I love Physics and Mozart

leaves in the wind

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天道  (in the wind)
2015-10-17 18:10:23
 
 今は、モーツァルトのフィガロの結婚を聞いています。ところで、昨年の2014年9月25日の
お話 を書いて以来、出かける時にウォークマンで聞く第一曲目には、常にこの フィガロの結婚を選んで
いる、我ながら、よく飽きないなと思いながら、でも、今のところ、まだ、他の曲にしようと言う気が
起きない。

 ところで、僕は、大学を卒業する少し前あたりから、クラシック音楽を聞くようになったのだけど、
そして、その後は かなり熱心に聞いていたのだけど、でも、30年くらい前には、オペラを、例えば、
この、フィガロの結婚を 親しみを持って聞くことは不可能だなと思っていた、それは、そもそも音楽的
素養が無く、また、言葉も分からない、そして、最も、最も、重要なことには、聞く時間を確保するのは、
まず不可能だな、と、思っていた。

 例えば、このフィガロの結婚は、確かに、時間的に長い方 なのだけど、一般的に、オペラ一曲は、
時間的にかなり長く、この、オペラ一曲を まるまる聞くには、かなりの 空き時間が必要になる、また、
やはり、聞くには、それなりに、そのような気分の時に聞かないと、やはり、聞いた、という感じ には
ならない、そのため、このための時間を作り出して 聞くのは、まず不可能だな、と思っていた、
とくかく、残念ながら、ではあるが、とにかく、とても残念ながらであるけど、このような時間を、
作り出すのは、まず、不可能だな、と、思っていた。

また、クラシック音楽は、ただ一回 聞けばいいというものでもない、やはり、繰り返し、例えば、
20回以上聞いて、やっと、何となく、聞いた、という実感が沸いてくる、そして、このため、
このような オペラ一曲を、20回以上聞く時間を作るのは、至難の業だし、そして、また、
クラシック音楽の曲に、例えば、ある曲に、親しみを感じるようになるには、やはり、何となく、
100回以上、は、聞く必要があるように思える、ようするに、このようなことから、例えば、
この フィガロの結婚を親しみを持って、聞くことができるようになるには、残念ながら、僕の
人生の中では無理だな、と、思っていた。


 でも、人生というのは不思議なもので、あれから、二転三転四転、と、まさに、二転三転四転と、
予想外のことが 次々に起こり、何故か、人生は、僕にその時間をくれることになった、この、
二転三転四転、は、僕にとって嬉しいものでは なかったけど、 でも、その おかげ なのか、
人生は、僕にその時間をくれた。

 今現在、例えば、この、フィガロの結婚が、よく理解できているか、というと、でも、そのようには
言えないと思うけど、でも、あの頃、あの30年以上前から比べると、モーツァルトのオペラは、そして、
例えば、このフィガロの結婚は、僕の生活の中の、大事な部分になっている。また、モーツァルトに
ついても、あの頃より、より理解できているように思える。

 また、アインシュタインは、死とはモーツァルトを聞けなくなることです、と、言った、ということ
だけど、最近は、この意味が、僕にも感じるように なっている、これは、アインシュタインが感じていた
意味とは違うかもしれないけど、僕にも、その意味を感じるようになってきた。

彼も、アインシュタインにも、それまでに、大事な友人は たくさんいたのだろう、でも、死とは避けられ
ないものであり、いずれは、その友人とも分かれなければならない、そうと考えれば、生物のあるべき姿と
して諦められる、でも、自分に話しかけてくれる存在として、ただ一人、モーツァルトが、話しているの
を、聞けなくなるのだけは、とても残念に思う、でも、そうなるのが死という気がする。


 ところで、今日は、ベットの毛布に毛布カバーを付けて、冬の準備をした。昨年お話ししたように、
布を当てて その上から糸で縫った、今年は頑張って、頭の方と足元の方、両方を そのように縫った。
で、疲れた、とにかく、疲れて終わった後、しばらく動けなかった、最近は、身体が ふらふらするのが、
とかにく、物凄く、このような状態で、ちょっとした何かをするのにも、物凄い労力が入り、物凄く
疲労する。

そして、今日は、毛布に毛布カバーを付ける、という こんな簡単なことでも、あまりに疲れたので、
そのあと、しばらく動けなかった、時々、これで、このような状態で、この先、どうやって やっていけば
いいのだろうか、と、思ったりするのだけど、でも、もう、今は、どれもこれも やろうとはせず、
直接的に必要な、そして、出来ることに、集中しながら、何とか、毎日を送っていこうと思っている、
幸い、モーツァルトも、毎日聞くことができる、なら、これ以上、何が必要か、という気もする、
とにかく、まぁ、今は、第一幕の合唱、幸せな気分で、聞いている、過ごしている。

 では、こんな話、失礼しました。
------ wrote in the wind at 5:55pm Saturday October 17, 2015 ------
(copied here, 2015.10.17(sat) 6:08pm MTT)




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邪馬台国についての作り話 その19  (in the wind)
2015-10-19 10:37:26
 
 今、インターネットでいろいろと、なんとなく読んでいたら、重大なことに気づいてしまった、
はずれ、かもしれないけど、とにかく、重大なことに気がついてしまった。

 魏志倭人伝のこの部分、

  南至投馬國、水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。

  南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。官有伊支馬、次曰彌馬升、....


 この部分、他の部分と書き方が違う、最も特徴的なのは、他は、現代で言うと、キロメートル
で表されているのに、この部分だけ、何日かかります、という言い方になっている。ただ、
原文を全て読んでいないので、間違いかもしれない。

で、考えているうちに、思った、この、女王之所都、の示している場所は、ようするに、
この、日巫女は生きていなくて、あの世のことかもしれない、と、気がついた。陳寿は、文体を変える
ことによって、これを伝えようとしている、のではないか、と、思った。

 では、また。
------ wrote in the wind at 10:33am Monday October 19, 2015 ------
(copied here, 2015.10.19(mon) 10:34am MTT)




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邪馬台国についての作り話 その20  (in the wind)
2015-10-19 11:39:04
 
 ちょっと追加させてね。

 先程 書いているときにも、考えていたのだけど、陳寿の示した、女王之所都、の示している場所は、
その17 で書いた、海底火山の位置に、ほぼ一致するのでは ないだろうか。

そして、陳寿は、このことと、そして、言い伝えも知っていたのでは ないだろうか、また、陳寿は、
あの事件の後、邪馬台国の人と会ったことがあるように思える、また、かなり親しくなっていたの
かもしれない、と、思ったりする。

 また、思い出すと、昔、横山光輝さんの描いた三国志を読んでいたとき、曹操の晩年の死ぬころに、
曹操が夢を見て、日輪、すなわち、太陽が複数個現れた夢を見る、のがあって、そして、それで
どうだったという話ではなく、ただ、ある意味、突然、その話があり、そして、それだけの、このような
部分が、彼の描いた三国志の中にあった。

で、他の書物などでは どうかというと、記憶はなく、もしかすると、漫画という、絵で描かれた話
だったので、何故か、覚えているのかもしれない。


 で、少し考えたのだけど、あの当時には、あの場所が、太陽の生まれるところ、という考え方が、
否定派 肯定派 双方が両立していたのではないだろうか。そして、結論は出ていなく、で、そうだと、
考える人たちにとっては、そうだとすると、その、巫女である、日巫女は、魏にとって、友人にしたい
ような、でも、また、危険人物 ともみなせる この、両方に考えられる、存在となる、と思う。

 また、孔子は、おそらく、九州のことだと思うけど、九州の地を、理想郷のように思っていた、よう
であり、このことは、当時の知識人も知っており、このことからも、彼らにとって、日巫女は、
魏にとって、友人にしたいような、でも、また、危険人物 ともみなせる この、両方に考えられる、
存在となる、と思う。

 では、have a nice day.
------ wrote in the wind at 11:36am Monday October 19, 2015 ------
(copied here, 2015.10.19(mon) 11:37am MTT)




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邪馬台国についての作り話 その21  (in the wind)
2015-10-28 19:49:44
 
 ちょっと最近気がついたことを書かせてね。

 雷の、稲妻、だけど、このように、稲の妻と表記する、で、最近はこのように言わないけど、
僕の両親の世代まで くらいには、雷が鳴ったとき、桑原 桑原、と言う、ような言い方が
あった、詳しいことは 分からないけど、このように言うと、落雷にあわないらしい。

 で、気がついたのだけど、邪馬台国では、稲と、その他に、主要な農作物として、絹を作っていた、
と、思う、厳密には、絹は、蛾の、まゆ から作られるので、農作物と言っていいなのか 分からないけど。

 で、そのため、田んぼと桑畑があったはず。

 で、思ったのだけど、火山の噴火の連想から、ようするに、火山の噴火は、あれなので、
稲が実るのと、雷の いなずま、稲妻、は、関連があると、彼らは、考えていたのかもしれない。

また、僕は、火山の噴火には、詳しくなく、ええ、そうです、詳しくなく、映像などでも、注意して
見たことはないのだけど、あのように、大量のエネルギーが、たくさんの物質を巻き込んで、
爆発するということは、物理的に言って、放電現象も伴うように思う。ようするに、噴火には、
大噴火には、稲妻のような、放電も、見える、のではないか、と、思う。

 で、僕が子供の頃、その当時、父の田舎では、かいこ、蚕 を飼っていて、ようするに、養蚕を
やっていて、子供の頃、夏休み毎に、2、3回、姉と一緒に、2週間くらい、遊びに行ったことが
あるのだけど、で、そのときの記憶では、桑畑というのは、比較的乾燥した場所、というか、
あまり水を必要としないような樹木のような感じだったと記憶している。

で、田んぼでの仕事は、水に濡れることが多く、落雷にあいやすい、そして、桑畑での仕事は、
比較的乾燥した場所での仕事となる、ようするに、雷が鳴ったら、田んぼでの仕事はやめ、
桑畑での仕事に移った方が、いい、ということにも なるのではないか、という気がする。

 と、最近、こんなことを考えました。


 ところで、少し雑談をすると、遊びに行ったのだけど、手伝いのようなこともした、ような、
というのは、実際には養蚕というのは、全体として大変な仕事だと思うのだけど、そのうちの、
家の前に運ばれた、枝ごと切られた桑の葉の、この枝を、かいこ の上に置くこと、をやった、
既に置かれた枝は、蚕が葉を食べて、枝だけになっている、その上に、新しい葉のついた枝を
置いていく、ということをやった。

僕は、コオロギを飼ったりしていたので、それが、面白くてしょうがなかった、かいこは、
どんどん、ほんとに、どんどん葉を食べる、見ていて、面白かった。また、今 思うと、
かいこは、白い色をしていて、通常、青虫というのは、緑色だけど、かいこ は白で、今思うと、
見ておいてよかった、ように思う。

 では、have a nice evening.
------ wrote in the wind at 7:06pm Wednesday October 28, 2015 ------
(copied here, 2015.10.28(wed) 7:47pm MTT)




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ホロヴィッツとグールド  (in the wind)
2015-11-02 12:16:06
 
  http://www.youtube.com/watch?v=XhnRIuGZ_dc

 彼の作り出す、この 充実感 そして、完全に曲の中に没頭して弾き、この、
素晴らしい演奏を作り出している、そして、全てはもう全てのものは眼中にな
いように弾いていながらも、あの前には、あの直前には、この世界に戻って来
て、観客にファンサービスをする。


  https://www.youtube.com/watch?v=cd1FmDleuzk

 そして、彼は、またも、彼は、I like this と言う。僕は、彼も、あのところが好きなんだな、と、
思う。みんな、同んなじ、なんだな、と、思う。そして、彼が、そのように言ってくれることで、僕は、
僕も、俗っぽい人間ではないんだな、と安堵する。

 そう、確かにそう、クラシック音楽ファンは、みんな、あのところが好きなんだ、そして、まさに、
この第2楽章は、ここが、聞きたくて、みんな聞いている、とも言える、そして、そう、彼は、
モーツァルトは、そのように書いたんだと思う。


 ところで、ゴールドベルグ変奏曲。

  https://www.youtube.com/watch?v=N2YMSt3yfko

 この映像のDVDは、確か、6、7年前に買ったことがある、そして、その日か数日後だと思うけど、
いろいろと音楽を聞いて、そして、夜も遅くなり、かなり遅くなり、もう今日は もう終わりにして
寝ようと思いながら、たまたまこのDVDを見て、少しだけ、見てみよう、どんな感じかだけ見て、
ようするに、最初のアリアと第一変奏くらい見て、終わりにしよう、と思いながら見始めた。

そして、終えることができなくなってしまった、そして、最期まで見た。

 この、彼が、1981年に録音したCDは、たぶん、僕は、500回以上は聞いているのではないかと
思う、500回というと、かなり多いので、僕でも、本当にそうか、と、思ってしまうのだけど、でも、
1年は365日で、会社帰りにウォークマンで聞いたとして、2年と、あと、それ以外のときに聞いたと
すると、500は超えていても不思議はないように思う。

確かに、ぶっ続けに2年間は無いけど、一度聞き始めると、数カ月間は聞いていたので、それを何回か
繰り返すと、合わせて2年くらいにはなるように思える。

 そして、以前、かなり前、だけど、Nozomiさんに、グールドの弾くゴールドベルグ変奏曲の話をして、
僕は、クラシック音楽で、気に入った曲は、演奏者を代えて、何枚もCDを買うのだけど、そして、
気に入った曲ほど、たくさんのCDになってしまうのだけど、でも、僕は、このゴールドベルグ変奏曲は、
これ以外は、買わないと思う、必要ない、ように思う、これ以外の演奏を聞いたことは無い、でも、
一生、他を聞く気にはならない、と、思う、と、言ったことがある。

言い回しは、違っていたと思うけど、確か、このような話をしたのを覚えている、たぶん、死ぬまで
この演奏に飽きないだろう、死ぬときまで、この演奏だけで十分と、思っているだろう、と、
このような言い回しをしたのではないか、と、思う。


 この演奏、実際、確かに、もとの曲を書いたバッハが凄いのだけど、でも、この楽譜を読んで、
このように演奏しようとする発想の 凄さ、鋭さ、この 鋭さ には、何か、彼と同じ人間であることに
誇りを感じる。まさに、奇才、鬼才、のように思う。


 ところで、正直に言うと、この、6、7年前、久々にCDを買い始め、何枚も、いろいろなCDを
買い、ケンプとペライアのCDを買った。どちらも気に入っている、特に、ケンプの方は、まだ回数を
聞いていないのだけど、ペライアは、ウォークマンに入れて、ある程度の回数を聞いた、彼には、
これを、あのように、演奏してくれる、配慮、彼の配慮には、感謝している、聞いていて、この感謝を
感じる、配慮は、人間がくれる、最も素晴らしい贈り物の一つである。

 でも、彼は彼、彼の特徴、素晴らしさがあり、でも、鬼才ということでは、彼には、敵わないと思う。

------ wrote in the wind at 12:08pm Monday November 2, 2015 ------
(copied here, 2015.11.2(mon) 12:09pm MTT)




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人間の世界  (in the wind)
2015-11-02 23:51:37
 
  https://www.youtube.com/watch?v=11TWlVER7ng

  http://www.gm2000.co.jp/higashiyama/2midorihibiku%282B%29.jpg


 いい音楽があり、いい演奏があり、いい絵画があり、人間界は、今、いい世界でもあるのだと思う。

------ wrote in the wind at 11:47pm Monday November 2, 2015 ------
(copied here, 2015.11.2(mon) 11:48pm MTT)




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モーツァルト  (in the wind)
2015-11-03 03:44:58
 
 年をとり、長年生きてくると、そして、残り時間も少なくなってくると、気がつき、思う、
もう、真実の話だけを聞いていたい、なんでもいいんだ、今日は、みかんを買った、そしたら、
おせんべいが安売りしていたので、ついでに買ったの、水たまりで、靴が汚れちゃった、
なんでもいい、でも、本当の話、ほんとうにあった話が聞きたい。

えっ、大事な話じゃないって、人生に、大事な話なんてあるのか、あったのか、僕は、
そんなの、覚えていないぞ、大事な話なんて、僕は、今まで生きてみたけど、聞いたことが
なかったぞ。思い出してみろよ、大事な話なんか、あったか。

 彼の話は、そう、大事な話じゃないかもしれない、でも、彼の話は、真実がある、
時に、本当に、大事な話じゃないかもしれない、でも、分かる、本当に、あった、話なんだ、
彼は、その話をしてくれる、もう、彼の話だけでいい、だって、本当に、あった話をしてくれるのは、
彼だけだから。

 だって、今日は、みかんを買った、そしたら、おせんべいが安売りしていたので、ついでに買ったの、
水たまりで、靴が汚れちゃった、の、こんな、大事じゃない、時間のために、必死で生きてきたんじゃない
のか、それなのに、結局、そんな、そして、本当にあった話をしてくれる、そんな話をできるのは、
彼だけだった。

  https://www.youtube.com/watch?v=iCBCyYyU0E0

------ wrote in the wind at 3:38am Tuesday November 3, 2015 ------
(copied here, 2015.11.3(tue) 3:38am MTT)




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彼の作品  (in the wind)
2015-11-04 11:05:52
 
 以前、publish した話を、もう一度掲載させてね。


 多くの人が、モーツァルトの魅力について語る、彼の音楽の圧倒的とも言え
る魅力について語る、でも、それが何であるかは、的確に言うことができない、
僕も、できないでいた。

でも、今、僕にとっての答えが出たように思う。モーツァルトの音楽の魅力は、
それが真実を表しているからだと思う、まさに真実を表しているからだと思う、
彼が人生の中で見てきたもの、そして、モーツァルトという人間の、 真実 を
まさに表しているからだと思う。

 いかなる思い、いかなる夢、いかなる理想も、真実の前には敵わない、
何故なら、我々は、結局は、目の前にある現実の中で生きなければならないの
だから。
  ------ wrote in the wind at 8:11am, Sunday October 14, 2012 ------
  (copied here, 2012.10.29(mon) 4:36am MTT)


では、have a nice day.
------ wrote in the wind at 11:02am Wednesday November 4, 2015 ------
(copied here, 2015.11.4(wed) 11:02am MTT)




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人間が人間のために  (in the wind)
2015-11-04 22:36:11
 
 お話ししてきているように、僕は、クラシック音楽の曲で、気に入っている曲はかなりの回数を
聞いている、そして、気に入っている曲の数も、かなりの数になるので、僕がクラシック音楽ファンに
なってから、かなりたくさんの回数、クラシック音楽を聞いていることになる。

 で、以前、かなり昔に、渡部昇一さんの 知的生活の方法、という題だったと思うけど、この本を
読んだとき、いい本は、繰り返し読める、また、繰り返し読むことがとても重要、というようなことが
書いてあったことを覚えている。

で、確かに、そうだと思う、繰り返し聞くことによって、分かってくることがたくさんある、とにかく、
繰り返し聞いているうちに、ここで、何故か説明できない けど、ようするに、何故か説明できない、
ような、もの を通して、ようするに、その、そうで あって、よくは説明できないけど、でも、とにかく、
繰り返し聞くことによって、気づかないうちに、分かってくることが たくさんある。

また、名曲と名曲でない、ようするに、言い方を変えると、本物と本物でないもの、の、区別もつくように
なる、そう、それは、その通りで、本物は、100回聞いても飽きない。


 で、ようするに、僕にも、ここで、基準は何か、と、聞かれても分からない、でも、かなりの回数を
聞いて、そして、このように、何年も続けていると、次第に、新しく、初めて聞く曲も、聞き始めて、
かなり早い段階で、本物か本物でないか、なんとなく、分かる、感じる、と、いう気分になる、
それが当たっているかは 分からないけど、少なくとも、僕の趣味に合うかは、瞬時に分かる、という
感じになる。

ようするに、基準は、分からない、と、言ったけど、ようするに、100回聞けるのが、本物、という、
感じで、自分の感覚の中に入っているので、明確な基準は無いけど、この、長年かけて作った感覚が、
何となく、判断させてくれる、みたいである。


 で、ここからが、本論、本題なのだけど、そして、そのようして、そのようになってくると、
クラシック音楽ではない、他の作品も、他の分野の作品も、瞬時に、なんとなく、分かる、ように、
ようするに、それが、当たっているかは 分からないけど、でも、かなり短い時間で、ようするに、
ここで、本物という言葉を使っていいか分からないので、このように言うと、かなり短い時間で、
自分にとって、重要かそうでないか、判断がつくようになる。

そして、ここで、重要なこと、を、話すのだけど、作品、または、明確に、作品という呼び方をされて
いない物であっても いいのだけど、また、もちろん、それが、物体としての、ようするに、物体で
あっても、音楽のように、物体としての形を持っていないもので あってもいいのたけど、
ようするに、作品、というものは、全て、人間が人間のために 作ったものである、ということで、あり、
そして、作品 というものには、全て、この、人間が人間のために 作ったものである、という、共通点 が
あることになる。

 ようするに、僕は、クラシック音楽については、瞬時に判断できる、でも、クラシック音楽は、
クラシック音楽も、深いところでは、他の作品と、他の分野の作品と、共通点を持っている、それは、
今お話しした、人間が人間のために 作ったものである、という、共通点 で、そして、今お話しした、
僕が、他の、作品を見て判断するときも、この、共通点で、僕は、判断しているみたい、である。


 また、先ほど、明確な基準は無い、と、書いたけど、一つの理由としては、このような理由、
このような物を感じているのだと思うのだけど、例えば、100回聞ける、ということは、では、
無意味な物、意味不明な物を、100回聞けるだろうか、否、だと思う、では、作品は、人間が
人間のために作ったものである、そして、そのため、その人間は、相手の人間が、このように、と、
作っている、ようするに、その人間は、何かを、伝えよう、としている、そして、その伝えようと
しているものが、その作品に、ちゃんと、ある、ことが、分かるから、そして、その伝えようと
しているものに、僕が反応するから、100回聞けるように思える。


 で、以前、僕は、スケート、フィギュア・スケートには、全く、それまで、興味を持っていなかった、
で、実は、ほんとのことを言うと、この、このように、執筆活動をするために、少し、僕の存在を、
多くの人に知ってもらいたく、ようするに、有名人の近くを うろうろしていると、覚えてもらえるかと
思い、そうすることにした。

で、興味の無かったスケートを、見ることにした、で、もちろん、何にも分からない、で、あのとき、
浅田さんが、初めて、鐘 を披露したとき、例えば、2ちゃんねるの反応では、否定的な意見ばっかし
だった、で、僕は、そのビデオを見て、メッセージを感じた、たぶん、これは、そう、明確な、それが
何であるかは分からなかったけど、明確な、そして、かなり、うまく、巧妙に、巧妙な、そして、
かなり上質の、メッセージを感じた、問う、という、言葉を感じた、これは、本物、と、感じた、
直感という言葉を使っていいかもしれない、僕は、この種のメッセージには、直感が来る、
これは、本物、と、感じた。

で、失礼だったと思うけど、そのことを、浅田さんに手紙で書いて送った、そして、当然、その手紙を
書いているときに考えた計画どおり、その手紙は、後日、公表した、だって、僕のことを知ってもらう
ための手紙なのだから、えっ、浅田さん、ごめんなさい。ほんと、すいません。


 で、その、こんな話は、書いてはいけなかった、で、その、ようするに、物事は、一つのことを、
かなり深く、物凄く 深くやると、他のことも、かなり、分かることが多い、特に、何らかの、作品
という物に関しては、お話ししたように、根源的なところ、基本的なところで、繋がっているので、
分かることが多い。

また、逆に言うと、ようするに、例えば、音楽と絵画では、お話ししたように、深いところで繋がって
いても、表面的なところでは、繋がっている 結びつきは 少ない、そのため、いろいろな芸術を、
あっちゃこっちゃ、さわりだけ、鑑賞する、ということをやっていると、結局は、何も分からずに、
人生を終えてしまうように なってしまうのではないか、と思う。


 と、こんな話、失礼しました。また、あの、浅田さん、ごめんなさいね。いやぁ、世の中、
僕も含めて、悪いやつ ばっかし、ですね。それに、だぶん、浅田さんだけじゃない みたいだし、
その、いやぁ、ごめんなさあああああい、では、また。
------ wrote in the wind at 10:26pm Wednesday November 4, 2015 ------
(copied here, 2015.11.4(wed) 10:32pm MTT)




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ついでに書くと  (in the wind)
2015-11-05 09:30:11
 
 こんな裏話を書くと、明日散歩に行って、生きて帰れないような気もするけど、少しだけ
書くと。

 僕は、早々とチャンスが来た、と思った、直ぐに、彼らも、みんなも、あの価値に気づくだろう、
この機を逃してはならない、夜も遅く、かなり遅かったけど、僕は、急いで手紙を書く用意をして
手紙を書き始めた、いつもの手順ではなく、急いで、直接書き始めた、いざとなったら、コピーは、
コピー機で、取り敢えず取ろうと思った、明日、この手紙は、投函しなければならない、この機を
逃してはならない、と思った。

そして、翌日、投函するときは、会う人に、時々、手紙の内容を ほのめかしながら、歩いた。


 で、その後は、真剣に見ていました、本当に、嘘偽り無く、真剣に見ていました、こいつは、
かなりのやつ、これを作ったやつは、かなりのやつ、見る価値は十分にある、他のは、どうでも
よかったけど、これは、見る価値はある、オリンピックが終わるまで、真剣に追いかける
ことにした。で、その後も、少し引き続き、追いかけてしまったけど、途中で気がついて、
長居しすぎた、長居しすぎるとまずい、と、思い、離れた、それ以後は、スケートは、全く
と言っていいほど、見ていない。

 僕は、なんとなく、作品を見ると、それを作ったやつが、分かる、どのような やつ が、
作ったか、分かる。

やつは、こんな言い方、ごめんなさい、あの、おばちゃんは、相当なやつだと敬意を持った。


 また、ついでに書くと、ついでなので書くと、太安万侶さんは、僕は、少ししか彼の書いたものを
読んでいないけど、それも、現代日本語訳を読んだだけだけど、彼は、物凄い、才人、それも、
かなりの教養知識を持ち、また、才人であっても、これだけの、ところまで来るには、かなり努力した
はず、ようするに、直ぐに、こいつは、嘘を並べて書いて満足できるようなやつではない、と、思った。


 そして、最期は冗談、ついでなので、こんな ついで の話なので、冗談を書いて終わりにします。

 彼についても、あれを、数回聞いて思った、こいつも、かなりのやつ、かなりの力量があり、
体系的に、きちんと、学んだやつ、そして、ふざけた野郎であることも分かった、楽譜を書いている
様子を思い浮かべた、お前らに、分かるか、ああ、分かったよ、それくらい、僕にも分かるよ。

 では、have a nice day.
------ wrote in the wind at 9:21am Thursday November 5, 2015 ------
(copied here, 2015.11.5(thu) 9:25am MTT)




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