地方社会の「日常」と引きこもりニートという、リアルと虚構の距離感の取りづらい設定に、正直、最初は戸惑った。
一例、甲府という固有名詞まで名指ししてあるんだけど、スポーツ用品の個人商店という業態のリアリティがどうなってるのか。年越しでカレンダーの交換シーンがあって、2012年から2013年とリアルタイムまで指定。そんな最近というピンポイントで、こういった地方社会の仕組みが存続して機能してるのか。
けれども、見続けるうちに、そんな理屈めいたことは気にならなくなって行って、次第にのめり込むように見入ってしまった。山下敦弘監督を舐めてたと言うんでもないんだけど、「苦役列車」の印象が邪魔をしてたというのはあるかも知れない。あれはあれこれはこれということで、傑作とは言わないけど、なかなか侮れない。
山下監督がどこまで自覚的なのかは分からない(自分を演じてるというような台詞回しはあった)けど、本作の丁寧で精緻な作り込みによって、その向こう側に日本社会の重層的な虚構性あるいは物語性、手垢の付いた用語を使えば、日常に分厚く堆積するハイコンテクストが、しっかりと浮き彫りになってる。最近のマイブーム、星新一の傑作「門のある家」のそのままに、様々なレイヤで人工無脳の如く高度の自動運動する日本社会が可視化されてる。
そこに前田さん演ずる坂井タマ子が、見事にはまってる。前田さんがごく自然に纏うリアルと虚構性がそのままタマ子に乗り移って、背景の世界と共鳴する。複数回登場する食事シーンや男女の性を意識させるシーンなどでは、明らかにそれと狙って撮られてるし、前田さんの不思議なと表現してしまおうルックスが見事に溶け込んでる感じ。
あたかも本作は(も?)、前田さんの存在を前提としたかのような設定と脚本、そして演出になってるように見えるし、確認とかしてないけど、たぶんそういう認識で間違ってないんじゃないかと思わせる。そういう視点では「苦役列車」とも似てると言えそう。
エンドロール後のワンカット、あれは何だろ?
一例、甲府という固有名詞まで名指ししてあるんだけど、スポーツ用品の個人商店という業態のリアリティがどうなってるのか。年越しでカレンダーの交換シーンがあって、2012年から2013年とリアルタイムまで指定。そんな最近というピンポイントで、こういった地方社会の仕組みが存続して機能してるのか。
けれども、見続けるうちに、そんな理屈めいたことは気にならなくなって行って、次第にのめり込むように見入ってしまった。山下敦弘監督を舐めてたと言うんでもないんだけど、「苦役列車」の印象が邪魔をしてたというのはあるかも知れない。あれはあれこれはこれということで、傑作とは言わないけど、なかなか侮れない。
山下監督がどこまで自覚的なのかは分からない(自分を演じてるというような台詞回しはあった)けど、本作の丁寧で精緻な作り込みによって、その向こう側に日本社会の重層的な虚構性あるいは物語性、手垢の付いた用語を使えば、日常に分厚く堆積するハイコンテクストが、しっかりと浮き彫りになってる。最近のマイブーム、星新一の傑作「門のある家」のそのままに、様々なレイヤで人工無脳の如く高度の自動運動する日本社会が可視化されてる。
そこに前田さん演ずる坂井タマ子が、見事にはまってる。前田さんがごく自然に纏うリアルと虚構性がそのままタマ子に乗り移って、背景の世界と共鳴する。複数回登場する食事シーンや男女の性を意識させるシーンなどでは、明らかにそれと狙って撮られてるし、前田さんの不思議なと表現してしまおうルックスが見事に溶け込んでる感じ。
あたかも本作は(も?)、前田さんの存在を前提としたかのような設定と脚本、そして演出になってるように見えるし、確認とかしてないけど、たぶんそういう認識で間違ってないんじゃないかと思わせる。そういう視点では「苦役列車」とも似てると言えそう。
エンドロール後のワンカット、あれは何だろ?
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