農家だより

脱サラ20年、好きな百姓で暮らしがたつ。
苦労と喜びを野菜と一緒に届ける「畑ごよみ」が、お客さんと私達をつなぎます。

畑ごよみ 5-2 宮城県石巻市 炊き出しボランティア活動報告

2011-05-24 | 2011
3月11日に発生した東日本大震災から2ヶ月の節目を迎えるとき、私たちは軽トラック・ワゴン2台に
野菜や食材を満載して宮城県石巻市まで炊き出しボランティアに行ってきました。

【活動内容】
活動期間 5月12日~5月17日
  活動場所   石巻市内4箇所(被災地区1 避難所 3)
  提供食数    約500食(昼食)
  提供メニュー  いなり寿司2個、自家製野菜たっぷりうどん、ポテトサラダ
           ボイルウインナー、味付けゆで玉子、自家製お漬け物 
  移動距離    約1000km

受け取ったもの  多くの人の笑顔と「ありがとう」の感謝の言葉。

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5月13日(金曜日)  石巻市湊町地区 松厳寺の境内



この地区は建物の1階が津波被害により、皆さん2階に住んでいる。
まだガス・水道・電気は復旧されておらず、毎日お弁当とカップラーメン
を食べて生活をしている。12時からの食事提供開始前から長蛇の列。  
焦る私たち、それを見かねて、地元のお母さん達が率先してお手伝い
をしてくれる。 2ヶ月ぶりの温かいうどんに皆さんよろこんでいた。

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5月14日(土曜日) 石巻市山下中学校内の避難所



ここに避難されている方は、津波と火災により街が壊滅してしまい、 
避難所生活を余儀なくされている。毎日の食事は自衛隊提供のお弁当を
食べている。ここの避難所では避難されてからの炊き出し活動の食事は
初めてということもあり、皆さんの久しぶりの温かい食事が食べられるとい
う期待が膨らむなか、嬉しそうに食事を受け取っていた。

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5月15日(日曜日) 石巻市雄勝町大須小学校の避難所



雄勝町は石巻市街から車で90分ぐらい離れた、美しいリアス式海岸
沿いのある小さな街。避難所に向かう途中、街の中心部を走ったが
津波により全て失っていた。その街の方が避難している避難所。
ここはボランティア活動が活発に行われおり、食事の準備・配膳・片付
けを常駐しているボランティアスタッフに手伝っていただいた。

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5月16日(月曜日) 石巻市市立女子高校の避難所

ここに避難されている方も津波と火災で住宅を失った方々。学校も再開
されており、先生・生徒達と避難所の方が共存をしている。校長先生の
他の避難所から通っている生徒達にも食べさせたいという思いから
150食分を提供する。いなり寿司やボイルウインナーを見た
女子高生の「ちょーうまそう~!!」という声が印象的だった。

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「震災後、こんなにおいしい物は初めて食べた。本当にありがとう」と、頭を下げられると、なんかどうしていいか分からなくて泣きたくなる。こんな少しの助けしかできなくて、ごめんなさいって言いたくなってしまう。壊滅した町を見て悲しくなってしまうけれど、そこに住んでいた人たちが元気を取り戻しているのに、それでも、自分だけ悲しくなっていてはいけない気がする。あれこれと、考えると難しくて、見渡す限りの瓦礫の山を見ると嬉しい気持ちが負けてしまう。ここは町だったんだろうに。店があり、人が暮らしていただろうに。それでも2か月たって、きっと色々な思いがあるのだろうけれど、皆、笑顔だった。一時でも役に立てた喜びと、本当の意味で一緒に復興を手伝っていく事ができないすまない気持ちがある。僕にできる事っていったいどういう事なのだろう。 (まさる)



津波により壊滅した雄勝の街に降り立った。目の前にはリアス式海岸の美しい入り江。波もなく、穏やかな磯風が吹いている。
しかし、後を振り向くと津波により完全に破壊された街がある。
この現実に心が痛む。人間は自然の驚異の前では何もできない。
僕らの日常生活にも、突然自然の驚異が訪れるかも知れない。
そう考えると僕らの普通の日常生活というのは、あたりまえの事でなくとてもすばらしいことだと思う。だからこそ、日々普通に生活を過ごせる事に感謝をしていきたい。(剛史)






実際の被災地は、瓦礫に横転した車がゴロゴロしていたりして、新聞でみたそのままの状況でした。その中に見たたくさんのボランティアの数に少し嬉しくなりました。外国人ボランティア、一泊の週末ボランティア、泥出しボランティアに女の子の姿も…。ボランティアの制度にはいろいろ問題があって、うまくコーディネートする人がいなくて、支援物資が偏在していたり、ボランティアがゴミを散らかしてしまったりする恥ずかしい現状も目の当たりにしました。「私たちは失ったものもあるけれど、得たものもある。こんなに沢山の人が助けに来てくれるなんて…、ボランティアさんの優しい目、うれしかった。また石巻に来てください。」と言ってくれたおばさんが印象的で、私はいつになるかわからないけれど、また行きたいです。そしていつまでも忘れずにいたい。(葉子)



震災から2ヶ月が経過したにもかかわらず瓦礫の山、強風が吹くとその山から瓦礫がはがされて飛び散っている、道路は車が走れる様に瓦礫が撤去されているが、歩道はつぶされた車が捨て置かれている。2箇所目の炊き出し先は小学校の体育館が避難先になっていて、テレビの画像のように段ボウルで仕切られていた。避難所を転々とし、この避難所は3度目の場所だそうだ。ここでは自炊はできない。私達はお陰様で皆さんに喜んで頂けたが炊き出しボランテイアなどしなくて済む様な状況を早く行政が整えて欲しい。早く仮設住宅及び公営住宅の建設に力を入れて欲しい。そして自分で好きな時に料理できます様に。(恵美子)



まさに言葉を失う悲惨な情景のなか、現地の人の悲しみを乗り越えて、復興へ力を合わせようという思いが伝わってくる。地震・津波は天災、しかし原発事故は人災、被曝と放射能汚染の恐怖は終わりがない。息の長い被災地支援と原発のない国造りに、皆さんと力を合わせたい。(恵子)



★留守番組が頑張ってくれたおかげで、動物も作物も元気で、ホッ! ジャガイモ初収穫。炊き出しのポテトサラダは、鹿児島の農家からの支援ジャガでした。


                                          

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3 コメント

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ボランティア (みおぼん)
2011-05-25 07:05:33
石巻市は宮城県内でも特に甚大な被害に襲われた地区の一つですね。
ライフラインの復旧もまだ、そして震災から2ヶ月経過以上経過した今なお、支給されるお弁当とカップラーメンの日々とは…。
被災した地域によって待遇も違うのに不公平さを感じずにはいられません。
こうして皆さまがはるばるボランティアで温かいお食事を提供された事、被災者の方々はお腹だけでなく、きっと心にも温かい気持ちを灯されたような感じになられたことと思います。
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コメントありがとうございます (ようこ)
2011-08-10 07:48:06
スタッフの葉子です。

書き込みありがとうございます。そしてレスが遅くなってすみません。

私達がしたことはほんの少しのことですが、少しでも温かい気持ちになれたのなら嬉しいです。

ところでみおぼんさんは皆農塾の誰かのお知り合いさんでしょうか?それともホームページをみて書き込んでいただいたのでしょうか??

どちらにせよありがとうございます
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お返事 (みおぼん)
2012-02-05 22:05:10
お返事が大変遅くなり申し訳ございません。
私はカナダのフミさん伝いでこのホームページを知りました。
私も同じカナダに住んでいますが、祖国から遠く離れていても、自分に出来る範囲で被災地の支援を引き続きしていけたらと思っております。
被災地の現状だけでなく、行動を起こされた皆さまの元気を分けてもらえたような感じです。
こちらこそ本当にありがとうございます。
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