100年後の君へ

興亜一心刀(満鉄刀)と軍装マニア氏の問題点 軍刀をどう見るか2


 一口に軍刀と言っても、
1.古い刀を軍装拵に入れた物。例えば東郷平八郎の一文字吉房(大正天皇より下賜)や、支那事変・太平洋戦争で徴兵された民間人が古い刀を軍刀に設えた物。
2.軍装品としての刀を刀鍛冶が日本刀の制作方法で作った物。例えば月山貞一(初代)や宮本包則や堀井俊秀が恩賜の刀として鍛えた物、支那事変・太平洋戦争に出征する兵士のために当時の現代刀匠が鍛えた物や靖国刀の一部。
3.刀鍛冶以外の者が作った物。戦時中の軍刀需要の増大を受け、昨日まで包丁や鎌を作っていた野鍛冶や刑務所の受刑者に作らせた物。靖国刀の一部もそうである。
4.当時の技術で量産した物。鍛造しない昭和刀や日本刀の構造で量産した満鉄刀。
 がある。

 今回論じるのは満鉄刀だ。満鉄刀の正式名称は商品名「興亜一心刀」である。
 量産品でも昭和刀と満鉄刀は全くの別物である。満鉄刀の方が遥かに品質が高い。
 私は満鉄刀とは意外な場所で会っている。仕事でよく行く香港のセントラル地区だ。私が刀に興味を持ち始めた青春時代の事である。
 セントラルの街を散策していて見つけた骨董品店に満鉄刀があった。香港と言えば先ずは偽物と見るのがルールだが、これは本物だった。聞けば店主は日本刀のコレクターだという。当時の私は、満鉄刀は初心者が近江大掾忠広と見誤るという知識は持ってたから、これが満鉄刀かと興味深く見入ったものである。しかし当時の私の目にも流石に忠広には見えなかった。姿や直刃は肥前刀っぽく見えるし、地鉄もつるんとして綺麗ではあるが、日本刀の鉄(かね)ではない。肥前刀の小糠肌や梨地肌に似ているとは言い過ぎだ。よく観れば全く違うのが判る。ただ後に見た河野貞某(名前失念)の居合刀の地鉄は満鉄刀に似ていると感じた。
 因みに洋鋼やステンレスでも焼き入れして磨き上げれば地沸や地景状の働きが現れるものである。鋼を焼き入れすればマルテンサイトの粒子が発生するから当然である。ハンドメイドの高級カスタムナイフにはそうした働きを見て取る事ができる。
 香港の満鉄刀は未使用かと思われるほど保存状態の良い軍刀拵に入っており、刀身も錆一つなかった。値段は30万円(日本円)と言っていた。交渉すればもっと安くなるだろう。当時もっと薄汚い一般的な軍刀が20万円位だったし、高級カスタムナイフなら30万円以上がざらだった。私のポケットにもそこそこのお金があったので心を動かされたものである。しかし日本の通関手続きや登録証の取得が面倒臭いので止めた。当時の私は公私共に非常に忙しかったのである。
 つまり私にとって満鉄刀とは、青春時代の一コマに登場する刀の一つであり、思い出の一部なのである。
 しかし問題は、満鉄刀に関して、偏った歴史観を持つ人や偏った考え方をする人が、極端な主張をしている事である。
 例の軍装マニア氏など、

>興亞一心刀は、新たな日本刀の世界を切り拓く為、満鉄が威信を賭けて取り組んだ壮大な試みであった。
>この刀は、祖国が、そして満鉄が、満洲に描いた夢の証しであり、「紛れもない日本刀」である事を我々に示している。
(同氏HP「興亜一心刀の実態と所見」よりhttp://ohmura-study.net/225.html

 と、熱く語り、その根拠として南満洲鉄道株式会社大連鉄道工場刀剣製作所が発行した書籍『興亜一心』http://ohmura-study.net/221.htmlと昭和14年度(1939)の『満州グラフ』記事「斯くして作られる興亞一心刀」http://ohmura-study.net/223.htmlを引用している。
 『興亜一心』は軍装マニア氏によれば、

>この本がどの様な動機で発行されたのか分からない上に、市販だったのか非売品だったのかも分からない。
>或いは株主総会開催時の“お土産資料”的なものだったのか。
(同氏HP「『興亞一心』について」よりhttp://ohmura-study.net/221.html#1

 との事である。
 つまり『興亜一心』は南満洲鉄道株式会社(以下満鉄)の宣伝パンフ乃至満鉄刀のカタログ的な印刷物なのである。
 自社製品がどれだけ優れているか、科学的な検証結果を基に大々的にPRするのは今日の家電製品や健康食品も同じだし、新車のカタログなど正に軍装マニア氏が紹介する『興亜一心』と同じ構成である。確かに消費者にとって企業側の主張は一つの判断基準になる。しかし企業が自社製品の優秀性をPRするのは当然であるし、当時は企業の宣伝をチェックする公共広告機構もなかった。そのような時代の企業の宣伝に踊らされるのはあまり賢い態度とは言えない。

 またもう一方の『滿洲グラフ』は満鉄の機関紙である。当然満鉄にとって有利な情報やPRしか載せない。人民日報や赤旗のようなもので、一般的な雑誌とは違う。

 参考 拓殖大学図書館滿洲グラフの頁よりhttp://opac.lib.takushoku-u.ac.jp/kyugaichi/htmls/pages/mns_96022010.html:「昭和8年(1933)に南満洲鉄道によって創刊された、満州国宣伝のための雑誌です。満州国や満鉄の美点が多くの写真と共に描かれています。」

 因みに以下は軍装マニア氏のHPに引用されている『滿洲グラフ』記事「斯くして作られる興亞一心刀」の一部である(青字)。

「直徑七寸の巻藁の中心に五分丸の青竹を入れて、これを斜め斬りにやって見た。見事切斷された巻藁に、輕い微笑みを贈ったゞけで、少しの刃こぼれをも感じない興亞一心刀燦(さん)と輝いてゐた。」
「續いての對象にあげられたものは、重量二十六貫、首廻り二尺八寸の豚、厚さ五厘、幅一寸、長さ六寸の軟鐵板を重ねて四枚・・ 何れも興亞一心刀の凝固した名刀の前には何等の障害ともなり得なかった。
「室内の温度が零下四十度に低下して、抜身の刀を一晩その中に放置した。翌日鑄鐵製定盤上でこれが手打試験を實施したのである。太いレールでさへ折れてしまふこの荒テストに、我が興亞一心刀はいさゝかの刃切れ、刃こぼれを見なかったのだ。
「この事實は、大陸に使われる降魔の劍として、絶對的卓越性を實證したものであり、世界に誇示し得る科學滿洲の凱歌でもある。」

 以上http://ohmura-study.net/223.html

 メディアを使った宣伝は今日の工業製品と同じだ。つまり満鉄刀は満鉄が「興亜一心刀」という商品名で売り出した商品なのである。それを踏まえて議論せねばならないのに、軍装マニア氏は満鉄の宣伝に舞い上がってしまい、21世紀の今日になって尚、満鉄の言うがままに、満鉄刀がいかに優れた刃物であるかを力説するのである。
 その興奮は極みに達し、

>この刀は、祖国が、そして満鉄が、満洲に描いた夢の証しであり、「紛れもない日本刀」である事を我々に示している。
(軍装マニア氏「興亞一心刀に思う」http://ohmura-study.net/225.html#4

 と、劇的な決めゼリフで満鉄刀の素晴らしさを讃えている。

 新車のCM顔負けの絶妙なキャッチコピー(煽り文句)である。
 こんな決めゼリフを聞かされたら、誰だって思わず満鉄刀が欲しくなろうというものだ。

 しかし少し冷静に考えてみれば、当時この満鉄刀を手にした兵士達に必要だった物は、こんな愚にもつかない刃物だったのだろうか。こんな刃物を開発する金と技術があるなら、兵士に最新式の自動小銃とまではいかなくても、もっとまともな武器・弾薬を装備させるべきではなかったか。
 
 確かに満鉄(南満州鉄道株式会社 1906)は全く合法的に設立された会社である。しかしその成り立ちからして極めて政治的且つ軍事的であり、株式会社とは言うものの国家戦略・国家戦術を担う国策会社だった。満鉄はアジア開発の拠点であり、軍事的な要衝でもあった。そして満州事変(昭和6年・1931)以後は実質的に関東軍配下の組織となる。ここから満鉄(=関東軍)は国家をも動かす独自組織のようになる。今の言葉で言えば軍産複合体である。軍産複合体とは、徴兵された兵士や現地で戦闘に巻き込まれる人々の犠牲を糧に、権力や財力を肥やして行く組織である。軍産複合体にとっては戦争(事変)が泥沼化すればするほど都合が良いのである。そんな組織が「満洲に描いた夢の証し(軍装マニア氏)」が満鉄刀なら、私はそんな穢れた刃物には触りたくない。

 そもそも満鉄の夢など日本刀とは全く関係ない。

 満鉄刀の実態は、日本刀の持つ「武の心」とか「武士道精神」といったシンボリックなイメージを利用して国民を戦争に狩り出した、シンボル操作のツールであったと考えられる。
 何が「大陸に使われる降魔の劍」(『満州グラフ』)だ。日本にいるそこら辺の若者やオジサンを戦地に送り込み、今だに他国民から非難される捕虜や丸腰の人間の虐殺を行わせた鬼畜の剣ではないか。
 それを21世紀の今日になっても今だに「紛れもない日本刀」と宣伝し続ける軍装マニア氏の良識は極めて疑わしい。しかも「この刀は、祖国が、そして満鉄が、満洲に描いた夢の証し」と言うに及んでは狂気の沙汰と言うしかない。
 軍装マニア氏が当ブログを読む機会があれば、一刻も早くとは言わない、せめて生きている内に狂気から目覚めてくれる事を望む。

 古来、日本人は桜を好んだ。桜は日本の国花である。
 風雪に耐え、最後に鮮やかに咲いて散る。
 それは生を寿ぐ日本人の心性に通じている。
 人生には様々な事が起きる。辛い事もあれば悲しい事もある。
 しかし最後は桜花のように、明るく、暖かく、咲いて散る。
 そしてこの世は次の世代に受け継がれる。

 それゆえ桜花は生命を寿ぐ画題として刀装具にも好んで用いられた。
 ところが満州事変以後、短期間で散る桜花のイメージがプロパガンダに利用され、戦地で敵兵諸共、桜吹雪のように散って死ぬ事が美徳かのようにシンボル操作された。そのせいで今でも桜花を人命軽視の象徴と信じている人は多い。
 
 日本刀はプロパガンダの道具ではない。

 私は『興亜一心』や『満州グラフ』の内容が嘘だと言っているのではない。性能PRは多分本当なのだろう。
 だから何だと言うのか?
 満鉄刀は日本刀とは無関係な刃物である。なぜ日本刀を引き合いに出すのか。
 刃物として、軍刀として、抜群の性能を持つなら、それをアピールすれば良いだけだろう。なぜ事あるごとに日本刀と結び付けるのか? この方が問題である。
 日本刀を引き合いに出すのは、満鉄=関東軍こそが日本の歴史を背負っているというイメージを国民に刷り込むためだったのではないか?
 日本刀の持つシンボリックなイメージを利用して国民を戦争に狩り出したのではないか?
 日本刀の威を借りて日本刀を貶め、独善的なプロパガンダを遂行する。このような満鉄刀の宣伝手法はそっくりそのまま軍装マニア氏にも当て嵌まる。
 彼は本当に日本人なのだろうか?


 補足
 日本刀でなくとも刀は持つ者と深い繋がりを持つ。当ブログで以前紹介した人物のように、戦時中に使っていた自らの軍刀を戦後のGHQの刀剣没収から隠し通し、90歳過ぎてなお自分の愛刀として傍らに置いていた人もいる。だから私は軍刀に深い愛着を抱き、大切にしている人々を決して否定する者ではない。否、その心情には敬意を持っている。
 問題は軍装マニアの主張が、そのように軍刀と関わる人々の崇高な心情を踏み躙り、日本人の尊厳を冒涜している事にあるのである。




 
 

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