いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

この世の事は何事も「予めそれが必ず出来るように出来ているから出来る」

2010-04-24 01:26:45 | この世界の成り立ちと仕組み
 この世の事は何事も「予めそれが必ず出来るように出来ているから出来る」天然自然の仕組みがヒトより先にあって働いている話

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○この文の目的
 この文は、2010年4月22日の文「Ω神の天地創造の目的を実現することが唯一・絶対・普遍かつ永遠不変のヒトの生き方の原理」の続きです。
 この原理は、一般法則論者の私やその他のヒト(宇宙大では宇宙人一般)がでっち上げたものではありません。
 このことを、ここで再確認して、この意味を考えます。
 この話は、既に哲学の仕方を説明した文で説明しています。
 しかし、念には念を入れて確認します。

○自然史+人類史
 私たちが生まれ住んでいる宇宙大に広がっているこの世界の全体は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなると一般法則論では説明しています。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)は、自然史と人類史で出来ています。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作ったのでは無く、また、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世に誕生する前から存在し、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)を造り出す目的で、Ω神が自ら直接天然自然の世界を造った過程が自然史。
 Ω神が造った天然自然の世界を基礎にしインフラにして、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生きて作った文化・文明が人類の歴史/人類史。

○人類史とこれに絶対的に先立つ自然史を発見し解明するのは自然科学を代表とする学問一般の使命
 人類史とこれに絶対的に先立つ自然史を発見し、解明するのは、自然科学を代表とする学問一般の役割であり使命です。
 学問するヒトを学者や研究者といいます。
 一般法則論の理解では、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きによってこの世界の成り立ちと仕組みの全てが造られています。 
 学問は、いや、学問に限らず、私たちの日常生活においても、例えば携帯電話機を作ったり使ったりするのでも、携帯電話機は(ヒト/発明者/製造者/使用者+)自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きによって成り立っていると知る必要があるように、この世界の成り立ちと仕組みを解明するには、この世界が実際に造られている原理に則ってのみ、正しく正確に解明し理解することができます。
 現在の自然科学は、創造主である神の存在を知りませんが、これに替えて偶然を持ち出し、偶然+自然法則+エネルギーの3語で、この世界の成り立ちと仕組みを解明しようとしています。
 一般法則論は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みが、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていますから、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギーの3語でこの世界の成り立ちと仕組みの解明をしています。
 このことは既に説明しているとおりです。
 しかし、自然科学以外の学問では、この世界の成り立ちと仕組みを解明するのに、一般法則論の考え方はもちろん、自然科学の考え方さえも未だよく知らないようですね。

○自然史+人類史からなる歴史を知らず或いは認めない人たち
 自然科学的にはビックバンに始まるこの世界の歴史は、自然史+人類史の二段階で成り立っています。
 実際、自然史の過程を展示した自然史博物館と人類史の過程を展示した考古学博物館/民族誌博物館/文化・文明史博物館などが実在しています。
 しかし、大学の先生でも、「科学には弱い」と言って、これを知らず、認めない人たちがいます。
 あなたが関係する大学にも、このような常識外れの先生がいますか?

○この世界の基本的な仕組みはヒトを生み出した自然史の中でヒトの意図とは一切無関係に造られ決められた
 自然史は、この世界に、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)を誕生させる為の歴史です。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みでは、自然史は、(世界Ⅰ~世界Ⅲ+)世界Ⅳ(天然自然の物質世界の誕生)+世界Ⅴ(天然自然の世界の誕生のゴールとしてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の誕生の部分に該当します。
 この中で、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の意図や願いや意志等に一切関係なく、この世界の基本となる仕組みが、Ω神により造られました。
 これを以下に、簡単に確認します。

○Ω神自身とΩ神が自らの手で直接造った天然自然の世界の中身
 この世界の中で、ヒトが作ったのではない、天然自然の存在の唯一・絶対・普遍かつ不変かつ不動の不死不滅の永遠の存在のΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きが実在する。
 創造主であるΩ神のΩ神たるゆえんは、Ω神がこの世界全体の創造主である神であるという一点で全て決まっている。
 たとえば、Ω神とΩ神が造ったヒトと世界との関係は、常に変わることなく、自他共に絶対肯定の関係、自他共に絶対的にWIN&WINの関係、自他共に絶対的にHappy&Happyの関係にある。
 言い換えると、創造主であるΩ神は、絶対愛の存在。善そのものの存在。それ自体で自立し自己完結している完全完璧な存在。
 裏返すと、Ω神とΩ神が造るΩ神自らの化身かつ分身の存在としてのヒトと天然自然の世界の中には、反Ω神=いわゆる悪魔、悪、敵意、害意、内部矛盾、内部対立、無秩序等を一切全く含まない。
 全人類(宇宙大では宇宙人一般)は世界Ⅰ存在のΩ神の中で、永久に一つに和合して存在している。
 反りが合わない者同士など原理的に存在し得ない。
 ましてや、創造主である神としてのΩ神=男性原理=男性原理の化身かつ分身の存在としての男性と、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働き=女性原理=女性原理の化身かつ分身の存在としての女性の間においては・・・。
 Ω神による天地創造が唯心論的天地創造の原理(心を本質にしているΩ神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)に則って実際に行われた。
 Ω神による天地創造の目的は、Ω神自らの化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)の手によって、私たちが住むこの世界に地上の神の国を造りだし、私たち全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は地上の神の国を建設しこれを永遠の物にすることにある。
 Ω神の天地創造の目的物である、Ω神自らの化身かつ分身の存在として造られているヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の天地創造の目的を地上に実現するために生まれ、生き、これを永遠にするために結婚し子孫を残し続けるように決められている。
 この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅴ(~世界Ⅶ(+Z))からなる、部分、部分に分離し分割することが絶対に出来ない、全体でただ一つのまとまった世界である。
 Ω神が唯心論的天地創造の原理に則って行った天地創造の行為の結果誕生した天然自然の世界の成り立ちと仕組みは、私たちが物質と呼ぶ物で造られている。
 天然自然の世界の成り立ちと仕組みの中に誕生したヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)とはΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであること→ヒトの起源と存在原理と存在目的と存在理由/存在論/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の才能/能力の起源と根拠と限界。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)には、♂と♀の二つの性があり、♂と♀の間には性差があり、性と性差は、♂と♀の違いは、ヒトの身心に構造の違いになって現れ、この世で担う役割が異なる点があること→性と性差の起源と原理と目的。
 ♂と♀は結婚して自ら子孫を残すこと→結婚の起源と原理と目的。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在目的と存在理由(→2010年4月22日の文)→存在論。
 意識/顕在意識と無意識/潜在意識からなるヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の実在とこの働き方の原理→心の起源と中身と働き方の原理。
 ヒトはこの世界を造っている原理そのものに基づいてのみこの世界を解明し知ることが出来る→悟りの原理と認識論。
 悟りの体験も例えば携帯電話機を使うことも、Ω神が造ったこの世界の側から自然に行なわれてのみ初めて可能になる。
 言い換えると、ヒトの意志の力や腕力や権力やお金の力やヒトの作った憲法を含む規則等では携帯電話機一つも使えるように動かすことが出来ない。
 ヒトの生き方の原理(願望実現の原理)→創造論。
 ヒトは何をするのでもこの世界の成り立ちと仕組みを造り支配している唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きに則ってのみ、それを正しくかつ適切にすることができる→何事をするのでも「それをする正しい原理」に基づいた特定の「システムを作ってこれを利用する形でのみできるという原理の存在→天然自然の物は、ヒトの生得的な能力/本能の形で既に決まっていて、これが自動的かつ必然的に自然に働き出す原理も決まっている。
 例えば食欲や性欲はこの例。これを別のそれもヒトが作った原理に置き換えることはできない。

 ヒトが作った/人工の文化・文明世界の中では、ヒトが自ら作った規則/ルールを尊重しこれに自ら従う必要があるという形で、天然自然の世界の原理をなぞっています→法哲学で言う「自然法」。

 以上、思いつくままに、Ω神自身とΩ神が直接造った天然自然の世界の中身について列挙しました。
 書き落としたことがあるかも知れませんが、自然史の中で、ヒトの思いとは一切関係なく、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在を含めて、以上のようなことが既に存在し、こうだと決められています。
 この意味は、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に絶対的に等しく、唯一・絶対・普遍的にかつ不変的かつ不動的に、これらのことが与えられているということです。
 例えば、天然自然の世界で働いている万有引力の法則は、ニュートンが発見する前から実在し、これをヒトが、発見する、発見しない、知る、知らない、認める、認めない、理解できる、理解できない等に一切関係なく、人類史が始まって以来、全人類を絶対的に支配してきた、ということを、Ω神が造った天然自然の世界の存在は意味しています。
 以上、簡単に説明しました。

○個人的な意見や見解はこの世界の成り立ちと仕組みの中では原理的には存在し得ない
 例えばーーー
 この世界の成り立ちと仕組みはどうなっているのか?
 いわゆる神は実在するのか?
 ヒトとは何者か?
 ヒトは何処から来て、何処へ行くのか?
 私は何者だ!
 私のこの世での存在目的や存在理由は何か?
 いま、ここに、私は、このまま存在していて良いのか?
 いま、このまま、私はここに存在している値打ちがあるのか?
 ヒトは、どうしたら自分の思い通りに生きて幸せになれるのか?
 (以上の問いに対するΩ神の答えは、常に必ず絶対肯定!!!!!! のみ)
 この世界の成り立ちと仕組みをどうしたら正しく知ることができるのか?
 正常なこと、正しいことと、この反対の、間違っていることや異常なこととは何を基準にして判断できるのか?
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 これらのことは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界の成り立ちと仕組みの中に生まれたときには既に、天然自然の存在のこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神によって、客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に決められていて、全てのヒトに絶対的に等しく与えられています。
 したがって、これらのことは、この通りに、自然科学的に/学問的に正しく正確に発見することができるだけで、ヒトが議論し、例えば多数決で決めることが出来るものではありません。

○電気冷蔵庫システムを例に考える
 上で説明したことはーーー
 例えば、電気冷蔵庫の原理的仕組みで作られている電気冷蔵庫を、誰かが見方を変えて、テレビや携帯電話機や台所包丁とみなせば、その通りの物になる、というわけには行かない、ということです。
 電気冷蔵庫は、電気冷蔵庫の原理的仕組みに基づいて作られている絶対的な電気冷蔵庫システムです。
 これ以外の別の見方、考え方はできません。
 これは、Ω神によって直接造られた天然自然の世界の成り立ちと仕組みに関してもそのまま当て嵌まります。
 そして、Ω神は、天然自然の世界を、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造っていますから、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、この通りにありのままに認識し、理解するのが正しいことになります。
 この成果は、日本国の基本地図が作られるのと同じです。
 言い換えると、地球人類(宇宙大では宇宙人一般)の全てにとって、太陽は必ず太陽に見え、月は必ず月に見えることになります。
 つまり、Ω神が造った天然自然の世界の仕組みにより、万人でただ一つのΩ神観、自然法則観、エネルギー観、宇宙観、自然観、人間観、性と結婚に関する考え方、世界観、学問観、文化・文明観等を共有できることが原理的に最初から可能になっている、ということです。
 これを実際に発見するのが、自然科学に代表される学問の成果です。
 とにかく、これによって、全人類は、個人の違い、民族の違い、人種の違い、ことばの違い、性と性差、文化・文明の違い等を全て超越して、共にΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして、地上に神の国を建設するというただ一つのゴールを目指して、共存、共栄できることが、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の所から、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みでいえば、最初の世界Ⅰのところから、原理的に保証されているということです。
 有り難いことですね。

○歴史観に関しても話は同じ
 自然史を基礎にして人類が作る歴史についても、例えば、日本と中国、日本と韓国、中国と韓国の間でも、自民族中心主義や政治的な視点ではなくて、自然科学的な方法論に基づいて、犯罪の真犯人探しのように歴史研究がされるのならば、民族的に反りが合わないとか、歴史観の対立や食い違いなどは、原理的に絶対に存在し得ません。

○Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに根拠の無い個人的/自民族中心的で主観的で政治的な見解は許されてはならない!
 ましてや、各人ごとに独自の意見や見解を持つ自由が憲法で保障されていることを根拠にして、勝手放題に例えばヒトとは何かについて、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを無視して、あなたや私が独自の見解を持てるわけでは無い、ということです。
 更に、これが公の場で述べられた見解ならば、万人が納得しうる根拠を何が何でも示す義務があります。
 万人が納得して受け入れることが出来ない個人的な見解で、例えば性と性差を否定し、婚姻を否定する考え方を実現する政治をするのは、独裁以外の何物でもありません。

 なお、そのシステムを正にそのシステムにしている原理的仕組みを別の原理的仕組みに取り替える、例えば和服を洋服にリフォームする式のリフレーミングや換骨奪胎式のことは、電気冷蔵庫システムをそのままで例えば台所包丁とみなす式の考え方とは異なります。

○この世の事は何事も「予めそれが必ず出来るように出来ているから出来る」天然自然の仕組みがヒトより先にあって働いている
 上に説明したことを簡単に言い換えると、次のような意味になります。
 この世の事は何事も「予めそれが必ず出来るように出来ているから出来る」天然自然の仕組み/原理がヒトより先にあって働いている。
 「無い袖は振れない」/「無から有は生まれない」と言い換えても同じ話になります。
 呼吸できるのも、立って歩けるのも、こうできる仕組みを持って生まれているから、あなたや私にも簡単にできるわけです。

○悟りの体験で知る
 上に述べたこれらの事実は、意識と無意識からなるヒトの心の一番の奥底に無意識の情報の形で、全てのヒトの心の奥底に書き込まれています。
 この無意識/潜在意識の情報を一気に一瞬で意識のある心の中に意識化するのが、いわゆる「悟りの体験」です。
 筆者の場合には、1963年の秋のある日に悟りの体験をしたことは、既に述べてあります。
 悟りの原理は、無意識の意識化です。
 これは、忘れていた記憶を思い出したり、何かのアイデアを思いついたり、土俵の上で体が勝手に動いて勝てたり、全てのヒトの無意識/潜在意識の心に書き込まれている生得的で本能的な性反射によって体が勝手に反応して、絶対に相手にする筈の無い相手の巧みなリードによって性交してしまったりという場合でも起こっていることです。

○人類史の目的は天然自然の世界を解明しこれから得た知識で地上に神の国を作る為に各人の人生と文化・文明を作ることにある 
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)の過程は、人類史と呼ばれます。
 人類史は、11万年~6万年前から始まったというのが、現在の学問の成果。
 人類が生きた歴史の中で、文化・文明がヒト/人類/民族によって作られた訳です。
 文化・文明は、具体的には、天然自然の世界の解明をするための自然科学を代表とする学問一般、宗教、哲学、経済活動、日々の生活、この各人の人生などを意味します。
 文化・文明は、自然史で造られた天然自然の世界をインフラにして成り立っています。
 このことを、今、人類はやっと気がついて、自然環境の保全の大切さがわかるようになったところですね。
 人類史の究極の目的=ゴールは、自然史を通して造られた天然自然の世界を解明し、これから得た知識で地上に神の国を作る為に各人の人生と文化・文明を作ることにあります。
 天然自然の世界の仕組みを解明するのは、自然科学に代表される学問一般の使命です。
 この意味で、一般法則論では、学問を重視します。

○人類の常識は未だヒトが天然自然の世界も文化・文明の一部として作ったと言う構成説を正しいとしている
 一般法則論では、天然自然の世界は、天然自然の存在のΩ神=自然自らが造った、と言います。
 自然科学の正統派も、こう理解しています。
 しかし、これを否定するのが、構成説と言われるものです。
 構成説は、未だ一般法則論で説明しているような自然科学的な認識論を知りません。
 この世界がどう見えるかは、ヒト一般に共通してこの世界がどのような存在に見えるか、そして、これをヒト皆がどう思うかで決まるというのが、構成説。
 構成説を唱える似非哲学者とこれに影響された一部の自然科学も、いや、量子論が扱う世界の実像の理解に関して、今では形勢が逆転して、多くの自然科学者が、天然自然の世界は、ヒトの観念が作り出しているものだという説に傾いています。
 現在の量子論は、この世界の成り立ちと仕組みの創造が、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きによって行われていることを正しく知らないことが、間違いの本です。
 そこで、この世界の成り立ちと仕組みが量子化されている原理を説明しなくてはなりません。
 しかし、これは、別の文にまとめました。

○まとめ
 長々と論じてきたことは、結局ーーー
 私たちヒトには、存在目的も存在理由も、これを具体化して達成することができるヒトの生き方の原理も、これを支える天然自然の世界の成り立ちと仕組みもあり、これはヒトが呻吟してひねり出さなくても、全てのヒトに絶対的に等しく、この世に生まれたときからこれらがあたえられているので、これを知ってこれを使いこなして生きれば良いようにできている、ということです。
 夕食は、鍋から具材まで揃った土鍋セットを買い込んで、後は実際に調理して食べるだけで良い式に、私たちが生まれ住んでいる世界は出来上がっています。
 このことを、この文でも、一般法則論のブログ全体でも繰り返し説明しています。
 ただ、土鍋セットを買ったのに、買ったのは土鍋セットであることを知らず、これで例えばチャーハンを無理やり作ろうとするようなことをするのが、これまでの人類一般の生き方だということです。

 それにしても、かなりの拙文ですなぁ・・・。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

2 コメント

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look! (zoloft)
2010-04-25 03:46:38
がっぽがっぽ
拙ブログ (tk)
2010-04-25 03:47:56
みてくだされ