AKB48の旅

AKB48の旅

「冷静と情熱の間」

2017年02月21日 | AKB
昨日の今日で、聞ける時間にはほぼ「ないものねだり」をヘビロテしてる。

この曲を書いた秋元氏、そして書かせた橋本さん、そしてスタッフの皆さんに心からのリスペクト。

なんかじっとしてるのがもったいなくなってググってみたけど、これといったテキストに巡り会えない。そんな中、以下の記事に目がとまった。

【コラム】冷静と情熱の間にいた孤高の人、乃木坂46橋本奈々未の集大成『サヨナラの意味』について語りたい
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161127-00152016-rorock-musi

表題曲“サヨナラの意味”はピアノの旋律によるイントロがバラードの始まりを予感させる。《サヨナラに強くなれ》《サヨナラを振り向くな》《サヨナラは通過点》と訴えかける歌詞も相まって、一切の余韻を許さない感じがかえって切なく、まるで卒業に際してキッパリと「やり残した事はありません」と答えた彼女の強い意志そのもののようだ。そして、アップテンポだからこそ描ける「別れ」の絶妙な温度感を再現した表題曲はもちろんのこと、カップリングに収録されている橋本のソロ曲“ないものねだり”にも注目したい。橋本が綴った日記を元に秋元康が作詞をしたという同曲(彼女が好きだと公言しているバンドの代表曲と同じタイトルであることも気になるが)は、“サヨナラの意味”から一転、ゆったりとした時間軸で進んでいくバラード。穏やかなサウンドの中で歌う彼女の声の揺らぎは、女性的な繊細さや柔らかさを象徴している。

AKB48の公式ライバルとして結成され最初からヒットを義務付けられていることへのプレッシャーと、そんな中で抱く「自分を変えたい」という想い。端的に言ってしまえば、乃木坂46とはその狭間で闘う少女たちの物語であり、もちろん橋本もその当事者ではあったが、彼女はどこか俯瞰した視点で自分自身を見つめることができる人でもあった。だからこそ初志貫徹の人だったのだと思うし、そのクールビューティーなルックスとは裏腹に、情に厚く芯の通ったところもあった。冷静と情熱の間を行き来する、ゆえに孤高であり続けた人。今回のシングルに収録された“サヨナラの意味”と“ないものねだり”はそんな彼女の筋道の通った二面性を表しているように思える。


奇しくも蜂須賀ちなみ氏のコラムだった。

以下は書くかどうか迷ったけど、えいやっと書いてしまおう。

「ないものねだり」のあまりの完成度に引きずられるように、奇怪なイメージがわき上がってしまった。この楽曲と私の理解するところの乃木坂の存在様式が、表裏一体の関係性に思えて仕方がない。つまりは「乃木坂の虚構性」と言う時、その裏付けというか「実態」のようなものを体現していたのは、橋本奈々未さんだったのではないか。

この曲には間接的ではあるけど「性」としての女性が露出してる。一方で乃木坂もまた漂白されてはいるけど、実はやはり人格とかを置きざりにした、「性」の露出こそが最大の特徴だったのではないか。そこがAKBとの決定的な違いとなったのではないか。

そしてその差異は、秋元氏が画策したとかではもちろんなくて、まったくの偶発的な乃木坂1期生の人格構成と人間関係の中、とりわけ橋本さんの存在によって決定づけられたのではないか。

事実として当初のセンターであった生駒さんは、おそらくはもっとも「性」から遠い立ち位置にあった。その事実が、秋元氏の当初の目論見との違いを浮き彫りにしてくれてる。AKBとは決定的に異なった乃木坂の「虚構性」、表面的かつ構造化の希薄さ、言わば「女性」性・・・、そんな諸々の特徴の正に隠れた当事者が橋本さんだったのではないか。乃木坂とは、その「冷静と情熱の間」に存在したということなんではないか。

うーむ、まだもう少し踏み込めそうだけど、この辺りで自重かな。

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