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「平成二十八年新名刀展の概要」を読んで4 正宗は裸焼きだった(杉田善昭談)


 平成二十八年新作刀コンクール審査員講評で宮入法廣氏が言っているように山城伝にも相州伝にも裸焼きの作品がある。しかし刀は一振り一振り全て違うので、同じ作者の作品でも裸焼きの物もあれば土置きした物もある。どのような焼入れで作られたかはあくまでも個別的に判断しなければならない。
 山城伝は概ね土を使っているようだが、旧重要美術品・鳥養国俊は明らかに裸焼き、国宝・後藤籐四郎吉光も裸焼きである。来国俊の作風は一般的には直刃が多く、籐四郎吉光も通常は直刃だが、上記の作品は裸焼き特有の乱れ刃となっている。しかし直刃だからといって裸焼きでないとは言い切れない。
 故杉田善昭刀匠は90年代後半、数人の刀匠達と協同で熱田神宮境内で奉納鍛錬を行い、裸焼きで焼入れをしている。その時の焼き刃は鎌倉時代を想わせる直刃調の小乱れだった。また杉田刀匠は裸焼きで来国俊や籐四郎吉光そっくりの直刃の短刀を作った事もある。その短刀は地の一部に鍛接面が現れてはいるものの本科に迫る崇高美を湛えた名品だった。私が買いたいと言うと「試作品だから」と言って売ってくれなかった。研究用として手元に置いておきたかったのだろう。あれが自殺に使われたのかもしれない。今どこにあるのだろう。刀屋に買われ(事実上盗まれ)、銘を消され、鎌倉時代の古刀の極めが付けられて高く売られたかもしれない。
 相州伝では広光と秋広の皆焼(ひたつら)は誰が見ても裸焼きだが、正宗、貞宗も裸焼きで作っている。裸焼きは相州伝の極意だったのだろう。相州伝の祖とされる国宗は備前鍛冶出身と伝えられ、明らかに裸焼きだ。
 しかし一口に相州伝と言っても、広光・秋広と正宗・貞宗の地刃は大きく異なる。刀格の差も歴然としている。その違いは偏に技術力の差である。裸焼きは作者の技量によって全く別の作品になるのだ。広光・秋広も名人ではあるが、裸焼きを完全にはコントロールできなかった。彼らの作品は自然の猛威を思わせる激しい皆焼となっており、自然美の段階に止まっている。その点、正宗・貞宗は裸焼きを完全にコントロールし、自らの理性に焼き刃を従わせる事ができた。自然美を超えているのである。美学的には自然美を超えた所に理性の美があるという考え方がある(ヘーゲルなど)。その点正宗・貞宗の作品は正に理性の美。思わず頭が下がるような、深い道徳性を感じさせる作風となっている。
 国の指定品(国宝・重要文化財)に限定して言えば、正宗は殆ど裸焼きである。しかし国宝・中務正宗、国宝・九鬼正宗は土置きしているかもしれない。国宝・包丁正宗、国宝・不動正宗は裸焼きの特徴が顕著。国宝・城和泉正宗、国宝・日向正宗、重文・石田正宗に見られる雲上の放電のような稲妻と地景が一体となった驚異の景色は裸焼きの上を行く焼入れ方法によるものである。
 故杉田善昭刀匠は「正宗は裸焼きで尚且つ油で冷却したのではないか」と言っていた。確かにあれだけ激しい沸、地景を現出させるには刀身を極めて高温に熱する必要があり、水や湯で冷却したのでは刃が割れてしまうだろう。もし油を使って冷却したなら、焼入れした直後、刀身に付着した油が炎を上げて燃え上がったかもしれない。 想像するだに凄まじい光景である。
 貞宗は土を使っているかもしれない。しかし今日行われている土の置き方ではなかったはずだ。貞宗も基本は裸焼きだったと思われる。国宝・伏見貞宗、国宝・寺沢貞宗、重文・幅広貞宗、等、貞宗の多くは明らかに土を使っているが、刃淵の多彩な変化は裸焼きを基本としていると考えられる。国宝・徳善院貞宗、重文・物吉貞宗は純然たる裸焼きである。
 その他相州伝の国指定品では、行光、義弘は土を使っているようだ。則重には裸焼きと土置きした物がある。国宝・分部志津は明らかに裸焼き。国宝・へし切り長谷部も裸焼き。国宝・江雪左文字は土置きしている。左文字短刀の国指定品も土を使っているようだ。しかしこれらの相州伝も基本は裸焼きで、意図する作風に応じて土置きや油による冷却を行ったのではないだろうか。

 また地刃に正宗との共通性が見い出され、作風上正宗が模範としたのではとの説(本間順二)がある国宝・童子斬り安綱は裸焼きである。童子斬りは裸焼きと土置きを併用して作られたのではないか。私は杉田刀匠に「童子斬りを写して下さい」と頼んだ事がある。しかし氏の答えは「安綱の作風にしても、焼刃土を用いれば似たような物は出来るでしょう。しかし不用意に用いたのでは今日行われている方法と同じ物になってしまいます」(杉田刀匠のある日の手紙より)と消極的だった。氏は一文字風の自然美を追求しており、私の依頼はお門違いだったようである。

 美濃伝にも裸焼きと思しき物が多々ある。
 また新刀期では石堂系の鍛冶が一文字風の裸焼きを多く残しているが、国広、南紀重国、繁慶には相州伝の裸焼きと思われる作品がある。しかし国広も重国も繁慶も土置きした作品が大多数であり、裸焼きはごく例外的である。どのような焼入れをしたかはあくまでも個別の作品においてのみ言える事である。一つか二つの作品を見て「誰某は裸焼き」と短絡してはいけない。
 ただ言えるのは古刀でも新刀でも国の指定品には裸焼きが多いという事である。それらの作品が指定された当時、裸焼きなど誰も知らなかった。戦前から刀剣商・鑑定家として活躍し数多の名刀に接していた研ぎの人間国宝藤代松雄でさえ、杉田善昭刀匠によって初めて裸焼きの存在を知ったのである。それにもかかわらず国指定品に裸焼きが多いという事実は、裸焼きは誰が見ても一味違うという証左であろう。また作者としても裸焼きには特別の気合いが入ったと思われる。

 刀屋で売られている時代刀も焼入れ方法の観点から見る事で、鑑定書に惑わされずその良否を判断できるようになるだろう。
 



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