いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

素朴実在論

2009-07-29 14:05:25 | この世界の成り立ちと仕組み
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M  ) ) ) ))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神 ↑      Ω神の 天然自然 物的  俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界  Ω人  人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                          Z→→→→→Z
存在のΩ人


○素朴実在論を簡単に確認
 この文では、「素朴実在論」という考え方について、簡単に確認します。

○素朴実在論とは----
 素朴実在論とは、私という存在と私が居るこの世界は確かに間違いなく実在している、という市井の人々の実感に裏付けられた素朴な存在論/世界観/人間観を、自然科学でもそのまま認め受け入れる立場を、科学哲学で「科学的素朴実在論」と名付けている、と私は理解しています。

 事実、一般法則論の理解では、私達ヒトという存在と、私達が生きているこの世界の存在とその成り立ちと仕組みは、私達がこれらのことに付いてとやかく言う前に、それ自体で既に在るようにして在ることが、既に客観的に絶対的に普遍的に決まっています。

○素朴実在論の存在論と世界観と人間観は哲学的思考の大前提と同じ
 素朴実在論という存在論、世界観、人間観は、このブログの中では、さる7月2日の文で、哲学的思考の大前提として確認したこととその儘重なります。即ち----

 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する(2009年7月22日)

○一般法則論の世界観で確認
 素朴実在論の世界観と人間観は、この文の冒頭に掲げてあるこの世界の成り立ちと仕組みを世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で表したものと同じです。

○反(素朴)実在論
 私達ヒトと言う存在と、私達が生まれ住んでいる世界は、私達全てに客観的に絶対的に普遍的に先立って、それ自体の論理/理屈で、ヒトが作った法律のような人工の法則では無い、それ自体であるようにしてある天然自然の存在の法則の働きにより、既に造られて存在している、というのが素朴実在論。
 これに対して、人とは何か/この世界の存在はいなるものかと言う問いの答えは、その存在の有無を含めて、ヒトがどう思うかで決まるものだ! と主張があります。
 これは、反(素朴)実在論という包括的な名付けがされています。
 具体的には、例えば、社会構成説。
 構成的経験論と名付けられ説があると知ったのは、本日。

○反実在論者が世界を認識し理解する方法
 反実在論者は、ヒトがこの世界を認識することによって、この世界の存在が初めて分かることや、全てのヒトに等しく一つ同じ世界が一斉に見えているのではないことに注目して、この世界が存在するかはどうかは、最初にまずヒトがこの世界をどう見るか、ヒトにこの世界がどう見えているかで決まるものだ、という考え方をしているようです。

○反実在論者の無知
 反実在論者は、以下のような、一般法則論では常識に属することを未だ知りません。
 度々繰り返して申し上げているように-----
 私達が生きているこの世界には、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる、全体でただ一つのこの世界の成り立ちと仕組みが実在しています。
 しかし、ヒトは、この世界(正確には世界Ⅵ以降の世界)の中に生まれてくる手間をかけただけでは、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を自動的かつ必然的に認識し理解することができない、という厳然とした事実があります。
 しかも、こうであることを、今、現在、世界中の殆ど全てのヒトたちが自らの自覚的な知識にしていません。それが何であっても自覚的な知識にしていない場合は、一般的に自覚的な知識がある場合のように立居振る舞うことが出来ないものです。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の存在とその働きは、ヒトがこの世に生まれる手間を掛けただけでは見えてこない、という意味は、この世界の存在が原理的に、ヒトの無意識の世界に属している、ということです。
 ヒトが世界を認識し理解することに役立てている道具は、ヒトの意識のある心の働きです。
 意識のある心の働きは、日常的には、生活空間の中で、五感で確認して認識できる範囲内のことに限られます。
 そもそも、意識のある心の働きが及ぶ範囲の外にある無意識の世界は、意識のある心の働きでは発見することがとても難しい世界です。
 しかも、普段から多くのヒトの心は、「心、ここに在らざれば、見れども見えず、聞けども聞かず」の状態になっています。
 さらにこれに、「猫に小判」/「馬の耳に念仏」の原理が付け加わります。
 しかも、この世界の成り立ちと仕組みを/回りの生活空間を認識し理解する心(の働き)は、絶えず磨き続けること(心の働きを磨き続けることは自らの人格を自らの手で磨くことに自動的かつ必然的に繋がります)が必要不可欠です。
 しかし、心の存在を知らず認めない人たち/唯物論者には、最初から自らの心を磨こうという動機付けがありません。具体的には何でも他人やその時の状況の所為にする考え方の採用、例えば女性を強姦しておいて、「彼女が挑発してきたから応じたまでだ!」とうそぶいて反省の態度がまったく無い例。
 そして、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の大部分は、特に、世界Ⅰ~世界Ⅲは、本質的にヒトの感覚的=経験的な心の働きでは知ることが出来ない、非物質的で姿・形の無い存在です。こういう形で、ヒトの無意識の世界に属しています。
 こういう状態では、最初から、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を認識し理解することは、反実在論者である社会構成説論者や構成的経験論者にはとても難しいことになります。
 しかも、この事実を、反実在論者自身は全く知らない!

○自然に曲がっている道路を通行するとき
 ヒトの実際の認識能力について、具体的な例---比喩的な例を挙げて話をします。
 私達は全て、日々の生活の中で、この世界の実在性とΩ神が全て造った世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるその成り立ちと仕組みを、皆が一つに絶対的に普遍的に不変的に客観的に共有していることを大前提して生きています。
 こうである様に、私達皆が一つに共有する原理がある/全てヒトに客観的にかつ絶対的かつ普遍的に成り立つ理屈がある、ということができます。→存在の原理=認識の原理
 これらの原理が実在している意味/機能は何か?
 例えば、そこの所の地形の関係で自然に曲がっている道路があるとします。
 この道路を通行する全てのヒトと例えば自動車(の運転手)は、道路が曲がっている通りに認識して、そう認識した通りに道路の曲がり具合にそって自然に通行するものです。
 こうできるように、全てのヒトに自分が行動する生活環境に関する正確な認識能力が存在し働いていなければ変です。
 もし、ヒトが、曲がっている道路の状態を、その通りに自然に認識できる生得的な能力がなかったらどうなるでしょうか?
 この場合、道路の曲がり具合は、認識したくてもできません。
 認識できず、これに気付かず、これを無視して直進しようとして、例えばその道にあった電柱にぶつかってしまったとしても、ヒトが壊れても電柱の方は傷一つ出来ないかも知れません。
 しかし、自動車が、曲がっている道路を無視して直進して、道路脇の電柱にぶつかれば、電柱は壊れるし、自動車も壊れるし、その自動車を運転していたヒトも大怪我をする羽目になるのは必定でしょう。
 しかし、現実には、こういうことは、特別の事故が起こる場合以外には普通はありません。
 こうであるのは、全てのヒトに、原理的に/基本的に、曲がっている道路はその通りに曲がっているように見え、そう見えた通りにそこを通行できる生得的な能力があるからです。
 即ち、これを支えるヒトの環境/世界に関する認識能力が生得的にあるということです。→なお、アフォーダンスのこと。

○この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理=ヒトの認識原理=ヒトの心の原理
 「英語は、英語によってでしか分からない!」
 これは、中学校に入って初めて英語を習ったときの私自身の為の発見です。
 同様にこの世界の成り立ちと仕組みは、これを正に造っている原理によってのみ、これを正しく正確に精密に認識し理解することができます。
 また、認識し理解するのは、常に必ず、ヒトの心の存在とその働きですから、ヒトの心の存在とその働きも、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理と一つ同じ原理である筈です。
 また、この世界を認識し理解する原理とも、ヒトの心の原理は一つ同じものである筈です。
 実際、この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで全て造られています。
 したがって、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する原理も、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きに則ることでのみ正しく行われます。この方法しかありません。これ以外の方法でこの世界の成り立ちと仕組みを理解しようとするのは原理的に間違っている! と断言することができます。
 また、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するのは、常に必ずヒトの心の存在とその働きによります。そこで、自動的かつ必然的に、ヒトの心も創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで造られていることにならざるを得ません。
 以上の話を要約すれば、この世界の成り立ちと仕組みを造っている存在の原理=この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する原理=ヒトの心を造っている原理、と言う関係がかある、ということができます。

○実際の話 冷蔵庫を認識し理解する
 一般家庭の台所にある冷蔵庫は、冷蔵庫の原理(的仕組み)に基づいて作られているシステムです。
 そこで、冷蔵庫について、それを冷蔵庫として正しく認識し理解するには、冷蔵庫の原理に基づいて作られているシステムとして認識し理解することが必要不可欠です。
 こうしないで、例えば、テレビの原理やコンピューターの原理やフラ・ダンスの原理で冷蔵庫を認識し理解しようと試みたら、冷蔵庫とは何かが全く見えてこないことに、自動的かつ必然的になります。

○創造主である神・自然法則・エネルギーの3語でこの世界の全てが説明できる
 この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで全て造られている。
 こうならば、この世界の成り立ちと仕組みの全ては、創造主である神と自然法則とエネルギーというたった3つの言葉で全て説明できる、ということに、原理的に、論理必然的になります。
 そして、一般法則論では、正にこうしています。

○まとめ
 この文では、素朴実在論について、簡単に確認しました。
 また、この話は、自動的かつ必然的に、この世界の成り立ちと仕組みを問うものになりますから、この世界の成り立ちと仕組みを造っている存在の原理=認識し理解する原理=ヒトの心の原理という関係がある、という話になりました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。