、かたっぱしからそれらを流して、北海道にもっとも似合う音楽というのをひとつ見つけてやろうじゃないの、といったような腹づもりでいたのです。
 で、広大で人口密度の少ない、行けども行けども無人の草原とハンゴンソウの集落がつづく北海道の各所をクルマで飛ばしながら、イーダちゃんはさまざまな Music を聴きまくってみました。
 もうほとんどノージャンル……ブルックナーにグールド、ティボー、モーツァルトのオペラにシューリヒト、パーカーにレスター・ヤングにオーネット、さらにはトルコのウード演奏から百恵、ジャニス、各種のロックまで……なんちゅー節操のなさ、まあ滅茶苦茶なんですが、そうやっていろいろ試した結果ダントツで北海道に似合っていたのが、意外や意外、エルヴィスでした。

 エルヴィス・プレスリー---いうまでもない、ロック界の最初のスーパースター。
 ジョン・レノンのアイドルにして、ロックンロールというジャンル全般を統括するキングのことです。

 古いカントリーのハンク・ウイリアムズなんかいかにも似合いそうだなあと思って、僕はあらかじめ彼の作品をもちこんでいまして、事実、彼の淋しげな Voise はとてもよく北海道景色にマッチしていたんだけど、でも、エルヴィスには敵わなかった。

 北海道の旅において、エルヴィスは無敵でした。
 どこでかけても似合っていたし、サマになってた。

 本土で聴くと、彼のロックってなんというかちょっと過剰なんですよ。
 たしかにこのひと、歌、異常にうまいし、リズム感も人間離れしてる。
 でも、このひと独特の、まったく理性を感じさせない、感情と本能の爆発みたいな傾向の音楽が僕はやや苦手でした。
 あと、あの甘い声を大きく震わせてのエルヴィス・ヴィブラート---これを聴かされると、湿気の多いルイジアナあたりの沼地に自分がずるずると引きこまれていくような感触をいつも覚えるのです。
 あまりの情の濃さに思わずむせかえるような、たまんない感触につい逃げたくなったり。
 あと、スローなバラードを歌うときにたっぷりとふりまかれる、微妙な乳臭さの伴うほのかなマザコン臭……。

 まあ、認めちゃいるけど、ちょいと苦手な存在であったというワケなんですよね。
 ところが北海道という地において彼を聴くと、そうした苦手感覚がみーんな吹き飛んじゃったんです。
 いままで短所と思っていた彼の癖のひとつひとつまでいちいち格好よく見えてきたのです。
 見わたす限りなんもない平原の風景ってね、基本的にしんと淋しいんです。ほんのり寂寥地帯なんです。家もひともなーんもなくて。そういう土地を包みこめる歌があるとすれば、そこにはエルヴィスくらいの情の濃さが必要なのかもしれません。都市に住むクールで薄情な市民なら思わずむせかえっちゃうほどの、至死量ぎりぎりの圧倒的な情の深さってやつが。
 道北のサロベツ原野で聴いたときの彼はとりわけ素晴らしかった。
「マジ? カッコいい。なに、ぜんぜんちがうじゃん……」
 エルヴィスの濃ゆいバリトン・ヴォイスが、なんか凄い普遍性を帯びて、広大な平原のうえをすさーっと風のように流れていくんです。平原と青空のなかにゆっくりと拡散していくんです。草々をなびかせることによって自分の駆けたあとをゆるやかに刻みながら。
 あれは見ものでした。
 ええ、とても綺麗だった---。

 そういえば北海道ってどことなくアメリカの西海岸のオークランドあたりに似てるんですよね。
 10年ほど前ですが、以前、知人のクルマに乗せられてそのオークランドを走っていたとき、カーステから流れるカントリーと周りの風景があんまりマッチしているんでびっくりしたことがあったのを思い出しました。
 アメリカ人がエルヴィスのことを「キング」なんて呼ぶのは、僕はそれまでせいぜいビジネス上での誇張的表現だろう、くらいにしか思ってなかったんですよ。でも、どうやらそれは浅い読みちがいだったみたい、広大なアメリカ大陸で、もしくはそれとよく似た北海道のような土地で流せば、エルヴィスは恐らくとてもよく「鳴る」シンガーなんだと思います。
 もしかしたら、ほかのどんなシンガーよりも。

 野菜や果物にはいわゆる産地というのがありますが、ニンゲンにもそういうのってありますよね?
 ひょっとして僕らはそれと知らず、生まれ育った土地の香りを自分で思っている以上に周りにふりまきながら生きているのかもしれません。
 そーいえば、ライトニング・ホプキンスなんて聴いてると、彼の生まれ育ったテキサスの乾いた風土、トウモロコシ畑、はるかな地平線なんかがなんとなく見えてくることありますもんね。
 北海道ドライヴでの実験結果は、とにかくエルヴィスがナンバーワンでした。
 2位もおなじ、3、4位がなくて5位もまたエルヴィスってくらいの、圧倒的な1位です。
 北海道の地においては、彼の音楽のなかにある無知も野蛮さも、きらきらと美しく照り輝くのです。こいつは敵わねえ。彼が狂ったようにアメリカで売れつづけた理由が肌で理解できた気がしました。
 ジョン・レノンはいまいち。やっぱり彼はリバプール出身ですから、港町の潮風の吹く土地のほうが似合うようです。
 ブルックナーなんかいいかもと思っていたのですが、微妙にちがっていましたっけ。彼もやっぱり本当の意味で「鳴りきる」ためには、背景にドカンとでっかいアルプスが必要なんじゃないかと感じました。
 シベリウスは内気すぎ。
 ラフマニノフ、北海道もロシアも平地同士のせいか、結構よかった。
 井上陽水---どこでもとても鳴るひとなんだけど、ここ、北海道ではやや繊細すぎる感じ。
 ロバート・ジョンソン---グッド! アメリカ南部 Music は概して北海道に合うみたい。思わず泣きそうになりました。
 あと、これはCDじゃなくて偶然ラジオで流れたんですが、松山千春がとてもよかった。
 僕、彼のことは声はいいけど大味だと思って、あんまり好きじゃなかったんですよね。
 でも、北海道で聴いたらやっぱりとても「鳴り」がいいワケなんですよ。本土で聴くよりずっと。
 やっぱりがらーんとした平野では、平野出身者の音楽が強いのかもしれませんねえ。(^o^)/ 

-----以上、北海道サロベツ原野からのレポートです。担当はイーダちゃんでした。m(_ _)m


 



 
 



徒然その11☆ミスター・ジョン・レノン!(^o^)/☆

2010-10-14 01:19:03 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆


僕がジョン・レノンと出逢ったのは、中学二年のときでした。
 ちょうどジョンが「Rock'n'Roll」を出して、長い主夫生活に入っていた時代のころです。ですから、当時ジョンは音楽界の第一線からまったく撤退してたワケで、TVなんかには全然出てなかったんですよ。時代はT-rex一色でしたね。グラム・ロックの時代。あと、Kissとかピストルズとか。ただ、僕としては、彼らの発信するRockに、それほど魅かれているという自覚はなかったんですよ。それなりにいいな、とは思ったけど。
 初めて音楽に魂を奪われたのは、神奈川県藤沢市善行中学の昼休みの校庭ででした。
 校内放送でビートルズの「She Loves You」がかかったんですよ。
 そのとき、僕、たしか竹箒でみんなとわいわい遊んでたんですよ。でも、一瞬で気持ちを奪われちゃって、同級生の小林っていうのに(彼、そーゆーのにやたら詳しいマセガキだった んです)、
「なあ、小林、あれ何? いま放送でかかってるの? 教えて。なんて曲?」
 すると、彼、ふふんと小馬鹿にしたような笑いをうかべて、
「なんだ、お前、そんなのも知らないの?(得意げに。うん、そーゆー奴でした)」
「うん、だから教えてって(苛々を抑えつつ)」
「あれはね、ビートルズのシー・ラブズ・ユーって曲。常識じゃん」
 その瞬間以降、中学はもうビートルズ一色でしたね。それ以前の僕のアイドルは極真空手のマス・オーヤマだったんですが、一瞬にしてそのブームは煙になっちゃった(笑)。ギターはじめて、バイトしてレコード買ってね、関連本ことごとく集めて……。で、「A Hard Day's Night」や「Dizzy Miss Lizzy」でVocalをとっている、剃刀みたいな通りのいい声をしたジョン・レノンって男にだんだんと熱中していったワケなんですよ、コレが。
 なにしろジョンは格好よかった。やることなすこと、全部が全部。
 ジョンはインタヴューがまた格好いいんですよ、気まぐれで、男臭くて、奔放で。
 アメリカ上陸の際、あんまり決まりきったことばかり聞かれるのにウンザリしたジョンがある記者に返した応対がこれ、

----アメリカでいちばん嫌いなものはなんですか?
----You……。(苦りきって)

 好きだったなあ、この真正直な答えよう!
 世界のアイドルだった全盛時代、ベトナム戦争について米記者から尋ねられた際の対応も凄かった。

----この戦争は間違ってるよ。アメリカはいますぐ戦争をやめて、ベトナムから撤退すべきだ。

 僕が小学校のときから、毎朝のTVニュースではベトナム戦争のニュースが流れていたんですよね。僕はそれを見ていつもイヤーな気持ちになっていたんだけど、偉い大人も誰でもその大きな戦争についてきちんと答えてくれたひとはいなかった。それをこれほどシンプルに、かつ明快に答えてくれたのは、まさにジョン・レノンだけだったんですよ。
 もー 震えましたね。(ToT;>
 いまのアイドルでいったい誰がこんな返答をします? アイドルじゃなくって芸能人でも誰でも。
 こんな返答をしたらケネディ暗殺事件すらウヤムヤにしたアメリカで今後どうなっちゃうのよ? 殺されるかもしれない。
 むろん、マネージャーのエプスタインだって戦争に関しての返答は差し控えるように前もって警告してはいたんです。
 実際、ポールはいう通りにしてました。
 でも、ジョンはそうしてはいられなかった。損得の問題じゃない、いわずにはいれない気持ちについなっちゃったんでせうね。その結果、どうなろうとも。
 ジョン・レノンのこの正直さ、誠実さには、いつも魅了されます。
 こうしてこれを書いている、いまこの瞬間も。
「Imagine」---名曲だと思いますよ。
 Classicな基礎をもった、いわゆる西洋伝統音楽の文脈のなかでの名曲とはちがう、しかし、この曲の持ってる深いヴィジョン、思想性、あとやっぱりこの曲においても底流してる、なんともジョン流の愚直なまでの「率直さ」---そうした見地から総合的に見てみると、この曲、Bach や Beethoven ももうすでに超えちゃっているのでは、と思ったりもします。
 いや、もしかするとそれ以上、これ、ひょっとして、この2000~3000年間でナンバーワンの曲かもしれません。
 30年前ならこんな意見フフンと鼻先で笑われましたけど、現にいま、世の中だんだんとそっちサイドに動いていってるじゃないですか。
 ただ、僕個人としては、Imagineはあんま好きじゃない。
 ジョン、自分の声にエフェクトかけて、か細いような、なんか弱々しいVocalになっちゃってるじゃないですか、結果的に。
 僕は、好き勝手に気持ち良さげに歌ってる、若い、ゴリゴリのジョンがやっぱり好きですねえ。
 たとえば「青春」ってコトバを聞いて、僕がいちばん最初に連想するもの。
 ふたつ、あります---Schubert の歌曲「美しき水車小屋の娘」(ただし夭折の名テノール、Fritz Wunderlich が歌ってるものに限ります。フィッシャー・ディースカウじゃダメ)---それともうひとつ、それは「恋するふたり」を歌っているときの、ジョン・レノンのあの切ない、張りのある、濡れそぼった声なんですよ。
 あれは、まさに目に見えない命のしずくをふりまきながら歌ってるような、ジョンだけの奇跡のVocalだと思います。
 ジョン・レノン、いま生きてたら、イラク戦争、9.11、それに我が国の尖閣諸島問題、やっぱり黙ってられなかったでせうねえ。
 現にイラク戦争のときは「Imagine」全米でズバリ放送禁止になりましたもんねえ。その理由がいい、兵士の士気を落とすからだって。
「Imagine」と、それを禁止しないと戦争を遂行できない政府と---どちらが正しいかはいうまでもなく自明だとイーダちゃんは思いますけど。
 残念ながら、いまの時代の歯車はいい方向にむかって廻ってはいない、僕はそう感じます。でも、そんなこというとジョンに怒られちゃいますからね。ジョンはいつも明るく楽観的でした。
 で、最後にジョンならではの美しいコトバをひとつあげておきますか。
 
---僕は、ロックフェラーとはまったく違うやりかたでロックフェラーたちと闘いたい。自分たちとあまりにちがってるんで、彼等がどう反撃していいか分からなくなるような、そんなやりかたで。

 おやすみなさい。今夜貴方が見る夢はきっといつもと違うでせう。m(_ _)m