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leaves in the wind

69 コメント

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天才2人  (in the wind)
2015-04-06 00:38:19
 ちょっと冗談を書かせてね。

 僕は、ムターさんと、見つめ合ったことがある、と言っても、彼女の方は、もう覚えていないと
思うけど、1981年に、カラヤンがベルリン・フィルを率いて来日したとき、彼女はソリストとして、
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾くために、一緒に来日して来ていた。そのとき、彼女は、
まだ、高校生くらいだったと思うけど、でも、あの、ベルリン・フィルを、あの、ベルリン・フィルを、
伴奏者にして、ソリストをやる天才少女だった。

 で、僕は、ベートーヴェンの交響曲第1番と第3番を演奏するプログラムのときに出かけ、
彼女はそのとき非番だったのだけど、第1番が終わったあとの、休憩時間のときに、客席の真ん中辺りで、
サインをしていた。

 で、僕は、いわゆる、有名人というのには興味がなく、また、もちろん、そのため、サインをもらう、
ということにも、興味はなかったのだけど、女の子がサインをしている、ということで、あの、天才少女、
じぁあ、女の子なら、と、僕が分かる、と、サインをもらいに行った。

この、僕が分かる、と、言うと、まさに冗談ぽいのだけど、でも、僕は、昔のことなので、よくは
覚えていないのだけど、でも、まさに、普通の女の子を 見に行くように、出かけていった、というか、
サインをもらいにいった。

 で、近づいて行って、サイン待ちの行列に並んだのだけど、彼女は、全く僕に気がついている
様子はなく、当たり前だけど、で、一度も、こちらを見たことはなかった、少なくとも、僕には、
そのような様子を見ていない、覚えていない、彼女は、僕には、全く気付いていないようで、もちろん、
今までに会ったこともなく、彼女は、カラヤンが連れてきた、天才少女で、僕は、安月給のサラリーマン
一年生で、もちろん、彼女が、僕を知るわけもなく、また、関心を示すわけもない。僕は、そのサイン待ち
の行列に並び、彼女がサインをする、その、書いているサインを見ながら、かなり、熱心に見ながら、
順番を待った。


 で、ようやく、僕の番になったとき、彼女は、突然、振り向くようにして、僕の方を見た、それまでは、
サインを書くために、ほとんど下を向いていて、ほとんど、顔を上げることはなかったのだけど、僕が
横に立ったとき、サインを書こうとする様子は 全く見せず、僕を見て、じっと、僕の目を見つめてきた、
そして、僕の方も、彼女の目を見つめて、しばらくのあいだ、そんなに長い間ではなかったけど、
見つめ合っていた。

そして、彼女のとなりにいた、係の人が、彼女と僕が見つめ合っているのを、やめそうもないので、
彼女に、遠慮がちに話しかけ、サインを続けるように促した、で、彼女は、それで、視線を落として、
サインを書き始めた、彼女は、見ていたら、ト音記号を使ったアヒルの絵を、最初のうちは、全ての人に
描いていたのだけど、さすがに手が疲れてきたのか、ときどき、しか、描かないようになってきていたの
だけど、僕には、その、ト音記号のアヒルの絵を、描き始めてくれた、で、僕は、何か言おう、と、思い、
描き終わった瞬間に、フィーレン・ダンケと、感情を込めて言った、彼女は、答えるように笑った。


 で、これで終わり、なのだけど、僕は、女の子の目は、たくさん見たことがあるけど、で、いくら長く
見つめていても、やはり疲れてくるので、どちらかが視線を外すのだけど、でも、このときは、彼女が
視線を外したとき、物凄く残念に感じた、どのような目だったか、覚えていないのだけど、とにかく、
物凄く残念に感じた、いつまでも、見つめていたい、と思う、ような、目だった。ちょうど、音楽の話題
なので、そのような たとえ話をすると、いい音楽がそのように、いい絵画がそのように、いくら見ても、
見ていたい ような目だった。


 ところで、彼女は、このとき、高校生くらい、このとき、彼女はこのような目を持っていた、で、
ところで、彼女は、全ての若い男性に、あのように、見つめるのだろうか、あのとき、行列に若い男性が
他にいたかは覚えていない、また、でも、何か、まるで 僕の順番を待っていたかのようだった、そして、
いくらなんでも、すべて若い男性に、あのように見つめるのは、普通に考えて、できないだろう、
とにかく、あのとき、まるで、僕の順番を待っていたかのように、僕の番になったら、顔を上げて、
振り向いて、まっすぐに僕の目を、見つめてきた。そして、視線を動かそうとはしなかった。


 彼女が、何故、あのような行動をしたのか、僕には、全く分からない、僕は、取り立てて、物凄い
美男子でもなければ、安っぽい背広を着た、どう見ても、安月給取りの サラリーマンだった、また、
初対面の、それも、これから、何かの大事な話を始める相手でもなく、一瞬のサインを書く間だけの人に、
あのように、その相手を見つめてこれる、というのも、物凄い 普通の人ではない、ものを、感じさせる、
とにかく、そんなことができる人を、見たのは、これで、2人目でしかない。


 とにかく、僕には、彼女が、何故、あのような行動をしたのか、全く分からない。そこで、最後は、
極めつけの冗談で終わりたい。

 彼女は、天才少女、彼女には、この僕が、あの当時の僕でさえ、僕が、天才だということが
分かったのだろうか。

 では、凡人の戯言でした。では、good night.
 って、2人目って、一人目は、誰なのよ、うん、僕、僕もそのようにできる。
------ wrote in the wind at 0:12am Monday April 6, 2015 ------
(copied here, 2015.4.6(mon) 0:35am MTT)
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あなた方は、普通人にあらず。  (in the wind)
2015-04-07 13:57:30
 先程、たまたま見つけて、少し最初の方だけ見たのだけど、カラヤンが、ある、たぶん学生の
オーケストラだと思うけど、その練習風景みたいで、曲はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
ソリストは、あの、有名な、カラヤンも、あの有名な、と、みんなに紹介しているみたいだけど、
あの、有名な、ムターさん。

  https://www.youtube.com/watch?v=-4t0Tr-0MqY


 で、見ていたら、ムターさんが弾き始めて、少しして、カラヤンが注文をつけるのだけど、
これは、カラヤンの戦術だな、と、思った、これは、ムターさんにというより、オーケストラに、と、
彼女でさえ、このように注文をつけるのだから、みんなも、真剣に、緊張して、やってくれ、という
ことを、伝えようとしたのだと思う。


 で、いろいろと、おねえさんは、ときどき、ご不満の様子だったりして、このときから、
この 姉ちゃんは、女王様だったんだな、と、思ったり、して、でも、しょうがないだろうな、
これだけの実力差だと、もう、何とか言える もんじゃない、これだけの実力差だと、しょうがない、
というか、当然だろうな、と思った。


 で、そのまま続けて、見ていくと、あっ、姉ちゃん、怒ったの、本気に弾き始めて、と、思った瞬間、
この、姉ちゃん、このときから、本当に、天才だったんだな、と、思った、これは、ヴァイオリンの音を
超えている、いや、ヴァイオリンという楽器は、ここまでの音を出せるものなのか、そして、この 情感、
心、というより、心臓に、ドカンドカンと来る、情感が、ぶつかってくる。

そして、びっくりした、カラヤンが、涙を拭いているようだっだ、あなたも、そう思います、と、僕は、
思った、確かに、このヴァイオリンの音は、それに値する、と、思った。


 そして、実際、真実のところは、どうだったのかは、僕には、分からない、でも、この瞬間、
この時だけ、この瞬間だけは、カラヤンは、他のときとは、違って、心を他のところに奪われて
しまったようだった、そして、確かに、これは、心を奪われる、というのが、僕の、印象だ。


 で、これ以後は、見ていないのだけど、カラヤン、彼は、この学生のオーケストラに、普通に話しかける
ように、説明し、話し、練習をさせている、そんなことはどうでもいい、俺は音楽を愛しているんだ、
というのが、彼なんだろう、彼は、帝王、そう、あなたは、正真正銘の、帝王だと思う。
------ wrote in the wind at 1:50pm Tuesday April 7, 2015 ------
(copied here, 2015.4.7(tue) 1:50pm MTT)
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それは簡単、in the English  (in the wind)
2015-04-18 23:16:27

 実は、宿題の続きをやってしまわないとと思いつつ、あと少しで終わるのに、と、思いつつ、
僕らしく、なかなかやらないのだけど、そういえば、小学生のときも、宿題をやらないのは、常習犯
だったなぁ、と、思い出したりして、で、少しだけ、書こうと思う。

 先日、たまたま、ある人と話していて、話のついでに、生口の話を、ある ところで、して、
で、この生口について、思ったこと、考えたこと、を書かせてね、そう、でっち上げです。

 で、難升米、について調べていくと、この 生口 というのが出てくるのだけど、これには、
捕虜または奴隷、という 注 がついているのだけど、これについて考えてみた。

 で、まず、奴隷と考えると、妙に思える、それは、まず、魏の国は、この魏の国の 国力からいって、
奴隷を集めるのは簡単だろう、当時食えない連中はたくさんいた だろうから、その人たちを、奴隷で
なくても、こき使えるから、わざわざ奴隷をもらって うれしいだろうか。また、この 生口 という
言葉が気になる、この、口、というのを考えると、奴隷というのは、あまり食わせずに こき使えるのが、
優良な奴隷だろう、暴言失礼、だとすると、この 口 というのは、食べるためのものではなくて、
しゃべるためのもの、と、考えた方がよさそうに思える、で、もう一つの捕虜というのを考えると、
これは、戦争捕虜として、敵の内部事情を吐かせるための、口 と、考えると、辻褄が合いそう。

 で、そう言うわけで、生口、は、すなわち、敵の生の情報をしゃべる 口、と、考えると、辻褄が
合いそうに思える、また、情報を吐かせたあとは、奴隷として使う、ということも考えられる、けど、
とにかく、まずは、生口は、敵の生の情報をしゃべる捕虜、と、考えた方がよさそう、思う。


 そして、それで、実は、まだ、続きがあるのだけど、その、あの人には、これは、わざと、
話さなかった、大事なネタは、簡単には教えない、っと、で、その、で、そう言うわけで、このあと、
さらに考えたのだけど、これは、次第に、ある意味で、儀式的な意味、を持つようになったのでは
ないだろうか、それは、私たちは、貴国の国づくりに共感し 共に歩みたいと思っています、ということを
表すための、儀式的な意味を持つようになったのではないだろうか。

ようするに、貴国の国づくりの あり方 に共感しています、あなたの国と共に歩みたいと思っています、
つきましては、この 高貴な国づくりをする上での、悪人、賊を、私ども、も、捕らえましたので、
それを献上しまして、私どもも、この、高貴な世を作ることに、協力し、共に歩みたいと思っている
ことを示したいと思います、という、ことを示す、儀式的な意味を持つようになったのではないだろうか。

 また、このように考えると、難升米が、率善中朗将 という役職を与えられ、この職名の中の、率善、
という意味が、分かるように思われる。

 では、good night、って、えっ、何、じゃぁ、簡単には、って、じゃあどうすればいいの、
えっ、うん、cups of tea and pieces of cake with me, please.
------ wrote in the wind at 11:13pm Saturday April 18, 2015 ------
(copied here, 2015.4.18(sat) 11:14pm MTT)
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臥龍  (in the wind)
2015-04-26 06:30:51

 僕の家には、子供のころ、鯉のぼりがあった。両親は、僕が生まれる少し前に、今あるところに
引っ越してきて新居を建てたのだけど、その当時は、池袋から西へ2kmも離れていないところなのに、
その当時は、まだ、畑が周りに結構あり、母は、最初、薪を使って煮炊きをしていたらしい。

そして、庭には、鯉のぼりを上げる柱を建て、母の両親が、僕が生まれたときに母に贈った鯉のぼりを
上げていた。僕は、一度だけ、その鯉のぼりが上がったときを覚えている、頂上に、丸い風車のような物、
その直ぐ下に車の車輪のようなものが2つ、そして、吹き流し、そして、赤い鯉のぼり、僕は、黒い
鯉のぼりの方がよかったけど、母への贈り物という意味もあったので、赤い鯉のぼりにしたのだと思う。

 そして、その、一度だけ覚えているときは、田舎から、人がたくさん来ていて、従姉妹たちと、
二階の窓から、吹き流しの尻尾を捕まえようと、風にまかせて、ときどき 来る、吹き流しの尻尾を、
競って捕まえようとしていた、のを覚えている。

 https://www.youtube.com/watch?v=RvrqB7mbn6o

 この 題 も冗談なのだけど、家では、両親と、冗談で、僕は、このように言っている、父の家系は、
原始人、母の家系は、貴族、僕には、子供のころから見ていたりする、時に見せる、父の様子、あの、
頑張り方は、僕には到底まねはできず、まともな人間には思えなかったりする、そして、母は、不明、
でも、母はたくさんの兄弟姉妹の末っ子で、僕は、母の両親の直接の記憶はないのだけど、母の父は、
村の副村長をしていたりしていたらしく、夏には、庭に鉢を並べて、朝顔を育てていたらしい。

 僕は、やはり歳をとると こうなるのか、最近は、よく子供のころを思い出す、そして、あの、
鯉のぼりを思い出す。
------ wrote in the wind at 6:23am Sunday April 26, 2015 ------
(copied here, 2015.4.26(sun) 6:26am MTT)


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an information  (in the wind)
2015-04-27 22:20:40
 The BBC gave us an information. I don't know what he intented to, but
he might give us an informatiom at the time of 10:50.

 https://www.youtube.com/watch?v=D9G5Xn41xZY

------ wrote in the wind at 10:14pm Monday April 27, 2015 ------
(copied here, 2015.4.27(mon) 10:15pm MTT)


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ちょっと追記  (in the wind)
2015-04-27 23:22:27
 僕には、彼の意図が分からない、もし、このようなことをやってしまったら、
将棋というゲームは成立しなくなる、例えば、僕がよく書いている、あの、大山さんの、
終盤で不利なときの あの、手、も、効果が無くなる。

また、将棋だけでなく、他のゲーム、囲碁、チェス、カード・ゲーム、ようするに、トランプなど
も、成立しなくなるし、また、これが発展すると、駆け引きの入るスポーツも、全て成立しなくなる。

 また、考え過ぎかもしれないけど、言葉の中の、測定器をつけて、と言っているけど、
どのようなやり方でつけるか、ということには言及していないし、また、放送する、と言っているけど、
これは、測定したデータを、電波でどこかに送信する、という意味にも取れる、どこに送信するの、
と、思ったりしてしまう。

 たぶん、ちょっと、考え過ぎの、気を回し過ぎの、発言です。
------ wrote in the wind at 11:19pm Monday April 27, 2015 ------
(copied here, 2015.4.27(mon) 11:20pm MTT)


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2004年  (in the wind)
2015-04-28 08:41:26
 
 あれは、2003年度、2004年のものだと思うけど、たぶん、台本を渡されて、
このように しゃべってくれ、と言われて、このような話をしたのだと思う。たぶん、
このころは、かなりの人でも、何らかの理由で協力していたのだと思う。
------ wrote in the wind at 8:39am Tuesday April 28, 2015 ------
(copied here, 2015.4.28(tue) 8:40am MTT)


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portable shrine  (in the wind)
2015-05-13 10:02:04
 
 ちょっと書かせてね。宿題をやろうと思いながら、なかなかやらない、まぁ、僕らしいのだけど、
ちょっとこのところ、夏の準備、特に、朝顔の準備などで、書いている暇が無い、今年の夏は、
朝顔の育て方を少し変えて、今までは、大きな植物用の栽培箱で育てていたのだけど、昨年少しだけ
実験してみてうまくいったので、今年は、全て、庭の地面から育てようと思っている、そのため、
いろいろと例年より準備が必要になる。

 で、こうすると、今までは、朝顔に水を頻繁に、特に朝顔が大きく成長するときは 特に、なの
だけど、朝顔に水を頻繁にやらなければならなかったのだけど、地面から直接育てれば、朝に一度
やればいいのではないか、と、思っている。また、ベランダには、涼を取る ために、結構 頻繁に水を
撒くので、この残り水が、とい から、庭に落ちて、その水が、朝顔の地面の方に行くようにすれば、
かなり、うまくいくのではないか、と、思い、その準備で、いろいろと忙しい。

 また、ちょっと先の話だけど、このように、朝一度だけ水をやるだけで いいようになったら、
夏の猛暑の日は、西武デパート辺りに、避暑のために、少し長居しようかとも 思っている。


 で、ところで、少し宿題を書くと、先日、ある人、あの、女の子と、話していて、
西武デパートの屋上に、稲荷神社ができた、という話になって、で、その話で、この、稲荷神社という
のは、伊那利神社 と、書けるのでは、と思っていて、また、稲荷の 荷 という字は、草冠に 何か、で、
何か、いわくありげ、に思われる。

 また、ついでに書くと、御神輿は、よく考えると、日巫女の霊を、九州ら近畿へ、移動する儀式
を表しているのではないか、という気がする。また、考えてみると、神様を、勝手に移動させたり、
分霊といって、分けたり、何か、凄いことをやっているような気がする、でも、このときに、
前例を作ってしまい、これを、よし、として、また、その たたり を消す意味でも、何かの時には、
この儀式をやって、祭ることにしたのではないか、とも、思われる。


 また、ちょっと、雑談の雑談を書くと、僕は、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だと思っていて、
たぶん、多くの人も、既に、かなり前からそう思っていた人が たくさんいて、で、でも、それを
論じる、ための、論理の 輪 で、欠けている輪が、幾つかあって、そのうちの 一つ、の、あの、
前方後円墳の意味が分からなかったので、特に、この部分の輪が、繋がらなかったのではないかと思う。

で、僕は、たぶん、僕が書いた意味で、正しいような気がする、で、そう言うわけで、もし、
吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だとすれば、吉野ヶ里遺跡から奈良までの、観光ツアーをやると、
で、いくつかのコースを作って、最長のものは、吉野ヶ里遺跡から阿蘇山を回って、神武さんの経路を
辿って奈良まで行く、観光ツアーをやると、結構 参加する人がいるのではないか、と、思ったりする。

 で、ところで、題 だけど、あるとき、英文を読んでいて、御神輿の 英訳 として、このように
なっていた、なるほどね、と、思ったのを覚えている。

 では、have a nice day.
------ wrote in the wind at 9:52am Wednesday May 13, 2015 ------
(copied here, 2015.5.13(wed) 9:57am MTT)



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論  (in the wind)
2015-05-15 11:23:31
 
 前回書いた、あの、そのうちの、一つの、論理の輪について、もう少し詳しく書かせてね。

 で、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国である、という 論 にとって、最大の障害は、ようするに、
吉野ヶ里遺跡が邪馬台国である、とするのに、最も大きな障害になっているのは、他にも、有力な
候補地があって、その最大のものとして、邪馬台国は、近畿内にあったのではないか、という 論、
この論を、破ることができない ことだと思われる。

 で、もし、この論を破ることができれば、ほぼ、邪馬台国は、九州にあったと、考えることができ、
そして、九州にあったとすれば、その、九州の中で、邪馬台国があった可能性のある地は、いくつか
あると思われるけど、でも、吉野ヶ里遺跡が、もっとも、魏志倭人伝の記録から、その地であると、
思われ、たぶん、ほぼ、吉野ヶ里遺跡が邪馬台国である、ということになると思う。

 で、邪馬台国が、近畿内にあった、という論の、この、邪馬台国が、近畿内にあった、とした
場合の、その、最も重要で、そして、最大の、根拠、の一つは、あの、前方後円墳の あり方 だと
思われ、この、前方後円墳の あり方 から、導き出される、ある 一つの結論 が、邪馬台国が、
近畿内にあった、といことを示しており、よって、この、前方後円墳の あり方 から、導き出される、
この一つの結論が、前方後円墳の あり方 から、導き出せない、ことを示せれば、邪馬台国が、
近畿内にあった、という論は、ほぼ、成立しにくくなると思われる。


 で、この、前方後円墳のあり方だけど、これまでに成された、様々な調査研究から、前方後円墳は、
最初、ようするに、前方後円墳の 第一号 は、奈良に造られ、そして、次々に、奈良周辺に造られてから、
そして、次第に、その奈良を中心として、次第に、日本各地に、造られていった、ことが分かっている。

そして、このことは、ある時に、ある政権が、奈良にできて、そのある政権が、まず、前方後円墳の
第一号を、まず、その地の、奈良に造り、そして、その政権が、次第に、日本各地を支配下に入れるに
従って、その支配に入れた地に、前方後円墳を造っていたことを示唆する。

 また、このことは、あとの話で、より重要になるのだけど、この、前方後円墳の第一号をその地に造り、
そして、支配下に入れた地に、また、その前方後円墳を造っていく ということは、この政権にとって、
この前方後円墳は、重要な意味を持つ、かなり重要な意味を持つ、象徴的意味のある建造物であったと
考えられる。

 そして、ここで、この政権と邪馬台国との関連だけれども、この政権が、前方後円墳 第一号を造った
時期は、邪馬台国が存在した 時期 に、ほぼ一致していることが、これも、様々な調査研究から分かって
おり、このことから、この政権が、邪馬台国ではないか とういう 可能性が大きいと考えられ、そして、
このことから、邪馬台国は、近畿内にあったのではないか、という一つの結論が生まれ、このことから、
前方後円墳の あり方 が、このことの、根拠 となる。


 で、そして、このようなことから、邪馬台国は、近畿内にあった、と、考えられるのだけれども、
一つの考え方として、邪馬台国は、ずっと以前から、近畿内にあったのではなく、九州から移動してきた、
と、いう考え方も、考えられる、ようするに、邪馬台国の人々は、かなり以前から、近畿内に住んでた
と考えるのではなく、例えば、この、前方後円墳 第一号を造った頃に、九州から移動してきた、という
考え方も、考えられるのだけれども、でも、もし、このように考えると、再び、あの、前方後円墳の
あり方が、ある、不自然さを、生み出し、この考え方を否定する。

先に書いたように、この政権にとって、この前方後円墳は、重要な意味を持つ、物凄く 重要な意味を
持つ、象徴的意味のある建造物であった、と、考えられ、このことを考えると、このような、物 を、
彼らは、九州から移動してきて、何故、突如、ここに造ったのか、ほんとうに、突如、何故、ここに
造ったのか、意味が、分からない。

例えば、これを、彼らが、九州に居たときも、いくつか造っており、そして、近畿に移動しても、
同じものを、ここにも造ったというなら、これが、彼らにとって、物凄く、重要な意味を持つ建造物で
あった、として、不自然さは感じないのだけれども、彼らは、もと居た地には、一つも造らず、近畿に
移動してきて、突如、このような物を一つ造り、そして、それが、彼らにとって、物凄く、重要な意味を
持つ建造物になり、そして、彼らの政権の象徴として、その後、彼らが支配していった地にも、造って
いった、ことになり、何故、突如、彼らが、近畿に移動してきたとたん、このような、考えを持ち、
このような物を、造ったか、理解できなくなってしまう。

そして、確かに、人間のやっていることなので、このようなことは、絶対にない、とも、言えない
のだけれども、でも、確率的に、極めて低いと考えられ、やはり、極めて不自然である、と考えられる。

 また、前方後円墳が、何であるかは、有力者の墓、というのが、最も有力な考え方であり、有力者の墓と
考えると、今お話しした話は、さらに、不自然である、と、考えられる。

で、ようするに、再度、この、前方後円墳の あり方は、この、彼らが、九州から移動してきたと
考えると、このにような 不自然さ を生み出すことになり、このことから、彼らが、九州から移動して
きた、というのは、考えにくくなる、そして、彼らが移動してきたのではない とすると、やはり、
邪馬台国の人々は、かなり前から近畿内に住んでいたと思われ、そして、やはり、邪馬台国は、
近畿内にあったのではないか、という一つの結論になり、よって、やはり、前方後円墳の あり方 が、
このことの 根拠 となる。


 で、ここで、このような、結論を生み出す、 前方後円墳の あり方 について、僕の考え、
思いついた瞬間、僕自身、びっくりした、そしてこれが、もし当たっているとしたら、歴史的、大、大、
大、大、大、大、大、大、大、大、大発見だと思った、を、もし、仮に、当たっていたとすると、
この、前方後円墳の あり方 は、今お話しした、結論を、導くとは 限らない ことが分かる。よって、
この結論が、前方後円墳の あり方 から、導かれるとは限らないことから、前方後円墳の あり方 は、
邪馬台国が、近畿内にあった、という 根拠 にはならない、ことが、示せることになる。

 よって、最も重要で、そして、最大の、根拠の一つだと 思われていた根拠は、その根拠とはならない、
ことが分かり、よって、邪馬台国は、近畿内である、という 論は、かなり成立が難しくなる。

そして、これにより、邪馬台国は、九州にあった、という、論の方が、優勢になると思われ、そして、
これにより、邪馬台国が、九州にあったとすると、やはり、それは、吉野ヶ里遺跡だとするのが、
最も有力である、と、思われる。


 で、もちろん、これは、僕の、机上の空論である、可能性も十分にある。また、今書いた以外にも、
考察すべき事項は、他にも かなりある可能性がある、とも、思われる。で、でも、一つの、物凄く
有力な根拠は、根拠となる可能性が、低い、ことは、示せたかもしれない。

 ところで、こんなことに夢中になるなんて、物理の人は、論が好きだと思うでしょ、だって、
物理は、論の学問だから、基本的に、こんなことばっかし、やっている、のだから。

 では、have a nice day.
------ wrote in the wind at 11:19am Friday May 15, 2015 ------
(copied here, 2015.5.15(fri) 11:21am MTT)



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万年筆  (in the wind)
2015-05-20 09:35:03
 
 ちょっと雑談をさせてね。

 僕が持ち歩いている万年筆は、確か、平成9年に買ったもので、あることから、この平成9年という
ことで覚えている。で、それは、この年の、2月か3月ごろだったと思うけど、母が長く使っていた
万年筆が壊れて、どういう話でそうなったかは覚えていないのだけど、僕が新しいのを買ってあげる
ということになり、西武デパートの万年筆売り場で、母のための万年筆を買い、そのとき、名前を
ローマ字で入れてもらい、万年筆用のケースをくれたのだけど、で、そのケースに、母が、平成9年と
書いたのを、どういうわけだか覚えていて、で、この記憶が確かなら、僕のも、この年だということに
なる。また、ところで、この文字は、今では、判読できなくなっている。

 で、僕のだけど、この、母のを買ったとき、なんとなく、僕のも欲しくなり、その後直ぐに、駅の近くに
あった文房具店で、僕用の万年筆を買った。で、このとき、ちょっと失望したことを覚えている、それは、
この文房具店に問題があった訳ではないのだけど、この、顔見知りのおじさんは、僕が、万年筆を買いたい
というと、奥の引き出しから数本の万年筆を出して、じゃらっと、前に並べて、あるのはこれだけだけど、
どうする、という感じで、じゃらっと並べて、で、僕は、ちょっと躊躇したのだけど、でも、まぁ、
買おうと思って買った、それが、今、僕が持ち歩いている万年筆となっている。

 で、何故、ちょっと失望したかと言うと、僕が中学生の頃、万年筆というのは、ある意味での、
ステータス・シンボルであり、その当時は、子供が中学生になると、腕時計と万年筆を買ってもらうのが、
暗黙の流行のようになっていて、そのころは、文房具店に行くと、ショーケースに万年筆が、きれいに、
たくさん並べられて売っていた。

で、ある意味で、そのような情景を、漠然と期待していたような所があったので、ちょっと、びっくりと
失望を感じた、でも、買ったあと 考えてみると、時代は、あの中学生のころも、時代は、確かに万年筆を
使わない時代になりつつあった、僕があの中学時代に買ってもらった万年筆もあまり使わなかったし、
確かに、ちょうどあのころ、平成9年のころには、文房具店でも、ほとんど買いに来る客の少ない商品
だったのだと思う。

 で、でも、ここ10年くらいで、少し流れは変わり、また、ある程度、万年筆を使う人が増えてきた
ような気がする、僕も、持ち歩いて使っている。また、母は、時代の流れなんてなんのその、一貫して
使い続け、確か、僕が子供のころから使っていた万年筆が壊れて、で、お話ししたように、僕が新しいのを
買い、そして、最近また壊れたらしく、で、でも、こんどは、修理に出してくれたらしく、今朝、朝食の
ときに、西武デパートから連絡があったので、今日か近日中に取りにいく、と話してくれた。

 そんな、時、の、話でした。
------ wrote in the wind at 9:14am Wednesday May 20, 2015 ------
(copied here, 2015.5.20(wed) 9:33am MTT)



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