AKB48の旅

AKB48の旅

座標軸と言語化能力

2018年02月02日 | AKB
卒業発表の乃木坂46 生駒里奈が“グループの顔”であり続けた理由 香月孝史が功績から考察

「生駒さんが乃木坂46の顔として機能している要因のひとつは、“グループを俯瞰して言語化できる”能力の高さにあると思います。2015年にAKB48との兼任を経験したことでさらにその視野は広がったのかもしれませんが、アイドルというジャンルが社会の中でポジティブとネガティブ双方の反応を引き起こす、両義的な存在であることにも自覚的な方であるようにみえます。メディアのスターあるいはタレントとしての価値は高まっていても、一部の人からは軽んじられるジャンルでもあるということを踏まえながら、冷静に慎重に発信する方という印象です」

例によって香月孝史氏らしい微妙な考察。そんな中にあって、上記引用部分には頷けたかな。以下、メタアナリシス的に私流にパラフレーズ。

乃木坂46を深くは知らないままに言い放ってしまうけど、表からは見えない背後のどこかに個を置き去りにして、個々の人格が定まらない中での「漂白」された性の露出という乃木坂46のコンセプトにあって、生駒さんだけがそこから一人離れていた。女性である前に一人の人間、個としてのリアリティを持つことができた。唯一、誰からも分かりやすいアイコンにして、座標軸のようなものを提供してくれてた。だからこそ秋元氏は、生駒さんをセンターに据えたんだろう。そんな生駒さんの存在様式を担保したのが、生駒さんの知性と言語化能力だった。

乃木坂46というグループにあって、生駒さんは誰からも分かりやすいアイコンとして機能し、結果的に乃木坂46のコンセプトの確立(と隠蔽)のための、やや的外れの表現だと「補助線」、より正確には「捨て駒」となった。そして、隠れたペアリングの相手だった橋本奈々未さんの引退により、生駒さんもまたその役割を終えたということなんだろう。


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