猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

大阪高裁靖国違憲判断の問題点

2005-09-30 13:36:48 | 訴訟・裁判・司法
<首相靖国参拝>大阪高裁、初の違憲判断 「宗教的活動」
 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法で定めた政教分離に違反すると主張し、旧日本軍の軍人・軍属として戦死した台湾人遺族や日本人の宗教関係者ら188人が首相と国、靖国神社に1人1万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪高裁(大谷正治裁判長)は30日、「参拝は、憲法が禁止する宗教的活動と認められる」と高裁レベルで初の違憲判断を示した。賠償請求は認めず、原告側の控訴を棄却したが、原告側は「実質勝訴」とみて上告しない方針。請求が棄却されているため、国側が判決理由を不服として上告することは事実上難しく、判決は確定する見通し。(毎日新聞)
◇賠償請求は棄却
   …
判決は、(1)参拝は、首相就任前の公約の実行としてなされた(2)首相は参拝を私的なものと明言せず、公的立場での参拝を否定していない(3)首相の発言などから参拝の動機、目的は政治的なものである――などと指摘し、「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断した。
 さらに、参拝は客観的に見て極めて宗教的意義の深い行為と判断し、国内外の強い批判にもかかわらず参拝を継続しており参拝実施の意図は強固だったとして「国は靖国神社と意識的に特別のかかわり合いを持った」と指摘。「国が靖国神社を特別に支援し、他の宗教団体と異なるとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」と述べ、憲法20条3項の禁止する宗教的活動と結論付けた。
 一方で、原告の思想や信教の自由などを圧迫、干渉するような利益の侵害はないとして首相らの賠償責任を否定した。
   …


猫のコメント:本判決の問題点を指摘する。
 まず、「国が靖国神社を特別に支援し、他の宗教団体と異なるとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」という、目的効果基準の適用の仕方には疑問がある。社会通念上そのようには認められるとは理解できない。
次に「国内外の強い批判にもかかわらず」のくだり。なぜここで「国外」の反応がでてくるのか。裁判所は司法の場であって国際世論がどうのという政治的な場ではない。
 「国が靖国神社を特別に支援し、他の宗教団体と異なるとの印象を与え、特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」と述べ、憲法20条3項の禁止する宗教的活動と結論付けたにもかかわらず、原告の思想や信教の自由などを圧迫、干渉するような利益の侵害はないとして首相らの賠償責任を否定したことの矛盾。「違憲である」という文言は「請求を棄却する」という判決の根拠になっていないのだから、判例としての拘束力を持たない傍論である。つまり、傍論と判決理由が矛盾しているということである。
 もちろん、私は国の賠償責任を認めろと主張したいのではない。そうではなくて、上記矛盾の結果、請求が棄却されているため、国側が違憲という判決理由を不服として上告することは事実上難しく判決が高裁段階で確定する可能性が極めて高い点にある。憲法第81条により、最高裁が違憲立法審査権をもつ終審裁判所であると定められているのはよく知られている通りである。しかるに、本判決は最高裁の判断を待たずして最終判断となってしまうのである。私は、この判決は違憲判断だけ示して賠償請求を棄却することにより、国の上告を封じ「首相の靖国参拝は違憲である」との裁判官の政治的アピールを確定させる意図をもったものだと思う。04年4月の福岡地裁判決も同様であった。これは最高裁が違憲立法審査権をもつ終審裁判所であるとした憲法に違反するのではないか。そこに一番の問題があると思う。
 このような暴挙を防ぐためには、憲法判断が求められている場合は、憲法判断に異議がある場合は、それを理由に上告できるよう法律を改正すべきである。たとえ傍論に憲法判断がまぎれ込んでいたとしてもである。最高裁によって憲法判断を受ける権利は保障されねばならないからである。そうすることにより、最高裁の「憲法の番人」としての位置付けがより明確になる。もっとも、憲法裁判所の設置となると、これには賛成しない。消極的立法権を行使することになり、政治的・党派的なものになりすぎるおそれがあるからである。






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